第286話 ケルニールスの変化
ミカたちはロズリンデの助言に従い、潜伏場所を変えることにした。
ロズリンデには、組織から何かしらの指令が下ったのだろう。
そこから予想されることを、ミカに知らせに来てくれたのだ。
ロズリンデ自身が乗り込んできたということは「まだ他の監視はついていないのだろう」というツダーゼンの見解を採用し、裏口から普通に出て移動を開始した。
どうしてこの娼館にミカがいると知っていたのかは謎だが、ロズリンデはロズリンデで何か伝手があったとでも思っておこう。
陰気な男にボロい荷馬車を用意してもらい、それに乗り込む。
移動するメンバーはミカ、ヤロイバロフ、オズエンドルワ、レブランテス、ツダーゼンだ。
「一体、何がどうなってんだ?」
ヤロイバロフが、狭い荷台で窮屈そうにしながら、ツダーゼンに尋ねる。
今のところ、事情を一番把握しているのは、ツダーゼンだろう。
全員の視線がツダーゼンに集まる。
「代々の国王は、独自の情報組織を持っている。 自分で作り、自分が死ぬか解散させるまで。」
「王から王に、引き継ぐんじゃないんですか?」
ミカがそう聞いてみるが、ツダーゼンは首を振る。
「あの組織は、完全に王が個人で作るらしい。 必要だと思った王が、自分で作る。 次代に継承したりするようなものではないらしい。」
「あぁー……、なんかそんな話をガキの頃に聞いたことがあるな。 王の耳とか言ったりするんだろ? 本当にあったのかよ……。」
都市伝説のように語られる組織。
誰もが知っているが、誰も詳細を知らない。
イル〇ナティみたいなもんか?
ツダーゼンがやや乗り心地悪そうにしながら、真剣な目でミカを見る。
「あの女性とは、随分と親しいのだね。」
そう言われ、ミカが変な顔になる。
「…………まあ、仲は悪くないと思いますけど。 喧嘩友達みたいなもんですよ?」
ミカが複雑な面持ちで呟くと、ツダーゼンは首を振った。
「生半可な覚悟では、あんな風に知らせになんか来れない。 おそらくだが……、あの女性はこのまま姿をくらます気だろう。」
ツダーゼンの言葉に、ミカは目を丸くする。
「そんなっ! どうしてっ!?」
「陛下の情報組織だぞ? 裏切れば即首を斬られる。 周囲には行方不明という形にするだろうがな。」
罪状も何も明かされず、ただ行方不明として処理される。
それほどの危険を冒してまで知らせに来てくれたのだ、ロズリンデは。
思わす立ち上がろうとするミカの腕を、オズエンドルワが押さえた。
「堪えるんだ、ミカ君。」
「でも! このままじゃロズリンデさんは!?」
狼狽えるミカに、ヤロイバロフが頭をがしがしと撫でる。
「あの姉ちゃんを何とかしたければ、余計にこっちを片付けるべきなんじゃねえのか? こっちが片付けば、あっちも何とかなる。 そうだろ?」
「でも……。」
王が作り、一代限りで解散する組織だというなら、王が死ねば組織は消滅する。
だが、それは王を排除し、王太子につくという選択だ。
何より、それで本当にロズリンデの身は安全になるのか?
オズエンドルワが大きく溜息をつく。
「…………もし先程の話が本当だとすれば、陛下が健在なうちはミカ君が指名手配されている、ということか。」
「どうすんだ? お前は俺たちの敵か?」
ミカを挟み、ミカの頭の上でヤロイバロフとオズエンドルワが睨むように視線を交わす。
だが、すぐにオズエンドルワは首を振る。
「なぜ陛下がミカ君を指名手配するのか、理由が分からない。 私が知る限り、ミカ君が陛下に仇なすようなことはないと思うが……。」
「オズエンドルワの立場ではそうだろうな。」
迷いを吐露するオズエンドルワを、ツダーゼンが諭す。
「騎士団長という立場では、知らされる情報にも限りがある。 そもそも、なぜミカ君が処分保留という立場に立たされたか、それすらもロクに知らないだろう?」
「そうなんですか?」
ミカがオズエンドルワを見ると、オズエンドルワが顔をしかめた。
「陛下が【神の怒り】を禁じたことから、すべては始まっている。 その一事がこじれ、王太子殿下の行動にも繋がるのだ。 【神の怒り】を知らない者に、今回の一連の騒動を真に理解することは無理だ。」
「【神の怒り】……?」
「何だい、そいつは?」
ヤロイバロフとレブランテスが顔を見合わせた。
どうやら、この場で【神の怒り】のことを知るのは、ミカとツダーゼンだけのようだ。
帝国の持つ【神の怒り】に、一方的に王国軍が崩された。
王国では王太子が秘密裏に【神の怒り】を存続させていたが、それを使うことは禁じられた。
陛下によって。
王太子も何とか【神の怒り】の知識を繋いでいるだけで、すぐに帝国に対抗できるものではなかった。
大々的に動き、【神の怒り】を使える者を増やさなければ、王国の【神の怒り】はすぐに打ち止めになってしまう。
そのため、現在は宮廷魔法院に情報を解禁し、【神の怒り】を普及するための計画を練っているところだったそうだ。
【神の奇跡】以上に、その取り扱いは注意を要する。
一気に使い手を増やしたいが、どのような者に習得させていくか、その習得方法などを模索している段階だという。
「教えたからと言って、すぐに使えるようになるものでもない。 それなりに習得……というより、集団で発現させる方法に慣れないと、上手くいかないらしい。」
そうした訓練期間が必要になることが分かっていたため、王太子は焦っていた。
初戦で瞬く間に一軍を失ったというのに、それでも陛下は【神の怒り】を拒否した。
そのことで不信感が募り、焦りもあって国王の排除に動いたという。
ツダーゼンの話を聞き、オズエンドルワが呻いた。
言葉も出ないという感じだった。
そんなオズエンドルワを見上げていると、ミカの頭がぽんぽんと撫でられた。
「…………そんなことになってたなんてなぁ。 よく頑張ったな、ミカ。」
ミカの頭を撫でながら、ヤロイバロフがしみじみと呟く。
珍しくヤロイバロフがミカのことを名前で呼んだ。
いつもは『坊主』なのに。
「何だか戦場ですげえ力を使ったって噂はあったけどよ。 それで、そんな立場になってたのか。」
そう言って、ヤロイバロフがオズエンドルワを見る。
「おめえ、これを聞いてもまだ王の側につこうって思うのか? どう考えても、坊主にゃ非はねえし、王太子だって悪かねえだろ? ……確かに、手段は褒められた方法じゃねえかもしれねえけどよ。」
オズエンドルワは何も言えず、ただ俯き、考え込んでいるようだった。
「ここなら、すぐにはバレやしねえだろ。」
そう言って、ヤロイバロフが窓から建物の中に入る。
ここは7区のほぼ中央にある宿屋。
ただし、今は使われていないらしい。
ヤロイバロフが中からドアの鍵を開けてくれた。
全員で中に入ると、再びドアに鍵をかける。
「午前中、出掛けてたって言ったろ? ここの内見に来てたんだよ。」
何でも、この宿屋は合成魔獣騒動の時に、店主が被害に遭ったそうだ。
最近までは、何とか店主の奥さんが中心となって切り盛りしていたらしいが、やはり大変だということで手放すことにしたらしい。
あの騒動で建物に被害を受けたり、店主が無くなったりして廃業した店というのは割とあるという。
「宿屋を増やすんですか?」
「ああ。 サーベンジールのチビどもを、今は王都に避難させてんだよ。 遊ばせててもしょうがねえし、3区の宿屋だけじゃそこまで人はいらねえだろ?」
サーベンジールの宿屋の従業員を、いつの間にか王都に避難させていたらしい。
建物はそのままヤロイバロフが所有しているが、先月のうちに宿は閉めたという。
この宿屋は、まだヤロイバロフが購入した訳ではないが、内見に来た時に窓の鍵が一つ壊れているのに気づいた。
「…………つまり、不法侵入ってことか。」
誰もが思っていたが黙っていたことを、レブランテスが口にする。
ミカもそんなレブランテスに突っ込むことをせず、黙殺した。
黙って、ヤロイバロフに続いて三階に上がる。
最近まで営業していたらしいので、まだ埃が積もったりもしていない。
ヤロイバロフが三階の一番手前の部屋に入った。
部屋には丸いテーブルが置かれ、椅子も四脚ある。
ヤロイバロフが隣の部屋から、椅子を一脚持ってくる。
「さて、どうするかじっくりと考えようぜ。」
テーブルの椅子にミカ、オズエンドルワ、レブランテス、ツダーゼンが座り、ヤロイバロフは隣から持って来た椅子に座った。
「…………何で、そんな所に座ってるんですか。」
ミカは後ろを振り返り、ヤロイバロフを見る。
なぜか、ヤロイバロフはミカのすぐ斜め後ろに座った。
テーブルにつけばいいのに。
だが、ヤロイバロフはミカの頭を掴み、前を向かせる。
「こっちのことは気にすんな。 いいからちゃっちゃと決めようぜ。」
ヤロイバロフがそう言うと、レブランテスが軽く手を挙げた。
「じゃあ、俺の方からいいか? 情報がそれなりに集まってきた。」
「そういや、ギルドから使いが来てたな。」
ヤロイバロフが促すと、レブランテスが説明を始める。
「まず、国王陛下は体調を崩してたこともあり、しばらく居室に幽閉されていた。」
レブランテスがそう言うと、オズエンドルワがツダーゼンを睨んだ。
「ところが昼過ぎ、突然部屋から出てきた。 ドアを押し破ってな。」
「押し破って?」
ミカが聞き返すと、レブランテスが頷く。
「鍵のかかってたドアを力任せに開けてみせたようだぜ? ドアを支える蝶番が破損していたらしい。」
「おいおいおい、すこぶる元気じゃねーか。 つーか、幽閉してたとか嘘だろ。 自力で出られるんじゃねーか。」
思わずヤロイバロフが突っ込む。
何だか、いきなりちぐはぐな話になってきたぞ。
「その後、前を塞いだ近衛騎士の一人を壁に叩きつけた。 片手でな。」
「嘘でしょ……!」
ミカはこれまで、三回ほど国王を見ている。
そこまで大柄でも、力が強そうでもない。
不意をつけば近衛騎士をよろめかせることくらいはできるだろうが、立ち塞がったのを壁に叩きつけるとか……。
どうにもイメージからかけ離れているような気がする。
「その後、自ら先頭に立って、王太子の下に乗り込んだ。 近衛騎士を引き連れて。」
「何だか、聞いてたイメージと大分違くねえか? そんな武闘派だったのか、うちの王様ってのは?」
ヤロイバロフがツダーゼンに言うが、ツダーゼンは呆気に取られていた。
どうやらツダーゼンは知己の近衛騎士から騒ぎを聞きはしたが、そこまでの具体的な話は聞いていなかったようだ。
「…………極めつけが一つあるぜ?」
レブランテスがそれまでの軽い口調から、やや声のトーンを落とす。
「王太子と、いくつかやり取りがあったらしいんだが、何か言おうとした王太子を殴りつけたそうだぞ。」
「…………殴りつけた?」
「ああ、王太子の顎は骨折しているそうだ。 【癒し】も回復薬も与えるなと厳命し、地下牢にぶち込んでるって話だ。」
いやいやいや、おかしいだろ!?
あの国王、六十超えてるんだぞ!
クランザードはそれなりに鍛えている。
タイプとしては武人寄りだ。
それをぶん殴って顎を割るとか、あの国王にできるのか?
明らかにおかしい王の行動に、その場の全員が押し黙った。
レブランテスが続ける。
「王太子についていた閣僚たちは、一部を除いて留任されている。 宰相は罷免され、地下牢へ。 他は行方をくらませた軍務大臣が罷免され、副大臣が大臣に昇格した。」
混乱を素早く収束させるため、一度は王太子についた閣僚たちも留任しているらしい。
王としての度量を示しているのか?
「王太子に与した近衛軍上層部は、近衛騎士たちの反乱…………というか、国王の側についた近衛騎士たちにより捕えられられている。 どうやら、ほとんどの近衛軍の者は、よく事情を知らなかったらしい。 こいつらからすりゃ、国王に従うのが当たり前なんだから、当然の対応と言えば当然の対応だな。」
王太子は穏便に事を進めようと上層部だけを抱き込み、後はごく一部の者だけを引き込んでいたようだ。
王位の継承がスムーズに進めば、それがもっとも穏便なのは確かだが……。
そこで、レブランテスがやや顔を歪める。
「王太子については、あえて廃太子していない。 そして、明日の正午の公開処刑が決まっている。」
「なっ!?」
なんと、あえて王太子のまま処刑を断行するつもりだという。
オズエンドルワも強いショックを受けているのか、絶句していた。
「また、”解呪師”にも見つけ次第『斬れ』とお達しが出た。 理由は特に示してない。 ただ、庇えば教会も根絶やしにすると通告を出している。」
「…………無茶苦茶だ。」
細々としたことは他にもあるそうだが、大きな動きとしてはそんなところらしい。
ヤロイバロフが自分の頭を撫でながら、呟く。
「ぷっつんしちまったどころじゃねえな。 すっかり別人じゃねえか。」
その一言は、ツダーゼンを除く全員が抱いていた感想だった。
いや、それは感想ではなく、一つの可能性を明確に示していた。
「…………そういう、ことなんだろうな。 それしか考えられん。」
オズエンドルワがやや俯き、目を閉じる。
ミカには、それが黙祷のように見えた。
「すぐに動きましょう。 放っておくと、他にどんな命令を発するか。」
ミカが立ち上がると、ヤロイバロフも立ち上がった。
だが、オズエンドルワが首を振る。
「気持ちは分かるが、今は待つんだ。 幸い、明日の正午が王太子の処刑なのだろう? なら、時間はまだある。」
「ですが、時間が経てば経つほど混乱が大きくなりますよ?」
「それは分かるが、少し休むべきだ、ミカ君。 君は前線から戻ったばかりなのだぞ?」
「は? ……前線?」
レブランテスが、ミカとオズエンドルワを交互に見る。
「ヒブジーザが前線に現れた。 それを退治してきたんだよ。」
「退治、してきた? ……てことは?」
ヤロイバロフが、オズエンドルワに確認するように聞いた。
オズエンドルワが頷く。
「ああ、倒した。 解呪も成功した。」
それを聞き、レブランテスがテーブルをバンと叩く。
「やったじゃねえかっ!」
「はっはっはっ! やったなあ、おい!」
ヤロイバロフがミカの頭を撫でまくる。
あっという間に、髪をぼっさぼっさにされた。
そんなミカを微笑みながら見ていたオズエンドルワが、表情を引き締める。
「だからこそ、今は少し休むべきなんだ。 王都と前線の往復。 ”呪われし子”を倒し、防護壁を修復。 今日はもう十分過ぎるほどに動いている。 今はしっかり休み、備えるべきだ。」
オズエンドルワの提案に、ヤロイバロフも頷く。
「そういうことなら、オズエンドルワの言う通りだ。 今は休め。」
ヤロイバロフが後ろから、ミカの頭をポンと両手で挟んだ。
その瞬間、ミカの意識が飛んだ――――。
ガクンと崩れ落ちそうになるミカを支え、ヤロイバロフがミカを抱き上げる。
「お、おいっ!? どうしたんだ、そいつ!?」
レブランテスがぎょっとして、ヤロイバロフに尋ねる。
オズエンドルワが半目でヤロイバロフを睨む。
「あのな、もうちょっとやり方ってものが……。」
「問答するだけ時間の無駄だろう? 大丈夫だよ、ちゃんと加減はしてる。」
手加減して、軽い脳震盪。
ヤロイバロフはただ両手で頭を挟んだだけに見えるが、実際は少し違う。
それは、言ってみれば軽い打撃だ。
直接頭を揺さぶることで、脳を揺らす。
加減を間違えれば、命を落としかねない危険な方法だった。
「そういう方法は、あまり好きではないな。」
「はいはい、分かったよ。 次は違う方法を採るよ。」
まったく分かっていないヤロイバロフの返事に、オズエンドルワが溜息をつく。
だから、小言はこれで最後にする。
「…………ミカ君が真似したら、ヤロイバロフの責任だからな。」
「うっ……!?」
それはまずい。
ミカの見様見真似は、ちょっと洒落にならない。
痛い所を突かれ、ヤロイバロフが苦し気な表情になった。
「……………………次からは、気をつける。」
「ああ、是非そうしてくれ。」
そんなやり取りを見て、ツダーゼンは怪訝そうな顔になった。
■■■■■■
【王城 地下牢】
「う……うぅ……。」
薄暗い牢屋では、手枷を嵌められたクランザードが横たわっていた。
クランザードはたった一発の、それも齢六十を超えたケルニールスのパンチで顎の骨を砕かれ、しゃべることもできなくなっていた。
ケルニールスは、殴り飛ばされ動けなくなったクランザードに死刑宣告を行った。
王たるケルニールスを不当に幽閉し、王権を勝手に振るったのだから、それは当然の対応だろう。
ケルニールスならば。
会議室でワイエッジスへの救援の人員の手配や、前線の対応を指示しているところにケルニールスが乗り込んできた。
クランザードを護ろうと立ちはだかる近衛騎士を、ケルニールスが自ら、軽々と押し退けて。
そうして二言三言、言葉を交わした。
それだけで確信した。
ケルニールスではない。
雰囲気の違いは、すぐに気づいた。
その目の奥に潜む、闇を感じた。
そうして、すぐに思い至った。
これがミカ・ノイスハイムの言っていた”呪われし子”か、と。
人を乗っ取るなど俄かには信じられなかったが、なるほど確かに。
他人が、影武者のようになりすましている訳ではない。
これは、本人だ。
本人が別人になったのだ。
迂闊だったのは、そのことを口走ってしまったこと。
「貴様が”呪われし子”か。」
そう口走ってしまった。
言い終わる前に殴り飛ばされ、まともにしゃべることもできなくなってしまったのだ。
この事実を誰かに伝えなくてはならない。
だが、話をすることもままならず、そもそもここには誰もいない。
このままでは、王国が滅びてしまう。
グローノワが崩壊したように。
「うぐ……ぐぅ…。」
ひどい痛みに、呻くことしかできなかった。
どうにかして、この事実を誰かに伝えなくてはならない。
何より、ミカ・ノイスハイムに伝えなくてはならない。
現状、”呪われし子”を何とかできるのはミカしかいない。
ミカを前線に送ったことは、吉となるか、凶となるか。
それは、クランザードにも分からなかった。
もはやクランザードには、薄暗い牢屋で祈ることしかできなかった。




