159.お祈りはもう勘弁
「ご活躍をお祈り申し上げます」
決まり文句でまた仕事の面接で断られた。これだけお祈りされてると、もう神様になれるんじゃないか。マルセルは深く長くため息を吐く。メガネがズリ落ちそうになって、慌てて顔を上げた。
マルセルの家は男爵だ。王都から少し離れたところに領地がある。パッとしない領地は代官に任せ、王宮で細々と文官をする父。父のなけなしの伝手は、兄三人で使い果たされた。
「すまん、マルセル。色んな人に聞いてはいるんだが。王宮の文官は希望者が多くて、枠がすぐ埋まってしまうのだ」
父は情けなそうに言う。マルセルはつとめて何でもないように答える。
「うん、仕方ないよ。学園を卒業するまで、まだ時間があるから、受けまくるよ」
「領地で働くか?」
マルセルはギョッとする。
「いや、それはダメじゃない。代官がきちんと管理してくれてるのに。僕が行って仕事奪う訳にはいかないし。それで領地が傾いたら困る。かといって、僕が代官の下で働くこともできない。やっぱり王都で仕事探すよ」
マルセルの言葉に父は肩を落とした。
「その通りだな。中途半端な貴族でなんの力もなくてすまない」
自分よりもっと落ち込んでいる父を前に、マルセルは明るく振る舞うしかない。部屋に入って、椅子にドサっと腰掛け、頭を抱える。
「こんなことなら、もっと早い段階でヴェルニュスに行けばよかった」
マルセルがグズグズしている間に、先見の明のある同級生や先輩はさっさとヴェルニュスに行ってしまった。決断力がなく、目端もきかず、これといって何がやりたいという強い意欲もない。機会をものにすることができず、指をくわえて見ているだけ。
マルセルはそんな自分がイヤで、頭をバシバシ叩く。
勉強はそこそこできる。まんべんなく平均的にできるけど、突出したところはない。見た目は地味で、性格は内向的。女性ともほとんど話したことがない。
「結婚はできなくても諦める。でも仕事がないと生きていけない。なんとかしないと」
マルセルは天井を仰いでつぶやく。天井のシミを数えたところでいい考えは浮かばず、マルセルは学園の図書館に本を借りに行くことにした。勉強していれば、苦しい現実と暗い未来から目を背けられる。マルセルはとても後ろ向きな気持ちで図書館に足を運んだ。
本を選んでいるときは、マルセルは気持ちが穏やかになる。色んな本を読み、様々な知識に触れるのが好きだ。きっと、法律なら法律と、専門的な知識を深めて行く方が仕事は得やすいのだろう。でも、残念ながら、マルセルはまだ、これを極めたいというものを見つけられていない。
「いや、今日借りる本に、夢中になれる分野があるかもしれない」
マルセルは強引に自分を鼓舞すると、上限いっぱいの本を急いで選んだ。もうそろそろ閉館時間だ。五冊の本を抱えて窓口に行くと、顔見知りの司書が頷く。
「貸し出しですね。測量、土木、医学、法律、農業ですか。相変わらずマルセルさんは色々読みますね」
「知らないことを少しずつ知って行く過程が好きなんです。ちょっとは成長してるって思えますから。錯覚かもしれませんけど」
つい自嘲めいたことを口にしてしまい、マルセルは慌てて口を閉じた。「そんなことないですよ。マルセルさんはすごいです」そんな慰めを期待しているみたいではないか。自分の浅ましさが恥ずかしく、早く出ていきたくなった。
父より少し若いぐらいの司書の男性は、少しためらい、小さな声でマルセルに聞いた。
「マルセルさん、まだ仕事を探していますか?」
「はい」
マルセルは、もしやと期待を込めて司書を見る。学園図書館の司書として働けるなら、願ってもないことだ。
「ゴンザーラ領で文官を探しているそうですよ」
「ゴンザーラ領? ああ、ミュリエル・ゴンザーラ女辺境伯のご実家でしたか」
司書は頷くと、それ以上は何も言わず、本を渡してくる。マルセルは追求することもできず、スゴスゴと帰った。
「ゴンザーラ領か。靴を履かない僻地と聞いたな」
そんなところで生きていけるだろうか。でも、今動かないと、また後悔することになるかもしれない。とりあえず情報を集めよう、マルセルは決心した。
父や兄、友人たちに頼み、ゴンザーラ領について調べてみる。文官を探しているとか、勧誘されたなどの話は出てこない。
「どういうことだ。さっぱり分からない。でも、司書の人がウソを言うとも思えないし」
マルセルは思い切って、サイフリッド商会を訪れることにした。飛ぶ鳥を落とす勢いの商会。ミュリエル女辺境伯やアルフレッド王弟殿下との親交も厚いと聞く。きっと何か知っているだろう。
突然訪ねたマルセルを、美しい男性が丁寧に応対してくれる。サイフリッド商会の美形の息子の誰かだな、マルセルは少し怖気付いた。あまりに綺麗すぎて、同じ人族と思えない。
ドギマギしながらも、マルセルは単刀直入に聞くことにした。忙しい人の時間を奪うべきではない、そう思った。
「ゴンザーラ領で文官を探していると聞きました。採用面接など、どこで受けられるか、ご存知ではないでしょうか」
美貌の男性はニコニコしながらも、一瞬目を鋭く光らせる。マルセルは、自分が瞬時に値踏みされたと感じた。
「明日、弟がゴンザーラ領に行きます。同行されますか?」
「明日?」
マルセルはややのけぞった。今日の明日とは、いくらなんでも……。
「同行します」
マルセルは腹をくくった。どうせお祈りされ続けているのだ。信者がまたひとつ増えたところで、どうでもいい。マルセルはやぶれかぶれで、開き直った。
驚愕する家族に送り出され、マルセルは華やかな男性と馬車で行く。物語の王子のような見かけのドミニクと、地味なマルセル。王子と従者みたいだな。ともすると卑屈になりそうなマルセルだが、ドミニクは人当たりがよく会話がうまい。
「顔もよくて、外交的で、商売上手。僕にないものを全て持ってる」
マルセルはついうっかり、心の声を漏らしてしまった。
「それは、ありがとうございます。私は商人ですから。マルセルさんは幅広い知識をお持ちでしょう」
ドミニクはさらりと答える。マルセルはなんだか気が楽になった。ないものを羨み、卑屈になるのは、気持ちが落ち込む。文官の知識があれば、顔はそこそこでも許されるだろう。きっと。そう願おう。
何日も馬車に揺られ続け、お尻が痛くなった頃、マルセルはそびえたつ城壁を目にした。
「着きましたよ」
「城壁が、ものものしいですね」
マルセルは近づくにつれ、その高さと頑丈さに目を見張る。王都の城壁よりすごい。
「魔獣が出ますからね、ここは」
「き……」
聞いてねー、叫びそうになって、マルセルはぐっとこらえた。
「百戦錬磨の領主と領民です。大丈夫ですよ」
たらりと、マルセルの背中を冷や汗が伝う。軟弱な自分がやっていけるだろうか。
ガクガクぶるぶるしているマルセルは、あれよあれよという間に、領主に紹介された。
マルセルは、今までピンと来なかった、犬やオオカミの気持ちが心底理解できた。この人に逆らってはダメだ。マルセルに尻尾があれば、弱々しく垂れ下がり、足の間に挟まっただろう。
強者の威圧を放つ領主は、鋭い目でマルセルをしばらく眺めると、パッと笑顔になった。
「採用」
「えええーー、まだ名乗ってもいないのにーー」
思わず叫んでしまい、マルセルは口をおさえる。
「お義父さんが見込んだ人の推薦なんだろ? それにここまで来れたってことは、ドミニクも納得したんだろ。ならいいじゃないか」
「ほ、本当ですか?」
マルセルは垂れ下がった尻尾を持ち上げる。
「ああ、その地味な見た目と弱そうなところが気に入った。女の戦いで領地が荒れないだろうし。領地を乗っ取ろうともしないだろうし」
随分ひどいことを言われているが、マルセルは嬉しくて涙が出てくる。いらないと断り続けられてきたのに。
「ここで骨を埋める覚悟だろうな」
ジロリと見られ、体が震える。
「はい」
一生ついていきます。マルセルは主人を見つめた。