161.息抜きの場所
ヴェルニュスにまた高貴な人がやってきた。
「お久しぶりです、アルフレッド叔父上、ミュリエル叔母上」
「おばうえ」
おばうえ、おばうえ、おばうえ。ミュリエルは真っ白になった。十五歳、花も恥じらう乙女である。まあ、人妻だし、妊婦だし、花は恥じらわないけども。おばうえと呼ばれる筋合いはないのでは? 同い年の男子に? え、おかしくない? これって普通?
ミュリエルがグルグル考えていると、アルフレッドが苦笑しながら答えた。
「まさか本当に来るとは思わなかった、ヨアヒム。そして、叔母上はやめてあげて。ミリーが傷ついてる」
「ミリーと呼んでください。ヨアヒム殿下」
ミュリエルは大分強めに言う。絶対におばうえとは呼ばせない。圧をこめて見ると、ヨアヒムはホッとしたようにかすかに微笑む。
「よかった。同い年をおばうえと呼ぶのはどうなのか。最後まで迷ったのだ。私のことはヨアヒムと呼んでくれ」
「いやー、ビックリしました。あははは」
驚きと安心が同時にきて、ミュリエルは笑い出した。
「王都ではあまり話せなかったが。あのとき、私に石を当ててくれてありがとう。おかげで目が覚めた」
「ヒエっ、それはもう、なかったことにしましょう。お互い若気のいたりということで。痛み分けで」
ミュリエルはしどろもどろだ。やっぱり、よく考えると、王子に石を投げるのはよくなかったなあ。少しずつ大人になっているミュリエルである。
ヨアヒムは、魔牛お姉さんとその夫たちと共にやってきた。魔牛お姉さんたちの画策がうまくいった。
「かわいい子には旅をさせろと言いますわ」
「違う環境で学べることもあるはずですし」
「ラグザル王国のラウル殿下は、随分お変わりになったと耳にしましたの」
「賛成よ」
魔牛お姉さんが根回しをし、ルイーゼが後押しし、レオノーラ前王妃が賛成した。
「わたくしは王都に残ります。わたくしが一緒ですと、殿下はわたくしに甘えてしまいますから」
ルイーゼは堂々とのろける。
「手紙を書くよ、ルイーゼ」
「ええ、殿下」
「ルイーゼに惚れ直されるように、鍛えてくる」
「では、わたくしも、もっと努力いたしますわね」
意識高い系の恋人たち。もうちょっと力を抜け。周りの大人たちはこっそり思ったが、いつも通り見守る。
醜態をさらし、瑕疵を抱え、紆余曲折しながら、それでも蘇ったヨアヒム。挫折を知った王子はいい国王となるだろう。貴族たちは口にはしないが、ほのかに期待している。
王族養成所となりつつあるヴェルニュス。ミュリエルは気にしていない。息苦しい王都から、気楽なヴェルニュスへようこそ。分かるよ、分かる分かる。喜んで避難所にしてください。そんな気持ちである。
***
「まあパッパの次男。あら、空の国の巨人の奥様。なんてこと。ハリソン、元気そうでよかったわ。え、双子のジェイムズ? まあ、そっくりね。歌い手のクルトに、そして」
ヒルダ女王はニーナの手をしっかり握った。
「あなたがニーナね。夫があなたにしたこと、そしてそれを止められなかったこと。申し訳なかったわ。許してくれとは言いません。ただ、何かできることがあれば言ってほしいわ」
「は、はい。大丈夫です。フェリハさんとセファさんにとても優しくしてもらってましたし」
「そう、フェリハにはそろそろ戻ってもらいたいのだけど。困った王女だこと」
ヒルダとニーナが話している様子を、次女のアイリーンと、おてんば三つ子が眺めている。アイリーンは淡々と、三つ子はジェイムズとデイヴィッドをキラキラ、いやギラギラした目で見ている。
ぜひにと乞われ、晩餐に参加するデイヴィッドたち。三つ子は遠くの席に配置される。
フェリハとセファが仲良くなっていること、結婚式のこと、踊り子たち。話題はつきない。ヒルダはデイヴィッドの前の、手つかずで置いてある酒の盃に目をやった。
「デイヴィッドはお酒は飲まないのかしら?」
「そうですね、家族に止められていまして。どうも酒癖が悪いらしいのです」
「へー、それはおもしろい。ガンガン飲め」
イシパがニカっと満面の笑みを浮かべる。デイヴィッドはものすごく躊躇した。「これはダメだと思ったら、すぐ抱えて部屋に連れて行ってくれ」何度もイシパとクルトに頼んだ上で、少しだけお酒を舐める。
お酒に酔ってほんのり赤らんだデイヴィッドは危険だった。三つ子は即座に連れ出された。
「あれは見てはなりません。目の毒です」
年かさの侍女たちが、強引に三つ子を寝室に押し込む。給仕をしていた若い女性たちは、すぐに男性に代えられた。
ヒルダはこめかみを抑え、クルトはデイヴィッドを部屋に連行するか悩み、ジェイムズは口をあんぐり開けた。
イシパは優しい目でデイヴィッドの話を聞いている。
「外に出ると母さんを口説く男たちに囲まれてね、大変だったなあ」
デイヴィッドは額の汗をふき、顔にかかるつややかな髪を後ろにはらった。ファサッと金髪がなびく。なんだかイイ匂いがするなあ、すごいなあ。ジェイムズは感心した。
「そういうときは、母さんと俺で笑うんだ、あはは。そうすると、周りの男たちが決闘を始めてね。クックック。バカなやつらだよ、母さんは父さんしか見てないのに」
カランカランカラン 給仕の男の手からお盆が落ちた。
「俺は女に囲まれる前に逃げるからいいんだけどさ。たまに男に取り囲まれることもあって。まあ、笑えばなんとかなるんだけど。血の雨が降るけど。フフフ」
なかなかなことを、実に爽やかな笑顔で言っている。
「これからは私が守ってやるからな。好きなだけ笑えばいい」
イシパの言葉にデイヴィッドがフワッと微笑む。
「いい奥さんを見つけたなー俺。幸せだなー」
子どものように無邪気な顔で笑ったかと思うと、デイヴィッドはハラハラと泣き出した。
皆、ギョッとしてデイヴィッドを見る。イシパは平然として、聞いた。
「なぜ泣く」
「この顔でイヤなことがいっぱいあったけど。イシパがこの顔を好きになってくれてよかった。旅に出れるなんて」
しばらくメソメソ泣いたあと、デイヴィッドは無になった。一点を見つめて微動だにしない。
「そろそろ寝るか」
イシパは静かに言うと、彫像のようなデイヴィッドを抱えた。さながら、姫を抱える選ばれし戦士。イシパは確かな足取りでゆっくりと歩む。
「私の夫がかわいい」
確かに。皆が頷いた。
***
遠くの村で、ハリソンがつぶやく。
「あの、女に苦労しない加護。デイヴィッドにかけてあげたかったねー」
「うむ。巨人の娘が守ってくれるといいのだが」
「そうだね、いっぱい笑えてるといいね」
大丈夫。デイヴィッドは笑い上戸で泣き上戸。イシパがいないところでは、決して酒は飲ますまい。そう決まったところだ。