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102.歌えない男と祈れない少女

 

「どうしてこんなことに」


 この数年、後悔しなかったことなどない。まさか歌をうたっただけで、皇帝があのようになるなんて。



 クルト・コレッリは歌い手だ。クルトが歌えば、どんな稚拙な曲も、第一級の宮廷音楽と遜色ない出来になる。


 五年ほど前、アッテルマン帝国の王宮に招かれた。友人の吟遊詩人の紹介で、シャルマーク皇帝に歌を披露することになったのだ。


 かつてクルトは、アッテルマン帝国の果ての小さな村で、素晴らしい詩に出会っていた。妙な集まりに参加したときに聞いたのだ。聖典を読む会とかなんとか。それ以来、その詩が忘れられなくて、歌にした。


 クルトはシャルーマーク皇帝の前で、満を辞して歌い上げる。


=====

ああ偉大なり、我らが皇帝、我らが父、我らが太陽

母なる大地に祝福が満ちますように

森の子どもの血、捧げて大地を潤さん


感嘆せよ、大地の子よ

雷鳴が鳴り響き

稲妻が空を割る

雨が降り

大地が緑に包まれる

海は凪ぎ

恵みが与えられる

祈れ、祈れ、祈れ

=====


 皇帝はじっと聞き入っておられた。それ以来、年に一度、同じ歌を皇帝に披露していた。


 三年目ぐらいから、皇帝の様子がおかしくなった。妙にテカっているし、目がギラギラしている。しかも鍛え上げた筋肉を見せつけんばかりの薄着。


 クルトは宴の後、友人の吟遊詩人にこっそり聞いた。


「なあ、皇帝、なんだかおかしくないか?」


 フランツはため息を吐いた。周りを見回すとコソコソとささやく。


「お前の歌を聞いてから、妙な考えに取り憑かれちまったみたいだ」

「なんで?」


 クルトは仰天した。自分の歌のどこに、皇帝をムキムキ裸体男にする要素があるというのか。


「森の子どもの血を飲むと、太陽神になれると思ってる」

「はあっ? 皇帝の前で披露するから、『我らが皇帝』ってつけ足して歌ったけど、まさかそのせいで?」


 クルトは大声を上げてしまって、慌てて両手で口をふさぐ。


「血を飲めなんて一切言ってないぞ」


 クルトの抗議に、フランツはさらにひどいことを言う。


「曲解ってやつだろ。行間を読むとか、そんな感じじゃないか? 色んなところから、森の娘をさらって生き血をすすっているらしい。森の息子は虐殺だってよ」


 クルトの顔からサアッと血の気がひいた。それ以来、クルトは歌えなくなった。歌おうとすると、血まみれの子どもたちがチラつくのだ。フランツは同情して、度々ごはんに誘ってくれるが、クルトは食欲も失った。クルトはげっそり痩せた。


 クルトは罪悪感を消したくて、酒浸りになった。



「おい、森の娘が今日捨てられるらしい」


 フランツがあるとき勢いこんで酒場にやってきた。


「シャッキリしろ。今なら助けられるかもしれない。皇帝の親衛隊が話してたらしい。下働きのヤツがこっそり教えてくれた」


 クルトはスクッと立ち上がるが、足がふらついてしまう。


「おやっさん、水くれないか」


 クルトは水をガブ飲みすると、ついでに頭に水をかけた。


「さあ、助けに行こう」


 クルトは小声で祈った。祈るのは久しぶりだ。


「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。哀れな森の娘を救う力を我に与え給え」


 

 ふたりは王宮のそばでじっと待った。しばらくすると、男がふたり、大きな布袋を抱えて城門から出てくる。


 こっそり後をつけると、男たちは王宮の裏手にあるゴミ捨て場に布袋を投げた。男たちが去って、クルトとフランツは大急ぎで布袋に駆け寄る。フランツが震える手で布袋をあけると、青白くやせ細った少女が見えた。


 クルトは少女の口元に手をやる。


「かすかに息がある。急ごう」



 医者に見せたところ、極度の貧血と栄養失調ということだった。虚な目で何もしゃべらない少女を、クルトはつきっきりで世話した。シャルマーク皇帝から褒美でもらったお金は、まだたくさん残っている。


 クルトは少女が元気になれば、自分の罪が少しは許されるのではないか。そう思っては、浅ましい自分がイヤになる。



「よほど辛いことがあったのでしょう。自然と話すようになるまでは、そっとしておきなさい。ただし、話しかけるのは大事です。母親が赤子に話しかけるように、明るい話題を選んでください」


 医者に言われた通り、クルトは毎日話しかける。返事はないが、少女は目を動かして、窓の外を見るようになった。


「お、スズメがいるな。パンくずあげてみるか?」


 少女の目がクルトと合う。それは、興味がある印だ。


 クルトは小さな器にパンのカケラを入れて、少女に渡す。クルトが窓を開けてやると、少女はそうっとカケラを窓枠に置いた。少女はそこで固まったまま、息をひそめている。


 警戒しながら、スズメが近づいてくる。少女は息を止めて微動だにしない。


 スズメがカケラを取ってサッと遠ざかる。飲み込むとまたやってくる。少女はやっと息を吐いて、ほんのかすかに頬を緩めた。



 少しずつ少女のやせこけた体が普通程度になったころ、フランツが家にやってきた。フランツはクルトを手招きすると、壁を向いて小さな声で言った。


「アイツが死んだらしい。あの子をあんな風にした男」


 クルトは息を呑む。ハッと振り返ると、少女はいつも通りスズメと遊んでいる。


「マジかよ。なんで?」

「太陽神の御使いが、フクロウに乗って天罰をお与えになったらしい」


「マジか。信じられねえ」

「もう少し落ち着いたら、外に出てもいいかもしれん。あの子もそろそろ外に行ってもいいころだ」

「そうだな」



 クルトはそれでも用心してひと月待った。フランツが街の情報を教えてくれる。


「太陽神の御使いが、海を渡られたらしい。もう護衛がウロウロしてない。買い物に行っても大丈夫だと思う」


 少女は少し身をすくめる。


「新しい服を買いに行かないか? もしかしたら、スズメ柄の服があるかもしれない」


 少女はクルトの目を見る。


「決まりだな」



 翌日、クルトは少女の顔と髪をベールで覆った。もし王宮の誰かに見咎められると困る。クルトは少女に自分のカバンのヒモをしっかりと握らせた。


「頼むから、迷子にならないでくれよ」


 少女はコクンと頷いた。少女はピッタリとクルトの横にひっつき、ビクビクしながら歩いている。それでも目はあちらこちらに、せわしなく動く。服屋に着いたので、早速店員に声をかけた。


「スズメ柄の服ってないかな? この子が着るんだけど」

「スズメ……。小鳥の模様の刺繍でよければありますけどね」

「見せてくれ」


 店員は若葉のような柔らかい緑色に、茶色で小さな模様が刺繍されているワンピースを持ってきた。少女はためらいがちに手を伸ばし、小鳥の刺繍をたどる。


「これください」

「はい、ありがとうございます。お嬢さんの目の色にピッタリですね」


 店員が愛想よく言うと、少女は顔をこわばらせて下を向く。驚いた表情を見せる店員にお金を握らせると、クルトはワンピースをカバンに突っ込んで外に出る。



「大丈夫。今は緑色の目でも、つかまらない」


 クルトが小声で言うと、少女は小さく頷いた。色んなものを見て歩いたが、少女は特に欲しいものはないようだ。そろそろ帰ろうか、そうクルトが思ったとき、カバンのヒモがギュッと引っ張られる。


 振り返ると、少女が一点を見つめて止まっている。視線の先には、小さな人形。クルトは少女と一緒にその店に近づいた。



 茶色の髪をした綿入りの人形を、少女はそっと手に取った。人形の髪を優しく撫でたあと、隣に置いてある木彫りを手に取る。フクロウの上に立ち上がって、剣を掲げている女の子の木彫りだ。


「これが欲しいの?」


 クルトが聞くと、少女は何度も頷いた。


「すみません、この人形ください」


 店主がニコニコ近寄ってくる。


「いやあ、旦那。お目が高い。これはですね、つい先日仕入れたばかりなんですよ。今話題の森の娘の人形なんですわ」

 

 少女はビクッとして人形を強く握る。店主はそれに気づかず、奥から小さな額縁を持ってくる。


「これがね、『祈る人』と『祈りの手』。旧ムーアトリア王国の天才画家、ユーラの新作です。これも同じ森の娘の銅版画なんですわ」


 少女はその絵に釘づけになった。大きな緑色の目に涙がたまる。


「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。私をこの人に会わせてください」


 少女が小さな声で祈った。



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