139.人の上に立つということ
ミュリエルが気絶させた刺客は、なぜか生かされている。領地を追い出されるわけでも、牢屋に入れられるわけでもなく。普通に料理人として働いている。
ルティアンナがミュリエルとアルフレッドに提案した結果、こうなった。
「殺してもいいのですが、そうすると次の刺客が送り込まれると思うのです。あの男をきちんと手懐け、適当な報告を雇い主に送らせるのはいかがでしょう」
アルフレッドは渋い顔をする。
「一理あるが、危険ではないか。ミリーに何かあったら」
「鳥に見張らせればいいんじゃない」
ミュリエルはあっさり賛成した。あれに負ける自分ではないという自信もある。アルフレッドはまだ決めかねているが、ミュリエルはルティアンナの言うことが正しいと思う。
「あの男はみんなが見張る。正体がバレてる刺客なんて、角のない子鹿みたいなもんだよ。ひとひねりだよ。もっと強くて、気配の読めない暗殺者が来る方が怖いよね」
「確かに……。では、男の洗脳はルティアンナ殿下にお任せしてよろしいですか?」
「お任せくださいませ。わたくし、刺客を調教する経験が豊富ですの。昔から頭の重みの足りない姉たちから、送られてきておりますので。ホホホホ」
ルティアンナは気合を入れて、長いムチを侍女から受け取った。ミュリエルの目がムチに釘づけになる。
「そのムチって、牛の群れを追い立てる時に使うものですよね。人に使ったら死ぬのでは……」
「大丈夫です。床を打ち、適切な効果音を出し、わたくしの威厳を増すだけです。人にはむけません。わたくし、見た目がかよわい乙女ですから、ムチで箔をつけませんと。ホホホホ」
ルティアンナは刺客と円満に話し合い、刺客はルティアンナの軍門にくだった。
「正しい判断でしてよ。どうせ国に戻ったら殺されるのだから、ここで骨身を惜しまず働きなさい。あなた、料理は本当にできるのよね? では、予定通り踊り子たちの食事を任せるわ」
「……よろしいのでしょうか?」
「あら、まさか毒を盛ったりしないでしょう? 踊り子を殺してもなんの意味もないわよね。それに、鳥がいたるところで見張っているわ。おかしな真似をしたら、目をつつかれるだけよ」
ヒッ 男は震えた。
「さあ、そうと決まったら、お姉さまにお手紙書いてちょうだいな。そうねえ、こう書いてくれればいいわ」
『姉は国に戻る気なし。弟はアッテルマン帝国の王族に婿入り予定で修行旅行中』
男が書いた暗号文をルティアンナはさらっと読む。
「いいわ、合格です。お姉さまの使う符牒が使われているわね」
男は目を見張ってかたまる。
「あら、お姉さまたちの暗号なんて全て知っているわ。そうでなければ、わたくしもラウルもとっくに生きていないわ」
男は、目の前の少女は、敵に回してはいけない存在だということを思い知った。
鳥に常に監視され、踊り子たちにいじめられ、領民から白い目で見られながら、男は必死に働いた。生きていられるだけでありがたい。とにかく働こう、がむしゃらに。
***
ラウルたちは隣町に着いた。それなりに栄えた領地だ。少なくともゴンザーラ領よりはにぎわっている。どこまでも真っ直ぐ、駆け引きなど姑息だと思っているラウルは、すぐに領主の屋敷に向かおうと主張する。
「殿下、まずは情報を集めさせてください。正攻法だけでは交渉はうまくいきません」
イヴァンはこんこんと説き伏せ、情報収集の時間を得た。ラウルたちを宿に押し込め、イヴァンは町に出て聞き取りを始める。
イヴァンはすっかり空が暗くなった頃に、宿に戻ってきた。ラウルが先に食べるよう強く言うので、イヴァンはささっと食べてから報告する。
「結論から申し上げますと、領主はそれなりです。悪徳領主というほどではありません」
「六割も税を取っているのに? ブラッドが言っていたではないか。ローテンハウプト王国では税は五割まで。それ以上になると反乱が起こると」
ラウルはいぶかしげに眉をひそめる。
「はい、ただしこれにはカラクリがあるようです。まず、あの村は、穀物で納税していたようですが、納めた穀物が本当に六割だったわけでもなさそうです」
「どういうことだ? 徴税官が行って確認するであろう?」
「はい、しかしその年の収穫量をバカ正直に申告する必要もないのです。これは一昨年とれた小麦で、ここにあるのが今年の分だとでも言えばいいわけです。それぐらいのごまかしは目こぼしされていたようです」
「ほう、よく分からんが。そんなことをするなら、五割の税にして、きっちりとればいいではないか」
ラウルの眉間のシワがどんどん深くなる。
「それがですね。このあたりはどこの領地も税は六割なのです。ここが五割にすると、他の領地からの移住が増え、領地間のいさかいにつながる恐れがあります」
「そういうことか。何事も一面だけでは分からぬのだな。正論が、必ずしも正解ではない。アルお兄さまが仰っていた。こういうことであろうか」
ラウルはハッとした顔で、手をポンと打つ。
「そうです。そして、村人たちは狩りや釣りを許されておりました。厳しい領地ですと、狩りや釣りは禁止されているところもあります。土地は領主のものですから」
「よく分かった。税を六割も取るとはなにごとだ、そう正義感を振りかざすのは間違いであったのだな。余はまたしても間違えるところであった。イヴァン、止めてくれてありがとう」
ラウルはイヴァンに晴れやかな笑顔を向けた。
「もったいないお言葉でございます。私はそのために仕えておりますので」
「うむ。これからも遠慮なく諌めてくれ」
「御意」
***
領主はでっぷり出た腹をさすってうめいている。執事がそっと胃薬を出してくれた。
「無理して召し上がらなくとも」
「そういうわけにもいかん。商人の接待には気持ちよく応じてやらんと。ここの領主はチョロいぞと思われれば、商人がたくさん領地に来るからな」
胃薬を飲みながら、胸焼けがおさまるまで長椅子で書類を確認することにする。しばらくすると、執事が青い顔をして戻ってきた。
「旦那様、ラウル第一王子殿下がいらっしゃいました」
「はあ? 殿下がこんな辺境にいらっしゃるわけがない。どうせ詐欺師のたぐいだろう、追い返してくれ」
「そ、それが、そっくりなのです」
執事は震える手で領主の後ろの壁にかかっている肖像画を指す。大きな犬を隣に従え、凛々しくこちらを見つめる初代ラグザル王。
領主は大慌てで衣装を整え、客間に急ぐ。巨大な犬を三匹従えた、透き通った瞳をした黒髪の少年。領主はすぐさま跪いた。
「ラグザル王国第一王子、ラウル・ラグザルである。そなたと話をしたくて来たのだ。突然すまぬな」
ラウルは領主と共に机を囲み、率直に話した。当初は怒ろうと思っていたこと。しかしそれは浅はかであったこと。上に立つということは、額面通りに正しいことをやっても成り立たないと知ったこと。
「セファという余の友人がな、教えてくれたのだ。清濁あわせのむということの重要性を。清い水だけではなく、濁った水も飲む度量が上に立つ者には必要だと。余はそのことがようやく理解できた。政治というものを、余に教えてくれぬか?」
「私でお役に立てるのであれば、なんなりと」
領主は光る目でラウルを見つめた。部族を平定し、歯向かうものは問答無用に殲滅してきた代々の王。ようやっと、下々の声を聞く王が現れたぞ。
領主は高ぶる気持ちを抑えて、努めて静かに言う。
「殿下をお迎えできたこと、我が人生最大の喜びでございます」
「そうか。しばらく滞在するので、政治のあれやこれやを教えてくれ」
ラウルは快活に笑い、領主はうやうやしく頭を下げた。