125.選ばれし者
リチャード、ミュリエルの母方の祖父の一日は体操から始まる。全身をゆっくり動かし、体のこわばりをほぐす。そのあと、ゆっくりと庭を歩き、徐々に早足になる。体が完全に温まったら、布を振り肩を柔軟に。そうしてやっと石を投げる。
「毎日、両手で百回ずつ石を投げる。殿下はそうおっしゃっていた。ならば私が怠けるわけにはいかない」
リチャードは丁寧に石を的に向かって投げた。最初は届かなかった的も、毎日続けるうちに楽に当たるようになった。今では随分離れた場所でも自在に狙える。
「殿下から直々に結婚式の招待状をいただいた。無様な姿をさらす訳にはいかない。立派に石を投げられるようになってこそ、殿下とミリーを寿げるのだから」
リチャードは家督を長男に譲った。もう隠居の身である。かわいい孫娘が許してくれるなら、ヴェルニュスに長く滞在したい。そして、シャルロッテの領地も訪れたい。それが、老夫婦の悲願である。
ミュリエルとはたった一度、狩りに行っただけだ。またしてもリチャードは失敗したのだ。シャルロッテを枠にはめようとして、嫌われたというのに。
「今度こそ間違えぬ。ミリーの領地に入れてもらうのだ。ミリーのしきたりに合わせよう。足の裏も大分かたくなった。これなら石だらけの道を裸足で歩いても、大丈夫であろう」
リチャードはまだ知らない。ヴェルニュスでは皆、靴を履いていることを。
***
「誰も結婚式の招待状はもらってないのね?」
魔牛お姉さんたちは、力無くかぶりを振る。
「どうしてかしら。わたくしたち、ミリー派ですのに」
「そうよねえ、腕輪の布教活動も行ったわ」
「ジャック様の本も全て初版を購入しておりますわ」
「読む用、予備用、保管用、布教に使う用。毎回、十冊は購入しておりますもの」
「石投げだって続けております」
「屋敷の中では、裸足で歩いておりますわ」
「やっぱり、外でも裸足でないと、真のミリー派と認めていただけないのかしら」
魔牛お姉さんたちは想像してみる。夜会に裸足で参加する自分を。
「夜会は靴を履きたいですわ。ドレスと裸足、合いませんもの」
「踊りのとき、踏まれたら大変ですし」
「冬は足が冷たいですし」
「どこまで裸足が求められるのか、イローナさんに手紙を送ってみましょう」
魔牛お姉さんたちは晴れやかに、そうしましょう、と言い合う。
「ところで、王家はどなたが参加されるのかしら?」
「まだ決まっていないそうですわ。やはり遠いですもの、ヴェルニュスは」
「馬車なら軽く一週間はかかりますわ」
「わたくし、行くなら運河で行こうと思っておりますの」
「まあ、というと、船ですわよね?」
「ええ、馬の疲労を考えなくて済みますでしょう? その分、進む距離を稼げるのですわ」
「あら、ではわたくしもぜひ。皆さまで一緒に船旅をいたしましょう」
そうしましょう、そうしましょう、華やかに笑い合う。
「お待ちになって。招待されていないのに、勝手に押しかけられませんわ」
ハッとして顔を見合わせる。
「どうしたら、招待していただけるのかしら」
「話が堂々巡りになっておりますわよ。もうこうなったら、ズバリ、イローナさんに聞いてみますわ」
魔牛お姉さんたちは力強く頷き合う。
「では、わたくし早速、サイフリッド商会に行って、鳥便をお願いしますわ」
「あら、わたくしも行きたいわ」
「あら、わたくしだって」
「だって、素敵ですものね、ジャスティン様」
「あの美しさで、商才もあって、まだ独身」
魔牛お姉さんたちは、フフフと笑い合う。
「あの兄弟は、確か全員まだ結婚されていなくてよ」
「美しすぎて、女性が近寄りにくいわよねえ」
「そうですわ、よほど見た目に自信がないと、横に立つのは気が引けますわ」
「見劣りしてしまいますものね」
「ああいう見目麗しい殿方は、遠くから鑑賞するぐらいがちょうどいいのですわ」
魔牛お姉さんがサイフリッド商会に大挙して押し寄せる。先ほどのかしましさは、すっかり影をひそめ、楚々とした淑女たち。
「突然押しかけて、申し訳ありません」
高位貴族の美女たちに囲まれながらも、ジャスティンは如才なく、社交的な笑みを浮かべた。
「これは、魔牛お姉さま。ようこそいらっしゃいました。イローナに手紙でしょうか?」
「さすがですわ。話が早くて驚きましてよ。ええ、結婚式の件で少し……」
「ああ、おめでとうございます。ミリー様と一緒に結婚式を挙げられるのですね?」
魔牛お姉さんたちは、一瞬目を見開き、お互いに視線を交わす。そしてすぐに艶然と微笑んだ。
「まあ、ホホホ、そのつもりでおりますわ。ええ、ミリー様と一緒に。他にもそういう方がいらっしゃるのかしら?」
「イローナとブラッド、アッテルマン帝国のフェリハ王女殿下、領民たちからも何組か」
「まあ」
魔牛お姉さんたちは、口を開ける。
「宿泊希望が殺到しておりまして。ですが、ミリー様と一緒に結婚式を挙げる方は、優先できると思います」
「なるほど。えー、ということは、あれですかしら? イローナさんに聞かなくても、ジャスティン様とご相談すればよろしいですか?」
「ええ、宿泊客の選定はある程度、私に任されております。もちろんアルフレッド殿下の承認は必要ですが。魔牛お姉さまたちなら、大丈夫だと思います」
「まあ」
魔牛お姉さんたちは手を取り合って喜んだ。
「ではでは、ぜひともお願いいたしますわ。婚約者と、そのー、些細な打ち合わせをいたしますが。ええ、ミリー様と一緒に結婚式! 何がなんでも絶対に! いざっ!」
ジャスティンは少したじろいだが、柔和な笑顔で受け流した。
「では、宿や日程など細かい調整は改めてということで」
「ホホホホホホ、ええ、そういたしましょう。また改めて、お会いいたしましょう。では、ごきげんよう」
魔牛お姉さんたちは、しずしずと商会から出る。十分に離れてから、皆で円陣を組んだ。
「よろしいわね、マギューたち」
「ええ、よろしくてよ」
「結婚、するわ!」
「婚約者と家族。ごり押しで交渉ね」
「では、後日、また相談しましょう〜」
魔牛お姉さんたちは、はればれとした顔で戦いに向かった。家族はともかく、婚約者は大丈夫なのだろうか。魔牛お姉さんたちの、魔牛たるゆえんが見られることであろう。婚約者に幸あれ。
メリークリスマス〜!!