129.ラウルの婚約
『ローテンハウプト王国かアッテルマン帝国の娘を婚約者に選べ。選べぬなら、父が選ぶ』
ワシが届けた父からの暗号文は、ラウルを動揺させた。ラウルは暗号文を細かく引き裂き、水に溶かした上で、土に埋めた。
どうしよう。なんと返事をしたものか。「今選んでいます。少しお待ちください」と返事するのはどうだろうか。父にとっての少しとはどれぐらいだろうか。一か月ぐらいかもしれない。それでは間に合わぬ。
一年待ってください、と書くのはどうか。いや、あの短気な父が、一年も待ってくれるわけがない。さっさと婚約者を決められてしまう。そして、恐ろしく強い女性と結婚するはめになる。あの父が優しく朗らかな女性を選んでくれるはずがない。
しかし、父がラウルの意見を聞いてくれたのは、初めてだ。何もかも、全て決められてきた人生だった。ラウルの意見を求められたことなどない。そもそも、ラウルに意見があると、誰も思っていないのだ。
「ここでは、それぞれの意見が尊重されるからな」
ラウルはニワトリに話しかけた。ニワトリは何も気にせず野菜のクズをついばんでいる。ラウルはニワトリが大好きだ。ニワトリはいつも陽気で、ごはんを食べることに一心不乱。ムクムクとしたミミズをあげると、大騒ぎするのもかわいい。
ラウルは祖国の誰にも期待されていない王子だ。国民人気の高いガレール第一王女が、王位を継ぐものと思われている。ラグザル王国に栄光と繁栄をもたらした、フリーデリカ女王。そのフリーデリカ女王にそっくりなガレール第一王女。
貴族も国民も、次期王はガレールだと思っている。
ラウルは王子だが、王になれるとは思われていない。ラウルは血を見るのが怖いのだ。荒っぽいことは嫌いだし、部屋で歴史書を読むのが好きだ。血で血を洗い、強さこそが最も大事な王の資質と考えられるラグザル王国。ラウルは弱すぎる。
「お前の歳の頃には、ガレールは既に反乱部族を血祭りにしていたぞ」
父に言われたことがあった。
「父上、力で押さえつけて、言うことを聞かせる時代は終わりました。これからは対話と協調の時代です。過去の歴史をひもとけば、力任せの統治はいずれ破綻するのが明らかです。ラグザル王国は変わらなければなりません」
父は不思議な目でラウルを見て、何も言わずに立ち去った。そのあとすぐ、ヴェルニュス行きが決まったのだ。
ここに来て、色んなことを学んだ。本当に強い人は、強さをひけらかさない。たくさんの気づきの中でも、ラウルの人生観を変えたのは、それだった。ラグザル王国では、常に強さを誇示しなければならない。そうしないと、下がついてこないと教えられた。
「ミリーお姉さまも、ミリーお姉さまのお父さまも、とても強い。でもわざわざ自慢しない。本当に強い人は、そんなことしないんだ。セファが言ってた。弱い犬ほどよく吠えるって」
ラウルはラグザル王国を変えたい。弱さを見せても、とって食われぬ国に。ラグザル王国だって、皆が皆、強いわけではないのだ。虚勢を張らず、弱い者も強い者も、助け合って生きていける国。そんな国にしたい。
ラウルはニワトリにトウモロコシの粒を投げてやる。ニワトリはもっとよこせと、ラウルの足をつついた。ラウルはくすぐったくて笑う。
「焦らずともよい、トウモロコシはまだまだあるぞ」
ラウルは少しずつトウモロコシを撒く。
「余はここに来て、温かいごはんはおいしいと分かった。皆と話しながら食べる時間は、なによりも楽しいと知った」
ラウルにとって、食事はひとりで黙ってするものだった。毒味の過程で冷えた食事。おいしいともマズイとも、なんとも思わなかった。ただ、黙々と噛んで飲み込む時間。
今はごはんの時間はにぎやかだ。誰かが何かを話している。ラウルもしょっちゅう話しかけられる。例え話しかけられなくても、皆の会話を聞いていると自然と笑顔になる。
ここでの食事は、おいしくて楽しいのだ。ラグザル王国での食事は、悲しくて寂しい、今なら分かる。
「帰りたくないな。ずっとお前たちと一緒にいたいよ」
ラウルはニワトリに向かってポツリと言う。もちろんニワトリは全く聞いてはいない。
「ラウル、そんなにニワトリ好きだったんだ。ラグザル王国にもニワトリいるよね?」
ラウルは驚いてトウモロコシの粒をばらまいた。ニワトリが大喜びでラウルの足元に群がる。ラウルは身動きが取れなくなって、情けない顔でセファを見た。
ブッ セファは吹き出す。
「そんなにニワトリ好きなら、連れて帰っても許されると思うよ」
「違う、ここで過ごしたいという意味だ」
「うん、分かってるけど。でもラウルも僕も、来年には国に帰らないといけないよね。ずっとはいられないもん」
ラウルは下を向いて黙った。セファは焦った声で慌てて聞く。
「どうしたの? なんかへんだよ」
「悩んでいることがあるのだ」
「ふーん、言ってみなよ」
ラウルは苦い顔をして首を振る。
「これは余がひとりで解決せねばならぬ問題だ」
「なんで?」
「なんで……なぜであろうか。なんとなくそう思った」
「言ってみなよ。悩み事はひとりには大きいけど、三人で話せばたいてい解決するらしいよ。僕とラウルとニワトリ。ほら言って」
ラウルは悩んでいるのがバカバカしくなって、セファに打ち明けた。
「へー、十二歳でもう婚約かー。大変だね」
セファは目を丸くする。
「そういうセファはどうするのだ? そなたも王族ではないか」
「えー、知らない。僕はこんなだから、結婚なんてしないんじゃない」
「それで許されるのか?」
セファは口をとがらせて、肩をすくめる。
「だって、しょうがないよね。母さまも、結婚しなくても別にいいって言ってたし」
「フェリハ様はよい母君だな」
「うん。ラウルのおか……」
セファはラウルの顔を見て、言いかけた言葉を飲み込んだ。その代わり、ラウルの腕をとって、ニワトリの群れから引きずり出す。
「母さまに相談しに行こう。こういうのは、母さまの得意分野だと思う」
フェリハはミュリエルに新しい刺繍の縫い方を教えていた。ラウルが言いにくそうにしていると、ミュリエルがあっけらかんと聞く。
「ラウル、今度はなにを悩んでるの? 最近、悩んでばっかりだね」
ラウルはギュッと握り拳を作って、説明する。
「そっかー、ラウルは王族だもん。早く婚約者決めなきゃいけないってなるよね。誰かいい人いた?」
ラウルはチラッとミュリエルの丸いお腹を見る。ミュリエルは少し目を細める。
「何度も言ってるけど、この子が十歳になるまで婚約話はしないから。大体、女か男かもまだ分からないんだし」
「はい……」
ラウルはうなだれる。フェリハがあっさりと答えを出した。
「返事はこう書きましょう。『アッテルマン帝国で三人、ローテンハウプト王国でひとり婚約者候補がいます。モテモテで決められません。一年待ってください』」
ラウルはポカーンと口を開けた。
「フェリハ様、余は全くモテておりません。候補もおりません」
「いるよー、いるいる。うちの三つ子のアナ、ヤナ、マナ。十二歳よ。三人ともラウル様のこと狙ってるから」
ラウルは目をまん丸にする。
「ね、一年猶予をもらって、ゆっくりその間に探せばいいわ。で、いざとなったら三つ子のどれかを選べばいいのよ。お転婆だけど、アッテルマン帝国の森の娘よ。誰も文句はないはずよ」
フェリハは手をヒラヒラ振った。ラウルは目をパチパチする。大事な婚約を、そんなに簡単に決めてよいのだろうか。
「フェリハ様、それは三人に失礼ではありませんか?」
「大丈夫、三人には内緒にしておくから。アッテルマン帝国の気立のいい子を紹介してもいいしね。気楽にいきなさい」
「フェリハ様、ありがとうございます。では、父にそのように書きます」
「アナ、ヤナ、マナは、ラグザル王国でうまくやっていけると思えないけど……」
セファが心配そうに言った。
「ラグザル王国の貴族たちと、ものすごく激しい権力闘争をしそうね。でも、そういう強い女性が好かれる国なんでしょう?」
「はい、その通りです」
「じゃあ、問題ないわね。でも一年で、ラウル様に好きな人ができるといいわね。やっぱり好きな人と結婚する方がいいもの」
「はい、がんばります。どうがんばればいいのか、まだ分かりませんが」
とりあえず、先延ばしだ。ラウルの肩から重い荷がおりた。