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1.ヨアヒム王子のご乱心


「ルイーゼ、そなたとの婚約を破棄する」


 学生たちがダンスを楽しむ会場で、大きな声が響いた。


 ミュリエルは驚いた。あれはヨアヒム第一王子殿下の声ではないか? ミュリエルは壁沿いをスルスルと進み、声の発生源に近づく。


「ルイーゼ、そなたは私の愛がアナレナに移ったことに憤り、アナレナに数々の無体な仕打ちをしたな」


 ミュリエルは見やすい場所にたどりついた。やはりヨアヒム殿下だ。ヨアヒム殿下が、婚約者のルイーゼ公爵令嬢を糾弾している。ヨアヒム殿下には、かわいらしい感じの少女がぺったりと引っついている。


「無体な仕打ちとはどういったものでしょう?」


 ルイーゼが冷静に問いかけた。


「アナレナの礼儀がなってないと人前でののしった」


「わたくしは、身分の高いものに突然話しかけてはなりませんと、注意しただけですわ」


「学園内では身分制度はない」


「それはあくまでも建前です」



(なんだこの茶番は)


 ミュリエルは意味が分からない。なぜこんな衆人環視の中で、こんなバカげた言い合いをしている? そんなものは三人で話し合えばいいじゃないか。


(どうして誰も止めないんだろう)



 ミュリエルは、ヨアヒム殿下の周囲を注意深く観察した。


 なるほど、あのアナレナという少女は悪い気を放っている。さては魔女か。


 そして、ヨアヒム殿下を止めるべき側近は……アナレナの顔をボケーっと見ているな。


 ははーん、これは魔女にたぶらかされた、ヨアヒム殿下のご乱心だ。そして側近も魔女の手に落ちていると見てよさそうだ。


 ミュリエルは急いで、父に叩きこまれた『王都で気をつけるべき十か条』を頭の中で暗唱する。



『上の立場の言うことには従うべし。ただし、その指示が納得できない場合は、その限りではない。上位の者を正しい道に向かせるのも忠臣の役割である』



 よし、これだな。ヨアヒム殿下は魔女のせいで正気を失っている。こんな学生たちが見ている中で、痴話げんかをするべきではない。ミュリエルは決心すると、すぐさま行動に移した。



 腕飾りのガラス玉をバラバラにすると、手の平に置いて無造作に指先ではじく。長年、田舎領地で狩りをしてきたミュリエルにとって、棒立ちのヨアヒムに当てることなど造作もない。


 ガラス玉はヨアヒムのこめかみを打ち、ヨアヒムは声もなく昏倒した。


 (よし、仕留めた)


 ミュリエルは瞬時に次のガラス玉を手に置くと、魔女アナレナを落とす。


 ヨアヒムに続き、アナレナが倒れたところで、場内は騒然となった。ミュリエルは混乱をしり目に何食わぬ顔で会場をあとにした。




「あ~あー、今日も婿をつかまえられなかった」


 ミュリエルは食べすぎてぽっこり膨れたお腹をさすりながら、早歩きで帰る。馬車なんてそんな贅沢なものはない。お世話になってる老夫婦の家まで、徒歩である。



***



 ミュリエル・ゴンザーラは十五歳、王都から遠く離れた弱小領地で生まれ育った。父、ロバート・ゴンザーラは領主であり男爵だ。


 とにかく小さな領地である。領民はせいぜい千人。最も栄えたときでも三百世帯というこぢんまりさだ。領民全員が知り合いであり、家族のようなものだ。


 産業はない。農耕と狩猟でなんとか糊口をしのぐ、ギリギリの生活である。



「いいか、ミリー。王都ではみんな靴を履いている」

「夏も?」

「そうだ」

「それは暑そうだね」


 ここでは、冬以外は裸足だ。なぜなら靴がもったいないからである。靴は特別なときに大切に履くものだ。



「王都では女性は皆スカートだ」

「狩りに行くときはズボンだよね?」

「王都の女性は狩りはしないんじゃないか」


「じゃーどうやって食べていくの?」

「買うんだ」

「買う」


「店に肉も野菜もパンも売っている」

「行商人が毎日来るってことだね」

「違う。店があるんだ」

「ふーん」



 ミュリエルの領地では、作れる物は手作りし物々交換する。お金で払う人はほとんどいない。お金は税金を納めるときに必要なので、大切に置いているのだ。


 靴や布など、領地で作れないものは、行商人が来るのを待って買うのだ。そのとき、自分たちが作ったチーズや毛糸、狩った獣の革や野菜なども売る。こうして貴重な現金を得るのだ。



 領地には店は一軒しかない。物々交換では手に入らない物を取り扱っている。薬や武器、本など個人では取引きできない物を高値で売っている。大事な店なので、領主の弟が経営している。


 この店が仕入れに行くときに、ついでに手紙なども送ってもらえる。隣の領地の郵便屋に持って行き、そこで預かってもらっていた郵便物を受け取るのだ。


 叔父の店のようなものが、王都にはたくさんあるということか。ミュリエルにはいまいち分からなかった。



「王都ではなんでも買える。だからなにかと金がかかる。まずこれがお前の家賃だ」

「ひえっ」

 

 父が銀貨をひと山、ミュリエルの前に置いた。


「お前の生活費」

「ひうっ」


「お前の学費」

「ぎゃー」


「お前の旅費」

「ひえぇぇ」


 ミュリエルの前に銀貨の山ができた。


「分かるな?」

「分かった」


 父が厳しい目でミュリエルを見る。


「とにかく金持ってる男をつかまえろ」

「はいっ」


 ミュリエルは真剣な顔で答えた。



「金も大事だが、技術はさらに重要だ。毎朝、毎晩、復唱しろ。医学、法律、測量、土木などの知識を持つ健康な婿をつかまえる。持参金は多いにこしたことはない」


 ミュリエルはのけぞった。思ってたよりはるかに条件が厳しい。



「いやいや、父さん。ねえ、現実を見てよ。目をよーくおっぴろげて見てよ。こんなたいした顔でもなく、薄っぺらい体で色気のない私だよ。そんな有能な男がつかまえられると思う?」


「思わん」

「ですよねー」


「だが、なんとかしろ」

「そんな無茶な」


 父は少しも譲歩しない。



「お前の婿の持参金で、農耕馬を買おうと思っている。そうすれば翌年の収穫が期待できる。ひもじい思いをする民が減るな」

「ええー」


「今年の税収は治水事業できれいさっぱりなくなった。お前の婿の持参金で、城壁を修理できれば、魔物の侵入が防げる。民の命が救えるな」

「ううー」


「もしお前の婿が医学に通じていれば、病気で苦しむ民が減るな」

「まーねー」


「お前の姉、マリーナは優秀な税理士をつかまえたぞ。おかげで私の書類仕事が大幅に減った」

「だってマリー姉さんは美人だし、胸も大きいし、ねえ……。私じゃ無理無理」



 父が奥の手を出してきた。


「いいか、村のばあさん連中がな、お前に特別な秘技を授けてくれるらしい。門外不出の媚薬もくれるらしいぞ。とにかく、どんな手段を使ってもいいから、技術と金を持ってる健康な男をつかまえてくるんだ」



 それが親の言うことですか、ミュリエルは懸命に反論したけれど、父はがんとして譲らなかった。



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― 新着の感想 ―
[一言] ミュリエルの実家が想像以上にワイルドだった!
[一言] 連載版!やったあ!楽しみにしてます!
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