144.海の娘
フリードとベルンは、子どもたちや屋敷の者を使って、領民に祭りのことを知らせた。異例の速さで情報が行き渡る。今夜の祭りを昼過ぎに案内するという暴挙である。
「夏にするアシ舟流しを今日やります。ラウル殿下とハリソンさんもアシ舟を作りませんか?」
「アシ舟流しって何?」
フリードの誘いにハリソンが尋ねる。
「植物の葦で作った小さな舟に、花や食べ物を乗せ、ロウソクを灯して湖に流す祭りです。昔々、人間の王子に失恋し、泡となって消えた海の娘を慰めるために始まったそうです。葦舟を流すと、海の男が怒りをおさめ、よい魚がとれると言われています」
ラウルとハリソンは、子どもたちと一緒に葦舟を花で飾りつけた。大人たちは、必死の形相で葦舟を編んでいる。ラウルとハリソンも葦舟作りに挑戦してみた。難しくて苦戦しながらも、楽しむふたり。
「色んなお祭りがあっておもしろいね」
「うむ。まさか有名な『人魚と王子』が、この湖の話だとは思わなかった」
ラウルが感慨深げに言う。ハリソンはその物語を知らないので、ピンとこない。
「なんで泡となって消えたんだろう?」
「海の中で住んでいた娘が、人間の王子を好きになって、魔女に頼んで人間になったのだ。だが王子は違う国の王女と結婚したのだな。絶望した海の娘は、海に身を投げ、泡となって消えたのだ」
ハリソンは葦で切った指をなめながら、不思議そうにする。
「何も死ななくてもよくない? 他にも男はいるじゃないか」
「余もそう思うが。それほど好きだったのだろう」
ふたりは首を傾げながら考えている。
「こわー。僕、恋なんてしたくない」
「ミリーお姉さまとアルお兄さまのように、両想いになればよいのだ」
「そうだね。でも僕にはまだ早いや。死にたくない」
ふたりの少年の初々しい発言に、聞き耳を立てていた周りの大人は、プルプルしながら笑いをこらえた。
領民たちの全力のがんばりで、暗くなるまでになんとか祭りの準備が整った。大人たちは、祭りが始まる前に、既にグッタリしている。子どもたちは元気いっぱいだ。突如降って沸いたお祭りにご馳走に、王子様。それはもう、大興奮である。
湖の前に大きな焚き火が起こされ、領民たちが葦舟を持って集まる。ベルンが、テオと女性を連れてきて、焚き火のそばに座らせた。領民たちは疲れた顔でヒソヒソささやきあう。
「テオ様、久しぶりに見た。随分ゲッソリされて。かわいそうに」
「あの女の人って誰だっけ?」
「王都から連れてきた貴族女性じゃないかって。キレイな人だね。テオ様とお似合いだよ」
ひっそりと座っているテオと女性に、領民の視線が集中する。領民の話題は、王子に移った。
「王子様が来てるって子どもが言っていたが、本当か」
「そうだよ、あのデカい犬の隣にいるのが王子様だよ」
「まだお子さまじゃないか」
「教室に行ってる子らによると、偉そうじゃない、優しい王子らしいぞ」
「へー、そんなことがありえんのかね」
このあたりに流れてくる王族のウワサは、血生臭い、偉そう、横暴など、とてもよろしくない。領民たちは懐疑的な目でラウルを見る。
そんなラウルは、フリードに頼まれ、臆することなく話し始めた。
「ラグザル王国第一王子のラウル・ラグザルである。今日は皆と話をしたくて、無理言って祭りをしてもらったのだ」
固唾をのんで見ていた領民たちはのけぞった。うわー王子って自分で言っちゃったよ。そういうのって危ないから濁すもんなんじゃないの。領民たちはざわざわソワソワする。
「この領地には素晴らしい教室がある。余は嬉しい。民が豊かになり、賢くなり、そしてやっと国が栄えるのだと余は思う。この地から、優秀な若者をたくさん生み出してほしい」
ラウルの言葉にフリードとベルンは胸が熱くなった。領民はいまひとつ腑に落ちていない。
「子どもが欠かせない働き手なのは分かっている。教室に通わせる時間などない、そう思う親も多いだろう。しかし長い目で見れば教育は必ず役に立つ。そのことを今日は語り合いたいと思っておる」
なんかよく分かんねえけど、いい感じの王子様だな。それが遠目に見ている領民たちの感想だった。
フリードがラウルに礼を言い、皆に葦舟の上にロウソクを乗せるよう指示した。焚き火でロウソクを灯し、舟に溶けたロウを垂らし、しっかりくっつける。ついでにコカトリスの肉も少し乗せる。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。泡となった海の娘に葦舟を捧げます。どうかその心が癒えますように。我らに海の恵みを与えたまえ」
フリードの祈りのあと、順番に葦舟が湖に流される。ユラユラと漂う光。初めて見る幻想的な光景に、ラウルとハリソンは言葉もなく、ただ静かに眺めた。
葦舟を流し終えると、やっとご馳走の時間だ。こんがり焼けたコカトリスとチョウザメが皆にいきわたり、キャビアもほんのちょっぴりずつ皿に盛られた。
皆が夢中で食べていると、突然、湖がざわめく。湖に浮かび、上半身だけが見える男や女たち。異様な雰囲気に、イヴァンとガイはさっとラウルとハリソンの前に立った。
湖から、威厳のある重々しい口調が聞こえる。
「人の子よ。葦舟を確かに受け止めた。海の神の眷属から加護を与えよう」
険しい顔をした男は厳しい目で、焚き火のそばのテオを見る。
「しかし、その前に王子の血をよこせ。王子が死ねば、我が娘が元の姿に戻れる」
テオの隣にいた女性が、真っ青な顔でヨロヨロと湖のそばに歩いていく。テオは感情の抜け落ちた顔で、ギクシャクとついて行った。
海の男が一本の短剣を投げた。短剣はテオたちの前に落ちる。
何が起こっているのかよく分からず、沈黙が満ちる中で、ラウルの凛とした声が響いた。
「海のお方よ、王子とはテオのことか、それとも余のことか?」
「娘は人の子を愛したと出て行った。海の娘が愛するのは王子と決まっている。その弱そうなのが王子であろう」
海の男はアゴをしゃくってテオを示した。
ラウルは止めようとするイヴァンとガイを制し、ゆっくり近づいて短剣を拾う。
「そなた、海の娘だったのか? どうするつもりだ? 親父殿と話が噛み合っておらぬぞ」
海の娘は、固い顔をして、うつむいた。しばらくして娘はうずくまると、砂に指で文字を書き始める。
『テオが治るまで沈黙の誓いを立てました。私はテオを愛しています。海には戻りません』
ラウルが大きな声で読み上げる。
「バカもん。そんな貧弱な男に入れ込んで、海から出るなど、血迷ったか。さっさと殺して戻ってこい」
『ずっと昔に、海の娘が叶えられなかった願いを果たします』
ラウルは娘の字を読むと、しばし考える。海の親父も娘も、とても頑固そうだ。そして、お互い相手の話をいまいち聞かず、自分の意見をぶつけている気がする。もしかすると、これが海に住む者の流儀なのかもしれない。ならば、こちらも言いたいことを言ってみよう。
「ではこうしよう。余はラグザル王国の第一王子である。余の血を少しだけ湖に捧げよう。それで許してくれないか。海の娘とテオは愛し合っているようだ。テオは王子ではないが領主の弟。今度こそ海の娘と人の男が結ばれるのだ、長年の恨みを水に流してもらえないだろうか」
ラウルは堂々と意見を述べた。ロバートがタコ母ちゃんにきちんと要求し、メカジキを半分もらっていたことを、ラウルはよく覚えている。アルフレッドも交渉の場ではなめられてはいけないと、よく言っていた。
領主を始めとして、領民たちが青ざめる。海の親父はラウルをジロジロとにらんだ。
「人の子にしては、なかなか度胸があるな。ウテ、どうせなら、その王子にすればいい。本物の王子で見どころもある。その腑抜けたテオという男よりはよさそうだ」
「いや、余は結婚相手は自分で選ぶので結構だ」
ラウルは間髪を入れずに断る。フリードとベルンは真っ白になった。海の男と王子をただ傍観し、何もできず突っ立っている大人たち。無力である。
棒立ちで固まっていたテオが身じろぎし、かすかにささやく。
「君は、ウテというのか? あのとき、助けてくれてありがとう。死ぬつもりはなかったが、ふらふらと湖に入ってしまった。あれからずっとそばにいてくれて、ありがとう。もしよければ、私と結婚してほしい」
「はい」
ウテはテオの腕の中に飛び込んだ。
「実にめでたい」
ラウルは満面の笑みになり、周りの人は話の展開の速さにドン引きだ。
「では、そういうことで、今後ともなにとぞよろしくお願いします。ぜひ引き続き領民にご加護を与えていただきたいです」
ラウルは丁寧に加護のおねだりをする。
「仕方がない。たっぷりと祝福してやろう。ウテ、そしてテオとやら。幸せになるのだぞ」
そう言うと、海の男たちは沈んでいった。
ラウルは短剣で親指を少しだけ傷つける。血を数滴、湖に捧げると、湖がペカーッと光った。
パチパチパチパチ 誰からともなく拍手が沸き起こる。
「ウテ、テオ、おめでとう。そして、ラウル殿下。素晴らしいご対応をありがとうございました。さすがでございます」
フリードはラウルの前に跪き、心からお礼を言う。意味不明の状況でも、冷静にひょうひょうと切り抜ける王子。すごい。この王子についていこう、その場にいる全ての者が誓った。
「ところで、ウテ。そなた綴りをたくさん間違っておったぞ。ベルン先生の教室で書き取りの勉強をするがよい」
ラウルの言葉に、ウテは赤くなってうなずいた。
海の娘と共に学べるというウワサがあっという間に広まり、ベルンの教室は満員御礼となったそうな。
***
ルティアンナが手紙を持って、興奮気味にミュリエルの元にやってきた。
「ミリー様、ラウルから手紙が届きました。『人魚と王子の領地にいる。人間になった海の娘と領主の弟が結婚した。よかった』ですって」
「全然意味分かんないけど、幸せになったってことね!」
「きっとそうです。よかったですわね」
「早く帰って来てくれないかなー。聞きたいことが山ほどあるよ」
姉ふたりは、奔放な弟たちにすっかり振り回されている。