第8話 魔力操作の練習
呼吸はゆっくりと深く、目を閉じ、集中する。
石の上に座像のように座り、両手は手のひらを上に向けて膝の上に置く。
全身の力を抜き、身体はリラックスさせるが、神経はむしろ研ぎ澄まされていた。
周囲の音は聞こえず、ただキィーー……ンという澄んだ音が静かに響き、全身に満たされた魔力を隅々まで感じられた。
その魔力を足から腰へ、腹から胸へと少しずつ押し上げる。
そうして胸まで押し上げた魔力を、今度は両腕に押し込む。
高まった魔力が反発して押し返そうとするが、構わず押し込んでいくと肘から前腕部を伝い、最後は手首から先だけに集まる。
その状態を維持する。
少しでも集中力が切れれば、あっという間に集まった魔力は元に戻ってしまう。
この状態を少しでも維持することが大事だ。
ばしゃっ。
「うひゃぁあーーーーーーーーっ!?」
いきなり背中に冷水をかけられ、思わず悲鳴を上げてしまった。
「あはははは! ひゃーーだって! あはははははは!」
「ミカちゃん、何してんのー?」
「あそぼー。」
子供たちが川に入って水浴びをしていた。
魔力を操作する手掛かりを得てから1週間が経ち、月が替わった。
すでに季節は夏になりつつあり、今日は村の子供たちに誘われて川遊びに来ていた。
最近はずっと魔力を操作する練習ばかりしていて、子供たちと遊んでいなかった。
たまには遊んでやるかと思い、誘いに乗ったのだ。
(最近は気温も上がってきたしな。)
冷房のない世界ではあるが、家の中に籠っても窓さえ開けていればそこまで暑くはない。
だが、最近は家に閉じ籠もりっぱなしだったこともあり、ビタミンDの補給のつもりでやってきた。
そうして川に来たはいいが、やはり子供たちと一緒に騒ぐ気にはなれず、つい魔力の操作を練習してしまった。
川の中の石に座っていると、川の水に冷やされたいい風が来るのだ。
そうしてじっと座っていたら、子供たちにイタズラで水をかけられたらしい。
背中に突然冷水をぶっかけられたのだから、悲鳴の一つも出ようというものだ。
俺は魔力の操作は諦め、組んでいた足を降ろして川に浸す。
「あーーーー、気持ちいいなあ。」
冷たい川の水に素足を浸けると、清流の流れを感じる。
川のせせらぎと相まって、清々しい気分になった。
子供の人数を数え、周りに全員いるかを確認する。
川幅は10メートルくらいで、深さは大したことないが、中央は流れが少し早そうだ。
子供たちが流されたりしないよう、少し注意することにした。
といっても、リッシュ村の子供たちにとって川は慣れた遊び場だ。
みんなも川の中央あたりは危ないと分かっているので、あくまで念のため。
石に座ったまま近くにいた子供に水をかけてやると、お返しに数倍の水をかけられた。
そうしてキャッキャッと喜ぶ子供たちを相手にしていると、たまにはこういうのもいいなと思う。
あくまで、たまになら、だが。
毎日は御免蒙る。
俺は自分が保育士やら小学校の先生になれるとは欠片も思わないからだ。
そうして午前中を川で過ごし、家で昼食のパンと果物を食べると、午後は魔力操作の練習をする。
最初はただ動かすだけだったが、これに少し苦労することになる。
特に朝起きてからがもっとも大変だった。
寝ている間は魔力操作などできないので、当然寝起きは魔力が安定した状態だ。
この安定した状態から揺らぎ始めるまでがとにかく大変なのだ。
そして、揺らいだ魔力を振り子のように右へ左へと動かすのは簡単だが、右に寄せたままにするとか、一部分の魔力だけを動かすとか、そういう操作は厄介だった。
何しろ手応えが非常に薄いので、上手くいっているかどうかもしばらく試してみないと分からないのだ。
だが、そういった操作もとりあえずは数日である程度できるようになった。
そして今度は魔力を集める操作を始めた。
川でもやっていた両手にそれぞれ集めるという操作だ。
これも最初は右手だけ、左手だけという風に1カ所ずつしかできなかった。
だけど慣れてくれば両手に集めるというのは割と簡単にできるようになった。
というのも、魔力の手応えが変わってきたからだ。
ただ魔力を動かしていた時は手応えに変化はなかったのだが、この”集める”という操作をするようになってから、明らかに手応えを感じやすくなった。
寝起きの安定した状態からでも、容易に動かせるようになってきたのだ。
もしかしたら、自分の中の魔力の量が増えたのか、若しくは濃度が上がったのかと予想し、今はこの魔力を集めるという操作を積極的に行っている。
今はまだ、魔力操作は意識を集中しないと上手くできない。
これをキーボード入力のブラインドタッチのように、意識しないでも指が動く、というレベルにまで引き上げたいと思っている。
「早く魔法が使いたいなあ……。」
詠唱やら神に祈るやらと、よく分からないことも多いが、とにかく魔法が使いたい。
こんな夢のような力を使うチャンスがあるのなら、確実にモノにしたいと誰だって思うだろう。
そのための努力なら一切惜しむつもりはない。
……努力で何とかなる程度の問題ならば、だが。
実際のところ、ここ数日で魔力の手応えは変わってきたが、それで何か前進しているのかというと微妙だ。
まず、魔力量を測定する手段がない。
村長宅で測った時は知らない男たちが居て、おそらく魔力を測定する水晶はその男たちが持って来た物だ。
ラディの話によると、毎年春になるとすべての村を回って、子供たちの魔力量を測定しているらしい。
おそらくは国か、若しくはこの領地の役人だと思う。
魔力量を測定する手段がそれしかないのであれば、そもそも俺のやっている努力が意味あるものなのかどうか確認する術がない。
次に量るのは9歳の測定だ。
その時に測って基準に達していなかったら、今やっていることが無意味だったということになる。
ぶっつけ本番で挑むのはできれば避けたい。
何とかして、成長しているという何らかの基準や根拠が欲しいと思っている。
そして一番の問題が、神に祈るということだ。
はっきり言ってしまえば、俺は祈ったことがない。
もちろん願ったことはある。
「ああなって欲しい。」
「こうなってくれ。」
だが、それはおそらく祈りとは違うだろう。
そもそもが、祈るということがどういうことなのか理解できていないのだ。
教会の教典を読め、音読しろ、ということなら、言われるがままに実行することはできる。
神を賛美する文章を暗記しろと言うなら、いくらでも暗記しよう。
でも、それって祈りなのか?
神に届く祈りって、それって何なの?
どうにも目に見える形で計れる物でないと、どうすればいいのかいまいち分からなかった。
(まあ、祈るうんぬんは学院に潜り込めさえすれば何とかなるだろ。)
毎年、素質だけで選ばれた真っ新な子供たちを鍛えているのだから、マニュアルもノウハウもそれなりにあるだろう。
とにかく9歳の測定で選ばれさえすれば、あとはきっと何とかなるはずだ。
まだ1年半くらい先の話になるが、おそらくそれがもっとも確実な道だと考えていた。
9歳の測定で選ばれず、教会で教わる、というルートはできれば避けたい。
あくまで俺の中の印象ではあるが、まだ夜も明けないうちに起き出して清掃などの奉仕活動をし、ぶ厚い教典をひたすら読み書きして毎日を過ごす。
そんなのは、きっと俺の精神がもたない。
いくらインドア派の俺でもストレスで死んでしまう。
教会で教われば、たしかに魔法を使えるようになるかもしれない。
だが、ただ使えればいいってもんじゃない。
魔法はあくまで手段であって、大事なのはそれでどう面白おかしく生きるか、だ。
教会に行ってそれが叶うのかは、正直微妙なところだと思う。
まあ、教わるだけ教わって還俗するという手もあるが、さすがにあまり不義理は働きたくない。
俺の好きな言葉に「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」というのがある。
そこまで聖人のようには振舞えないが、せめて心掛けようとは思っている。
ちなみに「睚眦の怨」という言葉もある。
紀元前の中国にいた、とある宰相の「睨み付けられただけの恨みにも必ず報いた」という逸話を現した言葉だ。
この人は「一飯の恩にも、睨まれただけの恨みにも、すべてに報いた」といわれる凄まじい人だ。
ここまでの苛烈さはちょっとどうかと思うが、恩を簡単に忘れるような人間にはなりたくないな、とは思う。
椅子の背もたれに寄りかかり、腕を組み、顎に手を添える。
(魔力量が増えていることを確認する方法……、何かないか? ラディに聞けば教えてくれるかもしれないけど。)
あの”笑う聖母”ならいろいろ知っているだろうが、今はまだ避けたい。
先日の頼みに行った時の様子を見る限り、今の俺があれこれやることをあまり良くは思っていなそうだ。
今は自然に成長するのを待ちなさい、というのがラディの考えなのだろう。
(自然の成長に任せるにも、そうするべきとか、それで良いと言える根拠がないからなあ。)
1年半――――。
無為に過ごすには長すぎる。
何かを成すには短すぎる。
目標は定まっているが、そのための手段が手探りという状態に、ミカは焦燥感を抱いていた。
(……弱く、か細く、糸のように。)
先日のラディの言葉が不意に浮かんできた。
(俺の手に押し込んでるって言ったか……?)
ラディに魔力の干渉をしてもらった時は軽く手を重ねただけだ。
手のひらは触れていない。
だが、波紋を感じた最初の場所は手のひらだった。
手のひらを見る。
「魔力は、外に出せる……?」
ラディは自分の魔力を糸のように伸ばし、俺の手のひらに触れ、押し込んだ。
自分の外に放出する魔力量が増えれば、それは魔力量が増えたと言える根拠になるのでは?
まだ感覚に頼る部分はあるが、取っ掛かりにはなる。
一定量を放出する練習をすれば、それを何回行えたかで魔力量の増加を数字で比較できる。
一回の放出量に多少の誤差があっても、10回だったものが20回30回とできるようになれば、明らかに増えたといえる根拠になる。
「これだ!」
思わず叫びガッツポーズをとる。
単なる仮説ではあるが、どうすればいいのかと悩んでいた中に見えた、一筋の光明。
さっそく試してみることにする。
椅子の上に座像のように座り、手のひらを上にして膝の上におく。
いつも魔力を集める時にやっているポーズだ。
最近は両手に集める練習をしていたが、とりあえずは片手でいいだろう。
意識を集中し、いつものように足から順番に押し上げるイメージで魔力を集めていく。
右肩から肘を通り、強い反発を感じるが構わず押し込む。
すべてが手首から先に集まったところで、右手を見る。
目の前に持って来た右手をじっと見つめ、魔力を手のひらの上に押し上げる。
すると右手全体が薄っすらと青白い光のようなものに包まれる。
(…………出た……!)
驚きはあるが、集中が切れないように注意し、その青白い光を更に押し上げる。
そして、球体をイメージして光が集まるように思い描くと、手のひら上にはソフトボールくらいの球体ができる。
(出来た……!)
まさか、試してすぐ成功するとは思っていなかったため、この成果には自分でも驚いた。
はぁー……と息を吐くと、光の球は音もなく一瞬でふわっと霧散してしまった。
一息ついたら、維持するだけの集中が切れてしまったようだ。
「出たよ出たよっ! まじかよ! ていうか、目で見えるのかよ!?」
魔力が目に見えるものだとは思わなかった。
これなら放出量を一定に保つのもやりやすい。
「一定量にするより、見えるなら単純に大きさ比較でもいいのか?」
先程のはソフトボールくらいの大きさだったが、限界まで大きくするとどのくらいになるのだろう。
ボーリングの球や大玉スイカのような大きさになるのだろうか。
視認することが可能なことで比較方法もいろいろありそうだ。
もう一度大きく、はぁーー……と息を吐く。
興奮していて気づかなかったが、身体に少し倦怠感があった。
「……そういえば、魔力を扱うのは疲れるとか言ってたな。」
ラディに言われたことを思い出し、ミカは椅子の上で伸びをした。
気怠さは残っているが、身体が解れたことでやる気が漲ってきた。
「まぐれじゃ意味ないしな。 何回かやって感覚を掴んでおかないと。」
先程と同じポーズになり、意識を集中する。
だが、今度は魔力を集めるのに苦労した。
精神的にも疲れているのかもしれない。
思ったように集まらない。
集中力が足りないようだ。
時間をかけて慎重に魔力を集め、右手に押し込む。
押し上げるようにイメージすると右手が青白い光に包まれるが、その光も少し弱い気がする。
集中力が落ちたのか、自分の中の魔力が減ったのだろうか。
球体を思い描くと魔力はイメージ通りに形作るが、今度はソフトボールほどの大きさはない。
野球のボールくらいだった。
(……集中力の問題か、魔力量の問題か。)
そんなことを考えていると、突然胃の中のものが込み上げてきた。
「うぐっ!?」
椅子から飛び降り、口元を押さえると、転げるように玄関から外に飛び出す。
椅子が倒れる大きな音が聞こえたが、それに構っている余裕はない。
家の横の草叢に胃の中のものをすべて吐き出し、それでも吐き気が治まらない。
しばらく吐き続け、もはや胃液すら出なくなるがそれでも吐いた。
そうして時間が経つと、少し吐き気は治まってきた。
平衡感覚も狂ったのか、ふらふらと覚束ない足取りでなんとか家に戻ると、水甕から柄杓でコップに水を注ぐ。
その水を口に含み、口の中を洗い流す。
それから水を飲むが、飲んだ途端に再び吐き気に襲われふらふらと外に出る。
飲んでは吐き、飲んでは吐きを何度か繰り返し、もう水分を摂ることも諦める。
コップをテーブルに戻すと、その場で倒れてしまった。
(…………まじで、やばいぞ……。 なんだ、……これ。)
立ち上がろうと手を伸ばし、テーブルに手をかけるが、手足がガクガクと震える。
(……ここは、だめだ。 せめて、ベッドに……。)
最近は度々アマーリアやロレッタに心配をかけている。
これ以上は心配をかけたくない。
ベッドで横になっていれば、昼寝してただけと言い訳ができる。
震える手足に力を籠める。
ゆっくりと立ち上がり、テーブルで身体を支え、倒れた椅子を元に戻す。
そうして何とか寝室に辿り着くと、俺はベッドに倒れ込んで意識を手放した。
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目が覚めて周りを見るが、まだ明るかった。
窓から外を見ると、まだ夕方にもなっていないようだ。
(……気を失っていたのはせいぜい2時間くらいか? 3時間は経ってなさそうだ。)
気怠さの残る身体をゆっくり起こし、ベッドから降りる。
身体は重いがふらつくことはなかった。
寝室を出て、テーブルの上のコップを手に取ると、柄杓で水を注ぐ。
その水を喉を鳴らす様に飲み干し一息つく。
吐き気もなくなり、体調の異変を思い出させるのは気怠さだけになっていた。
(何だったんだ、あれは?)
椅子に座ると背もたれに寄りかかり、先程の自分の状態を考える。
突然のひどい吐き気と、立っていられないほど倦怠感。
気を失うような経験は先日の熱中症以来で、自分の人生においても2度だけだ。
この世界に来てからもう2回も気を失っている。
(……熱中症の時は仕方ないにしても、今回のは何でだ……?)
右手をじっと見つめる。
あの時やっていたことといえば、思い当たることは一つしかない。
(自分の中の魔力を外に出したから……?)
最初に試した時はソフトボールくらいの光の球。
その球はどうなった?
空気中に霧散したように見えた。
自分でも、光の球に自分の中に戻るようにはイメージしていない。
それならば、見たままの通り、空気中に霧散して消えたのだろう。
その分の魔力が自分の中から失われた、と考えるのはおそらく正しい。
そして次に試した時は、野球のボールくらいの光の球。
最初の時よりも小さくなっていた。
同じように魔力を集め、むしろ2回目の方が集まりが悪い気がしたので、より慎重に集めた。
それでも1回目よりも小さい球しか作ることができなかった。
(決めつけるのもどうかと思うが、思い当たるのはやっぱり魔力か。)
魔力が減りすぎると、体調に強い影響がある。
そう考えるのが自然な気がする。
(そういえば、ラディにも無茶をするなと言われてたな。)
こういうことになるから、まずは自然に成長するのを待てということなのだろうか。
(……先人の有難い忠告を聞かないのは、愚か者のすることか。)
自分の浅はかさに思わず苦笑する。
新しい”玩具”を手に入れた子供のように、この”魔力”という玩具に夢中になってしまった。
だが――――。
(得難い経験を得た。 俺の今の魔力は、ソフトボール1個と野球のボール1個分。)
苦笑はいつの間にか、会心の笑みに変わっていた。
これを基準にすれば、魔力が増えたかを判断できる。
自分の限界を明確にすることができたのは大きい。
限界に達した時にどうなるか分かったのも収穫だった。
(魔力が集め難くなったら、そこでやめればいいってことだろ? つまり、そこまではやれるってことだ。)
今後、魔力が増えた時にも「そろそろ限界が近いぞ。」という目安になる。
少しずつ明確になっていく目標までの道標に、気分の高揚を感じる。
(……それじゃあ、先人の有難いお言葉に従うとするか。)
椅子の上で大きく伸びをして、気怠さの残った身体を解す。
「加減を覚えるためにも、適度な無茶はさせてもらおうか。」
そう、ディーゴの言葉を口にし、俺は魔力を動かす練習に入るのだった。