第238話 二人の行方
ミカはパラレイラに付き添い、学院の寮までやって来た。
「じゃあ、大人しくしててくださいね。 情報を集めますから、その間に引っ掻き回されると、上手くいくものも上手くいきませんよ?」
「あ、ああ……。」
パラレイラは半ば抜け殻のようになっている。
その様子に、ミカは肩を竦めた。
初めから情報屋ギルドでも使えば、とっくにヒブジーザの詳細が掴めていただろう。
だが、それはパラレイラにはできない。
情報屋のことをよく知らないからだ。
そもそも、一般の人は情報屋ギルドの存在さえよく分かっていない。
所謂、情報屋のような者がいることは知っているが、その繋ぎ方も知らない。
ミカだってガエラスに教えてもらったから知ることができたが、ガエラスと知り合う前には情報屋のことなどさっぱり分からなかった。
(初めから教えてくれれば、それくらい協力するのに……。)
まあ、それができる人なら、こんな境遇にはなっていないだろう。
本当に難儀な人だ。
ミカはパラレイラを部屋まで送ると、寮を出る。
さて、これからどうするか。
「まずは情報屋ギルドか。」
窓口のレブランテスに言えば、動いてもらえる。
というか、そうやってパラレイラの尾行も依頼したんだけど。
そこまで考えて、ミカは苦笑してしまう。
もうすっかり裏側の人間である。
(皆は授業中なのにね。)
自由登校とはいえ、好き勝手にやり過ぎだろうか。
まあ、別に遊んでいる訳ではない。
やるべきことが多くて、学院に行く日が減っているだけの話だ。
そうして、ミカが学院の門に向かうと、突然目の前がビカビカッ!と光り出す。
「なっ!?」
あまりの眩しさに、思わず顔を背ける。
「びっくりしたあ! おい、フィーか!? お前、何やってんだよ!?」
こんな所で派手にやらかすんじゃないよ!
周囲に人はいないが、こんなの遠目でも変に思うだろ!
しかし、ミカが声をかけてもフィーは相変わらずビカビカしたままだった。
何なんだ?
「お前、いい加減にしろ! ちょっと落ち着け!」
ミカは少し強めにフィーに注意する。
だが、フィーは変わらない。
いつもなら、ミカに注意されるとしょんぼりするのに。
「……………………、何かあったのか?」
ミカが聞いても、フィーは相変わらずビカビカしていた。
否定する時は光を弱めるので、これは何かあったということだろう。
(フィーは、どこにいた?)
今日は、朝出掛ける時に見たのが最後だ。
その時に付いて来なかったので、おそらくは……。
「家で、何かあった……?」
フィーが変わらずビカビカを続けるのを見て、ミカは一気に走り出す。
(キスティル! ネリスフィーネ!)
さっき、ネリスフィーネの様子が少しおかしかった。
そのことに関係があるか分からないが、フィーのあの様子では、多分相当にまずい事態だろう。
フィーはミカの肩に乗ると、スゥーと姿を消していった。
ちゃんと考えて行動している。
やはり、さっきのは非常事態のための非常手段だったのだろう。
ミカは学院の門を飛び出して第三街区を走るが、人が多くてとても全力で走れる状態ではない。
(くそっ!)
全力でなくとも、それなりに本気で走れれば飛ぶよりも走った方が早い。
だが、障害が多い場合は飛んで行った方が早いだろう。
ミカは全力で踏み切り、飛び上がる。
「”突風”!」
そうして、そのまま第二街壁も飛び越え、家を目指して飛んで行った。
「キスティル! ネリスフィーネ!」
ミカは家の庭に着地すると、玄関に飛び込む。
ダイニングのドアを開けると、テーブルの上に一枚の紙が置かれていた。
それは、手描きの地図。
『待ってるよ。 一人で来てね。』
ただそれだけが書き添えられていた。
ズキンッ!
急に心臓を締め付けられるような、激しい痛み。
「う、ぐぐぅー……っ!」
ミカは苦し気に呻き、胸を押さえてその場によろよろとしゃがみ込む。
「ぅぐ、ぐぅぅうう……ぅぅぁぁ…………ぁぁあああああああーーっっっ!!!」
ミカは胸を強く押さえたまま、うずくまりながら叫んだ。
怒りに、視界が真っ赤に染まる。
全身がガタガタと震え、抑えきれない怒りに、頭がどうにかなりそうだった。
「フゥーー……ッ! フゥーー……ッ! フゥーーーー……ッ!」
胸の痛みは、いつの間にか治まっていた。
ミカはうずくまったまま、震える手を目の前に持って来ると、ゆっくりと握り締める。
力を籠め過ぎて、ぶるぶると手が震えた。
ミカはゆらりと立ち上がり、テーブルの上の地図をぐしゃりと握り締めると、ふらつきながら玄関に向かう。
そこに、数人の騎士がやって来た。
「ああ、ミカ君。 丁度よかった。」
騎士は玄関から出てきたミカを見て、少し表情を和らげる。
「何か異常はないかい? どうもこの辺りを担当してる騎士が見えなくてね。 もしかしたらって心配していたんだ。」
ミカは騎士たちを一顧だにせず、そのまま飛び立つ。
「あ、おいっ! ミカ君!」
騎士たちの呼びかけは届かず、ミカはそのまま飛び去ってしまった。
「こりゃあ…………何かあったぞ。」
ニールマイヤーの呟きに、ヌーボルグが頷く。
「ニールマイヤー。 まずはミカ君の家を調べるか。 何か手掛かりがあるかもしれねえ。」
「そ、そうだな。 団長にも、まずは異常発生を知らせておこう。 おい!」
ニールマイヤーに声をかけられた騎士は頷くと、すぐに駆け出して行った。
「くそ……嫌な予感がするぜ。」
ニールマイヤーはミカの消えていった空を睨み、そう呟いた。
■■■■■■
地図に描かれていたのは、ブライコスロア子爵領。
ヤウナスンのあるオールコサ子爵領と、ルーンサームのあるラタジース伯爵領の間にある領だ。
もっとも、置いてあった紙にはラタジーズ伯爵領と書かれていたが。
そのブライコスロア子爵領の領都を越え、アム・タスト通商連合との国境に近い辺り。
王都からの距離で言うと、四百五十~五百キロメートルくらいはある。
相当に遠い。
こんな距離を数時間で移動できるのは、ミカくらいのものだ。
乗り合い馬車なら九~十日はかかる距離。
なぜ、そんな場所を指定してきたのか分からない。
しかも、地図にはただ『待ってるよ』と書かれているだけで、日時が書かれていなかった。
(このまま直行していいのか?)
正直、悩む。
二人を攫った者が馬車を使っているとしたら、馬をとっかえひっかえすれば、五日くらいに移動期間を短縮することもできるだろう。
しかし、何者がキスティルとネリスフィーネを攫ったとしても、さすがに数時間で着くとは思えない。
ミカは眼下の街道を睨みながら、焦る気持ちを抑えつけて不審な馬車がないかを観察した。
(落ち着け……落ち着け……。)
じりじりと、後悔がミカを苛む。
なぜ、もっと二人をしっかりと守らなかったのか。
今や様々な勢力がミカに注目している。
そして、ミカの弱点は、少し調べればすぐに分かるだろう。
それでも、ミカの圧倒的な力が伝わった今なら、迂闊には手を出して来ないだろうと考えていた。
だが、そんなのはきちんと計算ができる奴にしか通用しない理屈なのだ。
どんな組織にだって馬鹿はいる。
そして、そういう馬鹿こそが一番怖いのだ。
自分がやられることを微塵も考えられない、そんな知恵さえ無い者は、怖いもの知らずに振る舞える。
たとえ後からその馬鹿を殺したところで、傷つけられた者の傷が無くなる訳じゃない。
(くそっ……くそっ……くそっ……! 頼む……無事でいてくれっ……!)
ミカはキスティルとネリスフィーネの無事を必死に願いながら、街道の上を飛んだ。
■■■■■■
ミカは茂みに潜みながら、周囲を窺う。
やはり街道を上から見下ろしても、二人を探しようがなかった。
そのため、一旦先回りして、指定された場所を確認に来たのだ。
指定された場所は山だ。
国境に近い町から、少し山に入った場所。
そこでは、酒盛りが行われていた。
何十個という大量の樽があり、どうやら赤酒が振る舞われているようだ。
拓けた場所で、まだ夕方にもなっていないというのに、数百人の男たちが好き勝手に飲み食いしている。
ざっと、三百人くらいはいそうだ。
しかも……。
(…………悪党の巣か?)
その男たちは、どう見てもカタギではなかった。
職業欄に、『山賊』『強盗』とか書かせたいような奴ばかり。
キスティルとネリスフィーネを攫った者と、何か繋がりがあるのだろうか。
(先にこいつらを皆殺しにしておくか……?)
相手の戦力を先に潰しておくのは、有効な手段ではある。
だが、異常に気づけば実行犯がここに現れない可能性が高い。
そうなると、もはや手掛かりが無くなってしまう。
(まずは、二人の無事の確認が先だ。)
最優先はそこ。
二人の無事を確認しなければ……。
ミカが身を潜ませて男たちを探っていると、ふと気づいたことがある。
(…………”六つ輪”?)
赤酒の大きな樽には、どうやら光神教のシンボルが焼き印されているようだった。
こいつらが聖職者とは思えないので、おそらくは教会の物資輸送を襲撃して、かっぱらって来たのだろう。
この酒盛りは、その打ち上げといったところか?
それにしては、人数が多すぎる気もするが。
まるで、近隣領からかき集めてきたような数だ。
ミカは一旦その場所から離れた。
そうして、木の陰に身を潜めながら考える。
「フィー、さっきの場所にキスティルとネリスフィーネがいないか、姿を消して確認してきてくれ。」
ミカがそう言うと、フィーは一瞬だけ光を強めて、スゥーと消える。
さすがに王都からの距離を考えれば、まだいないだろうが、一応確認しておく。
ミカにできたのだ。
何者か知らないが、できないと断じるのは危険だろう。
そうしてフィーが探しに行っている間に、ミカはこれからどう動くべきか考える。
たとえ闇雲でも、探しに行くべきだろうか。
それとも、ここで張っているべきか。
ミカは木の幹に寄りかかり、ごつんと頭をぶつける。
(……お願いだ……神様、仏様……他の何でもいい……。 二人を、もうこれ以上は傷つけないでくれっ……!)
二人はすでに、これ以上ないほどに傷ついているんだ!
父親に売られそうになり、これから一生、家族と他人として接していかなくてはならない。
教会に裏切られ、一切の光もない暗闇の中、呪いで死ぬよりもつらい目に遭わされてきた。
それなのに、これ以上まだ二人は傷つかなくてはならないのか!
苦しみを背負わなくてはならないのか!
悔しさのあまり、視界が歪む。
喰いしばった奥歯がギリッ……と鳴り、涙が零れた。
(馬鹿野郎がっ……! 泣いてる場合じゃないだろう! 考えろっ! 考えろっ! 考えろよっ!)
感情がぐしゃぐしゃになり、何も思い浮かばない。
ミカは頭をぐしゃぐしゃと掻きむしり、乱暴に涙を拭った。
どす黒い感情が、抑えられない。
だが、ここで暴れたところで、好転することなど何一つとしてない。
ミカはギュッと目を閉じ、静かに深呼吸をくり返した……。
少し待っていると、フィーが戻ってきた。
「いたか?」
ミカはフィーに尋ねるが、光を弱める。
発見できなかったようだ。
「フィー、戻って潜伏しててくれ。 僕は街道に戻って二人を探してみる。 何か動きがあれば知らせに来てくれ。」
ミカがそう言うと、フィーは再び姿を消す。
フィーはミカがどこにいても分かる。
これで、何かあればすぐに知らせに来てくれるはずだ。
「…………絶対に、助けるんだっ……。」
そう呟き、ミカは空に飛び立った。
■■■■■■
朝方。
拓けた場所から数百メートル離れた木の上に身を潜めたミカは、夜通しの酒盛りを身動ぎもせずに監視していた。
男たちの酒盛りはすでに終わり、雑魚寝をしたり、飲み足りずにまだ飲んでいる者とまちまちだ。
ミカは夜のうちに街道を走って往復したが、人も馬車もほとんどない。
稀にすれ違う馬車には、魔力範囲で探査してみたが不審な所はなかった。
誘拐犯も、どこかの宿屋かアジトにでも引っ込んでしまっているのだろう。
キスティルとネリスフィーネがどんな目に遭わされているかを想像すると、気が狂いそうだった。
それでも、ミカが短気を起こしては、助けられるものも助けられなくなってしまう。
ミカは街道の捜索を切り上げ、指示された場所の監視に切り替えることにした。
とても休むような気になれない。
じっとしていると、余計なことばかりが頭に浮かび、暴れたい衝動を抑えるのに苦労する。
そのため、ミカは何も考えずに、ただじっと酒盛りを監視していた。
その時、フィーが光を抑えめにしてミカの前にやって来た。
そして、山道の方向を示す。
「…………、誰か来る?」
遠くの方から、山道を登ってくる人が見えた。
その人は、山道を登っているとは思えない、凄まじい速さで駆けあがってくる。
何だ、あれは!?
ミカは身を潜め、慎重に登ってきた人を観察する。
男だ。
長い黒髪の男。
というか、見覚えがある……?
(ヒブジーザッ――――!)
ミカは驚きに息を飲んだ。
(なぜ、ヒブジーザがここに!? い、いや……!)
そもそも、なぜ昨日の午前中に王都にいた奴が、たった一日でこんな所に来れるんだ?
凄まじい速さで山道を駆け上がってきたが、まさか王都からここまで走ってきたのか?
(街道は、俺も走って確認した。 てことは、街道じゃない!?)
もっともよく使われるルートは、王都とサーベンジールを結ぶ街道。
その街道を途中まで通るルートを、ミカは走って確認した。
だが、その街道にはいなかった。
夜間は宿屋にいたのか?
だが、それでは移動の速さがとんでもないことなる。
夜通し走っても馬が駆け通しのような速さなのに、宿屋で休む時間まで考慮したら、もっとあり得ない速さになる。
ミカが瞬きも忘れ、信じられないものを見るように、ヒブジーザを見る。
ヒブジーザは拓けた場所に入ると、首をこちらに向けた。
まるで、ミカをじっと見るように。
(……見える訳がない。 何百メートル離れてると思ってんだ。)
ミカは”望遠鏡”を使って監視してるのだ。
樹上のミカが見える訳がなかった。
だが、ヒブジーザはミカに向けて、まるで手招きするような仕草をする。
そうして、魔法具の袋を手にすると、中身を取り出した。
人を――――。
(ネリスフィーネッ!?)
魔法具の袋から出てきたのは、ネリスフィーネだった!
ミカは驚愕し、目を見開く。
人が入る魔法具の袋!?
何だ、それは!
ヒブジーザは続けて、キスティルも取り出した。
バサッ!!!
ミカは勢いよく木から飛び出すと、一気に駆け出す。
(魔法具の袋に二人を入れてただと!? ふざけやがってっ!)
どれだけ探そうと、あれでは見つけようがない。
まさか、裏魔法具店ではあんな物まで売ってるのか?
それとも、どこかの頭のイカれた馬鹿が作ったお手製だろうか。
ミカは数百メートルの距離を一息に駆け抜け、拓けた場所にその身を飛び込ませた。
酒盛りをしていた男のうちの何人かはミカに気づき、立ち上がる。
そうして、周りの男たちを起こしていった。
「キスティルッ! ネリスフィーネッ!」
ミカは、ずっと探し求めていた、二人の名前を力いっぱい叫んだ。
ヒブジーザは不気味な笑みを浮かべながら、自分の前にキスティルとネリスフィーネを立たせると、その首を後ろから掴むのだった。




