第5話 陽の日学校
南門でラディやディーゴとあった次の日、ミカは朝から教会へ向かっていた。
ラディは今日ミカが教会に行くことが当然のように話していたが、その理由が分かった。
今日は「陽の日学校」のある日だからだ。
学校とはいうが、別に校舎があるわけではない。ただの青空教室だ。
週に1度、教会が陽の日に開く子供向けの勉強会である。
陽の日というのはこの世界での曜日のことで、いわば日曜日のようなものだ。
陽の日、月の日、火の日、水の日、風の日、土の日の6日で1週間。
ちなみに1カ月は5週間で、1年は12カ月。
つまり、1年は360日だ。
(公転周期がそうなってんのかね?)
この世界の天文学はあまり発展していないと思っていたが、暦がある以上それなりに研究はされているのだろうか?
まあ、受け入れられなかっただけで地動説も紀元前には存在していた。
天文学とあまり関係なく暦を定めることも可能ではある。
ズレや矛盾が生じるだろうが、そんなものは適当に辻褄を合わせればいい。
多少のズレはあろうが、暦がまったくないよりは1年という周期を定めた方が生活はしやすい。
簡単な天体観測と、川が氾濫しやすい時期を起点に暦を定めた例もある。
どういった根拠での暦かは知らないが、そういうものだと受け入れた方が楽だろう。
(……でも、言いにくいんだよなあ。)
月は3カ月を1セットとして、土の?の月、水の?の月、火の?の月、風の?の月と言う。
水の1の月、水の2の月、水の3の月ときて、次は火の1の月といった風に。
そしてこの世界の日付は〇月〇日ではない。月、週、曜日で表す。
例えば元旦なら「土の1の月、1の週の陽の日」、大晦日は「風の3の月、5の週の土の日」といった感じだ。
何でも略したがる日本人としては、「土1の1陽」とか「風3の5土」と略したくなるが、それは自分の中だけに留めておこう。
(いっそのこと月を1月~12月、日付を1日~30日に置き換えればそれだけで暗号になるか?)
ミカにとっては非常に理解しやすく、かつ周りの人には理解し難い日付の記述法の出来上がりである。
3/21や9/23と書かれても、ぱっと見この世界の人には理解できないだろう。
(というか、日本語で書けば全部暗号か。)
元の世界ですら特殊な部類に入る言語だった。
この世界でなら、まさに「異世界語」である。
ちなみに俺はこの世界の言葉にまったく苦労していない。
これもミカ・ノイスハイムの記憶のおかげか、身体が覚えているとでも言えばいいのか。何の苦労もなく二言語話者だ。
ミカはてくてくと歩き続け、中央広場の先にある教会に着いた。
ノイスハイム家は村の南東の端に近いため、ミカの足では普通に歩くと10分くらいかかる。
一般の家屋には塗装などしないのが普通だが、教会は壁を真っ白に塗り屋根は青いので非常に目立つ。
そして屋根の上には光神教のシンボルである6つの輪が掲げられている。
6つの輪は、4つが縦に並び、2番目と3番目の輪の左右に1つずつ輪がある。
(……なんか、クリオネを彷彿とさせるフォルムだな。)
ふと思いついただけだが、つい一番上の輪からバッカルコーンが飛び出すところを想像してしまい噴き出しそうになった。
慌てて口元を手で隠し、落ち着け……落ち着け……と自分に言い聞かせる。
通勤電車の中で、スマホでネットを見ていて思わず笑いだしそうになった時によくやった誤魔化し方だ。
まあ、肩が震えているので周囲にはバレていただろうが。
光神教は光・闇・火・水・風・土を司る6柱の神々を主神とする宗教らしい。
本来、この6柱の神々に優劣も上下もないため六神教とすべきだが、神話の内容か教義の都合かは知らないが光神教を名乗っている。
この世界では、揺り籠から墓場まで光神教のお世話になるのが当たり前のようだ。
ミカとしても、特に信心などなくても必要な時だけお世話になることに何の違和感もない。
子供の頃からクリスマスにケーキを食べてプレゼントを貰い、1週間後に寺社で除夜の鐘を衝き、翌朝には初詣で神社に行き賽銭を投げられるくらいには臨機応変である。
子供にとって、陽の日学校という教会で開かれる勉強会が当たり前のものなのであれば、それに参加することになんら異存はなかった。
少しだけ、面倒だなあ……と思ってしまう以外は。
教会の前にはすでに6人ほどの子供が来ていて、わいわいとなにやら騒いでいた。
その中に混ざって積極的に騒ぐ気にはなれないので、おはようございますとだけ声をかけて端の席に座る。
教会の入口横の広いスペースに椅子が半円状に10個ほど出ていて、大抵はそれで足りる。
リッシュ村の子供はもっといるが、陽の日学校は任意参加だ。
文字の読み書きや計算がある程度できるようになれば、自然と参加しなくなっていく。
もしも10人以上集まって椅子が足りなければ、教会の中へ取りに行けばいい。
そしてここ数年、10人以上が集まったのはミカが陽の日学校に通い始めた最初の頃だけだ。
通い始めてからしばらくして年長の子が来なくなり、その後数人減ってから年少者が増えて……と、そんな感じで増減しながら現在は8人くらい。
いつもならあと一人参加するくらいだが、任意参加なので毎回必ず来るものでもない。
席に座って少し待つとラディがやって来て、陽の日学校が始まった。
子供たちが元気よく挨拶をすると、ラディも優しく微笑んで挨拶をする。
相変わらず陽の光を浴び、きらきらと輝くその姿は聖母のようだ。
(……笑い方おっさんのくせに。)
笑われたことをまだ根に持っているミカだった。
ラディが小さな黒板とチョークのような物を子供たちに配っていく。
黒板は木の板で、子供が足に置いて使用できるサイズ。
30×40センチメートルくらいの横長の長方形だ。
表面には黒っぽい塗料のような物が塗られている。
チョークは記石といって、見るとその名のとおり石だった。
ぱっと見はサイズもチョークそのものだが、何かの石を書きやすいように加工した物のようだ。
それらと一緒にボロ布を渡される。おそらく間違えた時に消すためだろう。
渡された黒板にはすでに何か書かれており、それが計算の問題だとすぐに気づいた。
(前回の復習か?)
ミカ・ノイスハイムの記憶を探ると、この問題が前回習ったことの復習だと分かる。
3桁と4桁の足し算と引き算だ。それぞれ2問ずつが書かれていた。
隣の席の子供を見ると、そちらの黒板には違う内容が書かれている。
おそらく年齢や習熟度で教える内容がバラバラなのだろう。
ふむ……、と少し考える。
別に計算の答えを考えているわけでない。
この程度の足し算引き算など考えるまでもなく答えを出せる。
考えているのは、それをさっさと書いてしまって大丈夫だろうか、ということだ。
ミカ少年はあまり勉強が好きではなかったようだ。
まあ、勉強を好きな子供などいたら「目を覚ませ!」と引っ叩きたくなるくらいには俺も勉強は嫌いだった。
そのミカ少年がいきなりすらすらと答えを書いてみせたら、ラディに変な疑念を抱かせないだろうか。
そのことを考えていたのだ。
「この前やったところだけど、忘れちゃった?」
ミカがどうしようかと悩んでいると、順番に子供たちを見ていたラディが声をかけてきた。
他の子供たちは答えが分からなくても、分からないなりにガシガシと黒板に何かを書いている。
まったく手をつけようとしないミカを見て気になったようだ。
「大丈夫です。この前のをちょっと思い出していました。」
「そう? それじゃ頑張ってみて。 分からなかったらいつでも言うのよ?」
そう言って、他の子供の方へ行く。
(いきなり出来るようになって注目されるのは嫌だが、出来な過ぎて気にされるのも困るな。)
出来過ぎず、出来な過ぎず。もっとも手のかからない普通の子でありたい。
正体がバレるリスクを減らすために。
とりあえず、ラディが次に来るまでに2問。その後に残りの2問を解くくらいのペースにしてみる。
いざ答えを書こうとして、そこで手が止まる。
(これ、本当に書いて平気か?)
黒板と記石を見る。
黒板は木の板に塗料のような物を塗っただけの物。
それを記石で書いて、塗料が剥げやしないかと心配になった。
(……他の子供たちも普通に書いてるし、大丈夫なんだろうな。)
とりあえず気を取り直して答えを書く。
そうして次にラディが回ってくるのを大人しく待つ。
(それにしても、この世界でも数字は10進法なんだな。 扱いやすくていいが。)
元の世界でなぜ10進法が定着したのか知らないが、同じような理由でこちらの世界でも採用されたのかもしれない。
プログラマーをやっていたので2進法や16進法も扱えるが、やはり日常生活でもっとも触れることの多い10進法が一番扱いやすい。
もしもこの世界が7進法や12進法でもすぐ扱える自信はあるが、やはり直感的で馴染みやすいのは10進法だろう。
余談ではあるが、手の指を折って数を数える時、普通は1本ずつ折っていくので片手では0~5までが限界だろう。
だがごく一部、本当にごく一部の変人たちはこの指を1ビットとして扱うことがある。
そう、2進数で数えるのだ。
すると、片手で0~31までを数えることが可能になる。
両手を使えば、なんと0~1023まで数えることが可能だ。
…………当たり前の話ではあるが、これが役立ったことは一度としてないことを付記しておく。
そうして計算の時間が終わると、少しの休憩を挟んで今度は光神教の教典の話になった。
と言っても難しい話ではなく、神々のエピソードの中から教訓になりそうなものをピックアップして、子供にも分かりやすい寓話として話すのだ。
そうやって光神教の教えを子供たちに刷り込みながら、生活の中の知恵のようなものも一緒に覚えていく。
例えばある果実の話だ。
その果実はとても美味しいのだが、皮の部分に強烈な苦みを持つ。
なぜその果実の皮に苦みがあるのかを神話で理由をつける。
元々は皮にも苦みなどなかったが、人が食用にしていたその果実を迷惑な獣が食い荒らしてしまった。
そこである神様が皮に苦みを待たせることで、その迷惑な獣を追い払った。
そして神様は人々にその果実の食べ方を教える。
皮を剥けば今まで通り食べられる、と。
こうした寓話を通じ子供たちはその果実をそのままかぶりつくのではなく、皮を剥かないといけないと教わるのだ。
ラディは子供たちの前の椅子に座り、お話を朗読していく。
今日の話は【偽りの神】の話のようだ。
【偽りの神】と言っても、この神様が”神様の偽物”ということではなく、何かを偽ったりするという行為を司る神様らしい。
【闇の神】の眷属神で、偽りの姿、嘘やイタズラ、隠し事なんかもこの神様の守備範囲だ。
そしてこの神様、実は子供たちに結構人気だ。
というのも、イタズラを司るということでかなりの頻度で寓話に出てきては、いろいろな神様にイタズラを仕掛ける。そして毎回痛い目にあう。
それが面白いのだろう。
今回の話でも懲りずに【火の神】の大事な杯にイタズラして、壊してしまったようだ。
壊れた杯を見て【偽りの神】の仕業だと怒った【火の神】は、【偽りの神】を懲らしめようとする。
だが【偽りの神】はその姿を象に変えてまんまと逃げ果せた。
怒りが収まらない【火の神】は、【真実の神】と【遠見の神】に【偽りの神】を探してくれと頼む。
【真実の神】と【遠見の神】が協力し、「象よりも大きければ、世界のどこに居ても見つけられよう。」と【偽りの神】を探す。
それを聞いた【偽りの神】はこれでは見つかってしまう、と今度は牛に姿を変えた。
【偽りの神】を見つけられなかった【真実の神】と【遠見の神】は、「もっとよく見てみましょう。」と今度は牛より大きければ見つけれれるように、よーく世界を見渡した。
それを聞いた【偽りの神】はこれでは見つかってしまう、と今度は狼に姿を変える。
そんなことを何度か繰り返し、最終的に【偽りの神】は蝿になった。
【真実の神】と【遠見の神】は、【偽りの神】を見つけられなかったことを謝るが、今後も探し続けることを【火の神】に約束する。
【偽りの神】はまんまと逃げ果せたとほくそ笑むが、そこに1匹の蛙がやってくる。
そして【偽りの神】が変身した蝿を食べてしまうのだ。
元の姿に戻れば蛙の腹から出られるが、そうすると【真実の神】と【遠見の神】に見つかってしまう。
仕方なく蝿の姿のまま、今も蛙の腹の中に【偽りの神】がいる、というお話だ。
子供たちの反応は上々のようだ。
次々と姿を変え、その度に監視の目から逃れる【偽りの神】に子供たちは「えぇ~……。」と落胆と抗議の声を上げていた。
だが、最終的に蛙に食べられると「やったぁ。」と大喜びだ。
幼稚な寓話ではあるが、教訓としては神様が見てるから”悪いことはしてはいけないよ”ということと、”うまく逃れても報いはくる”といったところか。
あとは「蛙を殺さないように」というのもありそうだ。
蛙は益虫だから、と言っても子供には理解しにくいかもしれない。
だから”お腹の中に【偽りの神】がいるかも”ということにしているのではなかろうか。
しかし、壊れた杯を見て即【偽りの神】を疑うのはどうかと思ってしまうのは俺だけなのか?
そして【偽りの神】も、何で逃げるために変身するのが最初に象なんだ?
もっと目立たない物に変身しろよ、と言いたくなる。
こうして陽の日学校は終わる。
陽の日の午前中2時間くらいを使い、少しずつ文字や計算、そして寓話を通じて神々のことや生活の知恵を覚えていく。
義務教育などない、なんともゆるい教育システムだ。
しかし、それも教会があればこそだ。
もし教会が陽の日学校を行わなければ、それこそ文字の読み書きや計算ができないことが当たり前になっているだろう。
勿論、教会も将来の信者を確保するという下心があるのだろうが、それを差し引いてもこの陽の日学校による恩恵は大きい。
しかも陽の日学校は無料だ。月謝などなく、教会への寄付によって賄われている。
リッシュ村の寄付だけでここの教会が維持できるとは思えないので、おそらく教会全体に集まった寄付金から予算が分配されているのではないだろうか。
そんなことを考えていると、ラディはミカともう一人、ヌンツィアという女の子に残るように言う。
(……なんかやらかしたっけ?)
一瞬ドキリとするが、それならミカだけを残すだろう。
自分以外にも残る子供がいるのなら、そう大したことではないだろうと思い直す。
みんなが帰った後、椅子や黒板などの片づけを手伝う。
片づけが終わると、ラディは教会の一番前の席にミカとヌンツィアを並んで座らせる。
教会の中はこじんまりとしていて、ステンドグラスなどはない。
大き目の家屋を教会に改造しただけのように思える。
奥の台に6体の神像が並び、そちらに向けて長椅子が並んでいるだけのシンプルな作りだった。
「二人は春に村長さんのお家に呼ばれ、水晶に触るように言われたことを覚えていますか?」
最初は「は?」と思うが、記憶を探るとすぐに思い当たる。
どうやら3カ月くらい前のことで、確かにそんなことがあったようだ。
アマーリアに連れられ村長の家に行くと、村長以外にも見知らぬ数人の男たちが居て水晶に触るように言われたのだ。
水晶に触りはしたが特に何もなく、そのまま家に帰された。
その時、ミカの横に座っているヌンツィアも呼ばれていたことを思い出す。
ヌンツィアがこくんと頷くと、ミカも頷く。
二人が頷くのを確認すると、ラディは言葉を続ける。
「あれは二人の魔力を調べていたのですよ。」
「……魔力?」
ラディの言葉に、ヌンツィアが呟く。
(おいおいおい、また”とんでも”な単語が出てきたぞ。)
何度か瞬きし、「本気で言ってんのかこの人?」とラディを見る。
ラディはミカたちが理解しているかを確認するように、一つひとつ丁寧に説明する。
この国はエックトレーム王国といい、国の法律により7歳と9歳で魔力の量を調べるらしい。
それが春の村長宅での出来事だ。
魔力量は9歳までに一定量以上に達していないと、以降はあまり増えないらしい。
それなら9歳の時だけ調べればいいと思うが、早い子供では7歳ですでに基準の量に達している。
そして、そうした子供は9歳で基準に達した子供よりも伸びがいいらしく、早ければ早いほど、鍛えれば鍛えるほど伸びていくのだ。
もし7歳で基準に達していれば、近隣領のそうした子供たちを集めた学院で8歳から【神の奇跡】を学び、10歳で王都の学院に行く。
9歳で基準に達した子供も10歳で王都の学院に行く。
10歳の学院は法で義務付けており、8歳の学院はその地方の領主が任意で行っている。
領主としては才能ある者と早い段階で繋がりを持てば、学院修了後に自分の領地に来てもらえるかもしれない、というメリットがある。
すぐに自領に来なくても、いずれは故郷で、と考える者は多いらしい。
ならば、その才能を大いに伸ばしておいてもらいたいのだ。
「……ということは、僕たちは才能ないのでは?」
そうミカが言うと、ヌンツィアもこくんと頷く。
「エックトレームの法ではそうなのでしょうね。」
予想された言葉だったのか、ラディはまったく気にしていないようで、いつも通りの微笑みを浮かべている。
国の定めた法があり、基準に達していたら”学院”とやらに行くことが義務らしい。
そして、その基準に自分たちは漏れたのだから、そこで話は終わりだろう。……普通なら。
腕を組み、顎に手を添えて「んー……。」とミカは考える。
(国の法律で明確にラインが決まっているのだから、そこで話は終わりだろ。 なんでラディは俺たちを呼んだ? そういえば、昨日試すとか言ってたが……。)
ラディは、ミカが考え込んでいるのを見て、面白いと思った。
自分が思っていたよりも、好奇心の強い子なのかもしれない、と。
つい1週間前、たった一人でコトンテッセまで行こうとしていた。
それは非常に危険な行為であり、実際にミカは途中で倒れ、命の危険もあった。
だが、そうせざるを得ない何かが本人の中にあったのだろう。
そして、昨日も自分に聞いてきた。【神の奇跡】とは何か、と。
これまでにも何度か【癒し】を見ていたはずだ。
だが、今までは一度もそんなことを聞いてきたことはなかった。
怪我を治すところを見て「すごい。」と言っていたことはあったが、それが何であるかを尋ねてきたことはなかった。
単純に【神の奇跡】で納得していたのだ、これまでは。
どのような心境の変化なのかは分からないが、ミカが降参するまで辛抱強く待ってみようと思った。
(国の法、義務。 魔力の測定。 村長宅の男たち。 国か領地の役人? ラディ……シスター、教会。)
ミカはそこまで考えて、閃くものがあった。
「……教会の、基準?」
国は魔力量の基準を定めている。
そうやって、才能ある者を国がごっそり持って行ってしまう。
では、教会は?
教会にも【神の奇跡】を使う者がいる。ラディのように。
何らかの基準を設け、国の法に抵触しない方法で才能のある者を選別しているのではないか?
例えば人の魔力量の限界が100だったとして、仮に国の基準が60だとしよう。
では、59だった人はどうなる?
うまく指導すれば60だった人と同程度の使い手に成長するのでは?
具体的な方法は分からないが、国の基準とは違う方法で才能のある者を選別しておき、9歳で国の基準に達した者は国が学院で育て、達しなかった者を教会が育てるのではないだろうか。
頭の中で考えを整理しながらそれらを伝えると、ラディは驚きで固まってしまった。
「お家の人に……、アマーリアさんやロレッタさんに聞いていたわけではないのね?」
ミカが頷くと、ラディはふぅーと大きく息を吐いた。
「聞いて知っていたという子はよく居ますが、考えて自分で気づいたというのは初めてですね。 聞いたこともありませんよ?」
ラディは本当に驚いているようだ。
(まあ、普通はそこまで考えないか。 7歳が対象だしな。 そんな子供がいたらそりゃ驚くか。)
尋ねればラディも普通に答えてくれただろう。
そのために呼んだのだから。
気を取り直してラディは説明を続ける。
「これから二人には私の魔力を少し流します。 何かを感じたら、それを教えてください。」
非常に曖昧な内容だった。
(何かを感じたらって何をだ? 魔力か? 魔力ってどんな感じなんだ?)
まったく意味が分からなかった。
だが、その後の説明でようやく少し理解できた。
要は感受性?を試す、ということらしい。
「魔力量を調べるというのは確かに理に適っているのですが、【神の奇跡】を扱う上で他にも重要なことがあります。 魔力を感じる力です。」
魔力というのは、そもそも誰にでもある物らしい。
というか、そのへんにある物も含めてすべてが魔力を持っている。
空気も含めてだ。
厳密に言うとそれらは魔力ではなく魔素ということらしいが、要はこの世界は魔力に満ちているのだとか。
だが、普通は魔力を感じることはないし、見ることもできない。
自分の魔力は自分で感じることができるが、それ以外の魔力を感じることはできないらしい。
その自分の魔力も、生まれてからずっと満ち足りた状態で安定しているので、揺らぐことがなければ自覚することはないのだという。
これからやるテストもラディの魔力を感じるのではなく、ラディの魔力に干渉された自分の魔力を感じる、ということのようだ。
魔力の多い人でも感受性が低いとなかなか上達しにくく、逆に多少魔力が少なくても感受性の高い人は上達しやすい。
そして多少の魔力量の多い少ないなど、後からいくらでも逆転できる。
そこまでラディが明言したわけではないが、どうやら教会はそういう考えらしい。
これなら魔力量重視の国の方針とぶつかることなく、教会も【神の奇跡】の使い手を確保することができる。
「それでは、手を。」
そう言ってラディはヌンツィアに両手を差し出す。
手のひらを上にして、ヌンツィアがその手の上に自分の手を重ねる。
「ゆっくり大きく息を吸って。 吐いて。 痛いことも怖いこともありませんよ。 気持ちを落ち着かせて。」
言われた通り、ヌンツィアはゆっくりと大きく息を吸い、そして吐く。
ミカは二人の様子をじっと見守るが、見ている方が緊張してくる。
少しずつ大きく、早くなっていく鼓動を感じ、落ち着け……落ち着け……と自分に言い聞かせるのだった。