116.美貌の秘訣
パッパたちがヴェルニュスに戻ってきた。
「ようこそいらっしゃいました。イローナのお姉さんですね。デイヴィッドにそっくりですね」
ミュリエルはニコニコしながらパッパの隣の女性に話しかける。女性は可憐な笑顔を見せた。
「ミリー様、初めまして、ミランダです。イローナの母です。いつも家族がお世話になって、ありがとうございます。職人の家族がみつかって、レオもすっかり元気になりました。なにもかも、ミリー様のおかげです」
「ハハ……」
ハハってなんだっけ。ミュリエルが首をかしげていると、イローナがそっと言う。
「アタシの母さんよ」
「カーサン」
「父さんの嫁」
ミュリエルはまじまじと目の前のお姉さんを見る。お姫様のようなミランダと、イローナの母さんという言葉がなかなか結びつかない。
「ミランダさんは、あのー、おいくつで……」
ミュリエルは初対面で失礼なことを聞いてしまい、しまったと口をふさぐ。
「四十です」
「うちの母さんより年上」
ウィリアムとハリソンが固まった。
「ミランダさんの美と若さの秘訣を本にしたら、売れるのでは?」
大分イローナに感化されているミュリエルがポツリとこぼした。ミランダはパアッと輝くような笑顔を見せる。イローナとデイヴィッドはスッと視線をそらし、パッパは真っ青だ。
「まあ、私の本? 素敵だわ。私でもお金を稼げるかしら」
「私、買うわ」
フェリハが満面の笑みで手を上げる。
「私も買います」
ダイヴァがはにかみながら言った。
「ほらー」
ミュリエルは得意気に胸をはった。
「レオ、私の本、売れるかしら?」
キラキラと輝く目で、ミランダはパッパに聞く。パッパは青い顔で固まったままだ。
「う、ううううう、売れる」
「まあ、嬉しい」
「でも、でもでも、ミランダ、有名になったら今より危なくなるよ」
「ああ、そうねえ」
ミランダは少し悲しい顔になる。イローナがため息を吐いた。
「父さん、正直に言いなよ。母さんが人気者になるのがイヤなんでしょう? まあ、確かに危なくなるとは思うけど」
パッパが顔を両手で隠した。パッパの耳が真っ赤だ。
「だって、ミランダは私だけのミランダでいてほしい」
ミュリエルたちはポカーンと口を開けた。パッパが乙女になってる。
ミランダはパッパの両手を優しく顔から外し、じっと目を見る。
「レオ、私はずっとあなただけのミランダよ」
「ギャーやめてー」
イローナとデイヴィッドが目をつぶって、耳をふさいだ。ミランダは全く気にしない。
「レオ、私もお金を稼いでみたいの。そして、自分で稼いだお金で、あなたに何か贈り物をしたい」
「分かった」
パッパはウルウルしながらミランダの手を握りしめる。薄目を開けたイローナとデイヴィッドは、そろそろと手を耳から離した。
「まとまった?」
イローナがミュリエルに聞く。
「う、うん、多分。よく分かんないけど」
「そう、じゃあ後のことは私と兄さんでやるから。父さんは母さんのことになると、使えないから」
イローナはバリっと手を取り合う両親を引きはがした。
「待て、夫婦の時間がー」
「レオ、こうしましょう。ごはんの時間は仕事はしない。夜ごはんから、朝ごはんまでは夫婦の時間」
「ああああーーー」
パッパはデイヴィッドに引きずられて部屋を出ていった。
「では、女性だけで話をしたいと思います。恐れ入りますが……」
イローナの言葉に、アルフレッドたちは苦笑しながら部屋を出る。フェリハとダイヴァはさっとミランダをソファーに座らせ、隣を固める。セファとニーナはしれーっと、ミランダの後ろに立った。
話を聞きつけた女性たちが、ぞろぞろと部屋に入ってきて、壁際に並んだ。イローナは紙とペンを手に、対面のソファに座る。ミュリエルもイローナの隣に座った。
「では、本の内容を決めたいと思います。フェリハ様はどんなことが知りたいですか?」
ミランダの肌を凝視していたフェリハは、ハッと姿勢を正してイローナを見る。
「そうねえ、ミランダさんの朝から寝るまでの行動を知りたいかしら」
うんうん、知りたい、壁際の女性たちが同意する。
「あら、とっても普通よ。朝起きたら、歯を磨いて顔を洗って、水を飲んで。軽く体操してから朝ごはん。招待状の確認。お昼ごはんまで走るわね。お昼ごはんのあとは、お茶会に出たり買い物に行ったり。帰ってきたら夕ごはんまで、走るか体操。日が暮れる頃には寝るわ」
「普通ではないと思うけど……。食事と用事があるとき以外は、運動しているということ?」
フェリハの問いかけに、ミランダはしばらく考える。
「あら、そうなるわねえ。私の毎日、すごく単純だわ。睡眠、食事、運動、社交ね。フフフ」
女性たちはミランダの笑顔にソワソワする。フェリハはうなった。
「空き時間はずっと運動……。真似できるかしら」
「昔はボーッとしてても、太らなかったんだけど。今はもうダメね。ちゃんと運動しないと、たるむの」
たるみがちな女性たちが下を向く。
「食べ物はどのようなものを?」
ダイヴァが聞いた。
「野菜中心に色々食べるわ。おなかいっぱい、ってなるまでは食べないわねえ」
おなかいっぱい食べるミュリエルは、さっと目をそらす。
「子ども産んだら、体がダルダルなんですけど」
壁際の女性がオズオズと言った。
「子ども産んでから、少しずつ体操するといいのよ。今からやっても大丈夫」
「やり方教えてください」
小さな子どもがいるお母さんたちが、目をキラキラさせている。
「あら、いいわよ。一緒にやりましょう」
ミランダは愛想良く笑う。部屋全体がホワホワした雰囲気になった。
真剣な目で考えていたイローナが、キリッとした顔で皆を見回す。
「『ミランダ様にお任せ』という主題で本をたくさん出しましょう。『これであなたも元通り! ミランダ様と産後の体操』『え、本当に四十歳!? ミランダ様の美容法』『この肉体はこうしてできる! ミランダ様の食事法』とか。色々出せそうだわ」
ミランダは嬉しそうに両手を握り合わせて、体をくねらせる。女性たちはポーッとして、無邪気に笑うミランダを見つめた。ひとりがそっと手を上げる。
「あのー、全部買いたいので、安くしてください」
皆の目がイローナに集中する。
「装丁を簡単に仕上げるわ。冊子と本の間ぐらい。そしたら安くできる。表紙に母さんの絵を入れましょう。ユーラは忙しいから、息子のカシミールに頼むわ」
「ミランダ様と体操教室ってのを、高級宿でやってもいいんじゃない?」
ミュリエルの言葉にイローナが、嬉々として手を叩く。
「いいわね、体操用の服も売りましょう。儲かるわよー」
「嬉しいわ。家族の中で、私だけなんにもしてなかったんだもの」
「何言ってるのよ、母さんはその美貌を保つのが仕事だったんでしょう。母さんが愛用する化粧品や服は、バカ売れするんだから」
「そうなの?」
「そうよー、父さんが内緒にしてたのよ。嫉妬深いから」
「あらあら、フフフ。私の本が売れたら、そのお金でイローナの花嫁衣装を作りましょう」
ミランダの突然の提案に、イローナの手からパタリとペンが落ちる。
「えっ。私まだ結婚する気なかったんだけど」
「ブラッドがかわいそうじゃないの。それに、早目に子ども産んだら、ミリー様のお子様とお友だちになれるわよ」
「ああー、なるほどねー。でもまだ十五……」
「そういえば、春になったら二度目の結婚式するってアルが言ってたような。イローナとブラッドも一緒にする?」
「する!」
ブラッドの知らない間に、来年の春に結婚式をあげることが決まったようだ。