130.踊り子の推しごと
アッテルマン帝国では熾烈な選抜争いが行われている。ヒルダ女王がかつてないほど厳しい目つきと口調で、候補者に訓戒を垂れた。
「皆の踊りの腕前を疑ったことはありません。日々鍛錬を積み、弛まぬ努力を続けていることは知っています。存分にあなた方の踊りを披露してきなさい。ただし」
ヒルダは念入りに一人ひとりに目をやった。
「アルフレッド王弟殿下に色目を使うことは許しません。よろしいね」
「はい」
踊り子たちは素直に返事をした。誰もが純粋で、ひたむきな目をしている。ヒルダは軽く頷いた。
「それでは、最終審査に移ります。呼ばれた者は、あそこの扉から中に入りなさい」
ヒルダは部屋の奥の青の扉を指し示した。名前を呼ばれた者から順番に、部屋に入って行く。
通称、青の間は小さな部屋だ。今までは、商人を待たせる部屋として使われていた。今、青の間には、アルフレッドの姿絵が大量に並べられている。ヒルダがパッパとジャックに協力を仰ぎ、秘密裏に持ち込まれた姿絵。市場には決して出回ることのない、逸品ばかりである。
目玉作品は、等身大の立ち姿。キリリとした正装で、今にもエスコートせんとばかりに手を伸ばしている。その手に自分の手を重ねた者は即失格。
三百人の候補のうち、合格したのはたった二十二人。ヒルダは頭を抱えた。
「試験が難しすぎたかしら」
「いえ、ふるい分けには最適でした」
次女のアイリーンが真面目な顔で答える。
「でも、踊り子は最低でも三十人は必要なのに」
「判定が微妙だった者を、改めて審査しましょう。あれは不可抗力だ、そう抗議する声も上がっております」
「生の殿下はもっと殺傷能力が高いのだけれど」
ヒルダはため息を吐いた。
次の審査も青の間で行われた。決して心を動かすまい。不退転の覚悟で部屋に入った踊り子は、姿絵がひとつもない部屋に拍子抜けする。
「あら、何もないわ」
つぶやいて、自分の言葉の間違いに気づく。奥の壁際、鏡の前の棚に冊子がひとつ、これみよがしに置いてある。踊り子はしばしためらったが、意を決して棚に近づく。
なんのへんてつもない、真っ白な冊子。踊り子は恐る恐る表紙をめくる。
「まあ、かわいらしい女の子」
これが審査と何の関係があるのだろう、いぶかしみながら踊り子はペラリと頁をくる。
「あら、またこの子ね。キレイな髪の毛ね、柔らかそう。せっかくかわいいのに、ちっとも笑わないのね」
笑ったらさぞかし愛くるしい乙女だろうに、残念に思いながら次々と見ていく。
「まあ、剣術の訓練かしら。髪を結うと、中性的な魅力があるわねえ。……え、ちょっと待って。もしかしてこれって」
殿下の幼少期の姿絵では。踊り子は叫びそうになるのを、指を噛むことで必死にこらえた。表情を押し殺し、震える手を気合いで止め、つとめて冷静に、食い入るような目で姿絵を見つめる。
少しずつ、青年になる美少女。青年から精悍な男性に。静かな部屋に、踊り子の荒い息づかいが響く。
髪を短く切った凛々しい男、目に狂おしいほどの愛情があふれる。踊り子は胸の高まりで、息が苦しい。
「もう、もうこれ以上は……」
やっとの思いで最後の一枚に。幸せをかみしめたような、優しい微笑みを浮かべる殿下。今までの完璧な笑顔とは違う、見ているだけで心が温かくなるような笑み。踊り子は静かに涙を流した。
「尊い。殿下はミリー様をここまで愛していらっしゃるのですね。おふたりの愛よ、永遠なれ」
踊り子は跪き、心からの祈りを捧げた。
「合格です。その心、決して忘れないように」
後ろからヒルダの声が聞こえる。踊り子は振り返り、万感の思いを押し殺し、ただひと言「はい」と答えた。
無事、踊り子の選定が終わった。姿絵は丁寧に箱に入れられ、ヒルダの金庫にしっかりとおさめられた。
***
ところかわって血の気の多いラグザル王国。バレエの踊り手の集まりはかんばしくない。
「えー、だって、アルフレッド殿下はもう結婚しちゃったんでしょう」
「ふらちな真似したら打ち首だって。アタシこの顔気に入ってるから、体と切り離されると困るもん」
「言えてる」
踊り手たちはゲラゲラ笑った。芸術に力を入れているラグザル王国。見込みのある少年少女たちは、幼いときから王都に呼ばれ、徹底的に踊りの教育を施される。親元から離され、血気盛んな同年代と頂上を競い合う若者たち。皆、非常に気が強い。弱い者は叩きのめされ、田舎に帰されるのだ。
残っているのは身も心もしなやかなミスリルのような少女たちである。ヴェルニュスなど、かつて征服した敗戦国のさびれた都。わざわざ絢爛たる王都から、訪れる価値などない。そう思っている。
かしましく少女たちが語り合う部屋の片隅。たったひとり、ベッドの上で一心に本を読んでいる少女がいる。
「ねえ、さっきから何読んでんの? ちょっと、聞いてる」
本に没頭していた少女は、突然投げつけられたバレエ靴に面食らう。
「もうー、いいところなんだから、邪魔しないでよねー」
少女はプリプリしながらバレエ靴を投げ返す。興味を持った他の少女たちが、本の周りに集まる。
「裸足の令嬢と麗しの王子? なにこれ、恋物語? あんた恋愛ものって苦手じゃなかったっけ?」
途端に少女は熱に浮かされたように早口で話し始めた。
「これはね、恋物語が苦手な人でも読めるの。私ね、恋物語の意味不明なすれ違いがイラッとくんのよね。どっちかがハッキリ言えばすむことを、なんでだか知らないけど、言わないのよ。それで誤解が誤解を生んで、えらいことになるじゃない」
「それがいいんじゃないの。ハラハラワクワクするもん」
別の少女が胸の前で手を組み、うっとりした表情を見せる。
「私はイライラすんのよ。さっさと言えっつーのって思うわけよ。そいでさ、なんか主人公の女がメソメソうじうじして、じとーっと王子が声かけるの待つじゃん。お前から行けよってなるじゃん」
「そのジレジレを楽しむんじゃない。様式美よー」
背の高い少女が、眉をピクリと上げて言い放つ。
「私はね、主体的に動く主人公が好きなの。そういう女主人公ってあんまりいないじゃない。男主人公は自分で解決するのに、女主人公は誰かが助けてくれるの待ってるでしょ」
「そらそうでしょうよ。女主人公がひとりで解決できるなら、男いらないよね」
爪の手入れをしていた少女が、肩をすくめてぼやいた。
「それがねえ、王子がねえ、必死でがんばるんだな。破天荒で強い女主人公を手に入れるためにー。キャーーー」
「落ち着け。分かった。ちょっと興味出てきたから、後で貸して」
「いいよー、まあそういうわけで、私はヴェルニュスに行くから。もう先生に頼んで、許可もらったんだー」
「話がよく見えないんだけど?」
みんな、首を傾げて少女を見つめる。
「ん? これアルフレッド殿下と奥さんを元にしてる恋物語。著者のジェイさんによると、事実を元に書いてるって。事実はもっと波瀾万丈だけど、書けないのが残念なんだって。後書きに書いてあった」
「うっそだー。アルフレッド殿下の相手ってあれでしょー。ピンク色の髪の魅了使いの男爵令嬢でしょう。ありがちよねー」
「ちょっとー、アタシの愛読書をけなさないでよね」
別の踊り手が枕を投げた。
「だーかーらー、アルフレッド殿下の奥さんは、森の娘だから。髪は茶色。田舎領地出身で、領地では裸足なんだって。めっちゃ強くて、魔牛を素手で屠れるらしいよ」
「いくらなんでも盛りすぎ。そんな女がいるわけないじゃない」
「森の娘ってなんだっけ?」
「祈るだけで、小麦がどっさりできるらしいよ。神のご加護が強いんだって。おかげでヴェルニュスは今すごく豊かになったんだって」
「なんか、もうさー、話が誇張されすぎだよね」
やれやれといった感じの呆れ顔がいっぱい。
「別に信じてもらえなくてもいいですー。私ひとりで、仲良し夫婦をじっくり観察してくるもーん」
裸足の令嬢恋物語は、すみやかに少女たちの間で回し読みされた。その後、ヴェルニュス行きを巡り、語るのもはばかられるほどの苛烈な戦いが繰り広げられたそうだ。