12.男たちの攻防
「ブラッドおはよう〜」
「ミリーおはよう、元気だな」
「昨日は四人もの男性を助けたからね」
「……詳しく」
ミュリエルは身ぶり手ぶりをまじえながら、迫真の演技で昨日の騒動を伝える。図書館なので、超小声だ。
「フランツは見通しが暗いけど、その高位貴族は脈アリでは? よかったな」
ブラッドがそう言ってくれて、ミュリエルは嬉しくなった。
「うん、でもぬか喜びにならないようにしないと。引き続き尾行は続けるよ」
ブラッドがスーッと館内を見回した。
「今日はあそこにマティアスがいるよ」
「マティアス・コーパー男爵子息。次男。法律を専攻予定。ほほー賢そうだね。じゃあ、つけてくるね」
今日はマチルダの作戦を試してみるつもりだ。マチルダは恋愛小説が大好きで、色んな出会いの場面に詳しい。ウキウキしながら色んな案を提案されたけど、難しいものが多かった。
沈没間際の大型船での出会いなど、そもそも陸上では不可能だ。娼婦になって街角で立ちんぼをしてるときに、貴族に買われるとか。母が泣くぞ。
あとは幼馴染との純愛とか。ミュリエルの幼馴染はみんな領地にいる。今さらあいつらと結婚する気にはなれない。あいつらもミュリエルを女だと思っていない。
マチルダが熱く語れば語るほど、ミュリエルの目が白くなったものだ。マチルダの案の中で、比較的できそうなものを早速やってみよう。
ミュリエルは狩りのときと同様に気配を消して、マティアスに近づく。マティアスの手に集中し、今だっ。
「あ、ごめん」
「キャッ ごめんなさい」
『四大国の法律比較論』の背表紙の上で、ミュリエルとマティアスの手が重なった。
「あの、私は違う本を読むのでどうぞ」
両腕をギュッと寄せ、胸を強調しながら上目遣いに本を差し出す。
「あ、ありがとう」
マティアスが戸惑いながら本を受け取る。ミュリエルはマティアスの視線を意識しながら、ゆっくりと違う棚に移動する。
同じことを二回繰り返し、ミュリエルは潮時だと判断した。やり過ぎ注意とマチルダに言われていたのだ。
達成感を味わいながら、ミュリエルは図書館を出た。
◆◆◆
「リチャード・セレンティア子爵、突然呼びだてしてすまない」
「アルフレッド王弟殿下のご用命とあらば、いつなりと」
かくしゃくとした老貴族が柔和だが油断のない目つきで、アルフレッドに相対する。
「僕はまだるっこしいことが嫌いだから、単刀直入に言おう。セレンティア子爵の孫娘、ミュリエルのことだ」
椅子の肘かけに置かれたセレンティア子爵の手がわずかに動く。
「ミュリエルが何か?」
「彼女に惚れた。婿入りしたい。手伝ってくれ」
セレンティア子爵がわずかに後ろにのけぞった。
「これはこれは……。なんのご冗談でしょうか。まだ昼間ですぞ。酔うには早すぎませんか、殿下」
「先日の夜会で、ヨアヒムが倒れた件は?」
「はい、原因不明で調査中とのことでしたな」
「ミュリエルがやった。このガラス玉で」
カタリとガラス玉を机に置く。
「なっ……」
「不敬罪に問うつもりはない。……今のところは」
セレンティア子爵が探るような目でアルフレッドを見る。
「何がお望みですか」
「僕がミュリエルに婿入りするには、ヨアヒムに王位を継いでもらわないといけない」
「ルイーゼ・エンダーレ公爵令嬢との仲をとりもてと、そういうことでしょうか?」
「いや、そっちはこちらでなんとかする。セレンティア子爵には、エンダーレ公爵の派閥に入ってもらいたい」
セレンティア子爵は眉間にシワを寄せて黙った。
「悪い話ではないはずだ。エンダーレ公爵はいずれヨアヒム新国王の元で権勢を誇る。あなたは王弟を婿入りさせたミュリエルの祖父としての立場を得る」
「…………」
アルフレッドは押し黙るセレンティア子爵に、片眉を上げて問いかける。
「セレンティア子爵がミュリエルの母君と縁を切って、十八年?」
「十九年、まもなく二十年になります。手塩にかけて育てた愛娘シャルロッテを、あの男が……あの山猿め。裸足の男爵と揶揄される貴族崩れのロバート・ゴンザーラが……」
セレンティア子爵が真っ赤になった。肘かけの上の手がブルブル震える。
「それだけ魅力があるのだろうね、ミュリエルの父君は」
アルフレッドはサラリと追い討ちをかけた。
「ありえません。あんな田舎の、礼儀知らずで教養も何もない……。平民と共に石を持って野山を駆け回るのですぞ。シャルロッテは、淑女として完璧に育てました。公爵家との婚約話もあがっていたというのに」
「それをロバート卿がかっさらったと……」
アルフレッドは片ひじをついて、伸ばした二本の指にこめかみを預ける。
「なぜだ、私には分からない。貴族女性として最高の幸せを用意してやったというのに。聞けば、ミュリエルはろくな淑女教育を受けておらぬというではないですか。なんなら今からでも私が手配して……」
「いや、それには及ばない。ロバート卿とシャルロッテ夫人は、わざとミュリエルに淑女教育をほどこしていないと思われる」
「なぜです、それではまともな婚約者が望めない」
セレンティア子爵は必死の表情でアルフレッドを見た。
「ミュリエルに淑女教育をほどこして、普通の貴族子息を婿入りさせたとして、結婚生活が続くとでも? よくてひと月、下手したら三日で逃げられる。あの領地は、普通の貴族が暮らせる土地ではない」
「しかしそんな……」
「破天荒なロバート卿に心底惚れたシャルロッテ夫人。子どもは六人でしたか?」
セレンティア子爵が頷く。
「あなたの娘は幸せだ。例え靴を履かなくてもね」
セレンティア子爵は下を向いた。
「どんな女にもなびかなかった僕が、野生的なミュリエルに骨抜きになった。王弟を落とせる娘を育てた。それがロバート卿とシャルロッテ夫人だ。たいしたものだと思わないか」
「………」
アルフレッドは優しく言う。
「僕とミュリエルの結婚式の最前列を約束しよう」
「領地への訪問もお許しいただきたい」
セレンティア子爵が落ち着いた声で答える。
「分かった」
「お申し出を謹んでお受けいたします」
ふたりはしっかりと手を握った。
「結婚が決まったら、僕のことはアルと呼んでください。リチャード義祖父殿」
「それはまた気のお早いことで」
セレンティア子爵の顔がようやくほころんだ。