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第304話 キフロドの願い




 火の2の月の下旬。

 王都の大聖堂、キフロドの居室。


 ブラホスラフ教皇や枢機卿らが見守る中、ベッドに横になるキフロドをミカが抱え上げる。


「それでは、行ってきます。」


 ミカが振り向いてそう言うと、ブラホスラフが頷く。


「”神々の遣わし者(アポストル)”、よろしくお願いします。」


 ブラホスラフの言葉に、ミカもしっかりと頷く。

 ブラホスラフが跪くと、部屋の中にいた人たちが全員跪いた。


「キフロド様。 長年に渡るお務め、ご苦労様でした。 貴方の導きを、私たちは決して忘れません。」


 跪いた人たちの、真摯な感謝の気持ちが伝わってきた。

 キフロドが力なく笑う。


「おいぼれのことなど、気にせんでええわい……。 まだまだ、救いの手を求める者は多い。 しっかりの……。」

「はい。」


 跪いた人たちが深々と頭を下げる。

 ミカは、そのやり取りを黙って見つめていた。







 キフロドが体調を崩した。

 ここ二年くらいは足腰も弱り、杖を使っていた。

 そして、最近ではついに起き上がることも難しくなってしまったのだ。


 日に日に気力の衰えていくキフロドは、見ているだけでもつらいものがあった。

 また以前のように叱り飛ばしてほしいと思っても、しゃべることさえ疲れるような状態だったのだ。


 そんなキフロドが、ミカが見舞いに行った時にぽつりと呟いた。

 帰りたい……、と。


 その呟きを聞き、ミカは涙が零れてしまった。

 こんな弱気なキフロドを初めて見たからだ。


 どんな時でも毅然としていたキフロドが、帰りたいと言ったのだ。

 この一言に、どれほどの想いが籠められているかと思うと、ミカは涙を止めることができなかった。


 そして、キフロドに生まれ故郷に帰りたいのかと尋ねると、首を振った。

 キフロドの帰りたい場所は、生まれ故郷ではなかった。

 リッシュ村に帰りたいと言ったのだ。

 キフロドが人生の半分近くを過ごした場所は、リッシュ村だった。


 大聖堂の首席司祭として頑張っていた時、キフロドを妬んだ者に陥れられた。

 そうして、開拓村の司祭へと左遷させられてしまった。


 失意の中にあったキフロドを立ち直らせてくれたのは、開拓村を一から作る住人たちだった。

 何もない土地に、一から村を作る。

 その前向きでひたむきな姿に、キフロドの心は打たれたのだ。


 この人たちとともに、自分も歩んで行こう。

 神々の教えは、キフロドの中にある。

 どこであろうと、神々はともにある、と。

 そう決意し、開拓を手伝いながら、住人たちとともに笑い、ともに悲しみを分かち合ってきた。

 キフロドにとってリッシュ村は、生まれ故郷以上の故郷になっていたのだ。


 キフロドの言葉を聞き、ミカはすぐに動き出した。

 教皇に話を通し、リッシュ村にも話をつけた。

 二日であらゆる準備を整え、キフロドの帰郷を叶えることにした。







 ミカはその場でリッシュ村との空間を繋げた。

 そうして、ブラホスラフたちに背を向けると、横に立つリムリーシェに目配せする。

 リムリーシェがミカのローブを掴むのを確認すると、そのまま足を前に出した。


 ミカが数歩歩くと、そこはリッシュ村である。

 教会の前には、多くの人だかりができていた。

 まあ、多くのと言っても、総勢で三百人もいないが。

 おそらく、村人のほとんどの人が集まっているだろう。


 教会の前ではシスター・ラディが待っていた。

 ミカたちが姿を見せると、一瞬だけ驚いた表情をして、祈りの仕草をする。

 そうして、美しい所作で頭を下げた。


「お帰りなさいませ、キフロド様。 お務めご苦労様でした。」


 そうして顔を上げたラディの表情は、悲しみを無理矢理笑顔で誤魔化しているようだった。


「「「おかえりなさい。」」」

「「「キフロド様。」」」


 集まった人たちが笑顔で、口々にキフロドに呼びかける。

 その中には、ディーゴの姿もあった。

 だが、ディーゴはひどく傷ついたような顔になり、それから唇を引き結んで背中を向けた。

 きっと、すっかり弱ってしまったキフロドの姿に、ショックを受けているのだろう。

 それは、ラディも同じだ。

 何とも言葉にできない思いが、胸に重く圧し掛かる。


「部屋の準備は?」

「どうぞ、こちらへ。」


 ラディに案内され、教会の中へ。

 入ったことのない、奥の部屋に案内される。

 ミカは、抱えたキフロドを壁などにぶつけないように、慎重に後をついていく。


「あ、ミカ様。 キフロド様をこちらへ。」


 部屋の中では、必要な準備を整えてくれたネリスフィーネが笑顔で迎え入れる。


 キフロドが不在の間も掃除はしていたらしく、元々部屋の中は綺麗だった。

 だが、さすがにベッドの干し草などはない。

 他にもキフロドの世話に必要そうな物をミカがいろいろ買い込み、それを部屋にセットしてもらっていたのだ。


 ミカが丁寧にベッドに寝かせると、ラディがシーツをかける。

 キフロドが申し訳なさそうな顔をした。


「ありがとう、ラディ。 ミカも、済まなかったの……。 こんな我が儘を言うなど、儂ももうミカのことを言えんの。」

「僕は大したことはしてませんよ。」


 ミカはニカッと笑う。


「何でも竜の肉は滋養がつくらしいですよ? 今度、二~三匹(にさんびき)とっ捕まえて来ますよ。」

「よさんか、馬鹿者が……。 お前さんが言うとシャレにならんわい。」


 キフロドの言葉に、ネリスフィーネとラディが乾いた笑いを漏らす。

 リムリーシェも微妙な表情をしていた。







 こうして、キフロドはリッシュ村で過ごすことになった。

 ネリスフィーネもしばらく教会に泊まり込み、ラディと交代でキフロドの世話をした。

 村の人も手伝い、どれほどキフロドが村の皆から愛されていたのかが良く分かった。


 その間に、ミカは王都の親っさんに、超特急の特注品を注文してきた。

 設計から完成まで二週間足らずという、無茶っぷりである。


「はい、それじゃ行きますよ。」


 ミカは完成したばかりの車イスにキフロドを乗せると、村の中を見て回る。

 初めての散歩の時は、村の人が珍しそうに見に来たりもした。


 この車イス。

 材料に”銅系希少金属(オリハルコン)”を使用した、アホみたいな仕様の車イスである。

 【付与】をたっぷり施し、強度や軽量化はばっちり。

 スプリングも備え、衝撃吸収もさせている。

 というより、車イス自体にも【耐衝撃】が施されている。


 タイヤもちゃんと付いている。

 この国にはまだゴムのチューブはないが、優秀な衝撃吸収材(ショックアブソーバー)がある。

 冷蔵庫のドアに貼り付けていた(やつ)だ。

 魔物の腸を加工した物だが、これをゴムタイヤの代わりにした。


「よくもまあ、こんな物を思いつくものじゃ……。」


 車イスに乗ったキフロドが、周りの風景を見ながら呟く。


「乗り心地はどうですか?」

「乗り心地はええの。 この座布団というのも座り心地がええのぉ。」


 そう言ってキフロドが、毛皮の座布団を撫でた。

 この毛皮、ソウ・ラービである。

 さすがにミカが獲ってきた物ではないが、加工済みの魔獣の毛皮なんかは普通に売っているので、それを使って座布団を作った。


 外を散歩するのに、ミカならキフロドを抱えるくらいは問題ない。

 だが、ネリスフィーネやラディではそうも行かない。

 ミカもちょくちょく顔を出してはいるが、ミカのいる時しか散歩に行けないのも可哀想かと思い、車イスを作った。

 無理のない移乗のさせ方なども教え、安全に外の散歩を楽しんでもらいたい。


 アマーリアやロレッタも、キフロドの世話を手伝った。

 この村では、皆がキフロドやラディのお世話になっている。

 ラディに負担がかかり過ぎないように、皆で食事を作りに行ったり、教会内の掃除などを代わったりもした。







■■■■■■







 そんなある日、キフロドが呼んでいるとネリスフィーネから通信で連絡があった。

 すぐ会いに行くと、キフロドはベッドでうたた寝をしていた。

 そのキフロドの姿に、ミカは胸にちくりとした痛みを感じた。


(…………こんなに、小さかったっけ……?)


 キフロドはすぐに気がついたようで、ミカにベッド脇の椅子を勧める。


「済まんの……ミカも忙しいだろうに。」

「そんなことありませんよ。 家で本を読んでるだけですから。」


 そんな他愛のない話をする。

 キフロドが天井を見上げたまま、呟く。


「もう、思い残すことはないわい。」


 その、しみじみとした呟きに、ミカの視界が一瞬でぼやけた。

 キフロドが見ている場所を見るように、ミカも上を向く。


「何言ってるんですか。 僕の葬式はキフロド様に頼むつもりなんですから、そんなこと言うのはまだ早いですよ。」

「お前さんは、儂をいくつまで生きさせるつもりじゃ?」


 キフロドの呆れたような声に、懐かしさが込み上げる。

 いっぱい呆れられ、いっぱい怒られ、いっぱい叱られた。

 ミカは胸が熱くなり、一瞬言葉に詰まった。


「老いた者から神々の下へ召される。 神々の定めたことじゃ。」


 その言葉に、キフロドがすでに死期を悟っていることを知る。

 気が弱くなっているだけではない、確信のようなものをミカは感じた。

 ミカは何か言おうとしたが、上手く言葉が出て来ない。

 キフロドが言葉を続ける。


「ありがとう、ミカ。 お前さんのおかげで、儂はもう何も、思い残すことがないんじゃ。」

「……そ、んなこと……っ。」


 いつもキフロドに迷惑をかけていたのは、ミカの方だ。

 やれやれじゃの……と言いながら、いつも助けてくれたのはキフロドだ。


 ミカがキフロドの顔を見ると、その表情は本当に穏やかだった。


「かつて、教会は本当に大変なことになっておった。 正直言えば、儂は諦めていたんじゃ……。」


 キフロドが首を傾け、ミカを見る。


「お前さんには災難なことじゃが、ミカのおかげで教会は浄化された。」


 それを聞き、ミカは力なく首を振る。

 その拍子に、涙が零れてしまった。

 一度零れると、ポタポタ……と続けて零れる。


 教会の腐敗を取り除いたのは、今も懸命に取り除いているのは、ブラホスラフだ。

 ワグナーレであり、カラレバスだ。

 ミカは何もしていない。


「教会は正しい道に戻りつつある。 それを、この目で見届けることができた。」


 キフロドが微笑む。


リッシュ(この)村に、骨を埋めようと思っておった。 ……だが、もう叶わんと思っておったのじゃ。」


 王都とリッシュ村は、普通では二週間もかかる距離だ。

 王都に行く時には二日で移動したが、今のキフロドではそれさえも厳しかった。


「本当に、ありがとう。 ミカ。 まさか、本当に帰って来れるとは思っておらんかった。」


 キフロドは手を伸ばし、ミカの手に重ねた。

 その手は、シーツの中に入っていたはずなのに、とてもひんやりしていた。

 ミカはその手を温めるように、もう片方の手を重ねた。

 俯くと、その手にポタポタと涙が落ちる。


「また、帰って来れた。 儂には、これこそが何よりの奇跡じゃ。」


 ミカは、何か言葉を返そうとするが、息が詰まって何も言えなかった。

 ただ、鼻をすすることしかできなかった。


「あのミカが、のぉ……。」


 キフロドはそう呟くと、ミカの手を握る。

 だが、その力は本当に微かなものだった。

 そのか細さに、ミカは増々涙が溢れてしまう。


「…………神々には、儂の方から説明しておくからの。 ”神々の遣わし者(ミカ)”は、地上でよく頑張っております、と。」

「……キ……ロド、様……ッ!」


 ミカには、もはやキフロドの名を呟くことしかできなかった……。







 バンッ!


「あ、ミカ君!?」


 キフロドの部屋の前で待っていたリムリーシェは、突然部屋から飛び出して来たミカに戸惑った。

 部屋から出てきたミカは何も言わずに廊下を走り、そのまま外に飛び出す。

 そうして、飛び立ってしまった。


「リムリーシェさん。」


 礼拝堂の方にいたラディがリムリーシェに声をかけ、慌ててキフロドの部屋に入る。

 キフロドは穏やかな表情で、眠っているようだった。

 ラディがほっと胸を撫で下ろす。


「ミカ君が、飛び出してきましたけど……。」


 ラディにそう言われ、リムリーシェが頷く。

 ちらっとしか見えなかったが、おそらくミカは泣いていた。

 きっとミカは、独りになりたくて。

 独りで泣きたくて。

 泣いている所を見られたくなくて。

 外に飛び出したのだ。


 ラディは廊下に出ると、そっとキフロドの部屋のドアを閉める。

 ミカとキフロド。

 二人がどんな話をしたのかは分からないが、きっととても大切な話だったのだろう。

 そして、とても意味のある話だったのだろう。

 それが、キフロドの穏やかな表情から分かった。


「リムリーシェさん。 こちらで少し一休みましょう。 ミカ君はそのうち戻って来ますよ。」

「……でも。」


 護衛として、ミカの傍に居られないのは、少々困った事態ではある。


「空の上では、護衛は一先ず大丈夫ですよ。」


 そう言って、ラディは微笑む。


「ミカ君は強いです。 それは、この村で暮らしていた頃からそうです。 きっと大丈夫よ。」


 ラディに諭され、リムリーシェは頷いた。

 ミカからの命令(オーダー)は、ミカを守ること、そしてミカの大切な物を守ること。

 ミカが自分の判断で離れた以上、リムリーシェも自分の判断で切り替えるべきだろう。


(ミカ君が離れている以上、ミカ君の大切な物を守る方に任務を切り替える。)


 そう自分の中で気持ちを切り替え、ネリスフィーネやラディの傍にいることにした。







■■■■■■







 ミカは一気に上空まで上がると、リッシュ村を見下ろした。

 そうして胸の内に溜まり、破裂しそうな何かを吐き出す。


「うっ……あ……ああああああああああああああああああああああっっっ!!!」


 空を仰ぎ、叫ぶ。

 慟哭。

 激情に視界が赤く染まり、破壊衝動が突き上げてくる。

 とめどなく涙が溢れた。


 ミカにとって、これは初めての経験だった。

 人の死に触れたことはある。

 元の世界でも、この世界でも、何度となく人の死を見てきた。

 それでも――――。


 初めて、()()()


 誰かの死を悲しんだことはある。

 だが、それを自身の痛みとして感じたことはなかった。


「この日は仕事を休めないから、通夜だけ顔を出すか。」

「一応身内だし、香典はいくらにしておくか。」


 それが、久橋律にとっての、死に関わることのすべてだった。

 喪服と数珠を引っ張り出し、()()()()()()当たり前の礼をもって最後を見送る。

 口に出せば少々不謹慎だが、言ってしまえば、死とはそれだけのものだった。


 だが、キフロドは違った。

 大いなる愛情をもって、真剣にミカを叱り、導いてくれた。

 それはもはや、ミカの一部だったのだ。


「うああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」


 内から湧き上がる衝動に突き動かされるように、ミカは”(ウォーター)飛沫(スプラッシュ)”を空に向けて撒き散らす。

 何らかの形で吐き出さなければ、この身が引き裂かれそうだったのだ。


 その瞬間、ミカの髪がふわっ……と伸びた。

 空に向かって伸ばしていた腕を、ゆっくり下ろす。


「まったく……。」


 そう呟くと、軽く顔を拭う。

 涙どころか、”(ウォーター)飛沫(スプラッシュ)”で全身がびしょ濡れになっていた。


「……感情のままに魔法を使うのは危険だと、分かってるだろうに。」


 そう、フィーは呟く。


 感情が昂っている時に魔法を使えば、それはそのままミカの源泉にダメージを与える。

 すでにミカの源泉は変質してしまっているが、状態はそこまで悪くはない。

 だが、感情のままに魔法を使い続ければ、悪化してしまう。

 そう警告をしていたのだが、今のミカはまったく聞く耳を持たなかった。


 そのため、強制的にミカを引っ込め、フィーが表に出てきたのだ。

 ミカも特に抵抗しなかったので、すんなりと入れ替わることができた。


 フィーはローブを摘まみ、溜息をついた。


「着替えないと気持ちが悪いな……。」


 夏場なので風邪を引くことはないだろうが、このまま乾かす意味もない。

 教会に戻って、着替えさせてもらおう。


 フィーは高度を維持するための”突風(ブラスト)”を弱め、地上を目指して落下し始めるのだった。







 キフロドが亡くなったのは、この二日後だった。


 昼に、うたた寝をしているかのように亡くなった。

 そのとても安らかな表情に、多くの人が慰められたという。







■■■■■■







 火の3の月の中旬。

 キフロドの葬儀が終わり、ミカはノイスハイム家に来ていた。


 非公式ながら、教皇以下、枢機卿が十名も参列するという、一司祭にはあり得ない葬儀となった。

 だが、教皇らはあくまで弔問という形で、葬送の儀式を執り行ったのはラディである。

 村人が全員参加した葬儀は、キフロドが多くの人に慕われていたことをよく物語っていた。


 そんな葬儀が終わり、すでに教皇らはミカが王都まで送った。

 ネリスフィーネはまだ教会に残っていて、やることがあるらしい。

 キスティルやクレイリアも葬儀には参列したが、すでにミカが家まで送っている。

 リムリーシェもキスティルの護衛につけたので、本当に久しぶりに三人だけの時間だった。


 ここ何年かは常にリムリーシェが護衛として張り付いていたし、キスティルやネリスフィーネも一緒に来ることが多かった。

 アマーリアとロレッタとミカ、三人だけになるということがなかったのだ。


「…………ちょっと、寂しいね。」


 ミカがそう言うと、ロレッタが鼻をすすった。

 アマーリアは優しい目でロレッタを見つめながら頷く。


「村の人、皆のおじいちゃんだったもの。 いつも、優しく見守っていてくださったわ。」

「うん……。 時々おっかなかったけど。」


 ミカがそう言うと、アマーリアがくすくすと笑う。


「悪い事、間違った事には、はっきりと言う方だったものね。 ……ミカは、よく叱られたから。」


 アマーリアにそう言われ、ミカは肩を竦めた。

 そんなに悪い事はしていなかったはずだが……。

 ミカが、そんなとぼけたことを思っていると、アマーリアが懐かしむように呟く。


「覚悟を決めなさい……。」


 呟いたアマーリアが、ミカを見て微笑む。


「お母さんも、叱られちゃったわね。」


 それは、ミカの魔法学院入りが決定した日のことだった。

 次の春にはミカが村を出ることになる、と狼狽えたアマーリアに、キフロドが言った言葉だ。


「キフロド様の言った通りになったわ。 お母さんにはよく分からないところまで、ミカは行ってしまったもの。」


 手を伸ばせば届く、目の前にいるミカが、ひどく遠い。

 それが良い事か悪い事かは別にして、少なくともアマーリアの望んだ狭い世界とは、かけ離れた世界にミカは羽ばたいた。


 そこまでをあの時に見抜いていたかは分からないが、少なくともキフロドの予言は的中した。

 今やミカの名前は王国中に轟き、国王でさえ無視できない存在になった。

 貴族から無理矢理迫られたアマーリアの再婚やロレッタの結婚を、真正面から跳ね返せるだけの力を手にしているのだ。

 もっとも、詳しい経緯や解決方法などは、アマーリアたちには今でもよく分かっていないが。


「私は叱られたことなんてなかったわ。 いつも褒めてくれたもの。 お母さんをよく助けて偉い、ミカの面倒をよく見てて偉い、って。」


 ロレッタが、懐かしむように話した。

 アマーリアの代わりにミカを見ていたロレッタは、キフロドによく褒められていたそうだ。


「…………絶対贔屓だ。 僕、あんまり褒められた記憶ないよ。」

「それは、ほら。 行いによるもの。」


 ミカの反論を、ロレッタはたった一言で粉々に打ち砕いた。

 解せぬ……。


 そんな、キフロドとの懐かしい思い出を語り合った。

 キフロドとの思い出は、温かいものとして村の皆の心の中で、ずっと残っていくことだろう。


 村を開拓した、一人の司祭。

 村人全員から愛されたこの司祭は、教皇さえ跪き、教えを請う偉大な司祭だった。

 そんなすごい司祭に、多くを教わった。

 ミカは、このリッシュ村という辺境の村に転生して来たことを、心から感謝するのだった。







 キフロド。

 キフロドの死をきっかけに、リッシュ村に碑を建てることをミカは提案した。

 ただ、キフロド個人の碑は、きっとキフロドが喜ばない。

 そこで、開拓者のための記念碑を建てることにした、

 リッシュ村開拓の、初期メンバー全員の名前を刻んだ碑だ。


 教会の横に建て、キフロドの名前が残るようにしたかった。

 費用はすべてミカが出すつもりだったが、この計画を聞いた村の人たちから「是非参加したい」と寄付の申し出が村長とラディの下に多く集まった。

 それは、全体の費用としてはごく少額ではあるが、寄付してくれた人たちの名前も石に刻むことにした。


 結局、この賛同者の名前は、村人全員を刻むことになった。

 生まれたばかりの赤ん坊も銅貨一枚を握らせ、寄付したという形にして。


 ミカにとってはただの自己満足のつもりだったが、意外に大きな結果を残すこととなった。




 ラディ。

 リッシュ村の代理司祭として、生涯を捧げる。

 教会の取り決めからは外れた無償奉仕を続け、それを知った教区の司教から問題視されることもあったが、教皇らの配慮により大事にはならなかった。


 リッシュ村には”神々の遣わし者(アポストル)”の生家があるため、一部の信者には聖地として崇められた。

 そうした信者たちに”神々の遣わし者(アポストル)”の幼少期のエピソードを披露するなどを行ったため、一部の中の更にごく一部からは『伝道師』として崇められた。




 ニネティアナ、ディーゴ、デュール。

 村長に跡継ぎがいないため、後にディーゴが村長を引き受けることになる。

 夫婦で悪戦苦闘しながらも、村人たちの協力を得て無難に村長を務めた。

 ミカの作った石壁により獣の被害は激減したが、獣が出たと聞くと村長自ら剣を手に立ち向かうため、村人からの信頼は篤かった。


 両親に似ず、デュールは勉学にその才を発揮した。

 サーベンジールの学校で政治などを修め、ディーゴが引退するとその後を継ぎ、リッシュ村の村長となった。




 チェルーシス、モスミール。

 キスティルがミカと結婚したことにより、間接的にではあるが侯爵家の縁者となった。

 このため、直接の接触はお互いに気をつけようと、より一層接触を断った。

 だが、村長の家に通信機を置いていたため、ごくたまにではあるがキスティルと近況などのやり取りをしていた。


 チェルーシスは少々身体の弱さがあるが、村でもすっかり受け入れられ、平穏に暮らすことができた。

 モスミールは綿花畑の一区間の責任者になるなど、母を支えようと懸命に働き、村でもひとかどの人物となる。

 村長となったデュールを支える、村の中心人物の一人となった。




 アマーリア、ロレッタ。

 リッシュ村で平穏に暮らす。

 だが、この六年後、アマーリアが体調をくずした。


 夫の出て行った後、幼いミカやロレッタを育てるために無理をしたことが影響していた。

 借金を返すために生活を切り詰め、冬には食料が尽きかけることもあった。

 その僅かばかりの食料も、ミカやロレッタに分け与えていたため、その身体はぼろぼろだったのだ。


 ミカはアマーリアが体調を崩すと、アマーリアを自分の屋敷に連れて来て療養させた。

 キスティルやネリスフィーネに看病を手伝ってもらい、身体に良い物は何でも買い漁った。

 しかし、そうした看病の甲斐なく、一年後にこの世を去る。


 アマーリアは、闘病中も弱音らしい弱音などほとんど漏らすことなく、笑顔で居続けた。

 そして、自身が闘病中であるにも関わらず、ミカやロレッタなど周りの人の心配ばかりする始末。

 これにはミカも、「もっと自分の身体を一番に考えてよ!」と声を荒げてしまう。


 穏やかな性格で、いつも笑顔でいてくれたアマーリア。

 だが、その芯はミカの想像を絶するほどの強さがあった。

 常に自分のことは二の次で、ミカやロレッタのことを一番に考えていた。

 母としての強さを、ミカはこの一年で思い知らされることとなった。


 ロレッタは、アマーリアがミカの屋敷に療養に行くことになると、看病のため一緒について来た。

 しかし、看病をしながら、いろいろ考えることになる。


 ミカの屋敷は、これまでのロレッタの生活からは、かけ離れた世界だったからだ。

 こんな世界があるのか、と知ってしまったのである。


 アマーリアが亡くなると、二年ほど旅に出て、エックトレーム王国やアム・タスト通商連合を見て回った。

 無論、お財布はミカである。

 ミカは護衛の冒険者もつけて、ロレッタの好きにさせた。

 そうして旅から戻ったロレッタは、服飾のデザインに興味を持ったようだ。


 これまでは、自分の作った綿織物がどんな風に使われるのか、気にも留めなかった。

 ただただ、日々の仕事として作るだけだったのだ。

 だが、見聞を広めることで、着飾った女性の服装に惹かれたらしい。


 無限にお金の湧き出るお財布を持つミカは、ロレッタのための工房を、屋敷の敷地内に作った。

 そうして元の世界の記憶を頼りに、女性のファッションで憶えていることや、簡単なカラーコーディネイトの考え方なども教えてあげた。

 更には自身のネームバリューも活用し、ロレッタの作った服にお墨付きを与えた。


 貴族が着るようなドレスではなく、平民の女性のためのお洒落な服は瞬く間に人気を博した。

 好景気も追い風となり、王国内にいくつも店舗を持ち、複数の工房を持つようになる。


 ミカのアドバイスで孤児院などに衣服を無償提供したりすると、ロレッタの名声もうなぎ登りとなった。

 さすがは御使い様の姉君だ、という訳だ。


 だが、本人は微妙な顔だ。

 こんなに簡単にお金が稼げていいのか、と疑問を持ってしまったのだ。

 子供時代にお金に苦労したアマーリアを見てきたからこそ、素直に喜ぶことができないらしい。


 身寄りのない子供のための職業訓練所を設立し、沢山の子供たちから『お母さん』と慕われた。

 だが、自身は結局未婚を通し、その生涯を終えることとなる。





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― 新着の感想 ―
キフロド様〜号泣
泣いた。 キフロドさまの想いが凄く伝わってきた。 話の序盤から全てのキャラがしっかり書かれているからこそ胸を打つんだな。 涙なしに読めぬ。
[良い点] 一番好きなキャラは枢機卿で酒造所の学者さんだけど、一番好きなエピソードはこのキフロドの生涯です。
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