第267話 聖戦
風の3の月、2の週の水の日。
アーデルリーゼの魔法具店。
「おおおおっ……!」
ミカは黒く光沢のあるローブを手に持ち、感動に打ち震えた。
そんなミカを、アーデルリーゼと裏魔法具連の首領、ノッツェミューラがにこにこと見守る。
ついに、純”銅系希少金属”製のローブとベスト、グローブの完成である。
【耐衝撃】【耐斬撃】【耐刺突】など、防御系を盛りに盛って、【耐熱】【耐冷】なども【付与】されている。
テストでは、ケーリャに殴られてもダメージを受けない防御力を誇るらしい。
まあ、いくら衝撃に耐えると言っても限界はあるので、多分吹っ飛ばされるだろうけど。
「かっちょええーっ。 フードも付いてる。」
「最近はフードを被ることが多いのだろう? 折角作ったのに、普段着られないんじゃ勿体ないからね。」
ノッツェミューラの説明によると、体感温度を調整する【付与】がされているので、真夏でも快適に着れるらしい。
見た目は超暑苦しいけど。
ていうか、黒くて光沢のある物って、ちょっとイメージ悪いよね。
素早く、カサカサと…………いや、何でもない。
ミカは気を取り直して、ローブに袖を通す。
「助かります。 …………でも、丈長くない?」
なんか、足首近くまであるぞ?
学院のローブは、せいぜい膝の下くらいまでだが。
「きっとまだまだ背が伸びるわよ。」
「そ、そうですかね……。」
アーデルリーゼの慰めを、空しく感じてしまう。
最近では、自分でも半ば諦めているために。
やはり遺伝子操作をしておくべきだったか?
ちくしょー……。
しかし、これだけ長いと走るのに邪魔になりそうな気がする。
そう思って聞いてみたら、一応その辺は考えてあるようで、走った時に翻りやすくなってるらしい。
ミカはベルトを締め、軽く身体を動かしてみた。
やはり少し成長を見込んでいるのか、ゆとりのある作りがされている。
着心地もいいし、すごく軽い。
「いいですね。」
「だろう? ちと素材が足りなくて、予定していた水準まで【付与】ができなかったけど、現状でも伝説に出て来るような性能だ。」
ノッツェミューラが満足そうに頷く。
「御使い様に相応しいローブだよ。 遅れてる【付与】の素材が届き次第、追加で入れていくからね。 一旦、これでローブは完成だ。」
「はい、ありがとうございました。」
物流が滞り、注文したが届いていない素材というのもあるそうだ。
届くのを待っているといつまでも完成しないので、一度納品することにしたという。
ミカはアーデルリーゼとノッツェミューラを見上げ、にっこりと微笑む。
ミカのその表情を見て、アーデルリーゼが何かに気づく。
そう、それは悪い予感というものだった。
「これで、ちょっと手が空きますよね?」
メインで取り組んでいたローブなどの制作に、区切りがついた。
増員された研究チームは、きっと暇を持て余しているに違いない。
ミカの確認に、ノッツェミューラが悪い笑顔になる。
「……また、何か企んでるのか?」
ミカがにやりとした。
そんな二人を見て、アーデルリーゼが額に手をあて、溜息をつく。
「よくもまあ、そんなに次々と考えつくこと……。 今度は何?」
「考えつくというか、研究してもらいたいことがあるんですよ。」
ミカは、先日チレンスタに相談された内容を簡単に説明した。
「…………長距離、通信……?」
「何だい、それは?」
ミカはモールス信号の概念を伝える。
単純な符号の組み合わせで、文章を送るという、ごく単純な話だ。
「要は、ある地点でのアクションが、別の地点にも伝われば情報を送ることができるんです。」
「……理屈は分かったけど。 そんなことが可能なのかい?」
ノッツェミューラの疑問に、ミカはしっかりと頷く。
ミカは、この世界で遠方に情報を伝達する手法の実例を、一つ知っていた。
フィーだ。
フィーはどれだけ距離が離れていようがお構いなしに、ミカの魔力を吸うことができる。
これを利用し、例えば魔力の吸い方を『一瞬だけ吸う』のと、それより『長めに吸う』のを組み合わせれば、所謂『トン・ツー』の出来上がり。
どういう理屈でそんなことになっているのか分からないが、実例がある以上は何か方法があるはず。
また、フィーはミカのいる方向を知ることができる。
有線なのか無線なのか分からないが、まだ解明されていないこの世界の理があるはずだ。
「直接触れていないのに、離れた場所にある物に影響を与える魔法具とか物質に、何か心当たりはありませんか?」
ミカが聞いてみると、二人は考え込む表情になる。
「…………双子石なんかは、そういうことになるのかね?」
「そう…………ですね。 そうかもしれません。」
「双子石?」
ノッツェミューラが何かを思いつき、アーデルリーゼにも分かったらしい。
しかし、ミカにはそれが何か見当がつかない。
アーデルリーゼが、長い髪を背中に流しながら説明してくれる。
「単純に言えば、二つの石のどちらかを壊せば、もう一つの石も壊れるという物なの。」
「あ、そんなのがあるんですか。」
小指ほどの大きさの長細い水晶のような物で、一つの土台の上に二本セットで生えているという。
土台を割り、二本を分離した後は、一方を壊せばもう一方も壊れる。
「おお! いいですね! それを研究しましょう!」
ミカが満面の笑みを浮かべて提案するが、アーデルリーゼとノッツェミューラが微妙な表情になる。
「どうしたんですか?」
「その……双子石なんだけどね……。」
「もう無いんだよ。」
すでに取り尽くし、無くなってしまったらしい。
五十年戦争の時代に。
(あー……、そりゃそうか。 そんなのがあれば、使わない訳ないよな。)
そんな物がまだ残っているなら、開戦を知らせる早馬を二日もかけて走らせる必要がない。
だが、そうした実例があるなら、やはり目には見えない何かがあるのは確実だ。
「なぜそうした現象が起きるのか。 それを調べて欲しいんです。 他にもそうした性質を持つ物がないか。 あれば、どうしてそんなことが起きるのか。」
「なぜって……。」
ミカがどうしてそんな疑問を持つのか。
そこからして分からない。
二人はそんな顔をしていた。
この世界では、すべては神様が定めたこと。
だから、双子石はそういうものだ、で思考が止まってしまう。
そこまで考えて、ミカは一つ思いついた。
グローブを取り、指輪を見せる。
「魔力安定の魔法具は、全部で六個の魔法具に分かれてますよね? 耳飾り、首飾り、四つの指輪。」
「ああ、そうみたいだね。」
ミカが確認すると、ノッツェミューラが頷く。
「一つでも外せば、機能しなくなります。 どうしてそんなことが起きるんですか?」
「どうしてって、そりゃ装備を外せば機能しなくなるのは当たり前だろう?」
なぜそんな当たり前のことを聞くのか、とノッツェミューラは訝し気な顔になる。
「あっ!?」
だが、アーデルリーゼはミカが言いたいことが分かったようだ。
驚いた顔になり、それから何やら考え込む。
ミカはノッツェミューラに説明する。
「装備すると言っても、魔法具それぞれは離れてますよね? それに、一つでも壊れればすべてが機能しなくなる。」
「あ、ああ……その通りだ。」
ノッツェミューラも考えながら、ミカの話を聞く。
「つまり、それぞれの魔法具の状態を確認し合ってるんですよ。 …………どうやって?」
「どうやってって……。」
そこまで聞き、ノッツェミューラも考え込む。
「これがどうして起きているのか分かれば、長距離通信に応用できるはずです。」
何気なく使っていたが、すでに無線は存在していたのだ。
まあ、ミカの身体を何かが伝わっている可能性もあるが。
それならそれで、使いようはあるだろう。
まずは、この伝わっている何かを解明するか、この仕組みの応用を考えればいい。
「できれば音声、音を伝達する方法の確立を目指してください。 それが無理ならモールス信号で構いません。 文章をトン・ツーに、トン・ツーを文章に変換する仕組みがあればなお良しです。」
案外早くに希望が叶いそうだと、ミカはほくそ笑む。
通信可能距離も調べ、距離を伸ばすために中継基地なども必要になるかもしれない。
だが、希少金属という最高の素材がある以上、何とかなるだろう。
何より、金ならいくらでもある。
何十億ラーツでも使い、リッシュ村との直通を引くぞ。
長距離通信の目途が立ち、ミカはちょっとだけ罪悪感を感じる。
(チレンスタさんには悪いけど、さすがにこれは無料じゃ教えられないなあ。)
そんなことを思うミカなのだった。
■■■■■■
【グローノワ帝国 帝都カーチ】
皇帝の居城。
教皇帝ヒルディンランデルは、居室で宰相からの報告を聞いていた。
「…………となっており、臣民が自主的に動いているのが現状です。 また、先の戦いの敗北を受け、軍への志願者が……。」
ヒルディンランデルは、国内生産力の低下などの問題がまとめられた報告書を読みながら、宰相の報告も聞いていた。
帝都を中心に、信者たちが声をかけ合って教会に通うようになった。
週の半分は教会に通うのが当たり前で、それを行わない者は不信心な者として告発される。
告発で済めばいいが、一切の例外を認めず教会に通うように迫る者もいて、トラブルが続出していたのだ。
中には集団で私刑とも呼べるような行動に出る者もいて、帝都の治安は急激に悪化していた。
帝国軍が取り締まっているが、その帝国軍の騎士まで私刑に参加する始末。
とはいえ、この問題はもうすぐ解決されるだろう。
不信心な者も、すぐに足繁く教会に通うようになるから。
教会で出される赤酒を飲んでいれば、自然と通うように誘導される。
これまで教会に通う頻度の少なかった者は、赤酒の摂取量が少なかったのだろう。
教会に行くたびに赤酒を口にすれば、じきに問題行動は取らなくなる。
そして、先の戦いの敗北。
その批判の矛先は皇帝に向かなかった。
なぜなら、負けたのは自分たちの祈りが足りなかったから。
前皇帝やその一族の悪徳によって、神々の恩恵を受けられていない。
それが敗北した原因だからだ。
そのため、帝国中の民たちは仕事を放り投げ、一心に神々に祈りを捧げている。
生産力の低下は、それらの結果だった。
「軍志願者は全員受け入れよ。 可能な限り訓練を。」
「はい。」
「寄付、寄進を促進させ、食料は配給とする。 財産のすべてを神々に捧げるよう促せ。」
「はい。」
宰相が恭しく頭を下げる。
宰相は、ヒルディンランデルの命令に一切疑問を挟まない。
現在、優先される仕事は食料の確保、戦略物資の確保、武器防具の調達、そしてこれらに関連する仕事だ。
農作物の収穫や鉱石の採掘、鍛冶など。
あとは新兵の訓練が優先される。
勿論その他の、人々が暮らすために必要な仕事などはいくらでもあるが、それらは停滞しつつあった。
そんなものは必要ないからだ。
「市場に流通する物資はすべて押さえよ。 接収する。 財産など、いくら持っていても役に立たなくしてしまえ。」
「はい。」
金で買える物が無くなれば、そもそも財産など持っていても無意味だ。
寄付、寄進される金で、他国から食料や戦略物資を買い込む。
「下がれ。」
「はい。」
ヒルディンランデルが手で払うと、宰相が恭しく一礼して退室する。
そうして、報告書をテーブルに投げ出す。
「ふん…………先のことなど考える必要はない。」
生贄どもに、財産など不要。
将来を考える必要などない。
ヒルディンランデルはゆっくりと立ち上がると、バルコニーに出る。
そうして、眼下に広がる帝都を見下ろす。
城の前の広場には、家を失い、行き場の無くなった者がちらほらと見える。
みすぼらしい身なりの、物乞い。
そんな物乞いたちを見て、ヒルディンランデルは溜息をつく。
「たったこれだけか……。」
まだまだ貯め込んでいるのだろう。
無駄なことだと言うのに。
「まあ、それも仕方ないことか。」
先のことなど分からない。
だから備えようとする。
「…………そろそろ頃合いだな。」
教皇であり皇帝であるヒルディンランデルが導いてやらねばなるまい。
愚かなる民に。
生贄どもに。
目指すべき、その道筋を。
■■■■■■
その日、城の前の広場には数百万という民衆が集まった。
当然ながら、それだけの人数が広場に収まりきる訳もなく、城を中心とする道という道に人々が溢れた。
今日は、教皇帝ヒルディンランデルが直接伝えることがあると、お触れが出された。
そのために多くの民衆が詰めかけたのだ。
「聖下万歳ーーっ!」
「教皇帝陛下ぁーーーーーっ!」
「ヒルディンランデル陛下、万歳っ!」
ヒルディンランデルが城門より姿を見せると、歓声が上がり、その場で跪き祈り始める者もいた。
演壇に上がるとヒルディンランデルは片手を挙げ、歓声に応える。
そうして、両手を挙げて静粛を求めると、瞬時に広場は静まり返った。
「神々よ。 許し給え。 怠惰なる者たちにより、未だ祈りは届かず。 神の意に背く者たちにより、この世界は穢されている。」
その声は、不思議と広場に響き渡る。
いや、広場だけではない。
集まった民衆のすべてに届いた。
そうしてヒルディンランデルが方向を与えると、民衆が一斉に悲嘆に暮れる。
「「「お許しください……。」」」
「「「ああ……、申し訳ありません。」」」
「「「どうか、許し給え。 神々よ……。」」」
だが、ヒルディンランデルはその程度では許さなかった。
もっと振り絞れ、絞り出せ、と。
「なぜすべてを捧げないのかっっっ!!!」
その一喝に、集まったすべての民衆が雷に打たれる。
それほどの衝撃を与えた。
「神々の世界は目前であるっ! なぜ神々にすべてを委ねないのかっ! なぜ抗う!? なぜ抵抗する!? 神々を見よっ! ただ神々だけを見よっ!」
その言葉の一つひとつに、民衆は打ちのめされ、震えた。
これまで、神々の恩恵が得られないのは、前皇帝の悪徳のせいだとされていた。
だが、ヒルディンランデルは言う。
もはやそれが理由ではない、と。
自分たちこそが悪徳に染まっている。
涙が溢れた。
男も女も、老人も子供も。
目が覚めたのだ。
一斉に沸き起こる、噴き出した嘆き。
唸り響く、その悲嘆の声に、ヒルディンランデルは満足した。
自分に向けられた”意”を胸いっぱいに吸い込み、取り込む。
そうして、優しく語りかける。
「残された時間は、決して多くないのです。」
ヒルディンランデルの言葉を、一人ひとりが心の中で繰り返す。
静まり返った広場に、ぽつりぽつりと声が上がる。
「ヒルディンランデル聖下……。」
「どうか、我らをお導きください。 教皇帝陛下……。」
それは、ただ一つの希望だった。
民衆たちは、残されたただ一つの希望に縋った。
「「「ヒルディンランデル陛下っ!」」」
「「「聖下っ! どうかお助けくださいっ!」」」
「「「罪深き我らを、どうかっ!」」」
民衆たちは跪き、一心に縋った。
自分たちを救えるのは、もはや教皇帝ヒルディンランデルただ一人しかいない、と。
ヒルディンランデルは微笑み、大きく頷く。
「迷い子たちよ、試練の時にこそ祈りなさい。 我に! このヒルディンランデルにっ!」
「「「陛下ぁーーーっ!」」」
「「「ヒルディンランデル聖下ぁーーーっ!」」」
ヒルディンランデルは両手を広げ、空を仰ぐ。
「戦いに備えよっ!」
そうして、民衆の中の一人の男を指さす。
「男よ、武器を取れ!」
次いで、まったく別の場所にいる女を指さした。
「女よ、武器を取れ!」
ヒルディンランデルは次々に指さす。
「若者よ、武器を取れ!」
「幼き者よ、武器を取れ!」
「老いた者よ、武器を取れ!」
「貧しき者よ、武器を取れ!」
「富める者よ、武器を取れ!」
「怒れる者よ、武器を取れ!」
「悲しき者よ、武器を取れ!」
「敬虔なる者よ、武器を取れ!」
そうして、空に向かって吠える。
「すべての臣民たちよ! すべての信者たちよ! すべての迷い子たちよ!」
その拳を突きあげた。
「武器を取るのだっっっ!!!」
ワッ!と歓声が爆発した。
「「「武器を! この手に武器を!」」」
「「「戦いに備えよ!」」」
凄まじい質と量の”意”に、ヒルディンランデルは眩暈を起こした。
僅かにふらつくが、すぐに踏み止まる。
そうして、声を張り上げる。
「これは、聖なる戦いである! すべての臣民に伝えよ! すべての信者に伝えよ! すべての迷い子に伝えよ!」
ヒルディンランデルの声は、どれほどの歓声の中でも、民衆の一人ひとりに届いた。
「左手に教典を!」
「「「左手に教典をっ!!!」」」
「右手に剣を!」
「「「右手に剣をっ!!!」」」
そして、ヒルディンランデルは叫ぶ。
「聖戦が始まるっ! 戦いに備えよっ! 聖戦が始まるのだっ!!!」
「「「戦いに備えよぉっっっ!!!」」」
「「「聖戦だぁっっっ!!!」」」
ヒルディンランデルは大きく頷き、愚かな生贄どもを眺める。
こうして、その日はいつまでもいつまでも、ヒルディンランデルを賛美する声と、戦いに備えよという声が帝都に響いていたという。




