第96話 レーヴタイン組の絆
火の2の月、4の週の火の日。起床時間。
「うーん……。」
ミカはベッドの上で胡坐をかき、腕を組んで考え込んでいた。
「どうしたでござるか、ミカ殿。 もう起きる時間でござるよ。」
バザルは朝早くから修行に行っていて、今戻ってきたところだ。
湯場か井戸で水でも被って来たのか、身体が濡れていた。
今はすっぽんぽんになって、制服に着替え中である。
(つーか、前隠せよ。)
男同士だし、湯場にもよく一緒に行っているので、今更気にするようなことでもないかもしれないが。
ただ、朝っぱらから見たくはない。
ミカはベッドから下りて、自分も制服に着替える。
その際に小声で
「”制限解除”、”吸収”。」
と呟く。
いつからだろうか。
朝起きても、ミカの魔力が全回復していないのだ。
(……やっぱり。 少し魔力が回復したな。)
全身の皮膚から沁み込んでくるような感覚。
ミカからすると僅かな量ではあるが、回復の余地がある。
すぐに満タンまで回復するので、それ以上は”吸収”を使っておく必要はないのだが、どういう訳か毎日少しだけ全快には足りないのだ。
(一晩で回復する魔力量には上限があるのか?)
宿に泊まって魔力が全回復するのは、ゲームではよくある設定だ。
この世界でも一晩寝れば回復していたが、よくよく考えれば不思議な現象だと思う。
(何で寝てる時は回復して、起きてる時は回復しないんだ?)
寝ている時にどうやって回復しているのだろうか。
徐々に回復?
何時間の睡眠で全回復するんだ?
それとも、一定の時間経過で一気に回復する?
寝ている間のことなので確認のしようがないが、随分と不思議な現象だ。
バザルと食堂に向かい、トレイを取り、カウンターに並ぶ。
使用人のおばちゃんが忙しそうに、トレイにおかずをよそってくれた。
当然お代わりを要求する。
おばちゃんによっては最初から大盛りでよそってくれるが、今日のおばちゃんは常に普通盛り派だ。
「ミカ殿は本当によく食べるでござるな。」
「バザルだって食べてるじゃないか。」
ミカと同じくらいの量をよそってもらっている。
「拙者は毎日修行しているでござるから、食べないと身体がもたないでござるよ。 でも、ミカ殿はそこまで身体を動かしてはいないでござるな。」
「あー……、確かに。」
レーヴタイン領の魔法学院では、毎日午後に運動の時間があった。
だが、王都に来てからはそこまで運動をしていない。
(やばいかな?)
引退したプロスポーツ選手が太ったりするのはよくあることだ。
引退して運動量が減っても、食べる量が変わらなければ、摂取したカロリーが余りまくる。
その余剰分で太ってしまうのだろう。
(それでも最近はしょっちゅう”幽霊”と戦っているし、そこまで過剰ではないか……?)
放課後に依頼の現場に行って、呪いの元の探索を行っている。
単純な運動量として減っているかもしれないが、以前とは質の違う身体の動かし方をしている。
大量に盛られたパンを三つ取り、空いている席を探す。
少し離れたテーブルに空きがあり、そちらに向かうことにした。
ミカは席に着いて、ぱぱっとお祈りの仕草を済ませて食事にかぶりつく。
パンにかじりつき、トレイを持っておかずをかき込む。
「ミカ殿、お祈りはしっかりした方がいいでござるよ?」
バザルは少し呆れ顔だ。
熱心な光神教の信者なのか?
いや、単に何にでも真面目なだけだろう。
「ははふひはひほふ……。」
「口の中の物を飲み込んでから話すでござるよ!?」
確かに。
ミカはごっくん、と飲み込む。
「ぷはぁー……。」
「ミカ殿はもっと糧を与えてくださる方や、料理を作ってくれた使用人の方に感謝すべきでござる。」
別に感謝してない訳じゃないんだけど。
でも、確かにミカは食べ方が汚くなった。
そういえば、元の世界にいた頃は、こんな食べ方はしたことないんじゃないか?
なぜだろう?
ノイスハイム家の貧しい生活の記憶と、レーヴタイン寮の「とにかく食え。」が融合し、現在のスタイルで固まってしまった。
しかも、レーヴタイン組の皆も「ミカに倣え」と言わんばかりに真似し始めた。
レーヴタイン組の男の子の食べ方が汚いのは、ミカが原因と言えるかもしれない……。
ミカは手を止め、一呼吸置く。
「……早食いは美徳だと思うけど。」
「そんな美徳は聞いたことないでござる!」
まあ、普通はそんなことは美徳にならないだろう。
「常在戦場の心得だよ。 食事時に申し訳ないけど、『早飯早糞は美徳』ってね。」
「……何でござるか、それは。」
本当は「早飯早糞、芸のうち」だったか。
バザルは剣術家の家らしいが、こういうのは聞いたことがないのだろうか?
「結果論になるけど、五分後に敵からの攻撃があった時、五分間で食べ終わってた奴と五分間のほとんどをお祈りに費やしてた奴。 どっちが生き残れる?」
「それは……。」
実際に生き残れるかどうかは、この際関係ない。
要は、敵襲に対して万全に挑める者と、空腹を抱えて臨まなくてはならない者。
それも生死を分ける、明暗になるかもね、というだけの話だ。
こんなことを偉そうにのたまってはいるが、実のところミカは「常在戦場」などとは欠片も思っていない。
単に自分を正当化するのに丁度いい言葉があるな、と言いくるめているだけだ。
ただ、間違ったことを言っているつもりはないし、場合によっては本当にこれが生死を分けることもあり得る。
知っておいて損はないよ、くらいのつもりでバザルに教えている。
根が真面目なバザルは、こんな話も真剣に考え込んでしまう。
この素直さは、バザルにとって本当の美徳だろう。
「考えるのは後にして、とりあえず食べたら?」
「はっ……そ、そうでござるな。」
厳しく躾けられたのか、バザルは食べ方が綺麗だ。
これまで当たり前だったことと、その真逆の考え。
どちらにも「理がある」と思える場合、バザルはどんな答えを出すだろうか。
ミカがそんなことを考えていると、不意に隣の声が耳に引っ掛かる。
「……だから、そんなのは寝ぼけてただけだって。」
ミカの隣に座っている男の子が、その向こうにいる男の子と何か話をしていた。
「そうなのかなぁ……。 でも、本当に見たんだぜ?」
寝ぼけてたと言われた男の子は、不満げな声を漏らす。
「最近そんな話を時々言ってる奴がいるみたいだけど、気にしすぎだって。 だから寝ぼけて、そんなの見た気がするんだよ。」
「んー……、でもなぁ……。」
どうにもすっきりしないようで、男の子は不満そうだ。
(見た……? 何を?)
肝心の部分が分からない。
ミカは聞き耳を立てるが、結局は何の話なのか分からないまま、男の子たちは食べ終わったトレイを持って行ってしまった。
(お化けでも見たのか?)
学校や職場、こうした人の集まる場所では七不思議や怪談なんてのはよくある話だ。
(まあ、お化けなら毎日見てますけど?)
それで、普通に狩ってますが。
倒せる相手ならば、”幽霊”もソウ・ラービも大して変わりはない。
(まあ、いっか。)
自分の食事がまだ終わっていないことを思い出し、ミカは再び食事にかぶりつくのだった。
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火の2の月、4の週の土の日。
「それは、本当なんですか、リムリーシェ。 そんな……。 本当に……?」
クレイリアはわなわなと震え、リムリーシェに詰め寄っていた。
リムリーシェは俯き、何かを言いづらそうにしている。
その場にはツェシーリアとチャールもいるが、二人とも気まずそうだった。
ミカは授業の合間にトイレに行き、戻ってきたところだ。
教室に入ってすぐに不穏な空気に気づき、慌ててリムリーシェとクレイリアの所に向かう。
「どうした? 何かあったのか?」
リムリーシェに声をかけるが、リムリーシェは俯いたまま。
「どういうことですか、ミカ。」
クレイリアがミカの横にやって来る。
その口調には、強い非難の色があるようだった。
クレイリアがミカに対してこんな風に迫るのは珍しい。
教室内の子供たちも「何?」「喧嘩?」とこちらを気にしている。
クレイリアの勝気な目が、ミカを射抜く。
「どうしてリムリーシェとは遊びに行ったのに、私は遊びに誘ってくれないのですか!」
「…………は?」
何の話?
ツェシーリアとチャールが、クレイリアの向こうで手を合わせて謝っている。
どういうこと?
とにかくどういうことか詳しく話せ、とクレイリアから話を聞き出す。
事の発端はクレイリアの家の使用人が、非番の日に遊びに行く約束をしているのを、クレイリアがたまたま見かけたことにある。
二人は仲が良いようで、今度の休みにショッピングに行くのだという。
「そうですか、楽しんで来るのですよ。」
「ありがとうございます、クレイリア様。 クレイリア様も、たまにはお出掛けされては如何ですか?」
「馬鹿、貴女、何言ってるのよ。 申し訳ありません、クレイリア様。」
「も、申し訳ありませんでした。 クレイリア様。」
使用人たちが頭を下げて謝罪してくる。
「いいのよ、気にしないで。」
平民は街中を気軽に散策したりするが、貴族家の令嬢は普通、遊びに行くということはしない。
欲しい物があれば、信用のおける商人を屋敷に呼べば済む。
陽の日に他家の貴族からお茶会に招かれることもあるが、お茶会は遊びではなく真剣な社交の場だ。
そうしたお茶会は皆クレイリアよりも五つも六つも上の人ばかりで、場合によってはご婦人が大半のお茶会にも参加したりする。
侯爵家の者として、年少者だからと侮られる訳にはいかないので、毎回相当の準備をしてから臨んでいる。
屋敷に帰ってくると本当にくたくたで、楽しいと思ったことなど一度もない。
それでもレーヴタイン領やヘイルホード地方のことを思えば必要なことだし、これは自分が当然務めるべきことだと理解しているので、それについて文句を言う気などなかった。
(友人と街を散策……。 羨ましくはありますが、立場上そうしたことは難しいでしょうね。)
クレイリアは一度だけ王都を歩いたことがある。
屋敷を抜け出してミカに会いに行った時だ。
帰りにミカと一緒に歩いた時はわだかまりも解け、とても楽しい時間だった。
散策ではなかったけれど、ただ一緒に歩いているだけで心が弾んだ。
まだほんの数カ月前のことだが、あの時のことを思い出すと懐かしさとともに、ほんの少しだけ胸がずきんと痛んだ。
そして今日。
同じクラスの友人であるリムリーシェたち女の子三人が、明日の陽の日に遊びに行く予定を話し合っていた。
リムリーシェたちとは友人とはいえ、やはり立場の違いがある。
ミカはあまり壁を感じさせないが、他の子たちとはどうしても貴族と平民という壁ができてしまう。
そのこと自体は仕方のないことだと理解しているし、当然だとも思っている。
だが、それでもやはり寂しく思ってしまう部分はある。
「リムリーシェは、本当はミカと行きたいんだろうけどねえ。」
「わ、私は別に、そんなこと…………ない、けど……。」
ツェシーリアがリムリーシェを揶揄っているようだった。
リムリーシェは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにしながら否定している。
クレイリアは女の子たちの会話を微笑ましく聞いていた。
ミカと遊びに行くというのは、想像するだけでも楽しそうだ。
だが、ミカは忙しい。
放課後はいつも挨拶もそこそこに走って帰ってしまう。
冒険者としての活動があるのだと言う。
(ミカの冒険者としての活動の邪魔をする訳にはいきませんね。)
ミカが冒険者として活動していたからこそ、クレイリアは救われた。
そのことが分かっているので、クレイリアはミカの冒険者としての活動を応援していた。
ただ無事であってくれればいい、といつも願っている。
「今度はリムリーシェの方から誘えばいいじゃん。 前はミカが誘ってくれたんでしょ?」
「……大丈夫、いける……。」
何ですって!?
ツェシーリアとチャールの話が聞こえてきて、クレイリアは思わず立ち上がってしまった。
ミカが、リムリーシェを誘ったなんて……。
なんて……、なんて…………。
(なんて羨ましい!)
ミカは面倒見はいいが、あまりレーヴタイン組の子供たちとも、遊びに行ったりはしていないようだった。
生活の多くは学院が占めているが、学院以外の時間の多くは冒険者の活動に割り振られている。
ミカの性格からして、女の子の友達と遊びに行くようなことはなさそうに思っていたが。
(しっかりと確認しなくていけません。 私の早とちりということもありえます。)
そうして、クレイリアは逸る気持ちを抑えながら、リムリーシェの席に向かって足を踏み出した。
ミカは話を聞き、がっくりと項垂れる。
(く、下らねえ……。)
心配して損した。
侯爵家の令嬢であるクレイリアに迫られたら、リムリーシェでは生きた心地はしないだろう。
そう思って慌てて声をかけたが……。
「それはもう一年くらい前の話だよ? クレイリアとは知り合って……は、いたけどさ。 友達になる前の話だ。」
「例えそうでも、私は未だに誘われてもいません!」
「……………………、誘っていいのか?」
「勿論です!」
クレイリアが即答で言い切る。
その顔は、いつになく真剣だ。
ミカは半目で、クレイリアの後ろに控える護衛騎士を見る。
「……おたくらの主はこう言ってるけど?」
だが、護衛騎士たちは気まずそうに目を逸らすだけだった。
どうやら、クレイリアに意見をするつもりはないらしい。
(街中での警護だぞ? 苦労すんのはお前らなんだぞ!?)
こんな時、ヴィローネがいればきっと止めてくれただろう。
まさか、こんなところでヴィローネを失った弊害が出るとは……。
ミカは溜息をつく。
「じゃあ、明日――――。」
「申し訳ありません。 明日はどうしても外せないお茶会の予定があります。」
クレイリアが申し訳なさそうに言う。
だが、その目はまるで子猫が縋りついてくるようにミカを見ている。
「………………。」
「………………。」
無言のまま、クレイリアと見つめ合う。
その期待に満ちた目が、「誘って誘って、早く早く」と訴えている。
このわくわくした目では、おそらく「来週に。」というのは望んでいる答えではないだろう。
もっと早くに行ける日があるよね?と、その目が雄弁に語っている。
「それじゃあ、ちょっと急だけど今日――――。」
「放課後ですね! 分かりました、調整しますわ。」
クレイリアは後ろに控える護衛騎士に、素早く何事かを命じる。
護衛騎士の一人が教室の外に出て行き、すぐに代わりの騎士が一人やってきた。
「他にも誘うけどいいよな?」
「ええ、勿論です。」
クレイリアは上機嫌だ。
まるで、今にも踊り出しそうなくらい浮かれている。
ミカはツェシーリアとチャールをじろりと睨む。
「……二人とも、まさか自分は関係ないとか思ってないよな?」
二人の失言から始まったのだ。責任は取ってもらおう。
「う……。」
「……行かないと、だめ……?」
チャールが小声で聞いてくる。
ミカが無言でじぃー……と見つめると、小さく「はい……。」と返事をする。
「リムリーシェも、都合がつけば参加してもらいたいんだけど。」
ミカはリムリーシェにも声をかける。
普段なら土の日の午後は特訓だ。用事はないだろう。
だが、今回リムリーシェは被害者と言える。
無理強いはできない。
ただ、できればリムリーシェにも参加してもらいたい。
クレイリアのおもりを分散するために。
「う、うん。 大丈夫だよ。」
「ありがと。」
よし、次だ。
ミカはバッと振り返り、ムールトを見る。
ムールトは自分の席で、事の成り行きを見守っていたようだ。
急にミカが振り向いたので、ばっちりと目が合う。
その瞬間、ムールトが「しまった」という顔をするが、もう遅い。
にやりとするミカの意図を察し、ムールトががっくりと肩を落とす。
気持ちは分かるが、レーヴタイン組は一蓮托生だ。
俺たちの絆は強い。
「なあ、ポルナード?」
そうだよな?
自分の席で下を向いて固まっているポルナードに笑顔で近づく。
そして、その肩にポンと手を置く。
「じゃあ、そういう事で。 よろしくな。」
助けてやったじゃないか。
お前は俺を見捨てないよな?
ミカの思いが通じたのか、ポルナードは顔を上げることはなかったが、こくんと小さく頷く。
ミカは顔を上げ、教室の出入り口を見る。
そこには、こっそり廊下に出ようとしているメサーライトがいた。
ミカは大きく息を吸い込む。
「メサーライトも! そういう事だから! 放課後なあー!」
言い逃れできないよう、教室中の全員に聞こえるように大声で伝える。
メサーライトはびくっとなり、顔を押さえる。
「こっそり教室を出ようとしていたメサーライト君! まさか断らないよなあ? 誰のお誘いか、お前も分かってるよなあ! なあ、メサーライトー!」
メサーライトはその場で崩れ落ちる。
それを見て、ミカは満足そうに頷くのだった。
皆一緒で楽しいなー。
お前らも、みーんな道連れにしてやれー。




