154.全く忍べていないお忍び旅行
パッパは今、めちゃくちゃ忙しい。できる人に仕事は集まるを体現しているパッパ。その上、おもしろそうな案件、ちょっと先行きが不安な物事に、進んで首を突っ込んでいる。そして、イローナとデイヴィッドの結婚ときた。
さすがのパッパも少しやせた。
「あなた、仕事を減らしてくださいな」
寝る前にいつもミランダから心配される。
「そうは言っても、高級宿の仕上げが佳境に入ってるし。王都から来てもらった宿の支配人の悩み相談を受けてあげないと。それに温泉も。おまけにデイヴィッドが急に結婚するだなんて。ああー」
パッパは両手でほっぺを挟み、叫んだ。
そんなパッパの苦境を助けに、できる息子ふたりが駆けつけた。長男のジャスティンと三男のドミニク。ヴェルニュスの美形比率が急速に上がって行く。
「ジャスティン、ドミニク。よく来てくれた。あれもこれも、よろしく」
ジャスティンとドミニクは卒なく笑って受け止めるが、やや挙動がおかしい。後ろにたくさんの美女とシュッとした男性がいる。
「おお、これは魔牛お姉さんと、婚約者の皆様ですな。ささ、どうぞ。宿にご案内しましょう。その後、ミリー様とアル様にご対面できるよう、おふたりの予定を聞いてきます」
パッパは愛想良くもみ手をしながら、紳士淑女に挨拶をする。最後のひとりになったとき、パッパの笑顔が凍った。
「魔牛お姉さんの親戚のおばさんのその友だちの、レーラです」
スンッとした顔で、地味な旅衣装をまとった女性が、目をそらし気味に言う。
「……レオノーラ前王妃殿下ではございませんか。いらっしゃるとは初耳です」
パッパは血の気が引いた。護衛は? 近衛はどこ? アルフレッドの母上、とても高貴である。しれっとやってきていい訳があるかー。
魔牛お姉さんたちも微妙な顔をしている。もちろん出発のときにすぐに気づいたが、そこは見て見ぬフリをするのが礼儀である。気づいていないフリ、気をつかっていないフリ。フリだらけの船旅であった。大変疲れました。
レオノーラは小首をかしげてつぶやいた。
「どうしてみんなすぐ見抜くのかしら。変装しているのに」
「え、それは姿絵と同じですし。気品と威厳がありまくりですし。とにかく、今すぐ、アル様のところに向かいましょう。ジャスティン、ドミニク、皆さんのことは頼んだぞ」
パッパは冷や汗をダラダラかきながら、そのあたりにいる石投げ部隊をかき集め、城に向かう。王族と気安くつき合わせてもらっているパッパではあるが、レオノーラ前王妃と会うのは初めてだ。それは、さすがにもう、緊張する。
「ねえ、あなたがパッパでしょう? ミリーちゃんの腕輪から、最近はちっとも声が聞こえないのよ。壊れたのかしら?」
「は、いえ。壊れてはないはずです。ミリー様は緊急事態以外では、腕輪に語りかけないようにされています」
「あらー残念だわ。とても楽しかったのですけれど」
「国家機密が漏れてしまうとよろしくないでしょうから」
「まあ、エルンストと宰相あたりが止めたのね。意気地のない人たちだこと」
パッパは、国王陛下と宰相の悪口は、そっと聞かなかったことにする。アル様、どこかなー。
「ミリーちゃんがアルとケンカしたら、愚痴を言ってくれればいいのよ。わたくしからアルを叱りますからね」
「……おふたりはとても仲睦まじくていらっしゃいますので。まだケンカなどもされていないのではないかと」
そんな愚痴が王都に響き渡ったら、王家の威信がズタズタになりますよ。パッパは思った。
「ミリーちゃんは王都で緊張していたから、あまり距離を詰められなかったの。ここで仲良くなりたいわ。フフフ」
レオノーラは男爵で商人のパッパに思いの丈を漏らしすぎである。パッパの願いが叶って、城に入るとすぐにアルフレッドとミュリエルが早足でやってきた。パッパはホッとすると、さらりと華麗に消える。あーえらい目にあった。
「母上、お忍び旅行にも程がありますよ」
「フフフ。大丈夫よ、王家の影の頭領を連れて来たもの。どこにいるか知りませんけれど」
レオノーラはドギマギしているミュリエルの腕に、自分の腕をからませた。
「ミリーちゃん、緊張しなくていいのよ。仲良くしましょうね」
「ミリーちゃん」
って呼ばれたことあったっけ? ミュリエルの緊張が吹っ飛んだ。ミリーちゃん。誰からもそんな呼ばれ方はしたことがない。
ミュリエルがボーッとしている間に、客間に連れて行かれる。長いソファーに、三人並んで腰掛ける。ミュリエルを真ん中に、両隣が王族だ。
「母上、これでは話しにくいではありませんか」
「わざわざ来たのは、ミリーちゃんと仲良くなるためですもの。女の子っていいわよね。アルも小さいときは女の子みたいに可憐だったのよ。ドレスを着せようとしたら、しばらく口をきいてくれなくなったわね」
ミュリエルは無心でお茶を飲み、ケーキを食べる。
「ここに来ること、父上がよく許しましたね」
「今まで隠し持っていた、とっておきの切り札を出したのよ」
「切り札」
王家の切り札。すごそうだ。ミュリエルは興味津々だ。
「ほら、あの人。学生のときにメリンダさん、ミリーちゃんのおばあさまを口説いたでしょう。剣術の授業であっさり負けて、側室にしようとしたのよ」
(ギャー、バレてる)
「そのときのことを持ち出してネチネチ言ったら、許してくれたわ」
レオノーラはしれっと言うと、優雅にお茶を飲む。
「ものによりますけど。長年寝かせておいて使うと、切り札の切れ味も抜群なのよ。四十年、待った甲斐があったわあ」
「勉強になります」
ミュリエルは義母を尊敬の目で見た。ミュリエルはすーぐ言ってしまうタチだ。四十年経ったら、きれいさっぱり忘れてしまうだろう。
「母上、ミリーにおかしなことを教えないでください」
「フフフ。ミリーちゃん、アルとケンカしたら、腕輪に向かって、愚痴をこぼしなさい。またお忍びで来て、怒ってあげるわ」
「は、はい。まだケンカしたことないんですけど。ケーキはあんまり食べさせてくれないんですけど」
それぐらいしか不満はないミュリエルである。
「妊娠中は仕方がないわ。産んだらたくさんお食べなさいな」
「はいっ」
「ナディヤが言っていた。産後も甘い物の食べ過ぎはよくないそうだ。その、母乳が詰まって、胸が痛くなるかもしれないと」
喜んでいたミュリエルは、一瞬でガックリする。
「甘さ控えめのケーキを作らせればいいのではなくて?」
「はい、もう十分に控えめにしてもらってます」
それはもう、料理人たちが腕によりをかけて、知恵を絞りまくって、甘さ控えめで、なおかつおいしいケーキが毎日出てくる。
「故郷では、ケーキなんてほとんど食べたことなかったんです。なのに、今は毎日食べてます。贅沢ですよね」
ワガママ独裁者になっているかもしれない自分に気づいて、ミュリエルは反省した。
「フフフ。ケーキ、毎日食べたらいいのよ。でも、ちょっと物足りないな、ぐらいが一番いいのよ。飽きてしまったら悲しいでしょう?」
「確かに」
ミュリエルはすぐに前向きに戻った。毎日、少しずつ食べれば、飽きることなく一生ケーキが楽しめるのだ。素晴らしい人生。
ミュリエルが明るい未来に目を輝かせているとき、ダンはどんよりしている。上司が前王妃とやって来た。のびのび辺境生活は終わった。
「ダン、お前、訓練を怠っておらんか? 犬がいるからって、ボケラーっとしてる場合ではないぞ。結婚式が終わったら、本格的に宿泊客が増えるんだろう。そうすると、怪しい人の出入りも増える」
「はい、その通りです」
「これから毎日鍛えてやる」
「はい、よろしくお願いします」
ダンはこれからの厳しい日々を思って、気を引き締めた。
そして、ミュリエルが危惧していた、メリンダばあちゃんと、レオノーラ前王妃の対面である。が、なんの問題もなくあっさり終わった。いたってなごやかだった。
メリンダばあちゃん、前国王に口説かれたこと、全く認識していなかった。
「そんなこと、あったかいのう? 確かにあの頃、荒ぶってて。ちぎっては投げておったなあ。魔熊や魔牛に比べると、王都の男はウサギみたいなもんだったからなあ。つまらんかったわ」
「お義母様、ミリーの衣装のことでちょっと相談が」
ホホホホ 笑ってごまかしながら、シャルロッテがばあちゃんを連れて行った。
「フフフ」
レオノーラは心から楽しそうに笑う。
ミュリエルは冷や汗をこっそり拭いた。ばあちゃん、勘弁してー。
嫁姑問題、なさそうだな、ヴェルニュス。