118.刺繍に思いをこめて
仕立て職人たちは大忙し。数々の結婚衣装が依頼される。もちろん、最優先はミュリエルだ。
ミュリエルの衣装部屋に、様々な布がズラリと並べられる。パッパが取り寄せたもの、フェリハが持参したもの、元々ヴェルニュスにあったもの。
ミュリエルは深い緑色の布を手に取って、体に当ててみる。
「前は赤着たから、今度は緑にしようかな。お腹がどこまで大きくなるか分からないから、調整できるようにしてほしい」
「かしこまりました。ヒダを寄せておいて、ほどいて調整できるようにいたします」
仕立て職人の女性は、小声で続けた。
「ミリー様、お胸が大きくおなりです。そちらも調整できるようにいたしますね」
「やっぱり! やっぱりそう思うよね。妊娠すると胸が大きくなるって姉さん言ってた。わーいわーい」
ミュリエルは小躍りする。
「これって産んだ後もそのままかな?」
「……授乳期間が終わると徐々に、そのー、元に戻る女性が多いかと……」
ミュリエルは肩を落としてしょんぼりした。女性は慌てて言葉を続ける。
「ミリー様は神のご加護があついですから、そのままいけるかもしれません」
「毎日祈るね! だって、アルもきっと大きい方が嬉しいよね」
「アル様は、例えミリー様の胸がえぐれていようが、大丈夫だと思います」
女性はきっぱり言い切った。周りで聞いていたイローナやフェリハも力強く頷く。
「そっかな。でもえぐれて欲しくないから、毎日祈るね」
次はフェリハの番だ。
「私はまあ、適当でいいんだけど、セファよ。あなた、ドレスにする? それとも男性用がいい?」
セファはすごく迷った様子を見せる。
「じゃあ、上着とズボンにして、かわいい感じにする? 少し袖を広げたり、襟と裾にレースつけたり」
セファが笑顔でフェリハを見る。フェリハはセファを抱き寄せた。
「じゃあ、そうしましょう。色は青っぽい緑色がいいかしらねえ。海と森の色。薄い茶色で刺繍をすれば、砂漠の民にも怒られないわ」
フェリハとセファは、もうすっかり母子になっている。当初は距離をつかめず挙動不審だったセファ。フェリハは気にすることなく、自然に接した。セファも今は緊張せずにフェリハと話し、甘えられるようにもなってきた。
母子ふたりで仲良く刺繍の柄について話し合っている。
イローナは自分に似合うものをよく知っている。どういうドレスがいいのか、テキパキと伝える。
「色は水色ね。胸の下からフワッと広がるドレスがいいわ。春らしくオーガンジーがいいわねえ。刺繍はブラッドの瞳に合わせて、薄い緑色でするわ」
イローナは瞳の色と同じ水色の、上品な透け感のある布を巻きつける。イローナがクルリと回ると、ヒラリふわりと布が広がる。
「わあ、素敵ねえ」
華やいだ声が女性たちから上がった。
「あんまり刺繍すると、布の軽やかさが活かせないから、刺繍は裾だけにしようかな」
「そういう手があったか」
ミュリエルが思わずこぼす。
「うーん、ミリーの衣装はアル様に合わせないといけないから、裾だけって訳にはいかないんじゃない。領主だしね、派手にバーンと金糸で魔牛入れないと」
「母さんたちに頼んでよかった」
ミュリエルが胸に手を当てて、大げさにホッとしてみせる。
ミランダが部屋の隅でうらやましそうに見ていたニーナを呼び寄せる。
「ニーナ、あなたも衣装を頼んでおきなさい」
ニーナは目を丸くする。
「え、でも、あのーそのー」
「来年の春まで時間があるもの。ダメでも、使い道はあるから」
「ニーナ、誰か好きな人がいるの?」
ミュリエルがニーナににじり寄る。
「いえ、そんなことは。とんでもない」
「女の子が好きになるって、王子様か、それとも自分を助けてくれた人か」
イローナも目を輝かせてニーナに近寄った。恋バナが大好きなお年頃だ。ミュリエルとイローナはグイグイ問い詰める。
「ラウル?」
「クルトでしょう」
イローナを見てニーナが真っ赤になる。ミュリエルが首をかしげた。
「ラウルなら分かるけど、クルトって年が上すぎない? というか、ニーナはまだ結婚できる年じゃないよね?」
「クルトは二十九歳です。私は……十七歳です。実は」
ニーナが小さい声でささやくように言う。
「え、年上だったの!」
ミュリエルとイローナが口をあんぐり開けた。
「黙っててごめんなさい。年上だけど、ミリーお姉さまって呼びたいです」
ニーナはひしっとミュリエルの手を握りしめる。
「それは、好きなように呼んでもらえばいいんだけど。へー、そっかー、クルトかー。うまくいくといいねえ。せっかくだから作っておきなよ」
ニーナはフルフルと首を横に振る。
「あの、でも、お金がないので」
「お金なら私が払うから」
ミランダとフェリハの声が揃う。ふたりは顔を見合わせてクスリと笑った。
「とにかく、お金の心配はしなくていいから、ね」
ミランダに優しく言われ、ニーナは照れくさそうに頷く。
「では、ニーナさん。肌着になってください」
仕立て職人に言われ、ニーナはいそいそと服を脱ぐ。
誰かの息を呑む声が聞こえて、ニーナはハッと慌てて腕を隠した。腕に無数に入った切り傷。フェリハは泣き崩れた。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさいね。あなたの腕をこんなに……」
部屋に沈黙が広がる。ニーナはオドオドしながら声をかけた。
「フェリハさんのせいじゃないですから。気にしないでください」
「ニーナ、傷あとに効く軟膏があるの。毎日塗れば、きっとよくなると思うわ。さあ、フェリハさんも。親のしたことを、子どもが背負う必要はないわ」
ミランダの言葉に、フェリハは力無くうなだれる。
「それでも、せめて償いをさせて。衣装代だけじゃ、全然足りない」
「あ、あの、フェリハさん。そしたら私に刺繍を教えてください。アッテルマン帝国の伝統の刺繍。私はそれほど詳しくないので」
「いいわ、いくらでも教えるわよ。軟膏も私が塗るからね。治るように、神に祈るわ」
フェリハはニーナの手をとって、額に当てる。
「クルトさんには手を出さないよう、女性たちに言っておきますね」
ダイヴァの言葉に、ニーナは恥ずかしそうに笑った。
仮縫いをこなしながら、徐々に衣装ができるのを待つ日々。本縫いまでに刺繍の図案を女性たちが話し合う。
「羽とボタンかー。一見そうとは分からない方がいいよね。よく見ると分かるぐらいがいいかな。羽のフワフワ感は出したいなあ」
イローナは紙に図案を書き散らしながら、布見本に色んな糸を当てて見ている。
「ニーナはどんな図案がいいの?」
手取り足取り教えているフェリハが優しく聞く。
「音符とか楽譜とか、歌に関係するのがいいです」
「歌ってるクルトと、踊ってるニーナはどう?」
ニーナは手を打って目を輝かせてフェリハを見る。ニーナは柔らかい緑の布見本を広げ、フェリハが茶色の糸を合わせた。
「私も刺繍することにした」
ミュリエルが机にハンカチを積み上げる。イローナが興味津々でハンカチをつまむ。
「何を刺繍するの?」
「魔牛でしょう、白鳥にウサギ、雁とか鹿とか。アルとの思い出の動物」
ミュリエルがニコニコしながら針と糸を持つ。イローナは吹き出した。
「ミリーらしくていいね。アル様も喜ぶと思う」
「アル様なら、例えミミズの刺繍でも喜ばれるでしょう」
皆が大真面目に言う。
「あんまり上手じゃないんだけど」
「ひと針ひと針、糸がねじれないように、丁寧に刺せばいいのよ。ゆっくりね。ミリーの指が血まみれになると、アル様が心配するから」
「はーい」
ミュリエルは真剣な眼差しで魔牛を刺繍する。
「変な女がアルに寄ってきませんように」
最強の虫除けハンカチができそうだ。