121.好循環
最近ミュリエルはゲップが止まらない。泡をプカプカ吐く魚みたいな気分だ。
「我慢すると気持ち悪くなるので、気にせず出してください。炭酸水を飲むと、ゲップが楽に出せるのでオススメです」
ナディヤに言われて、ミュリエルは炭酸水を持ち歩き、ケプケプしている。無理にゲップしようとすると、余計なものまでせりあがってくる。炭酸水を飲むと、スルッと空気だけ吐けるのだ。口の中が酸っぱくならず、とてもいい。
胸は大きくなった、でもなんだか黒い。嬉しいのか残念なのか、微妙なところだ。おへそが服にすれて痛い。おへそのところに柔らかい布をあてるとましになった。色んな変化を、ミュリエルはゆっくり受け入れた。
「みんなこうやって、お母さんになったんだね。大変だったねえ」
ミュリエルは周りのお母さんたちを尊敬の目で見る。ミュリエルにとっては、彼女たちは歴戦の勇士であり、一緒に苦楽を共にする戦友だ。
「母さんにも手紙書いて送ろうっと」
「それが何より嬉しいですよ。子どもに労ってもらえるなんて、それにまさる喜びはありません」
ダイヴァが優しく言った。ミュリエルはせっせと鳥便を活用する。
温泉の準備は少しずつ進んでいる。水路が巡らされ、温かいお湯が通るので、通りの雪解けが早いそうだ。
「洗濯が楽になりました」
「なんだか、今年の雪は寒さがましな気がします」
女性たちは喜ぶ。寒い冬の水仕事は、手が赤切れになる。指先がパックリ割れて、悲鳴を上げることも多々あった。今年はそれほどひどくならない。ミランダおすすめの手のクリームが、惜しげもなく提供されるのも大きい。
「こんな高価なクリーム、私たちが使っていいのかしら」
「試作品だから、どんどん使って意見を言ってもらえると嬉しいわ」
最初は遠慮していた女性たちも、そう言われて気にせず使うようになった。手がしっとりスベスベだと、若返った気持ちになれる。
「使ったあと、手がベタベタして、触ったものに指のあとがつくのが困ります」
「寝る前に使えば気にならないわよ」
「では、日中と寝る前でクリームを別にしましょう。日中用はベタつきをおさえてもらうわね」
ミランダは仕事ができて誇らしげだ。パッパはもう開き直って、ミランダを化粧品の広告塔として大々的に打ち出すことにした。カシミールに描いてもらったミランダの絵を、商品の箱や説明書に入れる。購買意欲が上がると、女性たちに評判だ。
ミランダがイキイキして、楽しそうならそれが一番ではないか。パッパはミランダを独り占めしたい気持ちに、折り合いをつけた。
ミランダの本も順調に進んでいる。美容だけではなく、妊娠や産後のあれこれもまとめることになった。ミランダとナディヤの対談形式である。
「こういうの、私が妊娠中に欲しかった」
「とにかく不安になるじゃない。人に聞いても、それぞれ言うことが違うし」
「ナディヤ先生の専門的な知識を、簡単な言葉で教えてもらえるってありがたいわよ」
「だって、王族の主治医でしょう? 身分の低い貴族や平民にとっては、信じられない幸運よねえ」
「では、各領地に数冊ずつ届けることにしよう。費用は王家でもつ。これで妊婦や赤子の死亡率が下げられるなら、なによりではないか」
アルフレッドは王宮と鳥便でやりとりして、さっさと予算を確保した。
「もし、他の病気などについても、簡単に冊子にできればいいですよねえ」
パッパの言葉に、アルフレッドも同意する。
「医者の質を一定に保てるな。それに、民が健康になれば国力が上がる」
王宮主導で、医学冊子が作られることになった。医術や技術を秘匿したい抵抗勢力もいたが、王宮は大なたをふるって断行する。
「陛下たっての希望であらせられる。協力的でない者には、今後の補助金の額を大幅に減らす」
ローテンハウプト王国では、最新の医療技術が学べる。そんな評判が各国でウワサになり、優秀な医者が留学にくるようになってきた。
ヴェルニュスがきっかけで、王国全体がよいうねりを見せる。そんなことはヴェルニュスの領民は全く気づいていない。ただ、平和で穏やかな冬の日々。
とにかく毎日、雪が降る。農作業がない分、時間を宿のために使う。家具が移動され、壁紙や絨毯に手を加え、部屋ごとに趣を変えた。
結婚する人は、衣装の刺繍に時間を割く。仕事の早いイローナは、とっくに刺繍を終え、宿の仕事に戻った。ミュリエルは少しずつハンカチに刺繍を入れている。最初の魔牛ハンカチは、アルフレッドに大絶賛された。
「これを持っていると、仕事に集中できる」
喜ばれるとミュリエルは嬉しくて、一層精を出す。二作目は、二羽の白鳥がお互い向き合って、クチバシをくっつけ、ハート型を作っているもの。アルフレッドは元より、ジャックに涙ながらに絶賛され、ミュリエルは引いた。
「え、そんなに気に入ったなら、ジャックの分も作ろうか?」
「滅相もございません。ミリー様の刺繍は、全て殿下にお贈りください」
ジャックはささっと冷静な顔に戻ると、うやうやしく断った。そんなに白鳥がいいのかしら。ミュリエルは三作目は、白鳥の後ろをヒナが七羽ついて歩いている刺繍にする。ミュリエルの刺繍の腕は、随分上がってきた。四つの端に同じ柄を刺繍したので、随分豪華だ。
「これなら売れるんじゃないかな」
得意満面のミュリエルに、イローナが遠慮がちに言う。
「売れるとは思うけど、売らない方がいいよ。ミリーの刺繍は、アル様だけにあげて」
「そうするね」
ミュリエルがあっさり言ったので、周囲の人はホッとひと安心だ。もし売り出すなんてことになったら、アルフレッドが全て買い占めるに違いないのだから。夫婦間でお金が動くだけ。無意味である。
職人たちは張り切っている。宿泊客に自分の品を直接売れるのだ。パッパを介さない分、身入りが増える。パッパは全く気にもとめていない。
「どんどん直接売ってください。お客さまとじかに接するのは、商品を良くするいい機会ですよ。でも、ずっと店番すると作る時間が削られますね」
「確かにな、毎日ちょっとなら店番できるけど、ずっとは無理だ」
職人たちは考えこむが、パッパはすぐに遊んでいる子どもたちに目をつけた。
「子どもたちに店番をやってもらいましょう。子どもたちにはきちんと時間給を支払ってください。計算については、冬の間に教え込みましょう」
子どもたち向けの、読み書き計算教室が開かれるようになった。教師役はラウルとセファだ。
「おふたりとも王族ではないですか……」
親たちは遠慮したが、アルフレッドは強行する。
「人に教えるのは、ふたりにとっていい経験になる。どう噛み砕いて教えるか、工夫が必要だからな。特に子どもはすぐ興味を失う。試行錯誤することは、ふたりの成長に結びつくだろう」
ラウルとセファは何度も壁にぶちあたっては、ふたりで相談するようになった。
「ええー、全然聞いてもらえないんだけど。前回教えたことも、きれいさっぱり忘れてるし。なんで?」
セファには意味が分からなくて、頭をガリガリかく。そんなに難しいことは教えていない。なぜつまづくのか。ラウルはセファの肩にポンっと手を置いた。
「セファ、皆がみな、そなたのように頭が良いわけではないのだ」
「一回聞いたら覚えない?」
「それを、その辺の子どもに言ったら泣かれるか、殴られるであろう。余も一回で覚えられることばかりではないぞ」
「大変だねえ」
セファはやっと、一度聞いただけでは理解できない子がいると、分かってきた。セファは運動が苦手だ。一度で乗馬しろと言われると困るな、フンフンと頷く。
「うむ。毎回、試験をするのが良いのではないか。順位をつければ、張り合うかもしれぬ」
「優秀な子にはお菓子あげよっか」
「それはよいな。料理人に相談にいこう」
料理人は喜んで張り切った。子どもたちが好きそうな、でも滅多に食べられない、特別なお菓子をたくさん作ってくれる。
子どもたちは、珍しいお菓子に目の色を変えた。今まではとりあえず聞いているフリをしていた子が、積極的に質問するようになる。
セファとラウルはご機嫌で試験の採点をこなす。
「うむ、できなかった子が、できるようになると、嬉しいものだな」
「やる気を見せてもらえると、こっちもやりがいが出るね」
「我が国でも、平民向けの教室を開くよう、父上に手紙を出してみよう」
「僕もおばあさまに送ってみる」
三か国の不可侵条約が締結され、三国間で知識や制度の共有が図られる日も近い。
いつの間にやら第四部です。どこまで書けるか分かりませんが、ネタが思いつく限りは続けたいと思います。需要がありますように。