107.人形劇
ミュリエルは珍しくむくれている。クッションを抱えて、ソファーの背中側を向いて横になっている。
なんなの、みんな絶対なんか隠してるし。ミュリエルはぶつぶつ言う。アルに聞いたら、急ぎの仕事がとか言ってどっか行っちゃうし。ハリーとウィリーは変な顔するし。あいつら嘘つくとき、鼻から下が伸びてマヌケな顔になるからすぐ分かる。
イローナは、あ、その話は無理ってキッパリ言って。フェリハは、ハハハララララーンって歌いながら消えた。なんなんだ。
ミュリエルの悲しげな空気にアルフレッドは即座に反応した。さっと近寄り、背中をさする。
「ミリー、気持ち悪いの? 聖典読もうか?」
「みんなが、なんか隠してる」
ミュリエルの小さなつぶやきに、アルフレッドは陥落した。皆、すまぬ。
アルフレッドはコソコソとミュリエルの耳元でささやいた。
「なあんだ、心配しちゃったじゃない。もうー」
ミュリエルは分かりやすく機嫌を直した。それからはずっと鼻歌をうたいながら、ニヤニヤしている。
(アル様、弱い……。分かってはいたけど)
ミュリエルと一緒に朝食を取る人たちは、すぐに変化に気づいたが、知らないふりをする。少なくとも、バラしたのが自分ではないから、いいのである。
そんなこんなで、ついに本番の日がやってきた。アルフレッドにエスコートされたミュリエルは、思いっきり驚いたふりをしなければ、と使命感に燃えている。
口元が緩むのを堪えながら、不思議そうな表情を貼りつけ、ミュリエルは大広間に足を踏み入れる。
「うわあ」
ミュリエルは本気で驚いた。フリなんて、する必要は全くなかった。
カーテンが閉じられ、ロウソクがところどころに灯された大広間。広い部屋に半分ほど椅子が並べられている。前の方には、緑の布がかけられた小屋。窓側にオルガンが置かれている。
ミュリエルはアルフレッドに促され、舞台の前のソファー席に座った。すかさずジャックが水とお菓子を、ソファーの前の机に並べる。アルフレッドはかいがいしく、ミュリエルを毛布でくるんだ。
「寒くない? 気持ち悪くなったらすぐ言うんだよ」
「分かった」
ミュリエルは楽しみすぎて興奮が隠せない。ミュリエルは劇なんて見たことがない。子どものとき、絵本を読んでもらったことはもちろんあるけど、それとは違うだろう。あの小屋は一体なんだ、早く始まらないかな。
余裕の顔をしたイローナとブラッドが入ってきて、ミュリエルの後ろの席に座る。ラウルやフェリハ夫妻は最前列だ。領民たちが次々と入ってきて、速やかに席につき、残りは後ろの立ち見席に行く。
小屋の後ろからゲッツとクルトが登場する。ミュリエルは思いっきり手を叩いた。
特に口上などもなく、ゲッツは静かにオルガンを奏で始める。目をつぶってオルガンを聞いていたクルトが、目を開けた。楽しくてたまらない子どものように、無邪気な笑顔でクルトは歌い始める。
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狩り、それはよろこび
赤き光が天を染め
豊かな緑が大地を埋める
手を離れた石は
今日の糧を捕らえる
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茶色い髪の人形が楽しげに舞台に登場する。野原を軽やかに駆け回り、石を放つ。石が舞台を横切るにつれて、背景が白から金色に変わった。鹿が舞台に現れ、石に当たり倒れる。
金色の髪の人形がさっそうと現れた。クルトは愛しい人がそこにいるかのように、語りかける。
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うるわしの女神
狩りのよろこびに夢中
わたしをお忘れですか
愛しいあなた
あなたの獲物はわたしだけ
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ふたりは手を取り合って、舞台をくるくる回る。クルトが凛とした力強い声で朗々と歌った。
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森の娘たるわたし
領主としてこの地に幸いをもたらさん
獣を狩り、祈りを唱え
魔剣を掲げる
我が血を神に捧げんと
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オルガンが高らかに鳴り、人形が消えた。真っ白な背景に、魔剣を掲げた少女の影が映る。舞台の奥からスルスルと赤い布が広がっていく。
ダダン オルガンが止んだ。白い光がまばゆく舞台を照らす。
フクロウに乗った少女の影絵が背景を横切った。クルトの声が低く静かに部屋に満ち、民にヒタヒタと苦悩の記憶を呼び起こす。
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森の娘はこの地のかなめ
力が抜け動かぬ体
魂を失いうちふせる民
ぬけがらとなる
祈れ、祈れ、祈れ
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横たわる少女にすがる男。クルトの声が小さく小さくなって、そして消えた。
勇ましく堂々たる音の連なり。人々が誇らしげに行進する足音のよう。パッとクルトが両手を顔の横に広げた。クルトの顔が喜びで輝く。
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ばんざい、祈りが届いた
ばんざい、森の娘が目覚めた
民の歓喜が大地を揺らす
祈れ、讃えよ
祈れ、讃えよ
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少女が起き上がり、男と踊り始める。舞台にヒラヒラと舞い落ちる花びら。クルトの声で窓ガラスが揺れ、ロウソクの火が消えた。
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羊たちは草をはみ
牛たちは乳を与える
鶏は卵を産み
魚はただよう
小麦は実り
土地は潤う
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ふたりの周りを羊や牛、ヤギに犬が駆け回る。クルトの優しい穏やかな歌声は、春風のように人々の耳をくすぐる。
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石を放て、森の息子
木を植えよ、森の娘
父なる太陽が笑い
母なる大地が産む
祈れ、祈れ、祈れ
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少女と男の周りを農民の人形が囲む。クルトの歌声に合わせて、大広間の全員が歌った。
ミュリエルは涙で前が見えなくなる。アルフレッドが優しくミュリエルの肩を抱き、ハンカチで涙をぬぐった。
ゲッツが最後を厳かに締めくくり、クルトが顔の横で手を軽く握る。クルトと同時に皆も歌い終わった。
ゲッツが立ち上がり、クルトの隣に立つ。小屋から、ヨハンやユーラ、子どもたちが出てきた。
大広間は拍手の音で満ちた。皆が立ち上がり、歓声を上げている。ミュリエルはアルフレッドに抱きしめられたまま立ち上がれない。
クルトたちがミュリエルとアルフレッドの前に跪いた。
「ありがとう」
ミュリエルは泣きじゃくりながら、やっとひと言、言葉を発した。
「領民を代表して、申し上げます。ミリー様が領主で私たちは幸せです。ありがとうございました」
ダイヴァがミュリエルの手を握って、静かにこうべを垂れた。