第232話 教皇罷免権
【エックトレーム王国 宰相 デドデリク視点】
王城、謁見の間。
大臣たちが並び、近衛騎士たちが広い謁見の間に多数控えていた。
宰相であるデドデリクは、玉座に座る国王陛下ケルニールスの傍らに立ち、近衛の騎士に声をかける。
「ミカ・ノイスハイムをここに。」
デドデリクに声をかけられた騎士が謁見の間を出て、少年を呼びに行く。
その騎士の背中を、デドデリクは穏やかな表情で見つめる。
内心は、穏やかとは真逆ではあったが。
状況はかなり厳しい。
グローノワの侵攻。
防護壁の崩壊。
領主軍と王国軍は敗走し、多くの将兵に犠牲を出した。
国境防衛を任せているレーヴタイン侯爵からは詳細な報告が届き、敗戦の責任を取るとの意向が伝えられている。
(…………今レーヴタイン侯爵が抜ければ、王国の命運は尽きる。)
レーヴタイン侯爵は確かに敗れはしたが、その責を過重に負わせるのはやり過ぎだ。
何より、今は挙国一致して国難に立ち向かうべき時。
ここでレーヴタイン侯爵を厳しく罰しては、兵も浮足立ってしまうだろう。
初戦の小競合いで大敗したとは言え、まだまだレーヴタイン侯爵には使い道がある。
この程度のことで切り捨てていては、駒がすぐに尽きてしまう。
レーヴタイン侯爵には、血の一滴も残さず王国の役に立ってもらわなければ。
(…………侯爵のことは、いい。 責任など、後から幾らでも問うことができる。)
何より、一旦はグローノワを退けることができた。
多少の時間を確保することができたのだ。
ならば、次に備えなくてはならない。
そのための手始めに、片付けるべき問題。
【神の怒り】を使ったという少年。
禁忌の力を使い、グローノワを退けた。
もはや、知る者などほとんどいないはずの【神の怒り】を、なぜあんな少年が使うことができたのか。
(厄介な問題だ……。)
デドデリクは穏やかな表情のまま、ケルニールスをちらりと見る。
ケルニールスは静かに玉座に座りながらも、傍らにいるだけでその怒りが伝わってくるようだった。
【神の怒り】。
その強大過ぎる力は、いずれ必ず王家に向く。
確かに戦場では有効な武器だが、その矛先が常に外に向くとは限らない。
ケルニールスの治世は、王国の長い歴史の中でも比較的平穏にある。
だが、そんな世がいつまでも続くはずがない。
必ずまた、王国に内乱が巻き起こる時が来るだろう。
それが百年後か、千年後かは知らないが。
そんな時、強大過ぎる武器など被害をいたずらに拡大させるだけだ。
人が手にするには大き過ぎる力を排除すれば、あとは単純な数の問題。
より多くの兵を持つ者が勝つ。
そのために禁じていた【神の怒り】だが、なぜか細々と今も残っていたらしい。
(個人的には、使える物なら使えば良い、とも思うが……。)
しかし、ケルニールスが【神の怒り】を禁じるのも理解はできる。
確かに強大な力ではあるが、【神の怒り】はいくつか致命的な問題を抱えているのだ。
その最たるものの一つが、完全な制御が不可能なこと。
かつての研究記録を紐解けば分かることだが、【神の怒り】は完全なコントロールは不可能なのだ。
一切のコントロールが不能という訳ではないが、どう動くか読めない部分がある。
そして、最悪は【怒りの日】のような暴走を招く。
五十年戦争の末期は、そんな不確実なものすら投入せざるを得ないほどに、戦いが激化していたということだろうが……。
ケルニールスの性分として、不確実性を強く嫌う傾向がある。
運任せや不確実なものを可能な限り排除し、自らの思い通りに物事を運ぶことを好むのだ。
それは王国の支配者としては、非常に有難い素質だ。
為すべきことを為し、成功も失敗も、すべて想定した範囲に収める。
その結果が、現在の王国の繁栄だろう。
五十年戦争の末期に生まれ、戦後の混乱期を目の当たりにしてきたケルニールスは、王国の安定を何よりも望む。
そのために必要な施策を積極的に打ち出し、傾いていた王国を再建した。
その手腕は、歴代王の中でも上位に入るものだろう。
デドデリクが表情に出さずに思案していると、ミカ・ノイスハイムがやって来たようだ。
近衛騎士に案内されながら、ミカ・ノイスハイムの一団が段の下にやって来た。
デドデリクはその一団を見て、嫌な予感を感じざるを得なかった。
ミカ・ノイスハイムが教会の者を同行させているというのは、報告を受けていたが……。
ミカ・ノイスハイムは以前見たおどおどした雰囲気からは一転し、神々しく光り輝く姿をしていた。
眩いというほどではないが、その身体からは明らかに光を放っている。
そして、背には美しい光の翼。
以前からは想像もつかない神々しさを持っていた。
そんなミカ・ノイスハイムに付き従うのは、教皇と十一名の枢機卿たち。
教皇たちもまた、以前とは明らかに違う。
デドデリクは、教皇たちを一目見て、思わず舌打ちをしそうになった。
(…………完全に息を吹き返してしまった、という訳か。)
前教皇の暴走で、教会は腐りに腐りきった。
ケルニールスの策略と、ケルニールスにとっては少しばかり不本意ながらも、幸運に恵まれて大義名分を手に入れた。
王国軍を大々的に動かして教会を徹底的に叩き、死に体にすることに成功。
教会の信用も失墜して、国による首輪を付けることにも成功していた。
ところが、だ。
三カ月前の『光の神の奇跡』。
王都を大混乱に陥れた、あのはた迷惑な現象により、折角切り離した民の心が再び教会に向かった。
現教皇ブラホスラフの積極的で、かつ地道な信者たちとの対話交流が一気に実を結んだ。
地道過ぎて大した効果など望めないと高を括っていたところに、あの『奇跡』である。
民心が離れたと言っても、それは前教皇が居た時の教会に対してだ。
個人個人の信仰そのものが揺らいだ訳ではない。
神々は今の教会を祝福している、と勝手に解釈した民は、再び足しげく教会に通うようになった。
新体制の教会を、ともに支えようとするように。
そこに加えて、戦場に舞い降りた”神々の遣わし者”の噂。
崩壊した前線をたった一人で支えて回り、七万にもなる帝国軍の本隊を壊滅してみせた御使い。
王国軍が敗走し、帝国軍が押し寄せてくると恐れ戦いていたところに、この噂が舞い込んだ。
神々が救いの手を差し伸べられたのだと、以前とは比べ物にならないほどに、今の教会と民の心は一つになっている。
宰相を務めるデドデリクとしては、非常に頭が痛い問題の一つだった。
(…………そっちがその気では、穏便に済むものも済まなくなるぞ。)
デドデリクは微笑みを湛えた表情をミカに向けながら、内心の焦りを隠す。
ケルニールスを宥め、どう穏便に決着させるかが自分の役割だと思っていたデドデリクは、自分の考えの甘さを悔やんだ。
ミカ・ノイスハイムも教会も、以前とは違い過ぎる。
(今日は荒れるな……。)
溜息をつきたくなるのを我慢しつつ、デドデリクは口を開いた。
■■■■■■
ミカは謁見の間に案内され、玉座の据えられた段の手前に立つ。
だが、膝を折ることはせずに、そのままぼっ立ちである。
(本当に、これでいいの……?)
国王陛下が、すんごい目で睨んでいるんですけど。
ミカは内心冷や汗を掻きつつも、それでも打ち合わせ通りにする。
先日ミカは教会に赴き、協力を要請した。
その際にいくつかの方針を決め、王城に呼び出された際の対応を話し合ったのだ。
「”神々の遣わし者”は神々に仕えし存在です。 人の身である何者にも膝を折ってはなりません。」
国王を前にしても跪かないのは、ブラホスラフの指示である。
また、ブラホスラフたちも国王に跪かない。
彼らが仕えるのも神々であり、また神々の遣わしたミカに対してのみという理屈らしい。
ミカが国王の傍らに立つ宰相をちらりと見ると、柔らかく微笑んでいた。
しかし、その目が雄弁に言っている。
お前ら跪けよ、と。
(うう……、胃が痛い。)
いざとなれば暴れる気まんまんではあるが、その前のこういう駆け引きみたいのはどうにも苦手だ。
ミカも、随分思考が脳筋になったものである。
ミカは若干チカチカする視界に目が痛くなり、目を閉じた。
ミカの身体を包むのは、フィーである。
一目見て『人に非ざる存在』と分かる演出があった方がいいとワグナーレにアドバイスされ、光の翼と合わせて実装した。
まあ、”照明球”の改良でも何とかなりそうだが、手っ取り早いということでフィーを使うことにした。
「陛下の御前です。 跪きなさい。」
宰相が柔らかい表情のままミカたちに促す。
ここで跪けば、無礼は不問にする。
そう言っているのだ。
「宰相閣下。 それは筋が違いましょう。」
ミカの右斜め後ろに立つブラホスラフが、早速反論する。
ちなみにワグナーレはその隣。
ミカの左斜め後ろに立っている。
何でも、今日はこの二人がすべて対応するという。
「”神々の遣わし者”に救われたのは王国の方です。 すべての王国の者は神々への感謝の意を持って、”神々の遣わし者”に跪くべきなのです。」
「っ!?」
国王も含め、”神々の遣わし者”に跪けと言い放つブラホスラフに、謁見の間がざわついた。
「貴様……っ!」
国王が、すごい形相でブラホスラフを睨んだ。
「随分と大きな口を叩くようになったものよのぉ、ブラホスラフよ……っ。 そんな子供を担ぎ上げ、気が大きくなったか? 半年も経っていないというのに、もう忘れたか? あの時は貴様はそこで這いつくばり、許しを請うていたはずだがのぉ? 余の記憶違いか?」
国王は、侮蔑をはっきりとその目に浮かべ、ブラホスラフを見下ろす。
だが、一方のブラホスラフはまったく意に介さず、涼やかな声で答える。
「いえ、国王陛下のおっしゃられる通り、以前私はここで陛下に許しを請いました。 教会を守るため、教会を拠り所とする者すべてを守るために、王国軍をお引きくださいと希いました。」
ブラホスラフの返事に満足するように国王は大仰に頷く。
「思い出したようじゃな。 それで、今何と申した? もう一度言うてみよ。」
「はい。 王国の者はすべて、神々に感謝し、”神々の遣わし者”に跪くべきです。」
「貴様っ――――!」
「陛下。」
平然と同じ言葉を繰り返すブラホスラフに国王が激高する。
だが、そんな国王を宰相が抑える。
「教皇聖下。 聖下がそのような態度では、穏便に済むものも穏便に済まなくなります。」
「何がでしょうか、宰相閣下。 私はただ、神々へ感謝を捧げてくださいと申し上げているだけです。 ”神々の遣わし者”がこの国をお救いくださったことには、間違いがないのですから。」
ブラホスラフの話を聞き、宰相が軽く首を振る。
「まずは、そこの認識からして正さねばなりませんか。」
そう言って、宰相は少し表情を引き締める。
「まず、先の戦い一つで国を救ったとか、そのように受け止めるのが間違いなのです。」
宰相は教師が生徒に説明するように、ゆっくりと、丁寧に話す。
「戦争や紛争では、幾度となく戦いが起こります。 そのうちの幾つかは勝ち、幾つかは負けるでしょう。 それは我が国の歴史を紐解けば幾らでもあることです。」
そうして、宰相は再び柔和な表情を浮かべる。
「大事なのは、肝心な戦いで勝つことです。 それこそが、我が国が大陸の半分を版図に加えることができた理由です。 小競合いまで含めて、全戦全勝などというのはあり得ません。 神話とは違うのですよ、聖下。」
暗に、あんな神話と一緒にするな、と釘を刺してきた。
もしかして宰相、無神論者?
「そして、もう一つ。」
宰相はコホンと軽く咳払いをしてから、ミカを見る。
「今日はミカ・ノイスハイムに話を聞くつもりだったのですが……。 ”神々の遣わし者”などと、よく分からない話を持ち出すのはやめていただきたい。」
ミカ・ノイスハイムはミカ・ノイスハイムであり、”神々の遣わし者”などという訳の分からないものとごっちゃにするなという、ごく真っ当な言い分。
はい、宰相の意見に個人的には大賛成です。
「事は、取り扱いに大変注意を要する情報を含みます。 通常は謁見などで聖職者の立ち合いを認めてはいますが、今回は無理です。 お引き取りください。」
部外者が居たら話もできねえよ、帰れ。
という宰相の主張である。
まあ、これも真っ当な話だね。
謁見の間には、大臣や近衛騎士もいっぱいいるが、もしかしたら詳しい話は別の場所でするつもりだったのだろうか。
それとも、ここのいる人たちは皆知っている人?
【神の怒り】に触れることを禁止していると知る者がいなければ、当然ながら取り締まることもできない。
もしかしたら、秘密警察のようにいろんな所に探る人が居たりして。
だが、宰相の主張を聞いてもブラホスラフは動かない。
宰相はミカを見て、穏やかに語りかける。
「ミカ・ノイスハイム君。 君の方から言ってもらえないかね? これでは話ができない。 それで困るのは君も同じだろう?」
なぜ、ミカが困るのだろうか?
むしろ、呼び出されて困ってるくらいなんですが。
そう思うが、ミカは口を開かない。
なぜなら、黙って任せなさい、とキフロドにきつく言われているからだ。
許可されたこと以外をミカが口に出すと、後でキフロドからきついお叱りを受けることになっている。
こわひ……。
ミカが答えずにいると、ワグナーレが代わりに答える。
「宰相閣下。 国がどのような意図を持って”神々の遣わし者”を呼び出したのかは、我々には知る由もありません。 ですが、神の代行者たる”神々の遣わし者”に万が一があれば、教会は全力で”神々の遣わし者”をお守りする立場を取ります。」
国と明らかに対立する立場を表明する教会に、宰相の表情も厳しいものになる。
宰相はワグナーレを見ながら、重く口を開く。
「それは、教会は国に反抗するということですか……?」
「宰相閣下。 それは国が”神々の遣わし者”を害する意があると言うことでしょうか?」
ワグナーレの反論に、宰相が息を飲んだ。
国が”神々の遣わし者”を害さなければ、教会も反抗することはない。
ただそれだけのこと。
ワグナーレが言葉を続ける。
「もし仮に……。」
その声は、一切の気負いもなく落ち着いている。
「目の前に神々が顕現なされたら、すべての光神教徒は平伏し、祈りを捧げるでしょう。 もしも神々に石を投げるような不届きな者がいれば、私は喜んで身を挺し、その石を受けましょう。」
静かな謁見の間に、ワグナーレの声が響く。
「そして……、もし仮に神々の代行者たる”神々の遣わし者”を害する者あらば、私は喜んでこの身を以ってお守りするでしょう。」
そう、聖職者らしい優しい笑みを持って説く。
「すべての信者が私と同じ思いでいてくださっていると、私は考えておりますが……。 如何でしょう、宰相閣下?」
ワグナーレの主張を聞き、宰相が無表情になった。
教会のみならず、民までそう考えているとなると国としては厄介だろう。
何せ、この国のほぼすべての国民が信者なのだから。
そして、民心の離れた教会ではこんなのはただの戯言だが、先の二つの出来事で今はかつてないほどに教会と民が結びついている。
ミカは黙ってろと言われたので黙っているが、正直居た堪れなかった。
宰相はミカを一学院生として扱い、単に違反があれば罰しようという立場だろう。
【神の怒り】はともかく、普段からいろいろ違反しまくっているのが、ミカとしては少々つらいところだ。
教会はミカ=”神々の遣わし者”とし、神々に準じる扱いをしている。
如何なる理由があろうと、人の法で裁くことを良しとしないという立場である。
まあ、神様に人の法を押し付けるとか、不遜どころじゃないしね。
(はい。 典型的な平行線です。)
ミカの扱いという前提の部分に、そもそもの違いがあるのだ。
主張が交わる訳がない。
国王が冷えた目でワグナーレを見て、それからブラホスラフを見る。
「もうよい。 罷免せよ。」
そう詰まらなそうに言い、宰相に命じる。
「陛下。 それは、まだ……。」
「もうよい。 余は詰まらん茶番に付き合う気はない。」
宰相は国王の言葉に二の句を告げられず、恭しく頭を下げる。
国王が、教皇を罷免する。
普通ならあり得ないことだ。
だが、そのあり得ないことを教会は飲まされた。
王国軍という、圧倒的な武力を背景に。
(…………意外に短気な国王だな。 もうそれを使うのか。)
ミカは呆れたように、国王の言葉を聞いていた。
これは、ミカが教会に相談に行った時に、対応を話し合っている時に教えてもらったことだ。
「罷免権?」
ブラホスラフは、聞き返すミカに苦し気に頷いた。
「王国軍に徹底的に教会の不正を調べられた。 それ自体は仕方ないと思っている。 そうされるだけの理由があったし、情けないことに、我々だけではどうにもすることができなかったのだから。」
だが、王国軍は一通りの捜査が済んだ後も多くの大聖堂で居座り続けた。
まだ不正があるかもしれない。
王国軍が退けば、隠れて何かやるかもしれない。
そうしたことに対する、監視という名目で。
「私が教皇位に就いて、最初に行ったのは教会運営の正常化だ。 そのための一つとして、王国軍に退いてもらうよう国王陛下に頼みに行ったのだ。」
その際、国の出した条件が教皇の罷免権だという。
国王が自由に教皇を罷免する権利。
これを飲まなければ、王国軍は退かないと突っぱねられた。
(教皇よりも国王の方が上。 立場をはっきりとさせるためだとは思うが、中々えげつない手を使うね。)
元が教皇の暴走が原因だったため、強引ではあるが筋は通る。
信者たちの心も教会から離れていた時期なので、国としてはこの密約がバレても問題ないと踏んだのだろう。
巨大な教会という組織を押さえつける首輪。
逆らえば教皇をどれだけ選出しても国が罷免する。
教会という組織を崩壊させることもできる、途轍もない毒薬を飲まされていたようだ。
「そこまで露骨な手をよく使ってきましたね。 軍で脅した上で、罷免権とは……。」
「我々としては、自業自得ではあったのでね。 信者たちからも、国が見張っていてくれた方が安心だと言われたよ。」
信者たちにそう言わせてしまうほど…………それほどまでに裏切ってしまったのだ、とブラホスラフは重く受け止めた。
そうして、罷免権を受け入れたという。
教会を立て直すためにも、まずは王国軍を退いてもらわないことには始まらない、と。
ミカは振り返り、国王に罷免すると言われたブラホスラフを見る。
「ご苦労だったね。 しばし、休みなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
国王に跪かなかったブラホスラフが、ミカに向かって跪き、頭を垂れる。
その姿に、国王がはっきりと怒気を表情に見せた。
勿論そんなことには気づかず、ミカはワグナーレに視線を向ける。
「では、ワグナーレ。 次は貴方が。」
「はい。 よろしくお導きください。」
ワグナーレが跪き、ミカに頭を垂れる。
そのやり取りに異常さを感じ、宰相がミカに声をかけてきた。
「何を……している?」
だが、ミカは答えず、代わりに答えたのはワグナーレ。
ミカが許可された「しゃべって良いこと」は、これだけだ。
「教皇位が空位では困るので、新たな教皇を選出しただけです。」
「教皇の、選出!?」
事も無げに答えるワグナーレに、宰相が驚きの声を上げる。
謁見の間が、ざわざわと騒がしくなった。
「な、何を馬鹿なことを! きょ、教皇の選出には、手続きがあるはずです!」
「さすがは宰相閣下。 よくご存じで。」
ワグナーレはにこやかに宰相に答える。
「ですが、これはご存じありませんでしたか? 教皇の選出にはいくつか方法がありますが、神々に直接選ばれるというのもその一つです。」
「ちょ、直接……選ばれる?」
宰相がミカを見た。
ミカは苦笑したくなるが、我慢して表情をキリッと保つ。
(そんなん、あり~? って言いたくなるよね。 俺だってそう思ったし。)
これも教典にあり、また教会令でも定められた、正式な教皇選出の一つらしい。
神話の中で神々が直接選んだり、”神々の遣わし者”を介して指名したことがあるのだとか。
枢機卿の満場一致が絶対条件とされる教皇選出だが、唯一の例外がこの方法だ。
教典にあって、神様が選んだって言うのなら、そりゃ教会も否定せんわ。
過去に実例があるとは思えんけどなっ!
そして、現在教会はミカを”神々の遣わし者”として認める立場を取っている。
なので、ミカが選べばその場で即教皇選出である。
教典的に。
原理主義って、こっわ。
教典に書かれてさえいれば、何でもありかよ……。
ちなみに、国王がワグナーレも罷免したら、今日同行したすべての枢機卿を順繰りで選んでいく予定。
全員に回ったら、またブラホスラフに戻るだけ。
教皇が退任した後、再び教皇に復帰した例は過去に何度かある。
何の問題もない。
初めからブラホスラフを再指名しても有効らしいけど、順繰りに選んで、また元に戻って、ってやる方がインパクトあるかなって。
こういう方法を採用することにした。
ぞろぞろ連れて来た方が、ハッタリも利くしね。
教会の団結を示すためだけでなく、こうした演出のために、今日は王都にいる枢機卿を全員連れて来たのだ。
虎の子の罷免権がまったく意味のないものにされ、宰相が呆気に取られた顔になる。
さすがにこの事態は想定していなかったようだ。
まあ、反則だよな、こんなの。
国王も呆気に取られた顔になり固まっている。
大臣たちも何が起きているのか分からず、口々に戸惑いの声を上げる。
どうやら、教皇の罷免権のことを知らなかった人もいるようだ。
その時、不意に笑い声が聞こえてきた。
「あっはっはっはっ! そう来るか! あっはっはっはっはっはっ!」
高らかな笑い声が、謁見の間に響くのだった。




