第3話 異世界2
「ミカッ!」
「え!? ちょ、ええぇーーーーーーーーーー!?」
突然年若い少女に抱きしめられ、律は大きな声を出してしまった。
「ちょっ! 待って! 待って待って!! なに!?」
振りほどく、というよりはやんわり引き離そうとするのだが、そもそも身体がうまく動かない。
シーツが掛けられ、その上子供の身体になっているのだから思うように動けなくて当然だろう。
だが、突然の少女からの過剰な抱擁で冷静に考える余裕などない。
無様にもがく律を誰が笑うことができるだろう。
「プッ! あははははっ!」
ベッド横の椅子に座った、先程少女と話をしていた女性が堪えきれず笑いだした。
ひぃーーっなどと言いながら膝を打ち、手を叩く姿は実におっさんくさい。
一頻り無様にもがく律の姿を堪能すると、目元に溜まった涙を拭って少女に声をかけた。
「はぁーーー……、お腹痛い。 ロレッタさん、そのへんにしてあげて。 プ……ククッ……、ミカ君が困ってるわ。」
「……だって。」
ロレッタと呼ばれた少女は、それでも律から離れようとしなかった。
ぐす……と鼻をすする音が耳のすぐ傍で聞こえ、少女が泣いていることに気づく。
ようやく少し冷静になってきた律は、この異常な状況を理解しようと努める。
(……ロレッタ? それと、ミカ? ミカは状況的に俺のことだよな。)
理解しようと努めるが、さすがにそれ以上は無理だった。
困り果てた律だが、不意にこの少女の抱擁から感じる温もりに覚えがあるような気がした。
うまく思い出せないのがもどかしい。
いつも、そこにあるのが当たり前の物が見当たらないような。
何かが置いてあったはずなのに、それが何だったかはっきりと思い出せない感じ。
若しくは、顔は知っているのに名前が思い出せない、あのもやもやした感覚。
すると突然、一本に繋がる”情報”が大量に押し寄せてきた。
それは例えるなら、断線していた回路が繋がり、スムーズに電流が流れるようになった、といえるかもしれない。
閉ざされていた大量の情報に、急にアクセスできるようになったのだ。
「…………お姉ちゃん、離してくれる?」
まだ混乱しているが、というよりも新たな情報に余計に混乱しているのだが、はっきりと分かったこともある。
律は情報の精査は後にして、とりあえず場の収束に動くことにした。
”記憶”を探り、不自然にならない言葉を選択する。
ぶんぶんと首を振り、相変わらず離そうとしないロレッタを諦め、別の方向から動く。
「……シスター・ラディ。」
修道服の女性を呼び、なんとかしてくれと目で訴える。
微笑ましい家族愛を笑いながら見守っていたラディは、ちょっと困ったような顔をするが、とりあえず助けてはくれるようだ。
「ロレッタさん、ミカ君が元気になったか確認させてくれる? どこか身体に異常はない? 痛いとか、気持ちが悪いとか。 何でも言ってね。」
ラディは少し考えて、ロレッタを説得するのではなく問診を始めることにした。
そうすれば何が大事なのかきちんと判断できるロレッタなら、適切な行動を選ぶだろうと考えたからだ。
ラディの予想通り、律が「んー……。」と考え始めると、ロレッタはもそもそと動き出した。
律を離し、ラディの横へ移動する。
涙を拭うが、その目は赤くなっていた。
その姿に胸の痛みを覚えるが、今の律にはそれ以上どうしようもない。
彼女の大切な弟はここにおらず、代わりにいるのは律なのだから。
ロレッタのことはあえて考えないようにし、ラディの問診に答えることにする。
(……身体の異常って言ってもね。 むしろ異常しかないんだけど。)
いい大人が、一晩で子供になっていたのだ。これ以上の異常はそうそうないだろう。
だが、そんなことを聞いているわけじゃないのは分かっているので、とりあえず身体的にどこか痛みがあるかを考える。
「……今のところは。 とりあえず大丈夫だと思います。」
「そう、良かったわ。 何か食べられそう? できれば食べておいた方がいいのだけれど。 無理はしなくていいわよ。」
「あ、お腹は空いてます。」
律がそう言うと、ロレッタはすぐに部屋から出ようとするが、ドアノブに手をかけたところで「アッ!」と言って固まってしまった。
「どうしたの、ロレッタさん?」
「ミカの食事を用意しようと思ったんだけど、お母さんにもミカが起きたこと伝えないといけなくて。 すごく心配してると思うし……。」
どうしよう、とロレッタがオタオタしていると、ラディがすくっと立ち上がる。
「アマーリアさんには私から伝えてあげるわ。 ミカ君も、もう大丈夫だろうしね。」
「え、でも……。」
「今日はもう、午前中は教会に戻るだけなの。 工場までちょっと足を延ばすくらい、いいわよ。 ロレッタさんはミカ君の食事を用意してあげて。 じゃないと今度は腹ペコで倒れちゃうわよ。」
くすくす笑いながら言うと、ラディはすぐに玄関に向かう。
「すみません、ありがとうございます。」
ロレッタは丁寧に頭を下げ、ラディを玄関まで見送ったのだった。
■■■■■■
ベッドに横になり、律は改めて現在の状況や新しく手に入った情報を考えてみることにした。
ロレッタは食事の準備をしている。おそらく野菜のスープとパンだろうから、少し温めるだけですぐに持ってくるだろう。
あまり時間はないので、とりあえず簡単な情報の整理だけを済ませる。
この身体の持ち主はミカ・ノイスハイム。7歳の少年。
先程のロレッタという少女はミカの姉で、あとはアマーリアというロレッタとよく似た美人の母親がいる。
ミカ・ノイスハイムの記憶はこの二人に関連したものが大半で、非常に愛されて育てられていたことが分かった。
父親に関しての情報はなさそうだ。すでに亡くなったのか、それとも長期の出稼ぎか。少なくとも数年はミカと会っていない。
先程もう一人いた修道服の女性がラディ。シスター・ラディと呼ばれ、この村の教会に住む修道女だ。
なぜこれらの情報が手に入ったかというと、ミカ・ノイスハイム本人の記憶だからだ。
この世界に来た時点でこの記憶が手に入らなかった理由は、おそらくきっかけがなかったからだろう。
記憶というのは様々な関連付けがされて、一つを思い出せば付属する情報も一気に取り出せる。
だが、一切関連のない情報というのは、あまり浮かんでくることはない。
記憶が脳に蓄積されるのなら、ミカ・ノイスハイムの記憶を思い出せたのは、別に不思議なことではないだろう。
なにせこの身体は、そのミカ・ノイスハイム本人なのだから。
むしろ不思議なのは、なぜここに久橋律の意識があるのか。
そして、なぜこの世界にいるのか。
この二つに尽きる。
こればかりはどう予想を立てようと当たる気がしないし、なにより実証しようがない。
記憶は脳に蓄積されるのだから、久橋律の記憶は当然、久橋律の身体に残る。
もし仮に魂なんて物があって入れ替わっても、ミカ・ノイスハイムの身体に入った時点で、その意識はミカ・ノイスハイム以外の何者でもないはずだ。
脳にはミカ・ノイスハイムの記憶しか入っていないのだから。
紀元前の哲学者が「思考は心臓(魂)でする」と考えたらしいが、それが実は当たってましたというくらいには突拍子のない事態だ。
仮にも科学文明の発達した世界で生きてきた律にとっては、到底受け入れることができない怪現象である。
(どうすりゃいいんだよ、こんなの。)
もはや、自宅に帰るために警察を呼ぶ、では済まされないのは言うまでもない。
この事態を誰かに話そうものなら、信じてくれないどころか、信じて”悪魔憑き”として処分されかねない。
この世界は、そのくらいの文化水準のようだ。
どうにもならない厳しい現実を前に、うぐぐ……とベッドで悶える。
「……ミカ、大丈夫。 どこか痛いの?」
ベッドで苦悶する律を見て、ロレッタは心配そうに声をかける。
「その……、お腹が空きすぎて……。」
「もう、ミカったら。」
ようやくロレッタは笑顔を見せた。
つい先程までは「このまま目が覚めなかったら……。」とどうしても心のどこかに不安があった。
だが、いざ目が覚めればいつも通りの食いしん坊な姿に、ようやく安堵したのだ。
ロレッタが脚付きのトレイにスープとパンを乗せてベッドに運んできてくれた。
(おお、これがブレックファスト イン ベッドってやつか。)
映画などで見ることはあっても、自分でやることは絶対にないと思っていた贅沢。
それを思わぬところで体験することになった。
目の前に置かれたスープは予想通りの野菜スープだった。
ミカの記憶にあるノイスハイム家のスープは、ほとんどがこれだ。
キャベツ、玉ねぎ、ブロッコリーなどに大豆やトマトも入れて、ほんの少しの豚の燻製と塩で味付けしたスープ。
季節によって入っている野菜は変わり、野菜の種類は多いが、具の量は少ない。
つい律としての記憶にある具沢山スープと比べてしまうが、7歳のミカならばこれで丁度いい量なのかもしれない。
しかも先日行き倒れた身としては、これでも十分に有難い食事だった。
いただきますと簡単に手を合わせ一口スープを飲む。
塩気は薄いが野菜と燻製の旨味を感じるなかなかうまいスープだった。
いろんなことがあって忘れてしまっていたが、本当に空腹だったので一口飲んだら止まらなくなった。
「もうミカったら、またお祈りもしないで!」
横で見ていたロレッタが呆れたように言った。
あっという間にスープを飲み干すと、今度はパンに手をつける。
「お替りあるけど、いる?」
あまりの勢いに呆気に取られながら、スープのお替りを聞いてくる。
パンを口いっぱいに頬張り過ぎて喋れない律は、行儀が悪いとは思いつつ黙ってスープの皿をロレッタに差し出す。
まったくもう、と口では文句を言いながら、それでも嬉しそうにロレッタはスープのお替りを取りにいく。
(このパン、硬いしパサパサ過ぎ。口の中の水分が全部持ってかれる。)
ロレッタがお替りを持ってきても、まだパンを飲み込めないでいた。
スープを一口啜り、口の中に水分を補充して咀嚼した。
(話には聞いたことあるけど、まじで半端ないな!)
昔はパンが硬く、スープに浸して食べていたという話を聞いたことがある。
どうやらこの世界でもパンは硬いようで、ミカの記憶でもスープに浸してからパンを食べていた。
試しにやってみると、スープの旨味や塩気が効いて、パンをそのまま食べるよりはるかにおいしく感じた。
そうしてお替りしたスープも全て平らげると、ようやく人心地つくのだった。
(ふぅ……、腹いっぱいになった。)
律としては目の前の食事は少ないように感じたが、やはりミカにとっては十分な量だったのだろう。
むしろお替りした分、お腹が苦しいくらいだった。
「本当にもう元気みたいね。」
呆れ半分、嬉しさ半分といった感じのロレッタが、脚付きのトレイを片付ける。
隣のベッドに腰かけ、真っ直ぐに律を見つめるとにっこりと微笑む。
「それで、ミカ。」
優しい声音のロレッタの呼びかけに、律はピクンと反応する。
ゾワゾワゾワ……と背中を伝うものを感じ、鳥肌が立った。
(……なんだこれ?)
よく分からない感覚に戸惑う律に、ロレッタは言葉を続ける。
「どうしてコトンテッセの方まで一人で行ったの?」
微笑んだまま優しく問いかけるロレッタを見て、律は悟った。
(あ、これきっとミカの条件反射だ。)
ミカの記憶が無意識下で警鐘を鳴らしていたらしい。
この声は本気で怒ってる。やばい逃げろ、と。
律には優しく聞こえたが、ミカの脳や身体は危険なシグナルを感知したようだ。
「ミカ。」
「えーと……。」
律は必死になってミカの記憶を探った。
そもそもコトンテッセって何だ?
何が問題になっているのかすら分からない。
記憶を探っていくうちに、どうやら律がミカとなる直前までの行動と、そして律がミカとなった後に行った行動が問題らしいと行き着いた。
あの日、ミカは近所の子供たちと一緒に畑の手伝いをしていた。
律が目覚めた街道沿いの、村から少し離れたところだ。
それ自体は普通のことだが、その手伝いの最中にミカは一匹の野兎を見つけた。
野兎は別に珍しい物ではなく、その辺にいくらでもいる。
食用として庶民に愛されているくらいだ。
だが、その野兎は普通ではありえないほどに真っ白でふわふわな毛並みをしていた。
このあたりの野兎の毛色は白、黒、灰色、茶色と様々だが、単色なのはちょっと珍しい。
駁毛など、色の混ざったものがほとんどのようだ。
野生である以上、泥で汚れたりするのは当たり前だし、雑草が毛に絡まったりもする。
だがその野兎は、そうしたところがまったく見当たらず、本当に真っ白だった。
どうやら、その美しい姿がミカの琴線に触れたようだ。
うわぁー……と声を漏らし、目が釘付けになり、感動に打ち震えると、夢中になって追いかけ始めた。
野生の動物だ、追いかけられれば当然逃げる。
そしてミカは、逃げる野兎を夢中で追いかけた。
作業をしていた畑から、どんどん離れながら。
すでに周りの畑は野菜畑ではなく、織物工場で使う綿花の畑となっていたのだが、そんなことには気づきもしない。
そうして長い時間追いかけていると、ふと羽音に気づいた。
大きな蜂のたてる、あのブゥーーーーン……という嫌な音だ。
赤蜂と呼ばれる種で、特別獰猛というわけではない。
決して獰猛ではないのだが、大きさは結構ある。大人の親指よりも、一回りか二回りくらい大きい。
そして、獰猛でなくても攻撃を受ければ反撃してくるし、巣を中心とした縄張りに侵入した者にも攻撃する。
どうやらミカは、その縄張りに入ってしまったようだ。
巣から飛び出した蜂たちが何匹も威嚇してきた。
その時の恐怖は、記憶を探っているだけの律ですら身震いするほどだ。
色鮮やかな赤色をした巨大な蜂が、あの嫌な羽音をさせて威嚇してくるのだ。
サイズが大きいのだから、その羽音もそれに相応しい大きな音になる。
ミカはあまりの恐ろしさに泣きながら逃げだした。それはもう一目散に。無我夢中で。
何度も転びながら畑の中を、そして畑を飛び出し街道に出てからも走り続けた。
この世界の蜂がどうかは分からないが、少なくとも元いた世界の蜂は早く動く物を警戒する。
そして、大きな音を出す物も。
大声で泣きながら走るミカは、赤蜂にとっては厳重警戒対象だったのだろう。
かなりの距離を追いかけ続けた。
赤蜂としては一定の距離を保ち、警戒対象を観察していただけなのかもしれないが。
そんな赤蜂に追いかけられたミカは、ついにその恐怖と混乱が限界を超えてしまった。
律が目覚めたあの場所で転び、そこで動けなくなった。
皮肉にも、動かなくなったことで赤蜂の警戒が解かれたのか、しばらくして巣に戻って行ったようだが。
ミカにとって、そして律にとっても不運だったのは、村とは逆方向に逃げてしまったことだろう。
その方向にあったのが、どうやらコトンテッセという街だったようだ。
野兎を追い、赤蜂に追われるうちに方向感覚が狂ったのか、単に混乱してそこまで考えなかったのか。
もしも村の方向に逃げていたら、野菜畑にいた人たちが気づいて助けてくれたかもしれない。
律が目覚めた時に、リッシュ村や野菜畑が見えたかもしれない。
まあ、それを今更言ってもどうにもならないのだが。
しかし、逆方向に歩いていればリッシュ村に着いていたという事実は、律を落ち込ませた。
(2分の1でハズレ引くとか。本当に運ないよな俺。)
山から離れるのではなく、山に向かう選択をしていれば倒れる前にリッシュ村に着いた。若しくは誰かに会えた可能性が高い。
少なくとも、村が見えれば希望を持って歩くことができただろう。
どれだけ歩いても何もない、誰もいない、あの絶望感は本当にきつかった。
(まあ、10分の9ですらハズレを引くクジ運だしな。今後のために、迷った時のルールでも定めた方がいいかもしれんね。)
必ずこうするというルールを定めれば、何回ハズレようとも最終的には確率に近い結果になる。……はずだ。
もっとも、一番いいのは二度とこんな目に遭わないことではあるが。
「ミカ?」
律が関係のないことを考えていると、ロレッタが気遣うように声をかけてきた。
黙り込む姿を見て、反省したと見たか、拗ねたと見たか。
「……ごめんなさい。」
律は素直に謝った。
記憶を探り、凡その状況は分かった。
律の主観はともかく、客観的には7歳の子供が十数キロメートルも離れたコトンテッセまで一人で歩こうとして途中で行き倒れた、なのだ。
姉として叱るのは当然だろう。
それに、下手な言い訳をしてボロを出すのを避けたいという打算もあった。
本当のことなど言えるわけがないのだ。ならばここは謝罪の一手だろう。
律の頭に浮かぶのは、テレビで観た謝罪会見だ。
どこかのお偉いさん数人が揃って頭を下げるシーン。
口を開けば「申し訳ありませんでした。」と繰り返しつつ、核心についてはのらりくらりとはぐらかすアレだ。
如何にして責任から逃れようかという意気込みを感じる。
(まあ、さすがにそこまで悪辣ではないけどな。)
律としては、単純に情報が足りずに間違った選択をしてしまっただけで、好き好んで死の行進を敢行したわけではない。
近くに村があると分かっていたなら喜んでそちらに向かった。
だが、そんなことは言い訳にはならないだろう。
突然よく分からない場所に放り込まれたとはいえ、それでも自分の選んだ行動によってミカの家族には心配をかけることになった。
7歳の子供が家から遠く離れた街道で倒れていた。
血だらけで、意識もなくだ。
家族がどれほど心配したかなど、律では推し量ることすらできない。
項垂れていると、ロレッタは律が倒れた後の顛末を教えてくれた。
諭す様に、子供にも理解できるように、一つひとつを丁寧に。
「…………ごめんなさい。」
ロレッタの話を聞き、ミカの家族には本当に申し訳ないことをしたと思う。
もう一度、心から謝罪する律であった。
■■■■■■
しばらくして、仕事から帰ったアマーリアにも泣きながら抱きしめられた。
走って戻ってきたらしく、まだ息も整わないアマーリアの抱擁を受けると、律は罪悪感でいっぱいになった。
ミカを危険な目に合わせてしまったことと、そのミカがここにはいないことに。
別にミカの意識がここにないことを自分のせいだとは思っていない。
どんな理由や現象によって引き起こされたのかは分からないが、律自身も被害者だと思っている。
それでも、事実を伝えられずミカの振りをしていることには、やはり罪悪感を抱いてしまうのだ。
(……このまま騙していていいのか?)
自問自答するが、伝えることが正しい選択だとはどうしても思えなかった。
ミカが探せば見つかるというのなら、何を置いても探すべきだろう。
どんなにつらくとも事実を事実として受け止め、必死になって探すべきだ。
だが「ミカの身体はここにありますが意識は別人です。ここにミカはいません。」など、いったい誰のためになるのか。
愛する家族の無事を喜ぶ二人にそんなことを伝えて、その後にいったい何が残る。
どれほど絶望的でも、僅かに希望があるのなら選択肢に加えもしよう。
だが、そんな希望はないだろう。
そして、それは律自身にも言えることだった。
(……俺も、もう戻れないのか?)
律とミカに降りかかった災難を説明できるものは、元いた世界にはない。
もしかしたらこの世界には説明できる”答え”が存在するかもしれない。
だが、そんなのは妄想のようなものだ。少なくとも今の律にとっては。
手がかりも何もないのに、”ある”ことを前提に行動するわけにはいかない。
(……生きていくしかない。 ミカ・ノイスハイムとして。)
律は顔を上げアマーリアとロレッタを見ると、にっこりと笑顔を作った。
悲壮な覚悟を胸に抱いて。




