第292話 六人の王と開祖
ミカは痛む身体に活を入れ、何とか立ち上がった。
顔をしかめ、ふらつくのを何とか堪えるミカを見て、男が苦笑する。
「…………無理はするな。 楽にしたまえ。」
「余計な、お世話だ……!」
明らかに無理をしているミカに、男が肩を竦めた。
「まあ、いい。 そうだな…………とりあえず、私のことはアークゥとでも呼んでくれ。」
「……通商連合で暗躍してた奴だな。 聞いたことがある。」
水色の髪とか、目立つ特徴を持っているので、もしかしたらとは思ったが。
「お前の名前なんかどうでもいい。 どうせ偽名なんだろう?」
「勿論だ。 …………まあ、私に元々名前など無いし、所詮はただの識別するための記号だろう?」
「名前が、無い? 宇宙人か?」
宇宙人に、名前があるかないか知らないが。
ミカの言葉にアークゥが眉を寄せ、首を傾げる。
「ウチュウジンというのが何か分からないが、私が生きていた…………最初の生を得た肉体に在った時、名前などという概念が存在しなかった。 だから、元々の名前など無い。」
「三千五百年前は、まだ名前の概念が無かった……? でも、さっきカレイルハーベンとか、ヒブジーザのことを言っていたじゃないか。」
「そうだな、ヒルディンランデルやカレイルハーベンの生きていた時代。 三千五百年前にはすでに名前の概念はあった。」
アークゥは腕を組み、頷く。
それを見て、ミカは舌打ちをした、
「名前の概念が無いって…………それじゃあ、お前は何者だって言うんだ?」
「猿だ。」
「……………………は?」
アークゥの返答に、ミカは目が点になってしまう。
思わず気が抜けて転びそうになってしまった。
「厳密には、人よりも猿に近い存在だった……とでも言えばいいのか。 まだ人と呼べるような者が存在せず、言葉なども無かった。 『人になる前の、人』とでも言えば分かり易いかね?」
「人の前……。」
――――ヒト亜科!?
アークゥから何気なく飛び出した話に、ミカは頭を殴られたようなショックを覚える。
ただでさえ、頭が痛いのに。
この世界、と言うかこの大陸の人たちは、猿人や原人という存在を知らない。
なぜなら、人は神々が造ったからだ。
人の前などはなく、ある時神々が世界を造り、その時に人も一緒に造った。
人類の進化という考え自体が無いのだ。
遺伝の概念はあるが、延々と遡っていった時に行き着くのは、ある日造られた人類。
そこで思考が止まってしまう。
ミカが愕然とした様子でアークゥを見ていると、アークゥが訝し気な顔になる。
「……どういうことだ? 君は、私の話を受け入れてるな? 普通はこんな話、誰も信じないというのに。」
アークゥは、ミカの様子から異質なものを感じ取った。
「……正確にいつ頃というのは分からないが、おそらく二百~三百万年ほど前のことだろう。 あるいはもっと前かもしれんがね。」
その頃はまだ言語などは存在せず、動物が吠えるような単純なシグナル程度の、意思の疎通しか行われていなかった時代。
すでに二足歩行は行われていたが、四足歩行を得意とする群れも一部には残っていたという。
「そんな中、私はかなり変わった存在でね。」
なぜか、高度な思考を獲得していたらしい。
やたらと頭が大きい姿を、群れの中で揶揄われていたという。
揶揄われると言っても、まだ言語は無いのだ。
群れで餌を見つけても除け者にされたり、頭を叩かれたりしていた。
「ある時、ひどい傷を負わされてね。 その相手を引き裂いてやったんだよ。 ”言”で。」
まだ、言語を獲得していない。
なので、言葉を発した訳ではない。
ただ生命の危機を感じ、自分を傷つけた相手に、咄嗟に何かをぶつけた。
それが、実際に自分の思考したことが、発現したことだった。
「勿論、なぜそんなことが起きたのか最初は分からなかった。 だが、よく理解はしていなかったが、”力”自体は元々感じていたのだ。」
何度も試していくうちに、これが”力”によって起こっているということを突き止めた。
話を聞きながら、ミカは冷静にその内容を吟味する。
ミカ自身、最初の魔法は水の球が突然現れたことだった。
考えていたことが発現しただけで、言葉を発する必要は無かった。
ミカが言葉を発するのは、あくまで暴発防止のための条件付けだ。
本来、魔法には言葉を発するというプロセスは必要ない。
(進化論といい、魔法発現のプロセスといい、アークゥの話に矛盾はないか……?)
他の人が聞いても、まず信じられないような話だろう。
だが、ミカからすると、この話に不自然な点はない。
あえて挙げるとすれば、やはり三百万年も前の存在ということだが。
(それについても、ヒト亜科に言及していることを考えれば、納得はできてしまうな。)
突然変異種として、高い知能を持った猿人が現れたとしても、可能性としてはあり得ないことではないだろう。
”呪われし子”なんて存在がいなければ、たまたま変わり種が生まれ、死んでいった。
それだけの話だったはずだ。
「あれこれ考えることはできるが、それでもまだまだ幼稚なものだ。 自制もあまり利かず、思うがままに力を振るうようになった。」
「魔力汚染の影響も、か……。」
「それに気づいていたか。 その通りだ。 もっとも、そんなのは後から考えてみれば、という話だがね。」
生物として、圧倒的な力を獲得した。
巨大で、危険な動物たちさえも蹂躙する力。
その力を振るい、あっという間に群れのボスになったという。
「”意”……感情や思考という点でいえば、その頃は非常に純粋な”意”を常に扱っていた。 何せ、自制が利かないのだから。」
人間なら、誰でもある程度は理性というフィルターがかかる。
社会という群れの中で、自然と培われていく思考の癖。
教育や経験によって培われるそうした部分が、より動物に近い猿人では弱いことは想像に難くない。
そうして思うがままに力を振るっていては、”呪われし子”となるのも必然か。
肉体を失った後も何万年、何十万年と世界を漂っていたという。
「少ないとは言え、動物たちも”意”を出さない訳ではないのだ。 そうした世界に漂う”意”や”力”を取り込みながら、ただ世界を漂っていた。」
そう言いながら、アークゥが眉間に皺を寄せる。
「時折、動物などに宿ったりして、様々なことを経験した。 岩を食う蜥蜴に宿った時は、中々貴重な経験だったよ。 岩を見て、美味そうとか不味そうと感覚的に分かるんだ。 その時の記憶が残っているからか、今も岩を見て齧りつきたくなる衝動がある。 ……たまにだがね。」
「…………好きなだけ齧ればいいじゃないか。」
ミカが足元の大理石のような石を指さすと、アークゥは顔をしかめた。
「残念だが、これはあまり美味しくないんだ。」
「あ、そう……。」
アークゥは、本当に少し残念そうな顔をしているように見えた。
微妙な空気が流れる。
アークゥがこほん、と咳払いをした。
「”力”、”意”、”言”についても少し説明しておこう。」
「魔力と意志や思考、それによる発現した効果だろう?」
「端的に言えば確かにそうだが、その本質をきちんと理解しているかね?」
そう言われ、ミカは顔をしかめる。
というか、何で俺はこんな奴と立ち話をしているんだ?
ミカは立っているのもしんどくなって、その場に座り込む。
足を投げ出し、後ろに手をついて、リラックスモードである。
もはや、殺るなら殺れ、という気分だった。
これまでの話のすべてが本当のことかどうかなど分からないが、相当な”言”の使い手であることは確か。
万全な状態ならともかく、反動の影響で動くのもままならない今のミカなら簡単に殺せるだろう。
ならば、今は回復に専念した方がいい。
きっと、やるべき瞬間は来る。
そんな予感をひしひしと感じていた。
その時までに、できるだけ回復しておかなくてはならない。
アークゥは、足を投げ出して座り込んだミカを見て、微笑む。
「”力”、”意”。 どちらも、純粋な力だ。 周囲に分散し、ある孤立した範囲内において均一化しようとする性質を持つ。」
「そりゃおかしい。 人は意識しなくても魔力を留めている。 勝手に分散などしない。」
「それは、”力”と”意”が合わさった時の効果で、そのように操作しているに過ぎない。 無意識でもね。 方向性が与えられていない、純粋な”力”や”意”は分散し、ある特定の空間内において均一化されていく。」
ミカは眉を寄せて、変な顔になる。
「つまり、魔力の操作も、”言”に相当する現象?」
「相当するというより、それ自体が”言”と云われる現象の本質だ。 爆発したり石を作ったりというのと、何も変わらん。」
ミカは増々変な顔になる。
「純粋な力だというなら、孤立した空間という仮定が実現できない。 魔力はすべての物に宿る。 つまり、透過してしまうはずだ。」
「確かに”力”も”意”もほぼすべての物を透過する。 だが、透過しない物も存在する。」
そう言って、アークゥがミカを指さした。
ミカの装備しているローブだ。
「……希少金属。」
ミカが自分のローブを見ながら呟くと、アークゥが頷く。
「純粋な希少金属は、”力”が透過しない。 ”意”を遮断するには細工が必要になるが、やはり希少金属を用いることで作り出すことは可能だ。」
「実験のためにそんな物を作ったって言うのか? そんな、純粋の希少金属なんて、どうやって作ったって言うんだよ。」
ミカの作った希少金属は、混ぜ物をして流通させた。
裏魔法具連のノッツェミューラに純”銅系希少金属”を渡したが、それ以外はアーデルリーゼや親っさんだけだ。
渡した量や混ぜ物をして流通させた量などは、きっちり管理していた。
だが、アークゥは答えない。
黙って、ミカを見下ろしていた。
その、余裕すら感じさせる表情に、軽い胸騒ぎを感じる。
「………………まさか……っ!」
ミカ以外に、希少金属を作り出した錬金術師が居てもおかしくはない。
だが、きっと違う。
そうじゃない。
こいつは――――。
「先史文明の、王。」
ミカがそう呟くと、アークゥが口の端を上げた。
「昔、研究をしていたと言っただろう?」
「”力”や”意”を研究するために、文明を起こしたのか……?」
「文明を起こした訳ではない。 ただ、人手が欲しかったから地域を支配しただけだ。 ”意”を絞り出すために、徐々に支配地域を増やした。 人手も増えるし、一石二鳥だろ?」
「お前っ……!」
ミカは思わず絶句してしまう。
今、”呪われし子”たちがやっていたことは、アークゥの二番煎じ。
先史文明時代にやったことを、繰り返していただけなのだ。
「まさか、錬金術が飛躍的に発展したっていう六人の王は……。」
「ああ、私だ。 実験し、結果を精査する。 新たな疑問が湧けば新たな王に宿り実験する。 それを繰り返しただけの話だ。」
先史文明の王のうち、飛躍的に発展させた六人の王は、すべて中身がアークゥ!?
ミカは眩暈を感じ、項垂れた。
胡坐をかき、頭を抱える。
分かりきったことではあるが、その答え合わせをせずにはいられず、ミカはゆっくりと顔を上げた。
「…………文明を葬って回ったっていう、最後の王は。」
「勿論、私だ。 一通り研究が終わったので片付けた。 私の研究だ。 私だけが知っていればいい。」
錬金術はおまけ。
あくまで副次効果や副産物のようなものだ。
その本質は”力”や”意”の研究が目的だった。
「それじゃあ、三千五百年前の”呪われし子”たちも、お前の子飼いだったのか?」
「少し手は貸したが、私はヒルディンランデルに”言”のことを教えてあげただけさ。 元々彼は”言”を使えていたが、あまりに下手すぎてね。 つい、口を出してしまった。 役割に、丁度ぴったりだと思ったのでね。」
「役割……? 人々を苦しめるためにか?」
ミカがそう言うと、アークゥが爛々と輝く目を、一層輝かせた。
「端的に言えば、そういう側面もある。 あくまで、手段としての話だがね。」
「また、研究や実験のために、”意”を絞り出させるためか。」
「半分正解といったところか。 それも、目的の半分だ。」
その、持って回った言い方に、ミカはイラッとした。
ミカのイライラに気づいたのか、アークゥが肩を竦める。
「そんな難しい話じゃない。 ただ、人々を団結させたかった。 それだけさ。」
「……あぁ!?」
ミカが半ギレで睨むと、アークゥが苦笑した。
「人々に敵が欲しかった。 脅威があれば、団結して立ち向かうだろう?」
「意味が分からねえんだよ! 何がしたいんだよ、お前はっ!」
精神安定の腕輪が効いているはずなのだが、どうにもイライラが止まらない。
つい、声を荒らげてしまう。
だが、ミカのそんな様子を気にすることもなく、アークゥは微笑んだ。
「光神教を広めていただけさ。」
「…………………………………………はぁあ?」
まったく予想もしていなかった角度から、ボールが飛んで来た。
ミカは目を瞬かせる。
「何、言ってんだ?」
「何って、ヒルディンランデルに”言”を教えた理由だ。 ヒルディンランデルに敵になってもらい、人々は団結して立ち向かう。 その結束に光神教は最適だった。」
ミカは思わず額を押さえ、首を振る。
聞きたくない聞きたくない聞きたくない…………。
絶対に確認したくない。
それでも、確認しない訳にはいかない。
ミカは苦虫を噛みしめたような顔になりながら、聞いた。
「…………光神教を考えたのも、お前か。」
「ああ。」
それを聞き、パタリとミカは倒れた。
(もうやだ……。)
ミカは大理石の上に寝っ転がり、やさぐれた。
(すべての元凶、アークゥじゃねえか。)
すべての始まりが、この男から始まっていた。
この大陸は、この一匹の猿の遊び場。
おもちゃ箱に過ぎなかった。
元々の光神教は、聖なる存在として先史文明の六人の王をモデルに仕立て上げた。
そう明言した訳ではないが、先史文明時代にあった事例などを元に、人々に結束を呼びかけて立ち向かわせたという。
「六神のモデルって、六人の王だったのかよ……。」
「あの頃も、人々を扇動して戦いに赴かせていたからな。 適当に教えをでっち上げ、勇敢に戦い死んだ者は、聖なる存在の下に導かれると説いて回った。 死んだ後の報酬を信じて、本気で死にに行く奴がいっぱいいたぞ。 笑いを堪えるのが大変だったよ。」
アークゥは、やさぐれるミカを気にせず説明を続ける。
「ヒルディンランデルは元々傲慢な男で、すぐに染まった。 今よりも生きるのに必死な時代だ。 力を得られると知ると、ヒルディンランデルの下に多くの人が集まった。」
だが、”言”を扱える者は限られていた。
ヒルディンランデルは資質のある者だけを集め、人々を蹂躙した。
しかし、それではあっという間に人々がやられてしまう。
そこで、ヒルディンランデルに反抗する人にも、アークゥは”言”を教えた。
これが、三千五百年前の戦いの実態。
アークゥは、両方の勢力に武器を供給する、死の商人だった。
いや、アークゥの悪辣さは死の商人どころじゃない。
そもそもが、光神教を広めるために、争いを起こさせていたのだから。
ミカは地獄が実在することを心から願った。
こいつには、絶対に地獄に行ってほしい。
ところが。
そんなアークゥの予想もしなかったことが起きた。
「【神の奇跡】。 これは、私も知らない、まったく新しい仕組みだった。」
”言”を使うことで”呪われし子”になってしまうことに気づいた誰かが、代わりの対抗手段を考えた。
そして、【解呪】も編み出され、”呪われし子”を完全に押し返すことに成功した。
ミカはむくりと起き出す。
「じゃあ、何でお前らは生きてんだよ。」
「勿論、【解呪】を喰らっていないからさ。」
”呪われし子”が”言”を使うことは、身を削ることと同義だ。
”力”は取り込みやすいからまだいいが、とにかく”意”は大量に必要になるという。
三千五百年前の戦いは、多くの”呪われし子”が倒され、残った”呪われし子”も”言”を使い過ぎて存在することさえも危うい状態になったことで、終結した。
そうして、長い年月”意”を細々と取り込みながら蓄えていき、再び人に取り憑くことで”呪われし子”たちは活動を開始したという。
グローノワ帝国の教皇に憑依するのに、一定期間に連続して憑依していたのは、蓄えた”意”を消費しながら行っていたから。
そして、一度途切れるとしばらく期間が空いていたのも、その間に蓄えていたからだという。
「その都度補充もしていくので、ある程度集めればすぐに尽きるということはないが、以前はその集めるのも効率が悪かった。 最近は”黒”を教えてやったから、かなり効率的になったがね。」
ミカはアークゥを睨みつけた。
「教会の歴史の改竄も、お前のせいか。 何を企んでそんなことした? 王国に戦争吹っ掛けたのも、どうせ”意”を集めるだけじゃねえんだろ?」
だが、アークゥは首を振る。
「ここ千年くらいは、”呪われし子”を主導していたのはヒルディンランデルだ。 私は、手伝っていたに過ぎない。」
「はっ!? 今更、自分のせいじゃありません!? ふざけんな!」
「別にふざけてなどいないさ。」
アークゥが真顔になり、赤く輝く目でミカを見下ろす。
「大体、知りたいことも知った。 やりたいこともやった。 私には、目標が無くなっていたのだよ。」
三百万年前ってのはどうかと思うが、三千年だって、生きてれば飽きる奴が出てもおかしくはないが……。
「その頃には飽きてはいたが、まだ死を望むようなことはなかった。 ヒルディンランデルたちが何かやろうとしていたので、手を貸すくらいは構わなかった。」
【解呪】という【神の奇跡】もあるし、その気になればいつでも死ねるということも頭にはあったという。
ところが、死を恐れた一部の者たちにより、【解呪】の抹消が計画、実行されてしまった。
「何で止めなかったんだよ。 止めればいいじゃん。」
「私たちは元々、そこまで連携を密にしていた訳ではない。」
長い年月を生きる者たち。
五年十年二十年、疎遠になるくらいは当たり前。
割とお互いに好き勝手やって、何かある時だけ声をかけ合うくらいの、緩い協力関係だったらしい。
「私が知った時には、すべてが終わった後だったんだ。」
勝手な振る舞いの多い他の”呪われし子”は、とにかく様々なことがいい加減。
教会の乗っ取り、歴史の改竄などで協力関係は結んでいたが、計画をきちんと実行するとは限らなかった。
「気に食わんからと、簡単に殺す。 壊す。 これでは計画に支障をきたす、と注意して回るのは私の役目だった。」
そのため、一部の者からは嫌われ、【解呪】抹消計画では除け者にされてしまったという。
(…………なんか、中間管理職だな、こいつ。)
先程までの話では、こいつが一番の黒幕のような感じだったが。
「お前が一番偉いんじゃねーの? ヒルディンランデルに教えてやって、他の奴は皆ヒルディンランデルから教わって、って感じだったんだろ?」
「偉い……。 力関係では確かに私が一番力があるだろう。 だが、いつからか彼らは勘違いし始めた。」
「勘違い?」
ヒルディンランデルの計画に手を貸す際、役割としてヒルディンランデルの片腕的ポジションを演じた。
元々様々な人間に憑依し、様々な人生を楽しんできた経験から、補佐としての役割も経験済みだったという。
「王様から奴隷まで、一通りの人生を歩んできた。 商会の会長も召使いもやった。 なりきるのは得意だぞ。」
「そうかよ。」
ミカはうんざりしたように言う。
何百という人に取り憑き、その人生を乗っ取ってきた。
力を振るうことも厭わないが、縛りプレイで遊ぶ方が楽しいらしい。
「……で、役割で傅いてみせたら、本当にその気になった?」
「ああ。 ヒルディンランデルは自分の方が偉いと本気で信じ込み始め、周りも『そうだ』と勘違いし始めたのだ。」
「何で訂正しないんだよ。」
「それでは面白くないだろう?」
だめだ、こいつ。
ミカは頭を抱えた。
縛りプレイを崩したくなかったとか、馬鹿じゃねーの。
役割を演じるだけ。
確かに、そこから「本当に自分が偉い」と勘違いしてしまうことはある。
ある大学で、普通の学生を「看守役」と「囚人役」に分けて、閉鎖された監獄を模した環境に入れて過ごさせる実験を行った。
地位や役割が、人にどのように影響するかを実験したのだ。
結果、看守役はより高圧的になり、囚人役はより卑屈になるという結果が出た。
この実験にはいろいろと疑義があるらしいが、実際はそこまで難しい話ではない。
芸能人やスポーツ選手でスターに登り詰めた人が、周りにちやほやされて天狗になり、あっという間に転落するなど良くあることだ。
持ち上げられると、すぐ調子に乗る人はどこにでもいる。
ミカは呆れたような顔でアークゥを見上げ、軽く身体を解し始める。
まだ身体に反動の痛みがあるが、少しマシになってきた。
「【解呪】は、本当に失われたのか? そもそも【神の奇跡】って何なんだ? 研究熱心なお前なら、自分で作ることも可能だったんじゃないのか?」
ミカがそう言うが、アークゥは首を振る。
「【神の奇跡】は、世界の理への干渉だ。 論理ではなく、能力が必要なんだ。」
「…………どういうことだ?」
【神の奇跡】を世界の理に差し込むには、そういう特殊な【技能】が必要らしい。
「これは、私も聞いただけの仮説に過ぎないのだがね。 身につけようとして、身につけられるものではないようだ。」
その技法が伝わっていく、というものではなく、生まれながらに特殊な【技能】を持った者が現れ、【神の奇跡】という仕組みを世界に組み込む。
「だったら、そいつを探せばいいじゃないか。」
「探さなかったと思うかね?」
【神の奇跡】は、長い年月をかけて少しずつ増えていった。
何者かが、【神の奇跡】を新たに世界に組み込んでいるのだ。
【神の奇跡】という力が現れてから千年以上も探したが、見つけることができなかったらしい。
「……どうやら、世界の理への干渉らしい、というのも話として聞いただけだ。 確認した訳ではない。 私では確認のしようがなかった。」
【解呪】が失われてから、もう一度探したが、やはり見つけられなかったという。
「新たな【神の奇跡】が作られる。 ならば、今一度【解呪】のようなものが作られる可能性はある。 私は、そのか細い可能性にかけることにした。」
歴史に暗躍し、陰謀を巡らせてきたアークゥだが、【神の奇跡】だけはどうにもできなかった。
その表情には、確かに諦めのようなものが浮かんでいた。




