11.血まみれの出会い
「夜会は楽しかったの?」
「うん、とってもおいしかった」
ミュリエルは満ち足りた表情でマチルダに答える。
「……おいしかった?」
「肉がね、色んなソースがかかってて。デザートも宝石みたいにキレイで」
「ああ、そうなのね。いい男はいたの?」
「それがねぇ、食べるのに夢中で……。ははは」
「ミリーらしいわ」
「次はがんばるね」
ミリーは腹ごなしに薪割りをして、薪を積み上げるとグッスリと寝た。自国の王子を気絶させたことは、すっかり記憶の彼方に追いやった。
翌日、ミュリエルが学園に行くと、門の前に人だかりができている。
「ミリーおはよう」
ブラッドに声をかけられた。
「どうしたのこれ。なんの騒ぎ?」
「今週いっぱい授業休みだって」
「なんで?」
「……そりゃあ、昨日の夜会の騒ぎを収拾させるためじゃない?」
「ああー」
すっかり忘れていたミュリエルである。
「図書館と訓練所は開いてるんだって。私は本を借りるつもりだ。ミリーも行く?」
「行く! 本は借りないけど、婿候補がいたら教えてくれない?」
「いいよ。そう言うと思った」
ブラッドはさらっと図書館を見回すと、さりげなくひとりの男子に目線を送る。
「あれがフランツだ」
フワフワの栗色の髪に、大きなメガネをかけたヒョロヒョロした男子生徒がいる。背はミュリエルよりわずかに低いが、ミュリエルが猫背になれば問題なさそうだ。
ミュリエルは虎の巻で確認する。
「フランツ・マッケンゼン男爵子息。四男。持参金は期待できそうにないけど、それなりに健康そうだし、いいかもしれない」
「がんばれよ」
「うん。……ねえ、ブラッドは明日も図書館来る?」
ミュリエルはチラリとブラッドを見た。
「そうだな、図書館で勉強してもいいよ。婿候補の顔が分からないんだろう?」
勘のいいブラッドはすぐ分かってくれる。
「そうなの。そしたら明日もこれぐらいの時間にくるね。なんか色々ありがとね」
「気にしなくていい。友だちじゃないか」
「うん。じゃあ、また明日」
ふたりは笑顔で別れた。
「やっぱり、危ない目にあってるところを、颯爽と現れて助けるのがいいと思うんだよね」
小さいときから、男女関係なく狩りをする領地で育ったミュリエルは、思考が男だった。
「誰かフランツを襲ってくれないかなあ。魔獣でもいいんだけど」
人の命をなんだと思っているのか。ミュリエルは勝手なことを願っている。
おっと、フランツが本を落とした。本を拾おうとしているぞ。あっ馬車がーー。
ミュリエルはフランツを抱えて道路脇に転がった。
「大丈夫ですか? 怪我はない? さあ、立ってください」
ミュリエルはフランツのずれたメガネをかけなおし、とびっきりの笑みを見せた。ばあさん直伝の色気ほとばしる笑顔だ。
「あ、ありがとうございます。服が汚れてしまっています。弁償させてください」
「それは……」
たいへんありがたい、と思ったが、ここで欲をかいてはいけない。ミュリエルは自制した。
「洗えば大丈夫ですから、お気になさらず。では失礼します」
ミュリエルはわざとゆっくり歩きだす。
「あ。あの……」
(よしっ)
「帽子忘れてますよ」
「あ、ありがとう」
なにごともなく別れて、ミュリエルはがっかりする。
(せめて名前ぐらい聞かんかい。ヘタレか)
「いや、助けてもらっても名前聞きたくないぐらいに、私に魅力がないってことか。せっかく都合よく馬車にひかれそうになってくれたというのに……」
ミュリエルはさらに落ち込んだ。部屋に帰って、婿候補一覧からフランツの名前を消した。
◆◆◆
アルフレッドはガラス玉を手の中で転がしながら、影たちが持ってきた情報を素早く吟味する。
「当たり前だが、ルイーゼ嬢とエンダーレ公爵は婚約解消を望んでいるか。しかし、ここで婚約解消されると僕が王位を継がなければならない……」
何かいいネタはないか。アルフレッドは書類を次々読んでは、隣に積み上げる。
「これは……ルイーゼ嬢が愛読している本か。ふっ、なるほど……。エンダーレ公爵には手っ取り早く利権、あるいは派閥……。このネタを使うか。……使うとなると、僕が覚悟を決めなければならないが……」
アルフレッドは書類をまとめると立ち上がった。黒色のカツラをかぶり、平民の服に着替える。護衛をひとり連れると街へ忍び出た。目的の家の前に着くと、影が目線で促す。
三人は無言のまま街中を抜け、森の中へ足を踏み入れた。
「いつもは湖付近で狩りをしています」
影がポツリと言葉を落とした。
アルフレッドは頷くと影の踏み分ける道をゆっくり静かに歩く。小鳥のさえずりと、小さな動物がたてるカサコソという音だけが聞こえる。大きな木の周りに少しだけ開けた場所があった。三人はしばし息を整えるために立ち止まる。
「前っ」
上から高い声が降ってきた。慌てて辺りを見回すと、土ぼこりがこちらにむかってくる。
「猪だっ」
影が焦った声を出し、剣を抜く。護衛も続いて剣を抜き、アルフレッドの前に出る。
石が三つ続けざまに放たれ、頭上からトンッと何かが飛び降りる。それは煌めく光をひるがえすと、次の瞬間、猪の首を切り裂いた。赤い鮮血がほとばしる。飛び散る血が少女の顔と腕を赤く染める。
「怪我は?」
「な、ない」
鋭く問われ、アルフレッドは慌てて答える。喉がカラカラなことに気づいた。
少女は猪の血を抜くと、注意深く血だまりに土をかけた。
少女はおもむろに巨大な猪を担ぐと、短く言う。
「ついてきて」
三人の男は足早に進む少女の後を追いかける。しばらく歩くと、湖が見えた。
少女は猪を下ろすと、水際まで行き腕と顔を洗う。水が赤く染まった。バシャバシャと何度も水をすくい、顔と腕をこする。しばらく腕を色んな方向にひねって眺めたあと、満足したのか、少女はアルフレッドの方に歩いてきた。
「お兄さんたち、森に入るなら香水はご法度。いい、二度としないで」
少女に厳しい顔で怒られた。
「動物たちがザワザワしてるから、気になって行ってみたからよかったものの。危うく三人とも失血死するところだったよ」
少女は濡れた服を絞って水を落としながら続ける。
「この猪だって、お兄さんたちが来なければ死ななくて済んだのに。この猪、お母さんなんだよ。子どもがあの辺りにいたの。だからあんなに怒って襲ってきたんだ。子どもたちが母親なしでいつまで生きられるか分からない」
少女に冷たい目で見つめられ、アルフレッドは恥ずかしくなった。
「すまない。好奇心で来てしまった。森には二度と入らない、約束する」
「うん。ここはね、貴族のご令息が来るような場所じゃないよ」
「……どうして貴族と分かった?」
「そりゃあ、平民は香水なんてつけないし。それに、お兄さんの手は貴族の手だ」
ほら、少女はアルフレッドの手の隣に、自分の手を並べた。傷ひとつない、爪の先まで柔らかな手と、傷だらけでゴツゴツと荒れた少女の手。
「それに、そっちのお兄さんは護衛でしょう? もうひとりのお兄さんはなんか妙な感じだけど……」
護衛と影がビクッとする。
「さあ、街の入り口まで送っていくよ。もう行こう、そろそろ暗くなる」
猪をかついだ少女を先頭にし、四人は静かに森を抜けた。
「ここまで来れば、もう大丈夫。じゃあね」
あっさりと行こうとする少女を、アルフレッドは慌てて止める。
「待ってくれ。何かお礼をさせてくれ」
「ええー、いいよそんなの。困ったときはお互い様でしょう」
「いや、それでは僕の気がすまない」
少女は照れながら言う。
「うーん、そしたらさ、誰かいい貴族男子知ってたら紹介してよ。婿がいるんだよね」
「分かった、必ず紹介する」
「本当? やったね。私、ミュリエル・ゴンザーラって言うの。ミリーって呼んで。これでも一応男爵家なんだ。学園に通ってるからね、いい人見つけたら、学園に連絡してくれる?」
「分かった、約束する。……僕でも候補には入れるだろうか?」
アルフレッドは平静を装って問いかけるが、胸は早鐘のように打っている。
「もちろん大歓迎だよ。でもお兄さん、相当上位の貴族だよね。所作がキレイすぎるもん。私の領地に婿入りは無理じゃないかな」
「いや、なんとか調整する」
アルフレッドはきっぱりと答えた。
「ホントにー? ははは、期待しないで待ってる」
「ああ、待っていてくれ、ミリー。僕は……名前は次会ったときに言うよ」
「うん、じゃあね」
猪をかついで悠々と歩いていくミュリエルの後ろ姿を、アルフレッドはいつまでも見送った。あの少女を手に入れるために、何をすべきか。アルフレッドの頭は高速で回転し始めた。
いつも誤字脱字報告をありがとうございます!!