143.大人の事情
「テオは妻がいるのだな?」
晩餐の席でラウルが言うと、領主のフリードと弟のベルンはチラッと目を合わせた。
「いえ、まだ結婚はしておりません。いずれはもしかしたらとは思っていますが。なにぶん、彼女は身元が不明ですし、話せませんので」
言いにくそうにフリードが話し始めた。王都から失意の内に戻ってきたテオが、嵐の夜にいなくなったこと。翌朝、湖のほとりで倒れていたこと。
「そして、その隣で倒れていたのが彼女か。何やら事情がありそうだ」
ラウルは考え深げな顔をしてアゴをさする。アルフレッドの熟考する姿を見ているうちに、クセが移ってしまったのだ。
フリードはそんなラウルに淡々と返す。
「はい、ふたりとも話さないので、何があったのか分からないのです」
「ヴェルニュスにも辛いことがあって、しばらく話せなくなった女性がいる。神に祈り、時が経てば癒されるかもしれない」
「そうですね。ゆっくり待ちます」
フリードは苦しそうな表情で言う。待つ、それが一番難しいのだ。話してくれ。この兄に愚痴をこぼしてくれ。肩を揺すりながらそう言いたいのに。
翌日、ラウルたちはベルンと共に教室に行った。
「やあ、おはよう。この国の第一王子ラウル・ラグザルだ。今日は皆と一緒に授業を受けようと思って来たのだ。よろしく頼む」
子どもたちは目を丸くし、ベルンは白目になった。お忍びじゃないのか?
「オウジって、白い馬に乗って、さらわれたお姫さまを助けにくる、王子さま?」
小さな女の子が目をキラキラさせてラウルを見る。ラウルは生真面目に答えた。
「うむ、白い馬は王宮にならいたな。お姫様も王宮にいる。ラグザル王国のお姫様たちは、さらわれないと思うが。むしろさらう方かもしれない」
「すごーい」
何がすごいのか分からないが、ベルンは授業を始めることにした。ラウルとハリソンは一番後ろの席に座ってペンを手にした。
「昨日話していた不可侵条約。その元を考えられたのがラウル殿下だ」
「ほえー」
生徒たちが一斉に振り返る。尊敬の眼差しを、ラウルはニコニコしながら受け止めた。がんばってよかった。
「今日はカザマンダ湖がカザマンダ海になったことについて勉強しよう。皆は海って知ってるかな? 海を見たことあるひとー」
ラウルとハリソン以外は誰も手をあげない。
「はい、ではラウル殿下とハリソンさん。海について知っていることを話してください」
「海の水はしょっぱいです」
「ここの湖の水もしょっぱいよ」
「そうなの?」
子どもの言葉にハリソンはビックリする。
「そうです。大昔は海だったという説が多いですね」
ベルンに促され、ラウルも海についての知識を披露した。
「海は向こう岸が見えないぐらい大きくて、波が寄せては返す」
「ここの湖も、同じだよ」
「はっ、そういえばそうだった」
ラウルがガックリする。
「では、元から海と呼べばよかったのでは?」
「昔は海だったかもしれませんが。今のカザマンダ湖は、地形的にはやはり湖なのです。海はどこまでも続いていて、船で何日もわたれます。カザマンダ湖は運河や川に続いてはいるものの、陸地に囲まれているので、湖という認識なのです」
「そうなのか」
「ではなぜわざわざ海にしたかというと、その方が近隣国にとって都合がいいからです。資源、魚や水、湖底に沈んでいるお宝なんかの分け方が、湖と海では違うのです。昔々、関係国で作った法律があります」
ベルンは黒板に湖の絵をふたつ描いた。左側に湖、右側に海と書く。
「湖の場合は、湖に接する領地を持つ国で、湖の資源を均等に分けます。今はラグザル王国、ローテンハウプト王国、アッテルマン帝国の三ヶ国ですので、三等分」
ベルンは左側の湖に線を引いて、三つに分ける。
「海の場合は、海に接する領土の大きさの割合で、海の資源を分けます。ややローテンハウプト王国が大きく、ラグザル王国とアッテルマン帝国は小さくなります」
ベルンは右側の海に線を引き、ローテンハウプト王国側を大きく、残りの二か国分を小さく分けた。
「だったら湖のままの方がよかったんじゃないの。ラグザル王国の分が減っちゃった」
男の子が不満そうに言った。
「今は確かにそう。ただ、今後もし新しい国ができたらどうかな? 例えば、ラグザル王国とアッテルマン帝国の間には未開の地がたくさんあるね」
ベルンは湖の周りにざっくりと地図を描く。
「もし誰かが未開の地を統一して国を作ったら。そしてこの国がほんの少し湖にかかる土地を持ったら。ちっぽけな国と四等分、もっと国が増えて例えば八等分すると、ラグザル王国の取り分はもっと減ってしまう。」
「そっかー」
ベルンが左側の湖を八等分にする。小さくなったラグザル王国側の湖を見て、子どもたちは納得した。
授業が終わって子どもたちが飛び出して行ったあと、ラウルとハリソンはベルンにお礼を言う。
「すごくおもしろかったです。今までこういう風に勉強したことなかったから、楽しかった」
「全領地にこういう教室ができるといいな」
少年ふたりに輝く目で見られて、ベルンはやや照れながら答える。
「人手と費用の問題がありますので、なかなか難しいとは思います。平民の子どもは農業や漁業の担い手でもありますから。勉強することを親が許してくれない場合もあります。とはいえ、もし実現すると国力の底上げができますね」
「では、この領地から優秀な若者がたくさん出て、領地が潤えばいいのだ。そうすれば他の領地も後に続くであろう」
ラウルはこともなげに言い、ベルンは少しとまどった後、笑い出した。
「その通りです。随分と簡単におっしゃいますが、ハハハ。そうしたいと思います」
どことなく陰があったベルンは、少し明るい顔になる。そうか、王族に期待されるというのはこういう気持ちか。なぜテオが王族に尽くしたのか、今なら分かる気がする。自分の力が国を変える一助になれるかもしれない、それは心躍る瞬間だった。
ベルンはふと、聡明な王子の考えを聞きたくなった。
「子どもを教室に通わせたがらない親がいるのです。何かいい案はございませんでしょうか?」
ラウルはしばらくしかめ面で考えたあと、ハリソンを見て得心したように頷く。
「ハリーの姉のミリーお姉さまなら、こんなとき、祭りをしようって仰ると思う」
ハリソンは全力で同意した。
「そうだと思う。じゃあ、明日は釣りか狩りをしよう。魔獣がいっぱい出るとこってある?」
「しばらく北に進むと、魔の森と呼ばれる場所があります。そこは猟師も足を踏み入れません」
「分かった、明日はそこに犬といってくるね。ラウルは湖で大物を釣り上げてよ」
「うむ、努力する」
翌日、ふたりが仕留めた獲物を見て、フリードとベルンは腰を抜かしそうになった。
「コカトリスではありませんか。それにチョウザメまで。なんてことだ、キャビアが食べられる」
酒飲みなのだろう。フリードはウットリとした顔をしている。
「今日の夜の祭りで、領民たちと一緒に食べようではないか。そしてなぜ教育が必要なのかを語り合おう。そうすればきっと親も聞く耳を持つであろう」
なんて働き者で気さくな王子たち。フリードとベルンは感激し、伝統的な祭りを見せようと、張り切った。