103.受け止め方は人それぞれ
「しゃべった」
クルトは呆然として少女を見ている。少女は小さな声で「この人に会いたい」と繰り返している。クルトは同じく呆気に取られている店主に声をかける。
「この森の娘ってどうやったら会えるかな?」
「え、この人? えーっと確か、ローテンハウプト王国に帰っちゃったと思いますけど」
店主は困惑気味に答える。
「ローテンハウプト王国……」
さすがにおいそれと行ける距離ではない。
「この人形の仕入れ先に聞けば、何か分かるかもしれませんけどねえ。今日来るかなあ。……あ、来た」
店主の視線の先をたどると、小太りの男がやってくる。気軽に色んな店の人たちと言葉を交わしている。人気の商人のようだ。
「パッパ」
店主が手を上げて大きな声で呼びかける。商人は店主を見ると、近づいてきた。
「やあ、こんにちは。売れ行きの方はどうですか?」
「よく売れてます。もう少し仕入れたい。なに、今もね、このお嬢さんが人形をお買い上げくださいましてね」
「それはそれは、ありがとうございます」
商人は優しい笑顔で少女に話しかける。
「この人に会いたいです」
少女は綿の人形と、木彫りの人形を見せながら必死で言う。商人は少し目を丸くした。
「ほう、それはどうしてでしょう?」
「わ、わた、私も森の娘だから」
クルトは思わず少女の口を手でおさえた。商人は少し顔を近づけると、少女の目を見る。
「なるほど」
商人は少し考えると、市場から少し離れたところまでふたりを連れて行き、空いているテーブルについた。男がひとり、少し離れたところに立っている。クルトが警戒してその男を見ると、
「ああ、彼は私の護衛なんです」
と商人は言う。交易路での隊商に護衛がつくのは知っているが、街中でも護衛をつけるんだな。よほど儲かっている商人なのだろう。クルトはチラチラと商人を観察する。人好きのする、気のいいおじさんにしか見えないが。
クルトの値踏みするような視線を気にもかけず、商人は丁寧に挨拶する。
「さて、私はレオナルド・サイフリッドと言います。ローテンハウプト王国の商人です。パッパと呼ばれることが多いです」
「ニーナ・ダブレです。」
クルトは驚いて一瞬息が詰まった。軽く咳払いして、自嘲気味に名乗る。
「俺はクルト・コレッリ。彼女の保護者だ。といっても、名前を知ったのはたった今だが」
パッパは特に気にする様子も見せない。
「さて、ニーナさん。その人形の元になった人に会いたいということですが。会ってどうするんですか?」
ニーナは、あっという風に口を開けた。
「分からない。ただ会いたい、会わなきゃって思っただけ」
「ふむ。親御さんは承知の上ですか?」
「両親は殺されたの……」
「そうですか。それは辛かったですね。悪いことを聞きました」
ニーナは人形をギュッと胸に抱いた。
「実は、彼女は……」
クルトはパッパの耳元でささやいた。パッパは痛ましそうな顔で少女を見る。
「私の一存では決められません。聞いてみますので、一週間ほどお待ちください。今、ちょうど新しい伝書鳥を試験運用中です。うまく行けば、船便より早く返事がもらえるはずです」
パッパは上を見上げた。
「ああ、来ましたね」
バッサバッサと多数の鳥が、少し離れた王宮に降り立っている。王宮の上だけ空が黒い。
「では、一週間後のこの時間に、ここで会いましょう」
一週間、ふたりは落ち着かない気分で過ごした。クルトは念のため、旅行カバンに荷物を詰めて、すぐにでも出られるように準備する。
待ち合わせの場所にいたパッパは、開口一番、端的に言った。
「許可がおりました。一番早くて明日の船で行けます。どうしますか?」
「行きます」
「ローテンハウプト王国は、ここより寒いですから。暖かい服を持って行ってくださいね。私はまだここですることがありますので、同行はできません。ふたりは明日、港でローテンハウプト王国行きの船に乗ってください。この紙を見せれば伝わるようにしています」
クルトはパッパから紙を受け取った。船の名前と、出発日時、クルトとニーナの名前と、容姿の説明が書いてある。
「ありがとう。あの、代金はどうすれば?」
「いえ、お金は結構です。その代わり、歌をうたっていただきたい」
「は?」
「あなたの歌を、昔聞いたことがあります。いつか妻に聞かせたいと思っていました。今度、ローテンハウプト王国の王都で歌をうたってもらえませんか? 妻と私だけに」
「もちろんです」
快諾してから、クルトはしまったという顔をする。
「俺、しばらく歌ってなくて……。歌えるかな」
「歌えるようになったらで結構ですよ」
太っ腹で物分かりのいいパッパに、クルトは何度もお礼を言った。パッパはこともなげに言う。
「クルトさん、自分で言うのもなんですが、私は金持ちです。妻が欲しがるものは、たいてい手に入れられる。そうなると、形に残らない、心を揺さぶる体験の方が嬉しくなるのです」
パッパはクルトの肩を叩いた。
「十五年ほど前でしょうか。あなたがまだ声変わりする前です。私はね、自分が許せないことがあった。そんなとき、あなたの歌を聞いたのですよ。神が私に語りかけているように感じました」
クルトは思わず下を向く。
「あなたの声には力がある。その力を、正しく受け止めて、未来を切り開く人もいるのです。ミリー様なら大丈夫。気が向いたらミリー様に歌ってあげてください」
パッパはうつむいたままのクルトの手を強く握ると、朗らかに別れを告げた。