15.婿入りとは本気ですか?
スッとした紳士は、動揺を隠しきれないミュリエルを、柔和な笑顔でエスコートしてくれた。
「どうぞ、ジャックとお呼びください」
そう言って、ジャックはミュリエルを王宮の奥まで連れて行く。
「お入りください」
ためらいがちに部屋に入ると、そこは上品とはこのことかとミュリエルにでも合点がいく内装であった。イローナが言ってたのはこれか、ミュリエルはようやく分かった。
深い緑の壁紙に、金の浮き出た紋様が施されてる。金が多用されていても、ギラギラした感じはなく落ち着いている。
ミュリエルより大きな肖像画がいくつも壁に飾られている。肖像画はどれも豪華な金の額縁に入っていた。
(あ、ヨアヒム殿下だ。陛下も。これは誰だろう……)
「アルフレッド・ローテンハウプトだ。アルと呼んでくれ」
ミュリエルがたった今眺めていた肖像画と同じ、どえらい美貌の男性が、いつのまにか隣に立っている。
「ローテンハウプト……。この国の名前、ということは王族の……?」
「そう、王弟だよ。僕のこと覚えてない? ミリー」
「?」
「あのときは変装していたからな。分からない? この前、森でミリーに助けてもらっただろう。あのときは、ありがとう。そういえばちゃんとお礼を言っていなかったね」
「アルフレッド王弟殿下……」
アルフレッドは麗しい笑顔でミュリエルを見つめる。
「アルって呼んでほしいな。なんといっても、僕はミリーの婚約者になるんだから」
「ええっ」
「あのとき約束しただろう? 万難を排して調整したよ。僕はいつでも婿入りできる。いつがいい?」
「ええええー」
「さあ、座ってゆっくり話そう。おいしいケーキも用意してあるからね」
アルフレッドはなめらかな動作でミュリエルの腰に手をやると、ソファーまで導く。
「どうぞ」
給仕の格好をした影のダンが、紅茶を机に並べていく。
「あ、あのときの。あのときはどうもありがとう」
「いえ、これが仕事ですから。料理長が腕によりをかけて作りました」
大きな皿に、夜会のときより見事なケーキが盛りつけられている。
「うわああ」
「ミリー、僕が食べさせてあげる」
アルフレッドがフォークを取ろうとするが、ミュリエルは先にささっとフォークをつかんだ。
「いえ、結構です」
「つれないなあ」
「いえ、味が楽しめなくなるので。料理長に悪いじゃないですか」
アルフレッドは次々とケーキを口に運ぶミュリエルを、隣でニコニコと見つめる。
「アルフレッド殿下は食べないんですか?」
「ん? そうだな、少し食べようか」
アルフレッドはミュリエルの口の端についたクリームを、長い指でそうっと取ると、ペロッとなめる。
こんなことする人、本当にいるんだ。ミュリエルの目が点になった。
これはマチルダが、胸がキュンキュンするオススメの恋愛場面と言っていたアレではないか。
ミュリエルは頭を振って、ケーキに集中する。
アルフレッドが少しずつミュリエルに近づき、今やふたりの体はピッタリとくっついている。
なんか、くすぐったいな。
アルフレッドがミュリエルの髪を指に巻きつけて遊んでいる。
「あのー、少し離れてもらえませんか? 気が散って食べられません」
「クッ、僕にそんなこと言うの、ミリーが初めてだよ。たまらない」
アルフレッドはほんの少しだけ体を離してくれた。
ミュリエルは諦めて、なんとかケーキに意識を向ける。
(こんな美形で王族がなんでまた)
「こんな美形で王族がなんでまたって、そりゃあ惚れちゃったからだよ」
「え、私、声に出してた?」
「いや、そんなことはないけど。ミリーはすぐ顔に出るから」
ミュリエルは思わず手で顔を覆う。
「気にしなくていいんだ。そのままのミリーが好きなんだ」
(あ、甘ーい)
全部食べ終わったケーキより甘いアルフレッドの言動に、ミュリエルの頭は爆発寸前だ。
「大丈夫、毎日聞いていればすぐ慣れるから。僕のお姫様」
とろけるような笑顔で言われて、ミュリエルは思わずソファーの背に体を打ちつける。
「ひえぇぇ。よくそんな顔でそんなことを」
「あれ、女の子はこういうの喜ぶって思ってたけど、ミリーはイヤ?」
「イヤ……ではないけど……。どう反応していいか分からない」
「好きなように反応して。僕は色んなミリーが見たいんだ」
手の平にチュッとされた。
「うわあぁぁ」
ミュリエルは手を引っこ抜いて絶叫する。
「ははは、おもしろいな」
「あ、遊ばないでほしい」
「だって、今までこんなおもしろい女の子、見たことないし。ダメ?」
潤んだ目で見つめられて、ミュリエルの背中がゾクッとする。
「ダメ……ではないけど。なんか落ち着かないんだけど」
「そのうち慣れるよ。さて、いつ領地のご両親に挨拶に行こうか。明日?」
「はあっ?」
「だって早い方がいいだろう。そりゃあ僕は王弟だから、権力使って今すぐ婚約しちゃってもいいけど。やっぱりミリーのご両親には先に挨拶したいじゃない」
「それはそうですけど。え、本気で婿入りするの? 王弟が? そんなの無理じゃない?」
「大丈夫大丈夫。なんとでもできるから。ミリーは何も気にせず、少しずつ僕のことを知ってくれればいいよ」
「ええええええ」
翌日、なんだかよく分からないうちに、馬車に乗せられた。マチルダとジョニーは目を白黒させ、なんとか見送りに間に合ったイローナとブラッドは顔がこわばっている。
「また会えるよねっ」
イローナがひしっとミュリエルに抱きつく。
「大丈夫、式はこちらでも挙げるから」
アルフレッドが答える。
「あ、そうなんだ」
ミュリエルは初耳なのでビックリする。
「そうなんだって……」
ブラッドが思わずこぼして、慌てて口を抑える。
「ミリー、大丈夫なの? イヤじゃない?」
イローナが小声でささやく。
「大丈夫だよ。イヤじゃないよ。ちょっとまだ混乱してるけど」
「そっか。手紙書くから」
「うん。私も手紙書くね」
「ずっと友だちだよ」
「うん、ずっと友だち。えへ」
「ミリー、元気でな。その、なんかあったら相談してくれ。私にできることがあるかは分からないけど」
「ありがとう、ブラッド。いっぱい助けてもらっちゃったね」
「当たり前だろ、友だちだろ」
「うん、そうだね。友だちだね」
***
「行っちゃった。ミリーが行っちゃった」
うわーん イローナが子どもみたいに泣きじゃくる。
ブラッドはとまどいながら、頭をポンポンと優しく叩く。
「また会えるよ」
「うう、でももう一緒に授業受けられない。アタシまたひとりぼっちになっちゃう」
水色の目から涙がダバダバ流れる。海ってこんなだろうか、ブラッドはふと思った。
「……組のみんなが仲良くなったじゃないか。ミリーのおかげで。それに……私もいる」
ブラッドは居心地の悪い感情に翻弄されながら、なんとか言葉をしぼりだした。
「うん……」
イローナとブラッドは、馬車が見えなくなるまでじっと立っていた。