13.外堀は埋められていく
「おはよう〜ブラッド」
「おはよう、ミリー」
「あれ、ブラッド大丈夫? なんか元気がないような」
なんだかブラッドの顔がこわばっている。
「いや、大丈夫だよ。……今日は婿候補が誰も来てないんだ」
「え、そうなのー、残念。せっかくマチルダさんと新しい作戦立てたのに」
ミュリエルはがっかりして口をとがらせる。
「私は明日から図書館に来られそうにないんだ。悪い」
ブラッドが残念そうに謝った。
「いいんだよー。そしたら、学園が再開したらまた教えてね」
「ああ」
ミュリエルは元気な足取りで図書館を出て行った。
「これでよろしかったでしょうか?」
ブラッドは本に目をむけたまま、小声でつぶやく。
「ええ、上出来です。殿下もお喜びになるでしょう」
さりげなく隣の席に座った男が静かに返事をする。
「殿下がお褒めになっていました。あなたの人を見る目は確かだと。王宮でどんな仕事に就きたいか考えておきなさい」
◆◆◆
「ノーマン・エンダーレ公爵、急な訪問ですまない」
「アルフレッド王弟殿下、わざわざ拙宅にお越しいただけるとは。恐悦至極に存じます」
壮年の紳士がうやうやしくアルフレッドを迎える。
「いや、謝らなければならないのは、こちらなのだから。ルイーゼ嬢には別途時間をもらって、ヨアヒムから詫びさせる」
「いえ、滅相もございません」
「詫びさせてやってくれ。あれも反省している」
「…………」
エンダーレ公爵の顔はピクリとも動かない。
「エンダーレ公爵とルイーゼ嬢のやるせない気持ちは分かる。衆人環視の前で貶められて、許すことなどできまい」
アルフレッドは真剣な目でエンダーレ公爵に語りかける。
「しかしな、そこをどうにか飲み込んでもらいたい。条件はふたつだ。ロンザル鉱山の利権、そしてセレンティア子爵の派閥入りだ」
エンダーレ公爵とアルフレッドの視線が交差する。
「すぐにとは言わないが、近日中に答えが欲しい。が、その前にルイーゼ嬢を借りてもよいか。ヨアヒムに恨みをぶつけてもらい、その上で婚約について再度考えてもらいたいのだ」
「承知いたしました」
アルフレッドはルイーゼを王宮の奥の部屋に連れて行った。
「悪いがここで待っていてくれるか。ヨアヒムの本音を聞いて判断してほしい。そこの鏡から、部屋の様子が見える。声も聞こえるはずだ」
「はい」
ルイーゼは鏡の前に座った。アルフレッドは隣の部屋に入っていく。ソファーに座ったヨアヒムが顔を上げる。輝くばかりだった美貌はすっかり影をひそめ、やつれて精彩を欠いている。
「アルフレッド叔父上……」
「ヨアヒム、どうだ。少しはまともに考えられるようになったか?」
「はい。私はなんということを……」
「そうだな、大変なことをしでかしてくれたもんだ」
アルフレッドは、うなだれるヨアヒムの隣に腰掛けた。
「それで、お前はどうしたいんだ。あの男爵令嬢にまだ心があるのか、それともルイーゼ嬢に頭を下げて許しを請いたいのか。どちらだ」
「アナレナのことは、もうなんとも思っていません。私はどうかしていたのです。あれほどルイーゼとの結婚を待ち遠しく思っていたのに。……なぜ」
「なぜなんだ?」
ヨアヒムはうっと息を詰まらせる。
「……ほんの少し、ルイーゼに対して引け目を感じていました。ルイーゼはいつも超然として、清廉で汚れを知らない。ルイーゼは常に正しい。それが息苦しいときがありました」
ポツリポツリ ヨアヒムは言葉を選びながら思いを吐き出す。
「完璧と称されるルイーゼの隣に立つには、私も常に完全な王子でなければならないと。肩肘を張っていたように思います」
ヨアヒムが横目でアルフレッドを見る。
「そんな私の弱い心に、アナレナを入れてしまった。そのままの私でいいという、甘言に耳を傾けてしまった。不足があっても、共に歩んで行こう、そうルイーゼに言われたかったのだと……」
「よくある手だ。世間知らずなお坊ちゃんは、ダメな自分を肯定してくれる存在に弱い」
アルフレッドは冷たく突き放す。
「ヨアヒム、ルイーゼ嬢に這いつくばって許しを乞え。ダメな私を愛してくれと泣いてすがれ。高みで孤独に震えるのではなく、自分をさらけ出してみっともない姿を見せてみろ」
「は、はい」
「ルイーゼ嬢、こいつの泣き言を聞いてやってくれないか?」
やや顔を紅潮させたルイーゼが静かに部屋に入ってきた。
アルフレッドは、ルイーゼの足にすがって泣くヨアヒムから視線を外すと、部屋を出て扉を閉める。
「これでうまく行くといいけどな……。あー疲れた。ミリーの監視報告書でも読んで癒されるか」
それにしても、この報告書を挙げた影には給料をはずまないといけない。
『ルイーゼ公爵令嬢は、ダメ男を育てる令嬢物語にハマっている』
あの興奮が隠しきれないルイーゼの様子からすると、当たりだったようだ。
せいぜい無様に愛を乞え、ヨアヒム。
アルフレッドは哀れな甥をひっそりと激励した。