131.王となるには
雪がとけ、春の気配が漂い始めた頃、三か国の外務大臣がヴェルニュスに集まった。人の往来が増える前に、不可侵条約を締結するためだ。事前に文書のやり取りを済ませていたので、書面の確認はあっさりと終わった。
・侵略行為とみなされる行動をしない。
・いずれかの国が、どこかの国と戦争になった場合、交戦相手国に支援をしない。
・条約の期限は三年、いずれかの国が破棄宣告をしない限り、自動的に延長される。
・情報や技術の共有、人材交流は随時交渉。
ギチギチに決めるのではなく、ある程度の余白を残した条約となった。
ミュリエルとラウルの誘拐については、アッテルマン帝国から両国に莫大な慰謝料を支払うことで合意に至る。
ラウルとセファは、それぞれの外務大臣から褒められ、とても誇らしい気持ちになった。
ラウルは外務大臣に頼まれ、領内を案内する。ラグザル王国の護衛が周りを取り囲み、ものものしい雰囲気。ラウルの横には、心配したのか、犬のミドリがピッタリと寄り添っている。ラウルはミドリの首あたりに手を置いて、のんびりと歩く。
「巨大な犬がいるとは聞いておりましたが、想像以上でした。もはや犬というより、牛ですなあ」
大臣の言葉に、ミドリが尻尾をパシンパシンと振る。
「牛って言われるのがイヤなようだ」
「それは失礼しました、ミドリ殿」
ラウルの言葉に、大臣は如才なく謝った。
「陛下はラウル殿下を王位継承順位、第一位にされるおつもりのようです。お覚悟のほどはいかがですか?」
ラウルはミドリの上に置いた手に力をこめる。ミドリは首を曲げてラウルを見つめた。
「覚悟はまだできておらぬが、覚悟する」
大臣はラウルを見ないまま、淡々と告げる。
「ラウル殿下、ラグザル王国では力が全てです。今のままでは厳しいでしょう」
「分かっておる」
「殿下、忠臣を得てください。殿下のために命をかける忠臣を。ひとりでなんとかできるほど、王という責務は軽くありません。殿下の忠臣は、老いぼれた侍従ただひとり。今、王太子と発表するのは自殺行為です」
「その通りだな」
ラウルは第一王女の陣営から刺客を送られ、すぐに死ぬだろう。ラウルは決めた。
「領地漫遊の旅に出る。そこで民と対話し、問題を一緒に解決し、忠臣を探す」
大臣はおもしろそうにラウルを見た。
「初代ラグザル王のようにですか。なるほど。腕利きの護衛をつけねば、最初の村で身ぐるみはがされてお終いでしょうな」
ミドリがウウッとうなり大臣をにらみ、ラウルの顔をなめた。
「余と一緒に行ってくれるのか?」
ミドリは尻尾をパタパタ振って、またラウルの顔をなめる。
「ありがとう」
「信頼できる護衛を手配いたします。王太子発表は殿下が無事に戻られてからにいたしましょう。殿下、どうぞご武運を」
「うむ。精一杯やってみる」
ラウルの決意を聞いて、ミュリエルたちは青ざめた。
「まだ十二歳なのに! 無茶だよ。すーぐ誘拐されちゃうよ。ラウル、育ちがいいって丸わかりだもん」
「うう。しかし強くならねば、姉上の刺客にどのみち殺されます」
「ずっとここにいればいいじゃない。王になんてならないで、ずっとここにいなよ」
ラウルはぐらりと揺れた。ここでずっと。ラウルはブルブルと頭を振る。
「ミリーお姉さま、余はなんの役にも立ちません。農業も狩りもできない、穀潰しです」
「そんなの今から覚えればいいし。それに、別に役に立たなくていいし。ていうか、ラウルは子どもたちの先生やってくれてるじゃない。それで十分だよ」
「余は王になると決めたのです」
ラウルはまっすぐミュリエルを見つめる。ミュリエルは号泣した。
「うわあああ、ラウルが死んじゃう」
「いえ、いくらなんでも、すぐには死なないと思います」
「自分のこと、余はっていう子なんていないから。すぐ悪い人につかまって、売られちゃうよ」
ラウルは真っ赤になる。
「初代ラグザル王が余と言っていたので……。伝記を読んで憧れているのです」
「僕が一緒に行ったげる」
ハリソンが朗らかに言った。
「はあー? あんたもまだ十三歳でしょうが」
ミュリエルがハリソンの襟首をつかんでガクガクゆする。
「ほら僕、狩りもできるし、野営料理もできるし。役に立つよ。それに、なんか楽しそうだし。ミドリも行くんでしょう? 鳥もどれか連れて行こう。護衛もいるならなんとかなるって」
ハリソンの適当さに、ミュリエルは力が抜けた。
「父さんと母さんが許すわけないし」
ところがどっこい、ロバートは許してしまった。
「犬を最低二匹は連れて行け。どこかの村に着くたびに手紙を送れ。危ないと思ったらすぐ帰ってこい、だってー。じゃあ、鳥もたくさん連れて行こう」
ハリソンはウキウキしている。
「ハリー、本当によいのか? 辛くて長い旅になると思うのだが」
「僕は大丈夫。ラウルは出発ギリギリまで体鍛えてね」
「う、うむ。全力を尽くす」
「父さんのバカー」
ミュリエルの罵声が領地に響き渡った。
ラウルの出発は、バレエ団がヴェルニュスに来てからと決まった。バレエ団と共に、護衛がやってくるらしい。
ミュリエルはしばらくブツブツぐちぐち言っていたが、ラウルに「ミリーお姉さま、鍛えてください」と言われ、気持ちを入れ替えた。
「やっぱり足腰を鍛えるのがいいんじゃないかな。毎日たくさん走りなさい」
ラウルは素直にせっせと走る。セファも一緒に走るようになった。
「獣に襲われたら木に登るといいからね。木登りも今のうちにできるようになればいいよ」
時間はかかるが、少しずつ登れるようになる。セファは木の上でラウルに静かに聞いた。
「どれぐらい旅するつもり?」
「少なくとも一年。できれば三年」
ラウルも静かに答えた。
「また会えるよね?」
「絶対に会いに行くから」
「待ってるから。死なないでよ」
「約束する」
セファは袖でこっそり涙をふき、ラウルは口を固く閉じて必死でこらえた。友達を作るのが難しい王族ふたり。友達として過ごせた時間はあまりに短い。ふたりは夕陽が空を染めるのをじっと見ていた。