101.鳥
ミュリエルの朝は鳥へのごはん撒きから始まる。ヨロヨロとバルコニーに行くと、少し離れた石垣にズラリと鳥が整列している。
トウモロコシの粒、細かく砕いた古いパン、余っているアワやヒエ。色んな残り物が鍋に入れられ、テーブルに置かれている。毎朝料理人が準備してくれるのだ。
ミュリエルはおもむろにひとつかみすると、ボーッとしたまま鳥たちに声をかける。
「おはよう。そしたら行くよー」
鳥たちはパカっと口を開ける。ミュリエルが適当にごはんを撒くと、鳥たちの口にきちんと収まる。
陰から観察している石投げ部隊は、ヒソヒソとささやきあう。
「ミリー様、ボーッと投げてるだけなのに、鳥の口に入りますね」
「なんという的中率か」
「やはり手首の柔軟さが肝なのでしょうね」
「いや、背筋の強さではないか」
「腕のしなりが芸術的だ」
皆、ミュリエルに憧れるあまり、評価が過剰だ。実際は大量に投げているから、口に入っているだけである。
ミュリエルは淡々と続ける。
「はい、そろそろ次の鳥たちー」
バサバサッと鳥が飛び立ち、空中で旋回していた鳥が降り立つ。
これを何度か繰り返すと、鳥はどこかに飛んでいく。
ミュリエルは少しブルっと震えると、アルフレッドに支えられながら部屋に戻る。勉強部屋のソファーが、ミュリエルの定位置になった。起きているとなんだか頭がグラグラする。かといって寝室で寝ていると寂しくなってしまう。
広くてみんなが出入りしやすい勉強部屋は、ざわめきがちょうどいい。ミュリエルから目を離したくないアルフレッドも、ここで執務をするようになった。
ハリソンがひと口大に切ったリンゴが山盛りになったお皿を持ってくる。
「はい、リンゴ」
ハリソンはソファーの横にある小さな机にお皿を置いた。
「ありがと」
ミュリエルは早速ひとつ口に入れる。
「それにしても、最近はずっとリンゴたべてるね」
「なんか食べてないと、オエってなるんだ。リンゴだと、ずっと食べててもいいってナディヤ先生が言ってたし」
ミュリエルはうつろな目でハリソンを見る。
「こんなに弱ってるミリー姉さんは、初めて見るよ。母さんに来てもらう?」
「ううん、いいよ。ナディヤ先生がいるもん。そのうちよくなるといいな」
ミュリエルは常に気持ち悪い。「うう、気持ち悪い」と「この気持ち悪いのはいつまで続くの」のふたつをずっとグルグル考えている。
アルフレッドが心配そうに近づき、ミュリエルの額に手を置く。ミュリエルは気持ちよさそうに目を閉じた。ミュリエルが寝たのを見て、アルフレッドは小さな声でハリソンに聞く。
「ハリーはフクロウ以外の鳥の言葉も分かる?」
「分からない。シロしか分からないよ。どうして?」
「ああ、もし鳥の声が分かるなら、最高の間諜だなと思って」
アルフレッドの言葉にハリソンは目をパチパチさせる。
「えーっと、生き血を飲む集団を探すってやつのこと?」
「そう。怪しい集団の居場所が分かれば、手っ取り早いから」
「うーん、シロに間に入ってもらえば、分かると思うけど。聞いてみようか?」
「頼む」
アルフレッドとハリソンはバルコニーに出た。すっかり寒くなっているので、ふたりは慌てて上着の前を閉じる。
「シロー」
ハリソンが叫ぶと、フクロウが降り立った。
「あのさあ、森の娘の生き血を飲む変態集団がどこにいるか知ってる?」
シロは首をかしげる。
「他の鳥に聞いてみてくれない? なんかイヤな感じの人たち」
シロがホッホーと鳴くと、ピーピチピチ、キィーキィー、ギャッギャッ、ホッホーホッホー、カアー、ツィーツィー、ホッホー。大騒ぎだ。
ハリソンは耳をふさぎ、アルフレッドは部屋の中のミュリエルを振り返った。ミュリエルは目をこすりながら外を見ている。ミュリエルは毛布にくるまって、外に出てきた。
「すまない、起こしてしまった」
「ミリー姉さん、ごめーん」
「なんの騒ぎなの?」
「鳥に変態集団の居場所を聞いてたの」
「なんか分かった?」
「いや、全然。鳥にとっては、たいていの人間は怪しいからね」
ミュリエルはうーんと考えこむ。
「シロ、私とラウルがさらわれて、お父さんが魔剣でヤッた男を覚えてる? あんな感じのイヤな人間。それで、森の娘とか、神とか、聖典とか言ってる人たち」
シロが首を左右にかしげながら、丸い目をパチクリさせている。シロは何やら鳥たちと話している。
「なんかよく分からないっぽいよ。気づいたら教えてくれるって」
「そうだよね。それで十分だよ。危ないことはしなくていいからね」
シロはホッと鳴きながら飛んで行った。他の鳥たちもワラワラと去って行く。
***
薄暗い部屋に、今日も顔色のさえない男女が集まってくる。楕円形に床の上の座布団に座っていく。揺れるロウソクに照らされて、ギョロリとした目がいっそう不気味だ。
白い頭巾をかぶった男が、金色の布に包まれた何かを持って、しずしずと上座に座った。男が金色の布を丁寧に外すと、古い書物が現れる。皆は静かに首を垂れた。
白頭巾の男は厳かな口調で話し始める。
「それでは今日は『草をはみ』を朗読しましょう」
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狩り、それはよろこび
赤き光が天を染め
豊かな緑が大地を覆う
手を離れた石は
今日の糧を捕らえる
羊たちは草をはみ
牛たちは乳を与える
鶏は卵を産み
魚はただよう
小麦は実り
国は潤う
石を放て、森の息子
木を植えよ、森の娘
父なる太陽が笑い
母なる大地が産む
祈れ、祈れ、祈れ
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目をつぶって耳を傾けていた人たちは、ハラハラと涙をこぼした。血色がよくなり、開けられた目には力がやどる。
「おお、なんと尊い。心が晴れました」
「石を放て、の力強いところが好きです」
「この素晴らしさを、知らない者がいるなど、神への冒涜」
「聖典を失いし、哀れな愚民」
「教え、導いてやるのが我らの務め」
「ええ、神に選ばれし我ら聖典の民」
「導きましょう」
「伝えましょう、神の言葉を」
「神の代理者として、国を統べねばなりますまい」
「さあ、祈りましょう」
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。正しき信仰をあまねく広げる力を与え給え」
物陰から見ていた少年は、そっと外に出た。
「なーにバカなこと言ってんだか」
少年は長いため息を吐くと、ポケットから固いパンを取り出す。
「与太話してる暇があったら、畑のひとつも耕せってんだ」
少年はやせ細った大地を見ながら、パンをかじる。パンくずを狙って小さなスズメが近づいてきた。少年はそっと、カケラを投げてやる。スズメはパッと離れるが、またちょんちょんと近づき、カケラを飲み込む。
スズメはもっとないのと、首を傾けながら少年を見つめる。
「お前、図々しいな。ほらよ。あーあー、神がいるなら、雨を降らせてくれよ。これじゃあ、また飢え死にするヤツが出てくるぜ」
少年は頭をガリガリかいた。
「森に行ってみるか。ウサギがいるかもしれない。木の実が取れるといいな」
少年は立ち上がると、膝についていたカケラをはらって落とす。スズメが少し寄ってきた。少年が立ち去ると、スズメは夢中でカケラをついばむ。
もっとないかな……。建物の中に入るのはダメって母さんに言われてるけど、少しだけなら。スズメは少年が出てきた場所から、そうっと中に入る。