108.新しい事業
ロウソクに火が灯り、大皿に盛られた軽食がたくさん運ばれてくる。アルフレッドが許可を出し、領民たちは食べながら興奮した様子で話している。
少し落ち着いたミュリエルをアルフレッドが支えて立ち上がらせる。広間は静かになって、ミュリエルに視線が集まった。
「みんな、ありがとう。すごく素敵だった。嬉しかった。また見せてね」
職人たちはワッと叫び、皆が肩を叩き合って喜ぶ。ミュリエルはニーナとセファとウィリアムを抱きしめる。
「すっごく上手だった。いっぱい練習したんでしょう? ありがとうね」
ニーナとセファは照れて赤くなり、ウィリアムは得意そうに肩をそびやかす。
「人形がすごく大きいね。あんなのよく動かせたね」
ヨハンが人形を持ってきた。
「実はそれほど重くないんです。ウィリーの思いつきで、下半身はほとんど衣装でごまかしているので」
ミュリエルは人形の上についている木枠を持って、動かしてみる。
「ほんとだ。意外と軽いんだね。でも、音楽に合わせて動かすのは難しそう」
「大変だった」
ウィリアムがしみじみと言い、ニーナとセファが頷く。
「後ろの絵はどうやって変えるの?」
ミュリエルの問いかけに、ユーラがミュリエルを小屋の裏側に案内する。
「この舞台の裏側に、板に描いた絵を順番に入れているのです。横側か上側にずらして引けば、新しい絵に入れ替わるのです」
「へえーすごいね。よくそんなこと思いついたね」
「若い時に旅行して、人形劇を見たことがあったんですよ」
「ああ、そうなのね。私は人形劇は初めて見たけど、ここのが世界で一番だと思う」
「それは間違いありません。ゲッツとクルトは最高の音楽家です。私もヨハンも超一流ですから」
ユーラが臆面もなく言い切った。ミュリエルはうんうんと納得の表情をしている。
「ユーラ、お前すごいこと言うな」
ヨハンが目を丸くした。
「能力を適切に測れるのも一流のあかし。仲間内で変に謙遜する必要もなかろう。我々はその道の第一人者だ。ただし、まだまだ研鑽は必要だがな」
「そうだな。足の動きが少しもたついた。上下の重さの違いだろう。もっと改良できる」
ヨハンとウィリアムが人形を見ながら話し始める。
イローナがちょんちょんとミュリエルをつついた。
「ミリー、デイヴィッド兄さんと話してたんだけど。ヴェルニュスに高級宿を作ろう」
「高級宿?」
「実はヴェルニュスを訪れたいという貴族が多いのです。手工芸も軌道に乗りました。売る物はたくさんあります。そして、この素晴らしい人形劇。これで十分、客を呼べます」
デイヴィッドが熱心に言う。珍しく柔らかい表情になっているので、遠巻きに見ていた女性たちが、ジリジリと近づいてくる。
「城塞に泊まってもらえばいいんじゃないの?」
「うーん、それはミリーとアル様の身内だけに留める方がいいと思う。警備の問題とかさ」
イローナの言葉に続いて、デイヴィッドも懸念点を述べる。
「人数が増えると、問題が起こりますしね。ここにはラウル様とフェリハ様もいらっしゃいますし」
「そっか」
アルフレッドが思い出したように言った。
「高級宿はいい考えだと思うよ。セレンティア子爵夫妻、ミリーのお爺さんとお婆さんには来てもらいたいし。そういえばセレンティア子爵に、結婚式の最前列を約束したんだ。宿ができたら、ヴェルニュスで結婚式をもう一度挙げよう」
「う、うん」
高級宿に結婚式。話しがどんどん大きくなって、ミュリエルは頭が混乱する。そんなミュリエルに救いの手が伸ばされた。
「ミリー様、ご安心ください。パッパが全て手配いたしますぞ」
「パッパ、いつの間に?」
パッパが部屋の奥から軽やかな足取りで近づいてくる。
「人形劇が始まる直前に、ギリギリ間に合ったのです。いやあ、心が震えました。最高です。これほどの人形劇は、私も見たことがありません」
「やっぱり!」
ミュリエルは誇らしくて鼻高々だ。うちの領民はすごいんだぞ、大きな声で触れ回りたいミュリエルである。パッパは、イローナとデイヴィッドの肩を抱くと、力強くふたりの案を後押しする。
「ぜひ高級宿を作りましょう。領民たちに新しい仕事を与えられます。現金収入は大事ですから」
デイヴィッドに惹かれて近づいてきた女性たちが、目を輝かせる。手に職のない女性たちにとって、高級宿の仕事は魅力的だ。狩りや農作業では足手まといだが、宿の仕事なら役に立てるのでは。女性たちはキラキラした目でパッパとミュリエルを交互に見る。
「そうだよね、屋内でできる仕事で、お金がもらえたらいいよね。でも、私は宿のことは何も知らないんだけど」
パッパが自信たっぷりにドンっと胸を叩いた。
「ご心配なく。経験豊富な支配人を雇えばいいのです。引退している経験者を何人か見繕います。ミリー様とアル様が気にいる者を選んでいただければ」
「パッパいつも色々ありがとう」
ミュリエルは心からお礼を言った。ミュリエルが困ったときに、いつもパッパが現れてうまく解決してくれる。いくらお礼を言っても言い足りない。そう思うミュリエルに、パッパは小さく首を振る。
「お礼を申し上げるのは私の方です。ミリー様のおかげで、儲かって大変です。従業員の給与を増やせましたし、優秀な人材も雇えました」
パッパはニコニコしている。ミュリエルはホッとした。お世話になりっぱなしだけど、儲かってるなら何よりだ。
隣でデイヴィッドとヒソヒソ話し合っていたイローナが、ミュリエルの前で祈るように手を合わせる。
「ねえ、ミリー。もし可能なら、空き家の家具を使わせてもらえないかな? 立派な家が多いから、いい家具がありそう」
イローナの問いかけに、ミュリエルは答えに詰まった。
「えーっと、それはどうなんだろう。持ち主の許可って取れるかなあ」
「既に住人が亡くなっている場合は、使っても良さそうな気もしますが。生死が定かではない場合も多いですね」
ダイヴァが自信なさげに言うと、アルフレッドはあっさりと了承した。
「まあ、いいのではないか。もし持ち主が現れたら、そのとき金を払えばいい。何をどの家から借りているかを記録しよう。そもそもヴェルニュスの土地は、全てミュリエルの物だから、文句を言われても突っぱねてもいいのだが」
「突っぱねはしないけど。返してって言われたら、そのとき考える方向にしよう」
イローナはやる気に満ちた顔で、デイヴィッドと小声で話し始める。
「宿泊客はアル様にご確認いただき、問題ない者だけにしましょう。ミリー様やアル様に悪感情を持っていたり、邪な思惑を持つ者は、受け入れないようにいたしませんと」
パッパが如才なく話を進める。
「王家派の者だけにしよう。派閥の強化にも使えるな」
アルフレッドの言葉に、ジャックとダンが目を合わせる。どう派閥を切り崩していくか、三人は楽しげに案を出し合っている。
イローナはその隙に、ミュリエルとフェリハ、ダイヴァにお願いごとをする。
「家具を選んだり、部屋ごとに組み合わせたりするの、ダイヴァさんとフェリハ様にもご相談していいでしょうか? こういうのは、高貴なお生まれの方の方がお上手だと思うんですよね」
イローナの問いかけに、フェリハは楽しげに答える。
「いいわよ。アッテルマン風の部屋も作っていい? 布とか絨毯、ランプなんかで雰囲気出せると思うの」
「ラグザル王国風も作りたいです。ミリーお姉さま」
ラウルと、ラウルの侍従も張り切っている。
「いいよー。ムーアトリア王国風はダイヴァに任せるね。ローテンハウプト王国風は、ジャックで」
「かしこまりました」
ダイヴァとジャックが気合の入った笑顔で請け負う。今までにない、斬新な宿の予感に、皆は胸を高鳴らせた。