132.護衛と侍従
バレエ団と共にやってくるはずだった護衛は、ひとりでさっさとやってきた。どことなく薄汚れた、くたびれたおっさん。ラウルは目をぱちくりし、ミュリエルは絶句した。
「もしや、護衛がひとりということはあるまいな?」
アルフレッドの問いに、護衛の男は愛想なく答える。
「ひとりでいいと聞きました。犬がいるんでしょう? それに、剣聖もいます。人数が増えると却って面倒ですから」
「けんせいって何?」
ミュリエルが確認すると、ラウルが胸を張って答えた。
「余の侍従は、すごいのです。実は剣の達人なのです。父上がたったひとりの男児ということで、余の侍従にしてくれたのです」
「ええーーー」
うっそー、ただの優しそうなじいさんにしか見えませんけど。ミュリエルはかろうじて本音を飲み込んだ。
「王子であるラウルのつき人が、たったひとりということに疑問を持っていたが。そういうことであったか」
いつもラウルの後ろで背景と一体化していた侍従は、ニコニコと微笑んだ。
「殿下とハリー殿の命は私が守ります。ご安心ください」
「よろしくお願いします!」
ミュリエルは侍従の手をしっかり握って、きっちりと頭を下げた。
「護衛がもっと多いと思って、いっぱい作っちゃったんだけど。まあいっか。洗い替え用になるしね」
ミュリエルは侍従にどっさりと薄手のシャツを渡す。
「これ、みんなで刺繍したの。色んな守りの模様を刺繍したから。肌着とシャツの間に着てください」
ビッシリと刺繍がほどこされたシャツを見て、侍従と護衛は目を丸くする。
「ラウルとハリーの分はこっちね」
少し小さなシャツがたくさん、ふたりの手に押し付けられた。
「ミリーお姉さま、皆さん、ありがとうございます」
「必ず無事にラウルを連れて戻ってくるからね」
ハリソンは自信たっぷりに胸を叩く。
「分かってると思うけど、強い魔獣とか盗賊とか出てきたら、逃げるんだよ。無理に戦おうとしちゃダメだからね」
ミュリエルはこんこんとふたりに言い聞かせ始める。
「もうダメだなと思ったら、諦めてさっさと帰ってきなさい。意地はったり見栄はったり、かっこつけたらダメ。命が一番大事なんだからね。王にならなくても、ここで幸せになればいいんだから」
ミュリエルはグイグイふたりに詰め寄る。
「男の子ってすーぐ、いいかっこしようとするけど、そういうのいらないから。無事に帰ってくるのが一番カッコイイんだからね。分かった?」
「はい」
「お金は小分けして持ちなさい。布に入れてお腹に巻く、靴下の中に入れる。それで最後に何回か跳ぶ。チャリンって音がしたらやり直し」
ブッ 護衛が思わず吹き出し、慌てて真面目な顔に戻った。
「おふたりも、よろしくお願いしますよ。地位より命、名誉より命です。危ないと思ったら、気絶させてグルグル巻きにして連れ帰ってください」
ミュリエルは金貨がたっぷり詰まった袋を護衛に渡す。
「ふたりを無事に連れ戻してくれたら、これと同じ額をお渡しします。どうかふたりを守ってください」
ミュリエルはポロポロと泣き出した。ラウルはオタオタし、ハリーは困り、アルフレッドは悲しい顔をしている。
「ラウル、ミリーの言う通りだ。王にならずとも幸せになれる。ずっとここに住んでいいんだよ。逃げ場はあるから、無茶はせず生きて戻ってきなさい」
「はい、ありがとうございます。ミリーお姉さま、アルお兄様、必ず生きて戻ります」
ミュリエルは涙を流したまま、ラウルとハリソンを抱きしめる。
しんみりとした空気の中、パッパが侍従に通行手形を渡した。
「こちらはサイフリッド商会の通行手形です。皆さんは商会の従業員ということになっております。これがあれば、大抵の関所は通れます。まあ、殿下が通れない場所など本来はないはずですが」
「ありがとうございます。身分を隠して旅しますので、助かります」
「荷馬車に商品をたくさん載せておりますので、ぜひ売って来てください。素敵なものがあれば買って来ていただけると助かります」
パッパはちゃっかり仕事を依頼する。パッパから渡された商品の価格表を見ながら、ハリソンは満面の笑みで請け負った。
「いっぱい売って買ってくるね」
少しなごやかになったところで、アルフレッドが首飾りをラウルとハリソンに渡した。首飾りには指輪が通している。
「なにかあったら、この指輪を使いなさい。ローテンハウプト王家の印章だ。まともな貴族であれば、それなりの対応をしてくれるはずだ」
ハリソンはあっさりと首にかけたが、ラウルは指輪を見て固まっている。
「このような貴重なものをいいのですか? もし盗まれて悪用されたら、とんでもないことになります」
「その時はその時だ。ふたりの安全のために、できるだけのことはしておきたい」
「アルがお金持ちで権力があってよかった」
ミュリエルは感謝の念を浮かべてアルフレッドを見つめる。アルフレッドは優しい笑顔でミュリエルの涙をハンカチで拭いた。
その日は宴となり、皆がラウルとハリソンの門出を祝った。
盛り上がる宴会を護衛はそっと抜け出し、侍従に目配せする。ふたりはバルコニーに出た。
「イヴァン師匠、ご無沙汰しております」
「ガイ、お前さんが来てくれてよかった。ラウル殿下を守らねばならん」
ガイは頭をガリガリとかきながら、部屋の中のラウルを盗み見る。
「驚きました。王都で聞いていたウワサとは正反対です。こんなに人望があるとは」
「殿下の資質がここで花開いた。領地漫遊で苦労すれば、より頼もしい王となられるだろう」
ガイは真面目な顔をして頷いた。
「なるべく安全な領地に行きましょう」
「それでは試練にならん」
ガイはふーっと鼻息を吐きながら、夜空を見上げた。
「徐々に、難易度を上げましょう。俺も危ない橋は渡りたくないですから」
「大金が手に入るあてもできたことだしな」
ガイは懐の金貨を指で触るとニヤリと笑う。
「太っ腹ですね、たまげましたよ」
「人に金を使える領主は強い。皆がついていく。ヴェルニュスはもっと栄えるだろう」
「ラウル殿下もそうなるんでしょうね」
「殿下が厳しいことも諫言する部下を見つけ、重用するだけの気概を持ち続けられれば」
「見つかるといいですねえ」
「どこかにはおるであろう」
夜空に輝く星を見ながらイヴァンは楽観的だ。人も星の数ほどいる、そのうち出会うだろう。