第45話 ボスの交代?
風の1の月、2の週の月の日。
秋の最初のイベント、収穫祭も終わってこれから少しずつ冬支度を進めていく頃。
ミカは自室で家族に手紙を書いていた。
「ふぅー……、こんなもんでいいかなあ。」
ずっとペンを握っていた右手を振り、強張っていた手を解す。
電子メールが浸透した世界から手書きの世界に来ると、本当に手紙というのはつらい。
書くのも大変だが、何より書き間違えても修正ができない。
しかも始めから書く内容を頭の中でまとめ、文章の構成を考えておかねばならない。
まあ、そんなの気にしないで取り留めのない内容を思いつくままに書いてもいいのだが、どうしても元社会人としては文章の構成というのは気になってしまうのだ。
そんなことを考えてしまうから面倒な手紙が余計に面倒になり、書くのが億劫になってしまう。
それでも、せめて2カ月に一度くらいはと思い、書くようにしている。
インク瓶を閉め、インクが乾くまで手紙を横に追いやり、ミカはお金の準備をする。
銀貨五枚。
ミカは手紙を出す時は、必ず仕送りを入れるようにしている。
といっても大した金額ではない。
書き始めた頃は銀貨二枚程度を入れるのが精一杯だったが、最近は少し余裕があるので銀貨五枚に増額した。
手持ちは勿論もっとあるのだが、ミカとしても防具を買い揃えたりしないといけないので、少し抑えめにしている。
無理をしてミカが冒険者として活動できなくなれば、仕送り自体ができなくなってしまう。
最悪、命を落とすこともあるだろう。
なので、自分の装備を整えること。これを最優先にする。
その上で、できる範囲で仕送りを続けていければ、結局はこれが一番多く仕送りできることになる。
あまり近視眼的になってはいけない。
全財産を今送っても、そこで万が一があれば仕送りを継続できなくなる。
それよりも、少しずつでも長期間送った方がトータルでは上回る。
どうせ今のミカの全財産など、たかが知れているのだから。
ミカは銀貨を一枚ずつ小さな布切れで包み、その包みをまた少し大きい布で一まとめにする。
お金同士がぶつかって音がしないようにする方がいいというのは、メサーライトに教わった。
この世界にはまだ郵便に関する法律などないので、手紙に現金を入れるのは普通のことらしい。
正直、中身を抜かれたりするのが怖いが、これしか方法がないので仕方ない。
これを冒険者ギルドに持ち込むと、コトンテッセまで届けてくれるのだ。
銀貨五枚で。
ぶっちゃけ、むちゃくちゃ高いと思うが、他にないのだから本当に仕方ない。
冒険者ギルドは、冒険者を使った郵便網のようなものを確立しているらしい。
ギルドは頻繁に街から街へ郵便物の移送を行っており、その運搬と護衛を冒険者に依頼として出す。
銀貨五枚というのは、その冒険者への報酬やギルド職員の給料に充てられる訳だ。
ミカの手紙でいえば、サーベンジールからヤウナスンに送られ、更にコトンテッセへと運ばれる。
コトンテッセではギルドに留め置かれ、リッシュ村の商店が仕入れでコトンテッセを訪れた時に受け取るらしい。
この商店の人がリッシュ村に持ち帰り、各村人に渡してくれる、という流れだ。
手紙を安く送りたい場合、一枚の紙を折りたたみ封蝋をして送るのが最も安いのだが、ミカは仕送りもしたい。
なので、ミカのは手紙といっているが実際は小包のような物だ。
お金を包んだ布に手紙も入れ、それを更に大きい紙で包んで、紐で縛って封蝋をする。
重さ自体は大してないので、これでもまだ安い方なのだ。
ミカは手紙の準備が終わると大きく伸びをして、アマーリアやロレッタのことを思い出す。
手紙には毎回返信不要と書いているので、家から手紙が届くことはない。
手紙の返信をするだけで今回の仕送り分が無くなってしまうので、頼むから生活のためにお金を使って欲しいと、これまでの手紙でも何度も書いている。
あの二人のことだから、「ミカからの仕送りなんて勿体なくて使えない。」とか言いそうだとミカは予想している。
ミカとしては、ミカからの銀貨を握り締めて餓死や凍死するようなことにはなってほしくないので、「貯えてもいいけど、必要な時に使ってくれることが一番嬉しい。」と毎回必ず書くようにしている。
特にこれから冬支度で、いろいろと物入りのはずだ。
冬の間の食料や薪代にしてくれるといいな、と思う。
「ミカ、手紙は書き終わったの?」
メサーライトが声をかけてくる。
「うん。 今終わったとこ。」
「案外早かったね。 どうする、先に湯場行っとく?」
思ったよりも早く書き終わったので、まだ夕食の時間になっていないようだ。
このまま食堂が開くのを待つより、先に湯場に行って、そのままに食堂に行くのが一番スムーズな流れか。
「そうだね。 そうしよっか。」
ミカはメサーライトと湯場に行くことにした。
着替えの運動着と、洗濯物を詰める布の袋を持って一階に向かう
階段を下りた所で丁度湯場から上がったらしい、リムリーシェたちクラスメイトの女の子三人組に会った。
「ミカ君、これから湯場?」
「そうだよ。 リムリーシェは今出たところ?」
「うん。」
リムリーシェは少し頬が火照り、ほかほかになっている。
この世界では浴槽にお湯を張って浸かるような習慣はないが、寮の湯場は大抵数人が入っている。
湯気が立ち込めて、ほとんどサウナのような状態だ。
リムリーシェは以前はぼさぼさの髪だったが、寮で生活していくうちに少しずつ改善されている。
どうもツェシーリアが非常に面倒見がいいようで、そういうところを少しずつ直していってくれているようだ。
相変わらず、前髪で目元はあんまり見えないけど。
もう一人の、前髪で目元が見えない女の子チャールは、ツェシーリアの後ろでもじもじしている。
この子はいつもこんな感じだが、以前のリムリーシェのような引っ込み思案というわけではない。
ミカのことをじぃー……と見つめ、よくぶつぶつ独り言を言っている。
前に何を言っているのだろうと気になって、”地獄耳”を使って聞いてみたことがあるのだが……。
「…………ミカ×メサ……鉄板過ぎ……? メサ×ミカ? ……それなら……ムル×ミカの方が……。」
背筋に寒いものが走った。
(え? 何言ってるのこの子? 何か、語感に聞き覚えが……。)
もしかして、腐ってますか?
それ以降、なるべくチャールの存在をミカは気にしないようにしている。
(……手を出さなければ危険はない。 そっとしておくのが一番だ。)
8〇1板には手を出すな。
8〇1だけはやめておけ。
それは、ミカのような古参のネット住人に伝説のように語られ、知れ渡っている真理の言葉だ。警句と言っていいかもしれない。
その闇に触れなければ害はない。
そう自分に言い聞かせ、心の均衡を保つミカだった。
■■■■■■
翌日、午前中の魔力操作の訓練。
ミカは項垂れ、打ちひしがれていた。
「…………やっぱり僕、才能ないかも……。」
「また言ってる。」
ミカの呟きに、メサーライトが呆れたように肩を竦める。
ミカは魔力を留める訓練を集中して行っている。
他の子が魔力を感じる力の訓練、魔力を動かす訓練、魔力を留める訓練をしている中、これだけに専念して訓練を行っているのだ。
(……何で”制限解除”中だと、まったく留められないんだ?)
すでに半年くらいこの訓練に専念している。
なのに、まったく進歩しているような感じがない。
これだけ思い通りに魔力を動かせるのに、留めることだけが異常なほどできない。
”制限”中なら苦もなく留めておけるのだから、そこまで大きな問題ではないが、あまりに成長しない自分に泣きたくなってくる。
(……”制限”中は留めておけるってことは、”条件付け”が上手く機能している証拠ではあるんだけど。)
はぁーーーー……っと特大の溜息をつくミカを、メサーライトが苦笑する。
「……あ。」
そんな、小さな呟きが耳に届く。
何だろうと思い顔を上げると、リムリーシェがいつもの魔法具を使い、魔力を感じる力の訓練をしていた。
リムリーシェは魔法具から手を離し、自分の手を見る。
それからまた魔法具に手を置き、目を閉じてじっとしている。
「……分かるの? リムリーシェさん?」
ダグニーが恐るおそるといった感じで尋ねる。
集中しているリムリーシェの邪魔をしてはいけないと思っているのかもしれない。
「……分かる。」
目を閉じたまま、リムリーシェはダグニーに答える。
手を魔法具に置いたまま、集中して魔力を感じ取っているようだ。
「…………分かる……分かるよ。 わたし、分かる! ミカ君っ!」
リムリーシェはバッと振り向き、ミカを見る。
(……え? もしかして、魔法具の魔力を感じられるようになった?)
呆気にとられているミカに、リムリーシェが駆け出してそのまま抱きつく。
「ミカ君!ミカ君!ミカ君! わたし、分かったの! 魔法具の魔力! 分かったよ、ミカ君!」
そう言って、リムリーシェは「ふえ~……ん」と泣き出してしまう。
そんなリムリーシェに、みんなはスタンディングオベーションで惜しみない拍手を送る。
(いや、拍手はいいから! リムリーシェを何とかしてくれ! 恥ずかし過ぎるんだけど!?)
でもまあ、嬉し涙ならいっか、とリムリーシェの頭を撫で、泣き止むまで「良かったね。 よく頑張ったよ。」と声をかけるミカなのだった。
そしてその日の放課後、リムリーシェは再び泣いていた。
ただし今度はみんなの視線が冷たく、その視線はなぜかミカに向けられている。
(……どうしてこうなった。)
午後の運動の後、ミカは固い地面の上に正座をさせられ、クラスメイト全員に取り囲まれていた。
あのムールトでさえ、このミカ包囲網に加わっている。
お前、いつも一人でいるくせにこんな時だけ入ってくんじゃねえよ!と思わずにいられないが、とても口に出せる雰囲気ではない。
まあ、何だかんだ言っても最近はそこまで一人でいることもなくなったけどな。
「ミカさぁ……いくら何でも、それはないんじゃないの? ねえ?」
仁王立ちのツェシーリアの冷たい視線がミカを見下ろす。
リムリーシェは、そんなツェシーリアの背中に隠れ、しくしく泣いたままだ。
「そう、言われましてもですね……。」
「口答えしない。」
「はい……。」
この世界に言論の自由という概念は存在しないらしい。
重苦しい空気の中、ツェシーリアの冷えた言葉がミカに投げかけられる。
「とりあえず、何でそんなことを言い出したのか。 理由だけは聞いてあげる。」
ミカに、一部発言権が認められた。
というか、こいつは何だ?
判事か?
「理由と言われましても、魔力を感じる力もはっきりとした成果がありましたし、土の日の特訓はもう必要ないのではないか、と。」
そう。
今日リムリーシェは、ついに魔法具を使った訓練で魔力を感じることができた。
数カ月におよぶリムリーシェの努力は報われた。
なので、「もう土の日に特訓をしなくて済むね。」と声をかけただけなのだ。
ミカとしては「おめでとう」くらいの気持ちだったのだが、リムリーシェが突然泣き出した。
それを横で聞いていたツェシーリアが怒り出し、周りにいた子たちを扇動して、この私刑が始まったのだ。
ひどい。
ミカの言い分を聞き、ツェシーリアが溜息をつく。
メサーライトは片手で顔を覆い、やれやれといった感じで首を振る。
……お前も敵か、メサーライトよ。
「そんなに嫌なの? 土の日の特訓が。」
ツェシーリアがミカに尋ねる。
「嫌とか嫌じゃないとか、そういうことじゃなくて。 もう必要がないんじゃ――――。」
「必要ならあるわ。」
ツェシーリアがミカの言葉を遮る。
ツェシーリアは後ろを向いてリムリーシェに何かボソボソと話しかける。
さすがにこれを盗み聞きするような悪趣味なことはしない。
リムリーシェはツェシーリアの話にぶんぶんと首を振ったり、こくんと頷いたりしている。
ツェシーリアが再びミカの方を向く。
「土の日の特訓、嫌なの? 嫌じゃないの?」
「だから、そういうことじゃ――――。」
「どっち?」
どうやら、まだミカに自由な発言は認められていないようだ。
「嫌ではないです。」
「じゃあ、続けてもらえる?」
「それは構わないけど、これ以上何を?」
ミカとしては、手を貸せることがあるなら続けるのは構わない。
ただ、何が必要なのか分からないのでは、手の貸しようがない。
「リムリーシェはようやく私たちの半年前の状態になっただけよ? その差を少しでも埋める方法が、ミカなら何か思いつくんじゃない?」
結構な無茶振りである。
だが、確かに自力で魔法を使えるようになったミカなら、学院で訓練してるだけのみんなよりは何か方法を思いつく可能性は高い。
「すぐにはちょっと思いつかないけど……、確かに何かあるかも。」
「なら、それをお願いできない?」
「分かった。」
ミカの返事を聞き、みんなが一斉に「ほぅ……。」と息を吐く。
何なんだ、お前ら。
こうして、足の痺れたミカを置き去りにしてみんなは寮に戻って行く。
リムリーシェだけは何度も振り返ってミカを心配そうに見ていたが、ツェシーリアが「これくらい、いい薬よ。」と引っ張っていく。
この日から、ミカの勘違いかもしれないが、ツェシーリアがクラスを引っ張っていっているような雰囲気がしないでもない。
あれはボス争いの反乱だったのか?
もしかして俺、反逆された?
■■■■■■
そして次の土の日。
いつもの時間より少し遅らせてほしいと言われて、1時間遅れで学院の森林に向かう。
ミカはいつも特訓をしている木の根元に着くが、リムリーシェはまだ来ていないようだった。
(……?)
妙な気配がした。
少し離れた木の方に誰かいるような感じがする。
ミカが注意深くその木を見ていると、リムリーシェがもじもじと木の後ろから姿を現す。
「……え? リムリーシェ?」
その姿にミカは驚く。
リムリーシェはいつものように少し俯くが、その目元を隠していた前髪がない。
髪が整えられ、ぼさぼさした感じなど欠片もなかった。
所謂ベリーショートといわれるくらいの髪の長さだ。
いくら何でも、いきなりばっさりやりすぎだろう。
リムリーシェも恥ずかしいのか、しきりに髪をいじり、目元を隠そうとする。
そんなことをしても、ぱっちりとした大きな目が丸見えなのだが。
「びっくりした。 髪切ったんだね。 それで時間を遅らせたの?」
ミカが尋ねると、リムリーシェは恥ずかしそうにこくんと頷く。
つい2時間くらい前まではいつもの髪の長さだったのだ。
午前の授業が終わってから、誰かにカットしてもらったということになる。
「あの……、あんまり、見ないで……。 恥ずかしいから……。」
ミカがあんまりじろじろ見るので、リムリーシェはますます俯いてしまう。
「ああ、ごめん。 恥ずかしいよね。 でも、似合ってるよ。 すっごく可愛い。」
ミカが褒めると、リムリーシェは真っ赤になった顔を両手で隠して、しゃがみ込んでしまう。
そして、リムリーシェの出てきた木の後ろから、「やった。」と小さく声が聞こえた。
この声はツェシーリアだろう。
「萌える……。」という声も聞こえたが、これはおそらくチャールだ。
クラスメイトの女の子三人組が揃っているらしい。
(これは、ちょっと今日は特訓どころじゃないな。)
ミカは苦笑する。
まあ、ミカもまだリムリーシェの新しい特訓内容を決めかねているところだ。
とりあえずは、これまで通りに魔力を感じる力を訓練してから、魔力を操作する訓練の方法をいろいろ試そうと思っていた。
とは言え、いつまでも隠れられていても落ち着かない。
「……いつまで隠れてるんだ?」
ミカが声をかけると、「うっ。」と声を詰まらせる。
その後、静かなまま動きがない。
「誤魔化すな誤魔化すな、バレバレなんだから。 いいから出て来なよ。」
ミカが続けて言うと、観念したのかツェシーリアとチャールが出てくる。
「……ちょっと、ミカ。 こっちのことなんか気にしないで、もっとリムリーシェを褒めなさいよ。 気が利かないわね。」
なぜかジト目でツェシーリアに文句を言われた。
「そう思うんだったら、そんなとこに居るんじゃねーよ。 気になるわっ。」
「ちっ。」
舌打ちされた!?
え、俺が悪いの?
あまりに理不尽な扱いに、「こ、このガキ……」とつい握る拳に力が入ってしまう。
「まあいいわ、今日のところは譲ってあげる。 特訓の邪魔しちゃ悪いしね。」
そう言ってツェシーリアは、リムリーシェの耳元でぼそぼそと何かを囁く。
手で顔を覆ったまま、リムリーシェはぶんぶんと首を振る。
それを見て、ツェシーリアは肩を竦めた。
「それじゃあ、私たち行くわ。 行こチャール。 ミカ、存分にリムリーシェを褒めて、褒め殺しなさい!」
ビシッとミカを指さして、ツェシーリアは森林の外に出て行く。
(……褒め殺しの意味分かってねーだろ、お前。)
ようやくうるさい奴が居なくなった、とミカは一息つく。
リムリーシェは、相変わらずしゃがみ込んで顔を隠したままだ。
ミカはリムリーシェに声をかけて、とりあえずいつもの木の根元まで移動する。
そして、いつもの場所にリムリーシェを座らせると、自分もまたいつも通り隣に座る。
それから、リムリーシェが落ち着くのを待つことにしたのだった。




