123.温泉に浮かんで
「あったかいねー」
ミュリエルとアルフレッドは仰向けでお湯に浮かんでいる。温泉は初めてのミュリエル。裸で入るのは恥ずかしかったので、ふたりは膝ぐらいまである大きな薄手のシャツを着ている。
「実家ではさあ、タライにお湯入れて立ったまま体洗ってたから。浴槽あるけど、お湯がもったいないから。お湯が勝手に湧いて出るって、すごいよね」
アルフレッドが浮かぶのをやめて、体を起こす。
「あれ、僕たちは浴槽で入ってたけど」
「そりゃあ、アルたちにタライ使わせるわけにいかないもん」
「そうか、気づかなかった。手間をかけさせていたのか」
「いや、気にしないで。浴槽はあるけど、みんな横着して使ってなかっただけだから」
ミュリエルは浮かんだまま、アルフレッドと目を合わせる。
「お湯を沸かすのは大変なんだね」
「そうだね、お湯沸かして、運んでってなるとね。夏は川で体洗えばいいから楽なんだ」
アルフレッドの顔が歪んだ。
「それは……。誰かに見られるのでは?」
「大丈夫だよ。こういう大きなシャツ着て洗うから」
すっかり透けて、体に張りついているシャツ。アルフレッドは言葉を失う。ミュリエルはアルフレッドの表情を見て、ガバッと立ち上がった。
「え、もしかして気にしてる? よく考えて、誰も私をのぞかないよ」
「ミリー、男というのはね、そこに入浴してる女性がいれば、見たがる生き物だよ。……と思う。僕はミリーしか見ないけど」
ミュリエルは呆れ顔で、首をブルブル横に振る。
「いやいや、気配ですぐ気づくから。それに、もしのぞいたら、父さんにぶっ殺されるよね」
「ああ、そういえばそうだった」
絶対許さないであろうロバートの顔を思い出して、アルフレッドはやっと気持ちが落ち着いた。
「でもそっかー、温泉始まったら、見張りつけた方がいいかな?」
「護衛は外にたくさんいるけど?」
「私たちじゃなくて、他の女性たち」
「ああ、そっちか」
正直、ミュリエル以外の女性がのぞかれようが、アルフレッドにはどうでもいい。だけど、ミュリエルが悩んでいるので、アルフレッドも考える。
「でも見張りする人、体が冷えちゃうよねえ。かわいそう。あ、鳥に見張ってもらおう、そうしよう」
ミュリエルはいいことを思いついた。フクロウに言えば、適当に鳥に指示してくれるだろう。フクロウを便利に使うミュリエルである。
「あったまると、腰の痛みが楽になった気がする」
お腹が大きくなって、腰が反り気味になるせいか、違和感があったのだ。
「血の巡りがよくなると、痛みが改善すると聞いたことがある」
「そうなんだね、じゃあヨハンに入ってもらおう。働きすぎだもん」
ミュリエルはニコニコする。
「がんばってくれたデイヴィッドとユーラもだし。寒い中、外で見張ってくれてる護衛もだし。領民、全員に入ってもらおう」
「入る順番を決めないとな。お湯がドロドロにならないだろうか」
「早速デイヴィッドに相談してみよう」
ミュリエルはいそいそとお湯から出て、さっさと着替えを終える。アルフレッドの着替えを手伝って、コートをしっかり着込み外に出る。
「さむっ」
風に吹かれてミュリエルは震え上がった。アルフレッドは即座にミュリエルを脱衣所に連れ戻す。
「湯に入ったあと、外に出るのはまずかったな。ミリーに風邪をひかせるところだった」
アルフレッドは護衛に命じて、毛布を持ってこさせると、ミュリエルを毛布でグルグル巻きにした。モコモコのミュリエルをアルフレッドはヒョイっと抱えると、足早に歩いて行く。
「アル、自分で歩けるよ」
「いや、ミリーが冷えるといけない。急いで戻ろう」
城に戻ると、アルフレッドは暖炉の前にミュリエルをおろす。
「寒くないか? 温かいお茶でも飲みなさい」
ダイヴァが急いでお茶をいれてくれる。しばらくすると、デイヴィッドがやってきた。
「ミリー様、気が利かず、申し訳ございませんでした。湯冷めのことを考えておりませんでした」
「そんなこと気にしなくていいから。お風呂すごく気持ちよかったよ。大変だったでしょう、ありがとうね。デイヴィッドも入ってきなよ」
「いえ、あのお風呂場はミリー様とアル様専用ですから。領民用ができたら入らせていただきます」
「え、なんで? お湯がもったいないじゃない。ずーっと垂れ流してる感じだよね。せっかくだから、領民が全員入ればいい。数人ずつ順番に入ればいいんじゃない? そしたら、泳げるし、ゆっくりできるよ」
デイヴィッドは救いを求めてアルフレッドを見た。
「ミリーは、湯を独り占めしたくないんだ。皆が入ればいい。ひと月もあれば、全員が一巡できるだろう」
「しかし、ミリー様が浴びられたお湯を、他の男が使うのは許されないことでは?」
「いやいや、川と一緒だから。川で水浴びするとき、誰もそんなこと考えないでしょう。だって、お湯がずーっと流れてるんだよ、川と同じじゃない」
「まあ、そう言われてみれば、そんな気もしますが……」
アルフレッドがうなずいたので、デイヴィッドは諦めることにした。
「領民が入る前に、湯冷めしない工夫を何かしてほしい。皆が風邪をひくと困る」
デイヴィッドは目をつぶって、じっと考えこんだ。
「お風呂場に一番近い屋敷まで、通路を繋げましょう。そこでしばらく休んでからお城に戻ればいいのではないかと」
「そうしてくれ」
突貫工事で簡易的な通路が建てられた。屋敷の暖炉には火が入れられ、そこでのんびりできる。領民たちは順番にお風呂に入ることになった。まずはデイヴィッド、ヨハン、ユーラが入る。
「いいな」
「いい」
「疲れがとれるわー」
三人の男は仰向けでプカプカ浮かんでいる。
「働いたあとに風呂に入れると、最高だな」
「このあと、酒飲もうぜ」
「いいな。そのまま寝てしまうかもしれない」
「あの屋敷にマットとかソファーをたくさん置こう」
「いかがわしいことをするヤツが出ないだろうか」
「いたら叩き出せばいいんじゃないか」
「そうだな」
ユーラが突然立ち上がって、デイヴィッドをじろじろ観察する。
「デイヴィッド、お前、顔だけじゃなくて、体も完璧なんだな」
デイヴィッドはイヤそうに、浮かぶのはやめて膝を抱えて座った。
「そんな目で見るな」
「そんな目って、芸術家の目だ、これは。お前をほらせろ」
「はあっ?」
デイヴィッドは目をむいて叫んだ。
「お前の彫刻を作りたい」
「ああ、そっちか」
デイヴィッドは体の緊張をといた。
「俺は自分を売り物にするつもりはない」
「デイヴィッド、美しいものは共有すべきだ。神から与えられた完璧な肉体、人々に見せるべきだ」
ユーラはしつこく食い下がる。
「まあなあ、デイヴィッドがイヤがる気持ちは分かる。お前、そういうの嫌いだろうし。でも確かにデイヴィッドの見た目は芸術的だ。クルトの歌やゲッツのオルガン、ユーラの絵と同じだ。世に広めたいというユーラの思いも分かる」
ヨハンの言葉に、デイヴィッドはため息まじりに答えた。
「家族に相談する」
イローナは大爆笑し、デイヴィッドを焚きつけた。パッパとミランダはもう少し慎重だ。
「デイヴィッドが少しでもイヤなら、やめるべきよ。だって、私たちこの見た目のせいで、いらない苦労をたくさんしたもの」
「顔はなしで、体だけの彫刻にすればいいじゃない。それで、閲覧料をふんだくればいいわ」
イローナがこともなげに言い放つ。
「俺は金はいらん。俺の体は売り物じゃない」
「そしたら、お金以外で兄さんが欲しいものをもらえば。例えば、気立のいい嫁候補の紹介とか」
デイヴィッドはイローナを見つめる。
「嫁候補の紹介はいらんが、そうだな……。欲しいものならあるな」
「なに?」
「その人の持っている技術を、領民に教えてもらいたい。ラウル様とセファ様の教室みたいに。フェリハ様しか知らない伝統的な刺繍とか。ラグザル王国の剣術とか。高位貴族なら、秘匿している技術や知識があるだろう」
イローナは少し心配そうにデイヴィッドの顔をのぞきこむ。
「それ、兄さんにはたいして得にならないけど、いいの?」
「領民が賢くなれば、領地が栄える。そうすれば交易が増える。俺の嫁候補が現れるかもしれない」
「すんごい遠回りだけど、領地のためになるなら嬉しいよね」
「ああ、俺の見た目も役に立つと思えるのはいいな」
デイヴィッドは晴れやかに笑った。
選ばれた者しか見ることのできない、顔のない美神像。貴族のご夫人たちの間で、密かに話題になる日は近い。




