142.傷と癒し
アッテルマン帝国からも踊り子がきた。フェリハが気を使って、踊り子はもちろん裏方もすべて女性だ。皆、言われた通り、香水も香油も使っていない。
フェリハの侍女が踊り子たちの体を軽く叩きながら、武器を隠し持っていないか調べる。念には念を入れて、怪しい匂いがする者や、不自然に無臭の者がいないか、犬が確認した。
確認が済んだ者から順に、宿舎に入っていく。
空き家が踊り子専用に改築され、踊り子たちの宿舎となっている。鏡張りの練習場やふたり一室の個室、専用の台所もある。ラグザル王国用とアッテルマン帝国用の宿舎は、念のため少し離れた場所にされた。二か国の若い女性の集団が、下手に近くにいるとケンカになるかもしれないからだ。
宿舎に来たフェリハは珍しくピリピリした様子で、踊り子たちに注意事項を伝える。
「みんな、よく来てくれたわね。分かってると思うけど、面倒ごとは起こさず、踊りに集中するのよ。間違っても暗殺とか、誘惑とかしないでよ」
フェリハのあけすけな言い方に、皆が苦笑する。フェリハは後ろに立っていたセファを呼び肩を抱く。
「みんなに直接言いたくてね、着くのを待ってたのよ。私の子どもファリダがやっと私の元に帰ってくれたの。今はセファって名乗ってるわ。五年ぶりだから、若い子は覚えてないかもしれないけど」
セファはオズオズと踊り子たちに視線をやる。踊り子は十代後半から二十代前半だ。セファはうっすらと覚えている。みんなはどうだろう。
「面影は、あんまりないけど……。でも覚えてるわよ」
セファは女たちにもみくちゃにされた。ギュッと抱きしめられ、次の女に奪われて頭を撫でられ、ほっぺをつままれ。皆やりたい放題だ。セファはぎこちなく笑った。
「きっと生きてるって信じてたよ」
「ちっちゃくてプクプクで、おマセな子だったよね。ずーっと絵本読んでたよね」
「こんなに大きくなって」
「髪はどうして短くしてるの?」
「う、ずっと男の子になってたから」
「かわいそうに。大変だったね。あんなにムチムチしてたのに。たくさん食べなきゃ」
普段は割と落ち着いているセファがタジタジとしている。年の割には大人びたセファとはいえど、赤ちゃんのときから知られている踊り子たちにはなすすべもない。
挨拶しようと、部屋の外で待っていたミュリエルは感動で大泣きしている。
「ううう、セファもフェリハもみんなも、また会えてよかったねえ」
「ミリー、挨拶はまた今度にしようか」
アルフレッドがミュリエルを促し、ふたりはそっと宿舎を離れた。
「いやー、久々にすごい泣いたわあ。しかも嬉し泣き」
ミュリエルはスッキリとした表情でイローナに話す。
「やっぱり人生も物語も、幸せな結末がいいよね」
「うんうん、分かる。悲しい終わり方の本読むと、どんよりするよね」
ふとイローナは思い出した。
「あれ、確かラグザル王国のバレエって悲劇が多くなかったかな」
「ええええー」
ミュリエルとイローナは、ラグザル王国の宿舎にいる、ルティアンナに聞きに行った。
「そうですわねえ。喜劇も幸福な物語もありますけど、悲しいお話も多いですわね。人気の『白鳥と王子』『人魚と王子』は両方、女性主人公が失恋して身投げするのですわ」
「そんなあ」
ミュリエルはうろたえる。
「男も王子も腐るほどいるのだから、何も死ななくてもと思いますわよね。次の王子を探せばいいのに。意味が分からないわ」
ルティアンナが自国の芸術をばっさり切った。次の男はともかく、次の王子は難易度が高いのではないか、イローナは思ったが口には出さなかった。
***
ラウルたちは巨大な湖のある領地にやってきた。元いた街の領主に、ぜひにと進められたのだ。湖は大きい。向こう岸が全く見えない。
「海みたいだねー。湖も海みたいに波があるんだね、知らなかった」
ハリソンは、いいのが釣れそうだなと、ワクワクしながら湖を眺める。
「今までは湖だったが、最近、海になったのだ」
「なにそれ、どういうこと?」
「うむ、大人の事情があるらしくて」
ラウルがどう説明したものかと困っていると、割とシュッとした男性ふたりが出迎えにやってきた。
「ラウル第一王子殿下と、そのご一行様でございますね。ようこそいらっしゃいました。領主のフリード・アンデルと申します。こちらは弟のベルンです」
「うむ、出迎えご苦労であった。いかにも第一王子のラウル・ラグザルである。こちらは友だちのハリソン、侍従のイヴァンに護衛のガイ。そして犬たちだ。よろしく頼む」
ラウルは王族らしく、鷹揚な態度で挨拶する。
「長旅でお疲れのことと存じます。すぐ部屋にご案内いたしますので、ごゆるりとおくつろぎください」
「ありがとう。荷物を置いたら、すぐにやりたいことがあるのだ。もし、そなたらが許してくれるなら」
「どのようなことでしょう?」
「うむ、そなたらの弟に会いたい。王都でボロボロにされたと聞いた。余にできることは詫びることだけだが」
ラウルの言葉に、領主たちはたじろいだ。まだ癒えていないカサブタに、爪をかけられたような気分。
「失礼で無神経なのは承知の上だ。本来ならゆっくり時間をかけるべきだろう。しかし余はそれほど長くここに留まれない。だから、せめて滞在している間は毎日謝りたいと思う」
ラウルの飾らない言葉に、領主は少し気持ちが凪いだ。そもそもラウルは直接の加害者ではないのだ。なのに真摯に謝ろうとしてくれている。無下にするのもどうなのだ。
「弟のテオに聞いてみますので、お時間をいただけますか」
「もちろんだ。弟が会いたくないなら、無理強いするつもりはない。そのときは手紙を書こう」
領主のフリードは、部屋への案内をベルンに任せ、末弟のところへ向かった。
ラウルたちは部屋で顔や手を洗い、髪を撫でつけ、新しい服に着替えた。こざっぱりしたところに、ちょうどフリードがやってくる。
「弟は何も話さないですし、ほとんど反応を見せません。殿下のことを伝えたところ、イヤそうなそぶりは見せませんでした。少しだけなら大丈夫だと思います。もし、弟が動揺したら、止めに入らせていただきます」
「分かった。短時間だけ会わせてくれ」
ラウルたちは、湖に面した部屋に案内された。部屋の中には、若い男女がいる。男性はベッドに座って窓から湖を眺め、女性は椅子に座って男性を見つめている。ラウルたちが部屋に入ると、女性は怯えた顔になった。
「ラグザル王国の第一王子ラウル・ラグザルだ。王都でそなたの身に起こったこと、王族として申し訳なく思っている。許してくれとは言わぬ。ただ、よければ祈らせてほしい」
フリードは弟の顔を様子を伺い、ラウルに小さく頷いた。
ラウルとハリソンはベッドの横で膝立ちになり、手を合わせた。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。テオの心と体を癒したまえ」
ラウルとハリソンの少し高い澄んだ声が部屋に響いた。