138.熊肉の宴
村人たちは、堀の中から熊を引っ張り上げながら、巨大なフクロウをチラチラ見る。
で、でけー。ローテンハウプト王国の動物、なんでも大きいな。もしかして、あの猪もこの熊も、ローテンハウプト王国から流れて来たんじゃ……。とんだ風評被害である。
「シロー、助けに来てくれたの? ありがとう」
ハリソンは感激でウルウルしながらフクロウに抱きつく。フクロウはつれなく、ホッと鳴くと、さっさと飛び立ってどこかに行ってしまった。
「あ、あれはハリーさんの従魔ですか?」
「ん? 違うよ、僕の姉さんには絶対服従だけど。僕のことは、非常食ぐらいにしか思ってないんじゃないかな。でもわざわざ助けに来てくれるなんて、優しいね」
村人たちは、覇王のような姉を思い浮かべ、ヒッとなった。
ラウルは微妙な表情をしているイヴァンとガイを労っている。
「皆のために、命をかけてくれてありがとう」
「出る幕はありませんでしたが、覚悟はいつでもできております」
イヴァンとガイは、頼もしく答えた。
「熊の解体手伝ってー」
ハリソンが叫ぶ。三人は張り切ってハリソンの元に駆けていく。
「僕、熊は解体したことないんだ。父さんにやり方は教えてもらってはいるけど。熊は何もかも貴重で、高く売れるって。よかったね、これで新しい弓矢と槍が買えるね。ついでに投石機も買ってね」
ハリソンはニコニコしながら村長に言う。
「いや、さすがにそんなわけにはいきません。熊を倒したのはフクロウと犬ですから。どうぞ、儲けはハリーさんたちが受け取ってください」
「宿泊代だと思って受け取ってよ。僕たち、お金はいらないんだ」
王子であるラウルもうんうんと頷いているので、村長はありがたくお恵みをいただくことにした。
「ありがとうございます。皆さんが来てくださったおかげで、この村もなんとかやっていけそうです」
その言葉にラウルは晴れ晴れとした顔をする。
「では、余の目的も達成できたのだな。民の生活を改善できればそれが一番だ。では、名残り惜しいが明日には出発しようと思う。隣町についたら、商人にこの村に行くように伝えよう。えーっと熊を売るのであろう?」
ハリソンが毛皮をはぎながら答えた。
「毛皮とか肝とかかな。ついでに弓矢と槍と投石機のことも伝えておくね」
「何から何まですみません」
「領主に会えれば、税金をもっと安くするよう言ってみる。たいしたこともしてもらってないのに、税金を六割も取られているのであろう? 熊から守ってくれない領主に、税金を六割払う必要はなかろう」
村長はポロリとこぼした愚痴が、王子に本気で受け取られていることに慌てふためいた。ひー、領主に殺されるー。村長は真っ青になった。
イヴァンがポンっと村長の肩を叩いた。
「心配しなくてもよい。うまく伝えておく」
「あ、ありがとうございます」
「そうと決まれば、今日は宴会だね。熊肉食べよう。神様に熊肉捧げないとね。ここではどうやって捧げるの?」
「神様……」
村長が首をかしげる。そばで熊を見ていたおじいさんが、口をはさんだ。
「昔は捧げていたのです。広場で焚き火をしながら、その周りで踊って、最後に肉を火に投げ込みます」
「ああ、そういうの聞いたことある」
「いつの間にかやらなくなったねえ、すっかり忘れていたよ」
「ラグザル王国に編入された頃から、古い風習はやめさせられたんだったような。あっ……」
しまったという顔をする村人たち。
「それはすまなかった。神様には祈るほうがよい。昔やっていたように、祈ってくれ」
ラウルは気にせず、祈りを推奨する。祈れば土地が豊かになり、民が幸せになって、国が栄える。もう十分すぎるほどの事例を見てきた。ラウルは遠慮するつもりなんて、さらさらない。自分が王になるまで、手をこまねいている必要なんてないのだから。
村人たちは集まって、古ぼけた記憶を呼び起こす。寝たきりのばあさんや、最近のことはすぐ忘れるが、昔のことはよく覚えているじいさんなどが総動員された。
「なんとなく思い出しました。少し踊りの練習をしてきてもよいでしょうか?」
村長が遠慮がちに言う。熊の解体をすっかり任せてしまっているのが、気にかかる。
「どうぞどうぞ。すっごく楽しみ」
ハリソンがいい笑顔で答えた。村長はハリソンのさわやかな笑顔に、重圧を感じドキドキする。期待に応えなければ。村長は村の男衆を集めて、村のすみっこでこそこそ踊り始めた。
夕方になり、広場に大きな焚き火が燃え盛る。皆がぐるりと焚き火を取り囲み、今か今かと待ちわびる。
カンッ シャラーン 甲高い音と共に男たちが静かに火に近づいてくる。
男たちは色んな獣の仮面をつけている。先頭の村長とおぼしき男は熊の仮面だ。男たちは短めの剣を持っている。剣のつばが少し緩めてあるようで、男たちが剣をふるうたびに、カンッカンッと音がする。腕や足につけられた鈴がシャラシャラと鳴った。
大きな板に熊の頭が載せられ、静々と運ばれてきた。
突然、普段は寝てばかりのばあさんが、高く澄んだ声で歌い出した。聞いたことのない言葉、不思議な節回し。老人たちが続いて歌い始める。子どもたちは、初めて見るじいさんばあさんの姿に釘づけだ。
ばあさんが、手を打つ、それに呼応して剣のツバが鳴る。ばあさんとじいさんが足で地面を踏み鳴らす。男たちが飛び跳ね、空中で互いに剣を打ち合わせた。
久しぶりに行われたとは思えないほど、息が合った村人たち。歌と踊りが最高潮に達したところで、ばあさんが鳥のように長く叫び、突然全てが終わる。静まり返り、火のパチパチという音だけが聞こえた。
男たちは跪き、手を合わせた。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。今日の糧に感謝いたします。熊の頭を、火の神に捧げます。我らに火の神のご加護を賜らんことを」
男たちは、板に乗せたまま、熊の頭を火の中にゆっくり入れて行く。ボッと炎が高く燃え上がり、熊の頭が燃え尽きた。
「火の神が熊を受け取られた。これで村の守りが強くなるだろう」
ばあさんが弱々しい声で言った。
「さあ、肉をいただきましょうか」
ばあさんは震える手で串肉にかじりつく。ばあさんにつられて、皆が次々と肉を食べた。
翌日、ラウルは金の釣り竿を村長に渡す。
「熊肉を持って、湖に行ってこれで釣りをするとよい。ひとりで釣り竿を拾っている男がいるのだ。一緒に熊肉と魚を食べてあげてほしい。ひとりの食事は味気ないからな」
「……もしかして、それは伝説の精霊なのでは? 大昔に金と銀の釣り竿をもらった村人の話を聞いたことがあります。まさか実在するとは」
「そうか? ただの人に見えたが。人でも精霊でも、食事は誰かと一緒がいいではないか」
「は、はい、ではそのように。あの、金の釣り竿、本当にもらっていいんでしょうか?」
「うむ、よいのだ。たくさん釣って、湖の男と一緒に食べてくれれば」
「お兄さんたち、また来てね」
子どもたちが物おじせずにお願いする。
「うむ、また来ようではないか。余が民と交流した初めての村だ。賢王ラウル・ラグザル伝説はこの村から始まった、いずれそう言われるであろう」
ラウルは半ば冗談、半ば本気で言った。村人たちは大真面目で同意する。
「間違いありません。いずれこの村にラウル様の銅像が建つでしょう。というか、熊の儲けが出たら作ります。まずは木彫りから」
村長が力強く言った。ラウルは少し赤くなりながら礼を言う。
いずれ伝説の村となるこの地。賢王ラウルが火の神のご加護を得た地としても知られるようになる。広場の火は決して消えることがなく、その火をつけた松明を石垣に掲げると、獣は石垣に近づかなくなったそうだ。
そして、気軽に村人と交流する釣り竿拾いの精霊が、密かに語り継がれる。
***
『釣り竿ありがとう。湖の精霊から金と銀の釣り竿ももらった。熊を鳥と犬が倒した。皆元気』
鳥便の手紙を読んで、ミュリエルとルティアンナは頭を抱える。
「意味が分かりませんわ」
「鳥ってきっとシロだよね。突然いなくなって、また戻ってきたけど」
ミュリエルは悠々と肉を食べているフクロウに目をやる。
まあ、皆が無事ならいっか。姉ふたりは、弟たちの無事に胸をなでおろした。




