127.選択肢
ミュリエルたちが朝ごはんを食べているとき、アルフレッドが何気ない調子でサラリと言った。
「不可侵条約の叩き台、ミリーとラウルとセファに作ってもらおうかと思うのだけど、どうかな?」
「分かった、やってみるね。ツワリもおさまったし、仕事しないとね」
ミュリエルはあっさり請け負ったが、ラウルとセファは手にしたフォークを落として、取り乱している。
「そのような大事なことを……」
ラウルとセファはがくぜんとした様子でアルフレッドを見つめる。
「大事なことだからこそ、若者の意見を聞きたい。不可侵条約の恩恵を受けるのは、若者だからね。大丈夫、あくまでも原案だ。その後、各国の文官と調整、そして大臣、国王へとあげられる」
「そうか、そうですよね。それなら間違っても、修正してもらえますね。では、やってみます」
ラウルとセファは納得して、課題を受け入れた。
「上に立つ者が、自分で原案を考えられるようになると強い。傀儡にならずにすむ。三人だけで仕上げる必要もないから。うまく周りを使ってまとめてくれ」
ということで、ミュリエルは久しぶりに文献に囲まれている。
「うえー、まだこんなにあるのー」
久しぶりの頭を使う仕事に、ミュリエルは早速悲鳴をあげた。
「ミリーお姉さま、大丈夫です。国家間の条約はそれほど数がありません。文献をパラパラーっと見て、国同士の条約に絞りましょう」
ラウルが元気付けるように明るく声をかける。
「なんかさー、妊娠してから、難しいこと考えるのが苦手になった気がする。まあ、元から苦手だったんだけどさ」
「きっと栄養を赤ちゃんにあげているからですよ。このお菓子を食べるといいですよ」
セファがこっそりお菓子を渡してくれる。ミュリエルはさっと口に放りこんだ。お菓子をたくさん食べると、ナディヤとアルフレッドに注意されるのだ。
お菓子のおかげでやる気を取り戻したミュリエルは、関係のありそうな箇所を読み込んでいく。しばらくは紙をめくる音と、ミュリエルのうなり声だけになった。
「お互いの領土に侵略しません。それが一番大事だよね」
ミュリエルは色々読んだ上で、一直線に結論に飛んでいった。
「そうですね。それが外せない条項です」
セファが同意する。
「三か国のどこかが、他国と戦争になったらどうしましょう?」
「それはもちろん助けるんじゃないの?」
ラウルの言葉にミュリエルは首を傾げる。
「どこまで助けるかが問題です。兵を出すのか、物資を送るのか」
「ああ、そうだよねえ。兵は……出したくないような、気がするけど……」
ミュリエルは思いっきりしかめっ面をして考え込む。
「賛成です。例えば、ローテンハウプト王国は他国に侵略しませんよね。でも、アッテルマン帝国とラグザル王国は、侵略してきました。アッテルマン帝国が勝手に他国に攻め入って、ローテンハウプト王国に兵を寄越してくれ、そう要求するかもしれません」
「アッテルマン帝国は知らぬが、ラグザル王国はそういう図々しい要求をしそうです」
セファの懸念に、ラウルは苦い顔をする。
「それは勘弁してー。農作業する男手がいなくなって、民が飢えるよ」
ミュリエルは悲鳴をあげた。
「お互いの国には侵略しないが、他国との戦争は助けない。それでいいのではないかと。そのような条約が過去あったようですし」
「それでいいと思う。あとで、じい先生に聞いてみよう」
三人は頷き合った。
「いやー、終わった終わった。お菓子もらいにいこっか」
「ミリーお姉さま、まだまだ、これからです」
はればれとした顔で立ち上がったミュリエルを、ラウルとセファが引きとめる。
「条約の期限を決めなければいけません」
セファが言いにくそうに告げる。
「え、ずっとじゃないの?」
「いえ、過去の資料を見ると、三年から五年です。条約が切れる一年前までに、異議を申し立てなければ、そのまま延長などというのも可能です」
「ほえー、なんでそんなめんどくさいことを」
「それは……。王が突然、頭がおかしくなるかもしれませんし」
セファが小声で言い、ミュリエルとラウルは変態のことを思い出した。
「ああー、そっかー。期限はある方がいいね」
ミュリエルは心の底から納得する。変態とは関わりたくない、絶対に。ミュリエルはブルっと身震いした。
「期限の長さも、じい先生に相談しよう。あのー、まだまだって言ってたけど、まだあるの?」
「何をもって侵略とするかは、考えておきませんと」
「兵が入ってきたら侵略だよ」
「はい、それは分かりやすいです。例えば、ラグザル王国にいる魔獣を、ローテンハウプト王国に追いやったら」
セファがチラリとラウルを見る。
「やりかねません」
ラウルはギュッと目をつぶった。
「困っちゃうわ、やめてよー」
「質の悪い貨幣を他国でバラまくという例もありました」
「うむ、我が国の例であるな」
ミュリエルの顔がどんどん真顔になる。
「え、もしかして、ラグザル王国ってひどい国なんじゃ……」
「その通りです、ミリーお姉さま。ですが、ご安心ください。余が王となった暁には、そのような非道な行いはいたしません」
「う、うん。そうしてほしいよ、本当に」
全く安心はできないが、とりあえずミュリエルは未来のラウルに託すことにする。
「残念ながら、国家間の条約は過去なんども勝手に破られてきました。ですので、あまり当てにしすぎてもいけません」
セファが身も蓋もないことを言い放つ。
「ううう、でもせっかくだから、お互いのためになる条約にしようね」
ミュリエルはつとめて前向きに言う。
「国の中心にいる者同士が仲良ければいいんでしょう。アッテルマン帝国は大丈夫だよね。ラグザル王国は、ラウルに任せるよ」
「はい、せっかくですから、知識や情報の共有もできるよう、条項に入れたいです」
「そうだね、三か国で一緒に豊かになれば、侵略も起こらないよね。食べ物がないと、他国に掠奪に行くかってなりそうだからさ」
ミュリエルは、貧しい領地で育ってきた。不作で食べ物に困ると、心が荒むというのはよく知っている。貧乏領地での毎日の生活は、食糧確保にほとんどの労力がかけられる。手工芸があり、娯楽もある今のヴェルニュスは、ミュリエルにとって信じられないほど贅沢な生活だ。
「余はヴェルニュスに来れて本当によかったです。ここで学んだことは、今まで国で勉強したことより遥かにタメになりました」
王族として何不自由ない暮らしをしていたラウルにとっても、ヴェルニュスの生活は格別だ。ラウルの言葉にミュリエルはニコニコする。
「そっかー、それならよかった。ずっといれるといいねえ」
「はい。いずれは王となるために帰らなくてはなりませんが。なるべく長くいたいです」
「僕も、今まで海しか知らなかったから。違う国に来れてよかった」
「そうだよね。私もずーっと小さな領地で育ったからさ。王都に行って、すごいなあって思った。領民は一生を小さな領地で過ごすの。平民でもやる気のある人は、王都で学べたりできればいいのにね」
「平民でも、職人になりたい人は少し受け入れてはいかがですか? 人手が足りてないんですよね?」
ラウルがミュリエルに尋ねる。
「アルに相談してみるね。平民が王都の学園に行くのは難しくても、ヴェルニュスで職人に弟子入りならできそうだね」
ミュリエルは元気になった。
「ヴェルニュスに職人養成学校ができれば、我が国の優秀な平民を学ばせたいです」
ラウルも熱心に言う。
「父上に相談すれば、資金も出せるかしれません」
「いいね、民の交流が増えれば、侵略しようって気になりにくいもんね」
「僕もおばあさまに相談してみます」
ミュリエルはラウルとセファの手をしっかり握った。婿をつかまえて一生を故郷に捧げると思っていたミュリエルである。王都に行ってみたら、どういう訳か王弟と結婚してヴェルニュスの領主になった。
人生何が起こるか分からないものだ。決められた未来しか見えていない若者に、新しい選択肢を与えてあげたい。ミュリエルは、これが自分の一番やりたいことだ、そう思った。