137.老いも若きも
ラウルたちは魚を食べ終わり、食後のリンゴを食べている。焚き火にあたって、長い髪を乾かす男。
「まだ泳ぐには早いであろうに。風邪を引かぬようにな。着替えがたくさんあってよかった。ハリーの姉君たちが刺繍してくれたのだぞ。すごいであろう」
ラウルは鼻高々に自慢する。男は刺繍を指でたどりながら、何度もうなずく。
「古き良きマジナイだ。旅のお守りにピッタリだ。さて、魚とシャツのお礼に何か祈ってやろう。何がいい?」
ラウルは困ったように口を歪ませる。
「そなた、こんなところでずぶ濡れで。人に祈っている場合ではなかろう。どこに住んでいるのだ。送ってやるぞ」
男も困った顔でラウルを見る。
「ここに住んでいるのだ」
「ここに? ひとりでか? 家はどこだ?」
ラウルは心配して矢継ぎ早に問いかけた。
「家はまあ、その、それなりに。ひとりだが、たまに村人が釣りにくるので大丈夫だ」
「何が大丈夫か、さっぱり分からぬが。何か理由があるのだな。うむ。寂しくなったら、村に住むのだぞ」
「ああ。ラウル、よき王になれ。ここで祈っている」
「ありがとう。よき王になれるよう、励む」
ラウルたちは、男に示された村への道を進む。
「変わった人だったね」
「ああ、そうだな。魔の類のものかと思ったが、犬がおとなしかったから大丈夫だろう」
のんきな子どもたちに、大人ふたりはそっと息を吐く。どう考えても、泉の精かなんらか尊き存在であろうに。まあ、いっか。細かいことは気にしても仕方ない。
一行は無事、小さな村に着いた。申し訳程度に石垣で囲まれているが、大きな魔獣が襲ってきたらひとたまりもなさそうな集落である。
「たのもー。誰かおらぬか」
ラウルが堂々と叫んだ。やつれた村人たちが、石垣の上から顔をのぞかせる。
「旅のものだ。村長はおらぬか? しばらくここに泊めてもらいたい」
巨大な犬と護衛を連れた、いかにも貴族のお坊ちゃん。逆らえば殺される。村人は震え上がった。足をガクガクさせながら、中年の男性がやってきた。
「どどどどうぞ、こちらに。たいしたおもてなしはできませんが」
「いや、なに。屋根のあるところで寝られるだけでありがたい。一週間ほど滞在させてもらいたいのだ。我らにできることはやらせてくれ」
「は、はあ」
随分物分かりのいいお坊ちゃんだな。村長は空き家に案内しながら、少し緊張をゆるめる。
「余は読み書き計算なら教えられる。余の護衛は力仕事が得意だぞ。ハリーは狩りや農作業に詳しい。余が一番役に立たぬな」
ラウルはカラカラと笑った。すごい、身分隠す気全くないな、このお坊ちゃんは。周りで聞き耳をたてていた村人たちは、なんだかおもしろくなってきた。年に一回やってくる徴税官はクソ野郎だが、こんなに気さくな貴族ならイヤではない。
ガランとした空き家にビクビクしながら連れてきた村長は、満足そうな一行の表情にホッとする。
「すみません、ベッドもないんです。掛け布団はかき集めて持ってきます」
「無理はせずともよいぞ。ワラの中で寝るのを楽しみにしていたのだ」
た、たくましい。なにこのいい人たち。村人たちはすっかり警戒をといた。
「これ、今朝釣った魚。みんなで食べましょう」
ハリソンが荷車の魚を見せる。
「す、すごい。助かります。凶暴な猪が出るようになってから、湖にも行けなくなっていたんです。畑仕事もろくにできなくて。どうしたものかと思っていました」
村長は期待を込めて、巨大な犬を見つめる。狩ってくれないかなー、心の声がダダ漏れである。ラウルはハリソンを見た。狩りのことは、ハリソンが一番頼りになる。ハリソンは、むーとうなった。
「ううーん、どうしようかな……。そりゃあ、犬で狩れるけどさあ。でもそしたら、次に大きな獣が出てきたら同じことだよねえ。獣は自分たちで狩らないと。僕たち、ずっとはいられないし」
少年からの至極真っ当な意見に、村人たちは恥ずかしくなった。
「僕たちと犬で助けてあげるから、一緒に作戦を考えようよ。僕の領地では、子どもも老人も、全員石を投げて戦うんだよ」
「そうだ、ハリーの領地はすごいのだ。余は行ったことはないが、知っている」
ハリソンとラウルが誇らしげに胸を張る。村人は頼もしい言葉に、前向きな気持ちになってきた。
広場に集まり、大きな焚き火で魚を焼きながら、皆で猪対策を考えることになった。
「ええっ、猪と戦って弓矢を全部使い切っちゃったの? 槍も? うわー」
「弓矢と槍は作れないのか? もしくは買えばいいのでは?」
「作ってみたのですが、猪には刺さりませんでした。ウサギぐらいならいけるのですが。弓矢を買いに行くにしても、大きな町に行くまでに、途中で猪に襲われそうで怖くて」
気の弱そうな村人たちが、情けない表情でうつむく。ハリソンはしばらく目をつぶって考えた。
「そしたら、落とし穴がよさそうな気がする。猪が落ちたら、上から石投げればいいんじゃない」
「あのー、猪はそちらの犬ぐらいの大きさなんです」
「デカっ」
ハリソンは目を丸くする。
「そしたら、この子たちが入れるぐらいの穴を掘らなきゃね。どうせだから、石垣の周りにぐるっと落とし穴作ろうか。落とし穴というか、格子状の堀にすればいいかな」
みんながよく分からないという顔をしている。ハリソンは棒で地面に小さな丸を描いた。
「こう石垣があるでしょう」
続けて、小さな丸をグルリと囲む、たくさんの四角を描く。
「四角の枠のところが畝。四角の中は穴を掘るの。こうすると、猪がどこかに落ちたらなかなか出られないでしょう。ぐるっとただの堀にしちゃうと、猪がクルクル走り回って仕留められない」
「ははあ、なるほど。分かりました。石垣を積み上げて高くするより、簡単にできそうですね」
村長たちはうんうんと納得している。
「投石機もないんだよね?」
「ありません。今までは、大きな獣が出たことなどなかったですし」
「猪が来た時はどうしてたの?」
「全員で地下室に入って、いなくなるまで待っていました」
ハリソンが遠い目をする。猪一頭で地下に避難していたら、魔牛の群れが来たらどうするのか。地下から出たら、家が全部大破しているんじゃないのか。なんてのどかで危機感のない村だろう。
「分かった。とにかく落とし穴になる格子状の堀をさっさと作ろう。小さい子や、お年寄りは、石投げスリングを作ろう。古着でできるからね。みんな、石を投げれるようにならないと」
翌日から早速、動けるものは男も女も堀を作る。
「そんなに深くなくていい、とりあえず猪の足を止められればいいんだからね」
犬も喜んで土を掘る。遊んでいるように見えるが、すさまじい速さで穴がどんどん増えていく。子どもや老人はせっせと石投げスリングを作る。隙間時間で石投げの練習だ。皆、クタクタに疲れて、夜は泥のように眠る。
格子状の堀が八割がたできた頃、鳥たちが騒ぎ出した。
「多分、来たと思う」
ハリソンは村で一番高い木にスルスル登る。ハリソンは目をこらして土ぼこりの場所を見つめる。ハリソンは自分の見たものに絶望した。
「熊だー、クマー。全員、地下に潜れー」
戦う気まんまんで、石を構えていた男も女も、一瞬で顔色を失う。熊は、無理だ。
イヴァンが大声で全員に指示を出す。
「残るのは、私とガイと犬一匹。残りは全員地下へ」
皆、イヴァンとガイに深く頭を下げる。よそから来た人に、助けてもらうしかない、不甲斐ない自分たち。せめて尊き身分の子どもふたりは、なんとしても守ろう。村人たちは、木から降りてきたハリソンと、呆然としているラウルを促す。
「イヴァン、ガイ。頼む」
ラウルは、自分が残るわけにはいかないことは、よく分かっている。自分を守るために、ふたりが死を覚悟したことも。
「ラウル様。ラウル様がお望みの通りに生きてください。王になるもよし、ヴェルニュスでただの人として生きるもよし。お心のままに」
イヴァンは静かに言った。ラウルはしばしイヴァンを見つめると、何も言わずに頷く。村人は、自分たちと一緒に穴を掘ってくれた貴族が、王子ということを知った。だが口には出さず、地下に案内する。地下の扉を閉めると、扉の前で犬が二匹、耳をピンと立てて警戒する。
誰もいなくなった石垣の上で、イヴァンとガイは剣を抜いた。
「お前、生き残っておふたりをヴェルニュスに連れて帰ってくれよ」
ガイは隣でうなっている犬に言った。犬はチラリとガイを見ると、尻尾をパタリと振る。
「大きいな」
イヴァンが地響きをあげて走ってくる熊を見てつぶやいた。
「刺し違えればやれるかもしれない」
生き残れる気がしないガイであった。
イヴァンとガイが剣を固く握り、石垣から飛び降りようとした、そのとき。風が強く吹き、何か大きなものがふたりの横を通り過ぎた。
ヒュッ ドウン ふたりの視線の先で、巨大な石が落ちていき、熊の巨体を地面に沈めた。
フワッ 犬が華麗に飛び降り、倒れている熊の首を噛み切る。
バッサバッサ 得意満面な感じのフクロウが、呆然と立ちすくむイヴァンとガイの上を旋回する。
「ええええーーーーー」
「俺たちの出番がねー」
イヴァンとガイの悲鳴があたりに響き渡った。