104.無自覚な小物
聖典を読む会の準備をする族長に、少年は憤って詰め寄る。
「父さん、もういい加減にしてよ。聖典なんか読んでる暇があったら、働いてよ」
「何ということを言うのだ。我々は最大派閥を誇っていた、由緒正しき聖典の民の末裔だ。本来なら我らが全土を統べたのだぞ。あのとき、神の御使いなどと言う男が現れなければ」
族長は忌々しげに吐き捨てる。そんな族長を少年は冷めた目で見た。
「いつまで何百年も昔のこと引きずってんの? 大昔の栄光より、明日食べる物の方が大事だろ?」
「食べる物など、買えばいいではないか。聖典を読めば寄付してもらえるのだから」
族長はこともなげに言った。
「うちはそれでなんとかなるけど、他のヤツらはどうすんだよ。父さん、族長なんだから、みんなのことも考えてよ」
「今度の会に、大物が参加する予定だ。それで大金が得られれば、皆にも食料を与えられる」
「ホントかよ。もしダメだったら、聖典売ってそれで食料を買ってくれよ」
「バカな、何百年も守り続けた聖典を売れと言うのか」
「誰かが飢え死にするよりマシだろう」
少年と族長はにらみ合った。一歩も引かないふたりの視界に、小さな影が入る。
「おや、またこんなところにスズメが。一体どこから入ったんだ。さあ、出て行け」
族長はスズメを追い立てる。
スズメは慌てて逃げ出した。確かハトのおじさんに言われたっけ。セイテンって言ってるイヤなヤツがいたら、教えろって。あのおじさんまだいるかな。もうどこかに飛んで行っちゃったかな。
スズメはパタパタと飛び、ハトのおじさんを探しに行った。
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褒め称えよ、我らが神を
喜べ、選ばれし民よ
父なる太陽を崇め
母なる大地を讃美せよ
歌い、踊り、血と肉を捧げよ
さすれば道は開かれん
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族長は焦っていた。訪れるはずだった貴族が現れなかったのだ。これでは思っていたほどの収入にならない。気が進まないが、どこぞの国の王族にでも取り入ってみるか。国の頂点に立つ高貴な人々は、概して孤独だ。本物の聖典を見せながら、神の言葉を語れば、おもしろいように金を吐き出す。
ローテンハウプト王国は、つけいる隙がなさそうだ。であれば、ラグザル王国か。もしくはもっと遠くに狙いを定めるか。族長が朗読しながら、頭の片隅で考えていると、急にドカドカと兵隊が入ってくる。
突然の闖入者に参加者はうろたえて、這いつくばって逃げようとする。兵隊は族長の顔に剣を突きつけ、大きな声を出した。
「ヒルダ女王の命により、そなたらを拘束する」
兵隊は部屋にいる者を拘束し、聖典を注意深く布で包んだ。兵隊は族長たちを護送車に詰め込む。隊長は遠巻きに見ている民に声をかけた。
「お前たち、食べ物はあるのか?」
「ほとんどない」
「ずっと不作なんです」
「獲物もいないし」
隊長は力無くつぶやく人々を見回しながら伝える。
「森の娘であるヒルダ女王からのお言葉をお伝えする。『外に出て、大地に跪き、太陽の光を浴びながら祈れ。そうすれば、神のご加護が得られるであろう』」
痩せ細った民は暗い顔で下を向く。そんなことで、腹が膨れるのか。声無き怨嗟が滲み出る。
「聖典を布教に使うのは、神から禁じられている。もしまだ聖典を隠し持っているなら、出してほしい。それなりの見返りは渡す」
その言葉に、人々は顔を見合わせてコソコソと話す。
「持ってくるから、少し待っててください」
少年はそう言うと、パッと駆け出した。しばらくして、ボロボロの本を持ってくる。
「これです」
少年が古い本を隊長に差し出す。族長が護送車の小窓の枠にしがみつき、半狂乱でわめきたてた。
「それは、偽物だ。何の価値もない」
少年は静かに告げる。
「これが、最古の聖典と伝わっています」
隊長は頷くと、部下に合図する。荷馬車から、小麦やジャガイモ、燻製肉が運び出され、少年の前に積み上げられた。
「真摯に祈りなさい。少し鳥たちにも分けるように。もし困ったら、人懐っこい鳥の前で、食べ物がない、と言ってみなさい。なんらか届くように手配する」
ガリガリの民は、食料を前に呆然と座り込んでいる。働かずに聖典を読んでばかりいる者がいなくなり、代わりに食料が与えられた。兵隊への反発心はきれいに消え去った。
***
ヒルダは困惑している。まさかとは思うが本当に?
「あの族長が二十年前にシャルマーク皇帝と話した? では、皇帝がおかしくなったのは、あの族長に何か言われたからなの? あんな小物に?」
取り調べをした隊長は、苦々しい顔をして首肯した。
「実は、彼自身も気づいてはいなかったようです。耳触りのいい言葉を並べて、身分の高い者から寄付をもらって、生計を立てていたようです」
ヒルダは注意深く聖典を開いて読む。
「聖典にそれほど影響力があるということなのかしら……。ロバート様とミリー様に相談しなくては」
ヒルダは二冊の聖典を金庫にしまった。ヒルダはさらさらと暗号文を書いて、隊長に渡す。
「これを、ロバート様とミリー様宛てに送ってちょうだい。なるべく速く飛べる鳥がいいわ」
数日後、巨大なフクロウが王宮に降り立った。聖典は丁寧に防水布で包まれ、フクロウの背中にくくりつけられる。
「ロバート様には断られたけれど、ミリー様に引き取っていただけてよかった。私が持っていていい代物ではないわ」
ヒルダは飛び立つフクロウを眺めながらポツリと呟いた。