145.二面性
ルティアンナはミュリエルにバレエのことを相談している。
「バレエですが、『白鳥と王子』『人魚と王子』『くるみ割り人形とネズミと少女』から、少しずつ踊ることにしようかと。男性の踊り手がいませんから、全てはできませんし。続きは本国で、とできるといいなと思いましたの」
「どれも見たことがないので、楽しみです」
ミュリエルは目をキラキラさせた。ルティアンナは微笑みながら、小首をかしげる。
「くるみ割り以外は、結末が悲しいですけれど、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫です。もう最後に死ぬって知ってしまったので、気になりません。それに、人魚と領主の弟は幸せになったみたいですし。現実で幸せになったのなら、安心です」
「そうですわね。ラウルもうまく領地漫遊をしているようで、なによりですわ。ところで、バレエの練習をご覧になりますか? それとも、本番までお待ちになりますか?」
ミュリエルはものすごく悩んだ。見たい。とても見たい。だけど……。
「本番まで待ちます。本番見てから、練習も見させていただきますね」
「そうですね。その方がいいですわね」
ミュリエルが楽しみにしているのが、ありありと分かったので、ルティアンナはバレエ団に檄を飛ばした。
「宿泊客に見せる前に、ご領主夫妻と領地の皆さんに見せましょう。早めに」
踊り子たちはそれはもう張り切った。誰もが主役の白鳥と人魚と少女を踊りたい。ネズミも見せ場は多いが、でもやっぱり主役、そしてやっぱり白鳥がいい。
踊り子たちが熾烈な争いをしている中、監督はルティアンナから出された「バレエの素晴らしさを伝え、ラグザル王国で全編を見たいと思わせること」という注文にいかに答えるか、うんうん悩んでいる。
「つかみはクルミの贈り物の場面にするか。楽しい雰囲気が出せるし、ミリー様は人形がお好きだからちょうどいい。子どもらしい、かわいい衣装にしよう」
それなら主役の少女の見せ場だしな。導入は決まった。
「中盤は人魚でしっとりさせよう。海の中で優雅に泳ぐところがいいだろう。主役と魚たちの群舞にするか。主役を見せつつ、群舞の息の合った動きで度肝を抜いてと」
優美で艶やかな衣装でクルミとの差をつけなければ。ほのかな色気を漂わせたい。
「締めは白鳥。白鳥の群舞と、最後は黒鳥のアレにするか。敵役ではあるが……。最高難度の踊りだしな」
主役の白鳥と、恋敵の黒鳥をひとり二役で踊るのが主流である。可憐な白鳥と、妖艶な黒鳥。真逆の役を、どう演じ分けるかが腕の見せ所。
「いや、そうなると白鳥から黒鳥に変わる時間がないな。衣装も化粧も全く違うからな。休憩を入れると観客の集中力が切れてしまう。かといって白鳥と黒鳥を別々の踊り子にさせたくはないし」
監督が悩んでいる間に、劇場の復旧は着々と進んでいる。長らく放置されていたが、元々しっかりした作りだったのでなんとかなった。オペラの祖として知られるリヒャルト・ヴォグナーフが自身の理想に合わせて、借金まみれになって作った劇場。演者にとっても、観客にとっても最高の場所だ。
ピアノも調律され、オルガン奏者のゲッツが毎日練習している。当初はラグザル王国から連れてきたバイオリン奏者だけで演奏する予定だった。ゲッツがぜひにと願ったのだ。オルガンとバイオリンの案もあったのだが、ピアノの音の方がバレエに合うとゲッツと監督の意見が一致した。
監督は悩み抜いた末、白鳥で始まり、クルミ、人魚、黒鳥で終わる構成に決めた。最初と最後の白鳥と黒鳥は、両方とも独舞である。文字通り、白鳥役の力量で、舞台の成否が決まる。
監督は、色気はないが、誰よりもまじめに練習するイヴィを抜擢した。
「白鳥は完璧にできるのは分かっている。黒鳥をやるために、狂気を見せろ」
「狂気……」
イヴィはうつむいてバレエ靴の爪先を見る。もうすっかりボロボロだ。また新しい靴をおろさなくっちゃ。イヴィは緊張のあまり、関係ないことに意識を逃避させる。
「王子を誘惑するんだ。今回の場合はミリー様だ。ミリー様を魅了しろ。そして、ラグザル王国でお前の白鳥を全編見たいと言ってもらうんだ。できそうか?」
「できる」
イヴィはギラギラとした目で監督を見返す。ミリー様に見てもらいたい。ミリー様とアル様が、お忍びデートで自分の舞台を見に来る。そんな妄想が一瞬でイヴィの頭を駆け巡った。
「ミリー様に、私の全ての力を見せる」
主役の座を奪われた踊り子たちは、「監督と寝たのよ、あの子。でないとあんな色気のない子が白鳥役をもらえるわけないもん」と陰口をたたいた。
そんな声は、イヴィの鬼気迫る黒鳥を前にすぐに消える。胸の中に手を突っ込まれ、強引に心臓を引き寄せられるような、怖くて美しい黒鳥。恐ろしくて目が離せない。
飛躍的な成長を遂げたイヴィに、置いていかれまいと、練習に熱が入った。
***
「王子さま、犬のお兄ちゃん、また来てねー」
子どもたちのかけ声に、ラウルとハリソンは大きく手を振った。あっという間に、旅立ちの日。
「また来れるといいなあ。僕、教室で勉強したことなかったからさー。どうしよう、ミリー姉さんみたいに王都の学園に通おうかなー」
「ラグザル王国の王都にも学園があるぞ。王都に行ったら通えばよい」
「そっか。それまでに考えておくね」
ハリソンは、今までは勉強にも学園にも興味はなかった。ミュリエルとラウルが帝王学を勉強しているときも、ひえーお気の毒、と思いながら遠目で見ていた。
ラウルとセファが子ども向けに教えていたときも、のらりくらりと逃げていた。旅の途中だったからだろうか。ベルンの教室ではすんなり勉強する気になった。やってみると楽しかった。次の領地にも教室があるといいな。ハリソンは鼻歌まじりでご機嫌だ。
グルルル 犬たちが低くうなり、ハリソンは荷馬車から外をのぞく。
「なんかついて来てる」
ハリソンは目をこらした。イヴァンとガイが剣を抜く。
コケーッ バサバサ とっとっと ニワトリが駆けてくる。
「コカトリスーーー……の子どもかな」
「この前食べたコカトリスの子どもだろうか? かわいい、飼いたい」
ラウルは荷馬車から降りると、小さなコカトリスをつかまえる。ジタバタわさわさしていたコカトリスは、少しすると諦めたのかじっと静かになった。
「飼ってもよいだろうか? 卵が食べられるかもしれぬし」
「ええー。どうなんだろう。よく分からないけど」
ハリソンは自信なさげに頭を抱える。半分ニワトリで半分ヘビのコカトリス。かわいいか?
「殿下、コカトリスは石化の呪いを使うと聞きます。毒の息を吐くなどという説もあります。危ないです」
イヴァンが苦い顔をしてラウルを止める。
「うむ。聞いてみよう。そなた、我らと一緒に行くか? 石にするのと、毒を吐くのをやめてもらえるか? そうすれば、魚をあげよう」
ラウルはチョウザメの干物をヒラヒラ振る。
コケーッ コカトリスはチョウザメの魅力に負けた。
ラウルたちの一行に、また動物が増えた。