141.ジャガイモ派
ラウルたちは、領主と共に川に釣りに来ている。ハリソンが釣りをしているのを眺めながら、ラウルは領主に問いかけた。
「そなたはこの国の課題をなんだと思う?」
突然出された大きな質問を、領主は穏やかに受け止めた。
「そうですね、あくまでも私の個人的な意見ですが。人材の育成が下手だと思います」
「うむ、優秀な人材がおらぬのか? それともいても育てられぬのか?」
ラウルはまっすぐ領主を見ている。
「優秀な人材はおります。血気盛んな将来有望な若者は、王都にさっさと引き抜かれて重用されています」
「ふむ、それはよいことであるな。有能な者が、くすぶらずに取り立てられる、よいことだ。そうであろう?」
ラウルは首をかしげた。セファのような頭のいい若者がいるなら、埋もれず活躍してほしいではないか。
「その通りです。ただ、問題は飽きっぽいのですよ。しばらく重用し、その者の知識を吸収したらポイ捨てしがちなのです」
「なぜポイ捨てするのであろう? もったいないではないか」
ラウルはポーンと小石を川に投げながら考える。セファがポーンと投げ捨てられたら困るな。拾いに行かなければならない。
「例えばそうですね。剣は手入れをしないと使い物にならなくなりますね。ですが、手間を惜しんで古いのは捨て、新しい剣を次々と買う者もいるでしょう?」
「ああ、そういうことか。ふむ、人にも手入れが必要なのだな?」
ラウルはふと気になって、持っていた銀の釣り竿を磨き出した。息を吹きかけ、せっせとハンカチで拭く。
「はい。殿下、どんなに頭のいい者でも、学ぶ時間がないといずれ知識は枯渇します。酷使せず、きちんと休ませて、新たな情報を仕入れる時間と心の余裕を与えねばなりません」
「種芋から十個ぐらい新しいジャガイモがなるが、種芋はその頃にはカスカスになっておるものな。そういうことか」
ラウルはピカピカになった釣り竿を満足げに眺めながら、ヴェルニュスでのジャガイモの収穫について思いを巡らせた。
「殿下、よく種芋のことなどご存知ですね」
「うむ、ヴェルニュスで農作業をやっておったからな」
「素晴らしいですね。そうです。種芋と同じです。知識を吐き出させたら、休養させて新しい栄養を与えなければなりません。人は種芋と違って、休んで学べば、カスカスからピチピチに戻れますから」
「そうか、王都ではカスカスにして放り出しているのか。それはかわいそうだな」
ラウルはため息を吐いた。領主も口を歪めて残念そうな顔をしている。
「ですから、最近では目立つことを避ける若者が増えてきております。突出せず、凡庸の少し上ぐらいに見せて、王都に引き抜かれぬよう自衛する若者」
「なんということだ。それは悲しい。そのような国に、未来はないではないか」
ラウルはうつむいて、落ちている石を軽く蹴る。領主は真剣な目でラウルを見た。
「殿下、殿下が変えてください。殿下が立太子されるまであと数年でしょうか? それまでに種芋をたくさん集めましょう。ピチピチでやる気のある種芋を。そして殿下が王太子になられた暁には、少しずつ王都に取り込み、殿下が守ってあげればよいのです」
「余に、できるであろうか。余にはまだなんの力もない。自分の身も守れぬのに、種芋を守れるであろうか」
ラウルは両手を広げて視線を落とした。農作業や石投げで、随分固く強くなった手。でもまだまだ小さく、自分の命を守るのも、護衛の力頼みだ。
「そのための諸国漫遊です。時間をかけて、地に潜っている種芋を見つけましょう。殿下の派閥を作りましょう」
「余の派閥。種芋派だな」
ラウルは目を輝かせた。ジャガイモは大好きだ。
「よいではないか。ジャガイモは見た目は華やかではないが、栄養たっぷり、長持ちし、年に二回も収穫できる。何よりおいしい」
「では、私も種芋派に加わります。このあたりの領主も加わるはずです。皆、目立たず、平凡で野心のない玉無しと呼ばれています。しかし、種芋の中には熱い種火がまだ残っております」
領主は手を胸に置いて、ラウルに忠誠を誓った。
「ありがとう。では、そなたの信頼する領主のところにも、順番に行ってみることにする」
「こっそりと根回ししておきます」
領主は力強く拳を握りしめた。
***
巨大な湖、カザマンダ湖のほとりにある小さな領地。領主は手紙を読んで何やら考えこむ。領主は手紙を上着の内ポケットに入れると、明るい顔で歩き出した。向かった先は小さな教室。弟が細々と地元の少年少女に教えているのだ。領民なら誰でも無料で学べる。
領主はこっそりと外から教室の様子をのぞいた。二十人ほどの様々な年齢の子どもたちが、きちんと席に座り、教師である弟を真面目な顔で見ている。
「みんな、ラグザル王国が他の国と、ある条約を結んだことは知っているかな?」
「はーい、前回の授業で勉強しました。フカシンじょーやくです」
「その通りだ。では、どこの国と不可侵条約を結んだでしょう?」
「ローテンとアッテルです」
男の子が元気いっぱい答える。
「ローテンハウプト王国とアッテルマン帝国よ」
女の子が冷静に訂正した。
「その通り、みんなよく覚えていたね。さて、この条約と合わせて、色んなことが変わったんだけど。私たちの生活に直結することが決まった。それはね、カザマンダ湖がカザマンダ海と正式に湖から海に変わったことだ」
「なぜですか? カザマンダ湖は湖です。海じゃないです」
「その通り。カザマンダは陸に囲まれた巨大な湖。地形的には湖だけど、政治的に海に決まったんだ。不思議だよね。明日からこのことを勉強するからね」
「はーい」
ひとりの男の子が手をあげた。
「先生ー、父さんが来週から畑が忙しくなるから教室お休みって言ってた」
「そうか。仕方がない。でもなるべく教室には来るんだよ。勉強は大事だからね。休みの間にする、書き取りと算数の宿題を出しておこう」
「父さんは、勉強したって農家や漁師には意味ないって言ってました。でも母さんは勉強しろって言ってます」
男の子は、困った顔で言った。
「お母さんが正しいよ。農家も漁師も、野菜や魚を売るだろう? そのとき計算ができないと、安く買われて損をする。それに、勉強して色んな知識があれば、正しい道を選べる。だまされにくいってことだ」
「でも、先生の弟はお勉強できたのに、王都で失敗してハイジンになったんでしょー」
隣の女の子が小さな声でささやいた。
「……弟は今、心が少し疲れてしまったんだ。でも、勉強は大事だよ。今度、お父さんと話してみよう。おうちに行くからね、お父さんとお母さんに話しておいてね」
「はーい」
子どもたちは宿題用の紙を受け取って、一目散で駆けていった。
領主は子どもたちが見えなくなってから、そっと教室に入る。弟は窓から外を見ながらボーッとしている。
「今度な」
領主が話しかけると、弟は驚いて飛び上がった。
「兄さん、やめてください。びっくりするじゃないですか」
「ははは、すまない。いや、今度なラウル第一王子殿下がお見えになるそうだ。領地漫遊をして、民の生活を向上させたいとお望みだそうだ」
「そうですか」
弟は少し固い表情で静かに言う。
「なんだ、気のない返事だな。ようやく民に目を向ける王族が現れたというのに」
「王都であの子が受けた仕打ちを思うと、今さら王族になんの希望もわきませんよ」
弟は苦々しげな口調で、吐き捨てるように言葉を投げた。
「まあな、だが既に会った他の領主によると、支えたいと思わせる魅力のある方だそうだ」
「そうですか」
「不可侵条約の草案を作ったそうだよ」
「まさか、あり得ない」
弟が目をむいて、領主を食い入るように見つめる。
「いや、ヴェルニュスでラウル殿下とアッテルマン帝国の王女が草案を考えたらしい」
「それが本当なら、すごいことです」
弟の目に光がやどり、頬に赤みがさす。
「少しは興味が出てきただろう? いつ来られてもいいように、準備をしなければ。詳しいことは夕飯のあとに話そう」
領主はそう言って、出て行った。優秀なふたりの弟。ひとりは教師をしながら領主の仕事の補佐もしてくれている。飛び抜けて頭がよく、やる気に満ちあふれていた末っ子は、王都に行って一旗上げると出て行って、ボロボロになって戻ってきた。
願わくば、次期王が人を使い潰さない王でありますように。幾多の領主の密かな願いは、確かに神に届いた。