第276話 領主軍の鬨
グローノワ帝国、南西部。
ダブランドル平原まで三十キロメートルほどにある小さな町。
そこでも、国と教会による炊き出しが行われていた。
少し前までは、こうした炊き出しは帝国中で行われていた。
ただ現在では、もう帝国の南西部でしか行われていない。
生きている帝国の民は、もはやここにしか存在しないはずだからだ。
「いっぱいお食べー。」
麦を何かの乳で煮込んだ、でろんでろんの何か。
豆を大量に入れた、塩味のスープ。
そして、赤酒。
炊き出し所では、押し寄せた群衆に昼夜を問わず、食事を提供していた。
こうして、餌が与えられるだけマシというもの。
遥かな昔、僅かばかりの食べ物を奪い合い、殺し合った頃と比べればここはまるで天国だ。
ただ歩いているだけで、餌にありつけるのだから。
”火”はお玉ででろんでろんの何かを掬い、トレイにガンッと盛る。
トレイもいちいち洗ったりしない。
自分が食べ終わったら適当に誰かに渡し、眠る。
そうして、また歩き始めるのだ。
ダブランドル平原を目指し、その奥にある防護壁を目指して。
「くふ……いいねー。 いいよいいよー。」
”火”は次々とお玉で掬い、トレイに盛って行く。
ここは、ただ居るだけで中々質のいい”意”が取り込める。
エックトレームへの憤怒、憎悪。
神々への崇敬、歓喜、愛。
己に対する悲嘆、慚愧。
過酷な試練、痛苦、辛苦。
様々な”意”が溢れ出し、まるで煮え滾るようだった。
「ここは任せるよー。」
”火”はお玉を渡し、炊き出し所から離れて町を歩く。
家屋には人が溢れ、道端にも皆が適当に雑魚寝をしている。
その光景に、懐かしさを覚えた。
人々が生き延びることに必死だった時代。
欲しければ奪い取る。
それが当たり前だった時代だ。
それこそが、人の本当の姿だと思う。
賢しい者が増え、いつしか人としてのあるべき姿を忘れた。
餌の分際で。
【神の奇跡】などと詰まらないものを生み出し、生意気にも反抗しやがった。
てめえらの無能を棚に上げ、選ばれし者たちを”呪われし子”などと称しやがる。
あまつさえ、絶対的な上位者を穢れた【解呪】で葬って回った。
”火”の握り締めた拳が震える。
憎悪の炎が燃え上がる瞳で、目の前の家族らしき一団を睨みつけた。
だが、その家族の中から、一人の老婆が”火”に向かって歩いてきた。
「……司教様。 どうかお導き下さい。」
”火”の前に跪き、老婆は祈り始める。
”火”は、その老婆を冷えた目で見下ろす。
が、老婆の前にしゃがみ込み、屈託のない笑顔になる。
「お婆ちゃーん、もう少しだからねー。」
「はい、司教様。」
一心に祈りを捧げる老婆に、”火”はうんうんと頷く。
そうして立ち上がると、老婆に手を振ってまた町を歩いた。
「…………もう少しだ。 あと少しで……。」
”火”は、口の端を歪めながら、そう呟いた。
■■■■■■
エックトレーム王国、レーヴタイン侯爵領。
国境の防護壁では、連日訓練が行われていた。
ルバルワルスは、自身の前に整列した騎士と兵士を馬上から眺める。
七千の騎士、四万の兵士。
これは、レーヴタイン侯爵領の抱える領主軍の半分に相当する。
先の二度に渡る戦いで消耗したが、それでもこれだけの軍を擁するのは、王国の領主の中でもレーヴタイン侯爵家だけだった。
さすがに領地内の治安活動を放り投げる訳にはいかないので、全軍を招集する訳にはいかない。
未曽有の危機ではあるが、その先を考えない訳にはいかないのだ。
帝国はもはや崩壊した。
明日を考えないで済むならば、それは無理もできるだろう。
しかし、王国はそういう訳にはいかない。
必ず勝ち、その上で明日を考えなければならないのだ。
偵察の報告によると、グローノワ帝国の群衆が北から東から、日に日に押し寄せてくることが分かった。
だが、その行軍速度は極端に遅い。
まあ、数を考えれば、これが訓練も何も受けていないただの民衆なのは明らか。
むしろ、これだけの数がよくここまで来れたものだと感心してしまう。
そんなことは、とても口に出しては言えないが。
ルバルワルスが騎士たちの前に馬を進めると、やはり騎乗した騎士団長のマグヌスが横に並ぶ。
「待ち遠しいですなあ、閣下。」
抑えきれない殺気を滲ませながら、マグヌスが険のある笑顔で言う。
それを見て、ルバルワルスは苦笑する。
「逸るな、マグヌス。 貴様がそれでは兵が浮足立つ。 まだ一週間はかかるぞ。」
「それでは、こちらから迎えに行きましょうか。 のこのこ坊さん帝まで、死ににやって来るようですからな。」
帝位を簒奪し、あっという間に帝国を滅ぼしてみせた教皇。
その張本人がわざわざ出張っているという情報は、軍務省の諜報部が掴んでいた。
つまり、この馬鹿げた死の行軍は、形としては親征という訳だ。
「何かの動物でいるらしいですな。 集団で入水するとか何とか。」
「そんなのがいるのか? なぜそんなことをする?」
ルバルワルスに問われたマグヌスが肩を竦める。
「さあ? 動物の考えることも、死んだ者の考えも知る由がありませんので。」
「フ……確かにな。」
ルバルワルスはマグヌスとの軽口を切り上げ、所定の位置につく。
そうして、堂々たる領主軍の勇士たちを一望する。
ここに集まった者は皆、ほんの一年前までは戦争を知らない者ばかりだった。
ルバルワルス然り、マグヌス然り。
それがどうだ。
たった二度の戦場の経験で、この湧き上がる闘志はなんだ。
騎士の一人ひとり、兵士の一人ひとりの自信に溢れた顔に、ルバルワルスは頷く。
シャリンッ……。
ゆっくりと剣を抜くと、小気味良い音がした。
陽光を反射する、美しい剣身を高々と掲げる。
「我が勇敢なる騎士たちよ! 我が勇敢なる兵士たちよ! 三度戦いの時だ!」
ルバルワルスは澄み渡る空を見上げ、すべての騎士、すべての兵士に語りかける。
「愚かな帝国は勝手に滅び、もはや風前の灯である!」
柄を握る手に力を籠め、声を張り上げる。
「しかぁしっ! 愚かであるが故に、奴らは分からないのだっ!」
天を衝くように、一層高く剣を掲げる。
「すでに二度も敗れながら、再び敗れにやってくる! 我らに殺されにやってくる! ならば! その希望を叶えてやろうではないか!」
掲げていた剣を下ろし、騎士たちの頭上に向ける。
「勝手に死ねと言いたいところだが、我らに殺されることが望みらしい! ならば殺せっ!」
「「「うぉぉおおーーーーーーっ!」」」
「「「殺せっ! 殺せっ! 殺せっ!」」」
「「「ぶっ殺してやるぜっ!」」」
騎士たちは拳を振り上げ、ワッ!と歓声を上げる。
ルバルワルスは剣をゆっくりと動かし、兵士たちの頭上に向けた。
「狂人たちに二度と王国の地を踏ませるな! 皆殺しにしてやれっ!」
「「「皆殺しだあっっっ!!!」」」
「「「うぉぉおおーーーーーーっっっ!!!」」」
兵士たちは地を踏み鳴らし、それは地響きのように轟く。
士気の高さに、ルバルワルスは満足そうに頷く。
そうして再び剣を掲げ、声を上げる。
「我らこそ、エックトレームの盾である!」
「「「我らこそ、エックトレームの盾である!!!」」」
ルバルワルスの鬨の声に、すべての騎士、すべての兵士が続く。
「鉄と血こそ、我らが誉!」
「「「鉄と血こそ、我らが誉!!!」」」
びりびりと大気を震わせ、迸る意気。
「レーヴタイン領主軍に栄光あれ!」
「「「レーヴタイン領主軍に栄光あれ!!!」」」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」」」
最後の鬨の声と同時に、唸り声が天へと登る。
一斉に駆け出し、配置につく領主軍を見て、ルバルワルスはぶるりと震えた。
剣を鞘に収め、ゆっくりと振り返り、防護壁の向こうを睨んだ。
「……いつでも来るがいい! 根絶やしにしてくれる!」
ルバルワルスはそう呟くと、馬を走らせるのだった。
■■■■■■
ミカはグローノワ帝国の上空を飛び、”望遠鏡”を使って地上の群衆を監視していた。
教皇帝の『聖戦』の呼びかけに、四千万人もの国民が応じ、実際に大移動を始めた。
もはや何人いるのかもミカには分からないが、上空から監視し、目標を探す。
「…………ん? こいつらは。」
倍率を上げ、よく確認する。
教会騎士団の一団。
ということは、近くに癒し手の集団がいる可能性が高い。
人々に【癒し】を与えるためだけに来ているなら攻撃することを躊躇うが、こいつらは【神の怒り】の使い手だ。
真っ先に潰すべき対象だった。
普通に考えれば、これだけの群衆が押し寄せた防護壁に【神の奇跡】も【神の怒り】も使わないだろう。
味方を巻き込むことが明らかだからだ。
しかし、人の命を何とも思わないような連中なら、構わずぶっ放してくる。
屍に屍を重ねろなどと言い放つ奴らに、まともな思考を求めてもおそらくは無駄だ。
ミカは戦いが始まる前に、可能な限りグローノワ帝国の癒し手、魔法士を潰すことにした。
こいつらがいるだけで、死傷者数が跳ね上がる。
また、あちこちで炊き出しを行っているようなので、それも潰して回っていた。
補給を潰せば、防護壁に辿り着くまでに餓死する者も出るだろう。
中々に悪魔の所業だが、相手が悪魔だった場合は、果たして自身も悪魔になるのか。
それとも、悪魔を殺すのだから神や天使の所業となるのか。
正義の名の下ならば、どんな残虐な行為も正当化される考えは、どうにも違和感を覚える。
そんなことを考えながら、ミカは”突風”と"低重力"を切った。
自由落下に移行し、発見した癒し手の殲滅に移る。
以前の高高度降下低高度開傘よりは低空だが、中々の高度からの落下。
おそらく三千~四千メートル辺りだと思う。
すでに何度も行っているので、慣れたものである。
ミカは”突風”で逆噴射しながら落下速度と位置を微調整。
身体の向きもくるんと変え、足から落ちるようにする。
バタバタとはためくフードを掴み、目深に被った。
ズンッ……!
十分に減速、かつ”忍び足”も使ってミカの周囲の音を消す。
着地した地面に多少の衝撃が伝わるが、すぐ傍の人でもなければ気づかない程度だ。
「は……? え?」
「……うん?」
癒し手たちは、目の前に落下してきた黒づくめのローブを見ても、ぽかんとしていた。
ミカは腰に佩いたナマクラ様を素早く引き抜き、目にも止まらぬ速さで駆け抜ける。
「ぎゃふっ!?」
「ぐぎゃっ!」
百人ほどの癒し手をナマクラ様で撲殺して回り、瞬時に飛び上がる。
(この間、僅かコンマ五七秒であった……。)
そんなナレーションを頭に思い浮かべる。
まあ、実際は十秒以上かかってると思うけど。
ミカがあえてナマクラ様を使っているのは、勿論理由がある。
簡単に言ってしまえば、それは欺瞞だ。
真っ黒い何かが落ちて来て、一瞬で沢山の人が死ぬ。
死んだ人を調べても、身体が千切れたり潰れたりしているだけ。
この世界の人は、普通はこんなのは魔物や魔獣の仕業だと考えるのだ。
鋭利に斬られた痕を見れば、何かに斬られたと考えるが、ナマクラ様は撲殺武器である。
魔獣か何かに力任せに殴られたとしか見えないのだ。
バレたところでどうという訳ではないが、怪奇現象や魔獣の仕業に見せかけた方がいいかなと、この手段を選択した。
王国の工作だと思われると、士気を高める可能性がある。
ただの事故なら、士気は低下していくだろう。
祟りだ、とでも思ってくれれば御の字だが、そこまでは期待しないでおこう。
何となく嫌なことが起こるな、ともやもやしてくれればいいなーと思う。
つまりは、嫌がらせだった。
「ただいま。 さあ、次行こう。」
空で待っていたフィーが小さく明滅する。
そうして、ミカの左肩に乗った。
「潰しても潰しても……きりがないね。」
とりあえず三十回ほど繰り返し、思わずぼやいてしまう。
さすが、二千万だか三千万だかが集まっているだけある。
連日こうして嫌がらせを行っているが、効果があるのかないのかすら分からない。
ミカの脳裏に、ふと過る。
「…………”呪われし子”か。」
この中から探し出すのは、現実的ではないだろう。
運良く一人二人は見つけられても、何人いるのかも分からないというのは、中々困った事態ではある。
それでも、どれだけ強大な呪いかは実際に解呪を試みて分かった。
そのための秘策も練った。
「次こそ、必ず仕留める。」
そう呟いた時、炊き出しを行っている場所を見つけ、再び襲撃に移るのだった。
夕方になり、ミカは防護壁に戻ってきた。
魔法具の袋から通信機を取り出したところで、地上で手を振っている魔法士隊に気づく。
その中に見知った姿を見つけ、ミカは下り立った。
「サロムラッサさん!」
「やあ、ミカ君。 久しぶりだね。」
訓練で砂に塗れたサロムラッサが、疲れを感じさせる笑顔を見せる。
「訓練、ご苦労様です。」
「それはこっちのセリフだよ。 威力偵察…………というよりは、奇襲作戦かい?」
「どうなんですかね。 僕はただの嫌がらせくらいに思ってますが。」
まあ、教会の癒し手や魔法士を潰すのは、王国の損害を減らすために重要だ。
叩き潰した対象の数や種類、どの辺りにまで群衆が迫っているかなども、通信指令室に報告してから一日を終えるのがミカの日課だった。
「サロムラッサさんのそのローブ、初めて見ますけど似合ってますね。」
サロムラッサは王国軍魔法士の制服である、黒のローブを着ていた。
砂だらけになっているが、それが何ともこなれた感じを醸し出す。
だが、サロムラッサはおどけた様子で肩を落とした。
「僕は、もう二度と袖を通さないつもりだったけどね……。 さすがに、開戦した時から覚悟はしていたけどさ。」
十年という長い兵役を終え、ようやく義務を果たしたと喜んでいたのに、再び着ることになってしまった制服。
ミカとしては苦笑することしかできない。
「まあ、よろしく頼むよ、先任。」
そう言ってミカに敬礼した。
ミカは目を丸くする。
「何ですか、それ?」
「何って、ここじゃミカ君の方が先輩だろ? 何より、僕らは初陣もまだの童貞小僧ばかりだよ。 銀勲章を二つも持つエースとは、格が違うよ。」
「ちょっとちょっと! やめてくださいよ、そういうの!」
「いろいろ教えてください、先任!」
「サロムラッサさん!」
サロムラッサに揶揄われながら、一緒に笑い合う。
殺伐とした心が、少し和らいだ。
「そう言えば、ミカ君の所属はどこになっているんだい?」
一頻り笑い、サロムラッサがそんなことを聞いてきた。
しかし、ミカは首を傾げる。
「所属? さあ……?」
「えっ、決まってないのかい!?」
サロムラッサが驚きの声を上げる。
「どこの所属とか、全然気にしてませんでしたね。 その時々で、好きにやってたから。」
「…………それは、軍人としてはどうなんだい?」
そんなこと言われても、誰も教えてくれなかったし。
「サロムラッサさんはどこの所属なんですか?」
「僕は王国軍魔法士団第五二七小隊だ。 五百番台の小隊が、退役した予備役の寄せ集めだそうだよ。」
予備役動員令でかき集めた魔法士の部隊ということらしい。
魔法士団から派遣され、元々レーヴタイン侯爵領に駐屯していた方面軍の指揮下に置かれている、という扱いだそうだ。
「さすがに小隊長なんかは現役だけどね。 ……でも、中には二十年も前に退役して、食堂を開いてたおっちゃんまでいるんだよ? さすがに可哀想になったよ。」
確かにそれは可哀想だ。
二十年前に退役ということは、今は四十代の半ばだろう。
二十年も【神の奇跡】を使わずに食堂をやっていて、いきなり戦場に狩り出されるのは悲惨過ぎる……。
「そういう意味では、サロムラッサさんはまだマシですかね。 冒険者だから戦うことは日常だったし、若いからまだまだ動けるでしょう?」
「そうかもしれないけど、マシだったかどうかは生き延びてからじゃないと判断できないね。」
それは確かにそうだ。
生き延びられればラッキー。
生き延びられなければアンラッキー
若いうちに命を落とすことになれば、とてもマシだったなんて言えないだろう。
(……さすがに戦場じゃ、手助けするって訳にもいかないか。)
ちょっと気にかけるというのも困難だ。
ミカにも役割がある。
防護壁が破られれば、味方の被害が加速度的に増大する。
速やかに塞がなければならない。
「お互い、何とか生き延びましょう。」
「そうだな。 こんな戦争、命を落とすには馬鹿馬鹿し過ぎる。」
サロムラッサは、顔をしかめながら拳を突き出した。
ミカはその拳に、自分の拳を合わせるのだった。




