第228話 戦場の御使い
【ルバルワルス・レーヴタイン視点】
ルバルワルスは自ら剣を振るい、突然押し寄せてきた帝国軍の兵士を斬り捨てた。
「何としてもここで食い止めろっ! 『盾』としての意地を見せよっ!」
ルバルワルスは大上段に構えた剣を振り下ろし、帝国軍の兵士を一刀両断すると、声を張り上げて部下たちを鼓舞する。
「「「おうっっっ!!!」」」
侯爵自らが奮闘する姿に、騎士たちが応える。
押し寄せる帝国軍の兵士を次々に倒し、一人たりとも通すものかと決死の覚悟で剣を振るった。
前線に残してきた者たちが全滅した。
そう考えるのが妥当だろう。
少し前までは足止めが上手く機能し、帝国軍の兵士たちはここまで来ていなかった。
おかげで、何とか分断されていた騎士や兵士をかき集めて、態勢を整えることができた。
…………十分な兵力とは言い難かったが。
それが、突然大軍が押し寄せるようになった。
足を止める者がいなくなったのだろう。
(……済まん。)
ルバルワルスは剣を振るいながら、心の中でかつての部下たちに詫びた。
無能な指揮官のために、多くの将兵が犠牲になってしまった。
(こうなる可能性はあった。 帝国軍があれを使ってくる可能性は…………あった。)
それでも、陛下を説得しきれなかった。
そのために多くの者が命を失い、サーベンジールの民たちの命までも危険にさらされている。
「フンッ!」
ルバルワルスが剣を薙ぐと、迫っていた兵士が腹を裂かれながら飛ばされ、不運な帝国軍の騎士を巻き込む。
巻き込まれた騎士がもんどりうっているところに、ルバルワルスは背中から剣を突き刺した。
その背中を蹴り剣を引き抜くと、ルバルワルスは次の獲物を探す。
「我が名はルバルワルス・レーヴタインッ! この首欲しくば、己が手でもぎ取ってみよっ!」
ルバルワルスは剣を高々と掲げ、自らを餌に敵の目を集める。
そうして、殺到して来る帝国軍の騎士や兵士を次々に屠った。
どれだけ斬ったかも分からない。
それでも、帝国の兵士は相変わらず押し寄せてくる。
長い戦闘に、途中まで姿を確認できたマグヌスも見えなくなった。
あの猛者がやられているとは思えないが、何があるか分からないのが戦場である。
(キリがない……。)
ふとそんな考えが浮かぶが、すぐに振り払う。
終わりを願うなど、心が弱っている証拠。
部下たちが一心不乱に戦っているというのに、上に立つ者が弱音を吐いてどうするのか。
何より、散っていった者たちに、そのような姿を晒せるものか。
ルバルワルスが諦めては、何のために多くの部下たちは散っていったのだ。
ルバルワルスを信じ、血を流し、命を捨てて尽くしてくれた者たち。
彼らに背を向けるような真似だけは絶対にできない。
してはならない。
「うおおおおおーーーーーーっっっ!!!」
ルバルワルスは唸るように自らを奮い立たせ、剣を振るい続ける。
その時、頭の隅に引っ掛かる、何かが聞こえたような気がした。
ルバルワルスは注意深く周囲を見回し、その声の主を探す。
「閣下ぁーーっ!」
そうして見回すと、少し離れた所から見覚えのあるピンクの髪の女騎士が駆けてきた。
「貴様もしぶとく生き残っていたか! ヴィローネ!」
ルバルワルスは足元に転がった、まだ息のあった帝国軍の騎士に剣を突き立て、ヴィローネに声をかける。
「貴様は足止めのはずだろう。 なぜこんな所にいる。 …………やはり、もう前線は崩れたか?」
ヴィローネはルバルワルスの下に来ると、肩を大きく上下させて少しだけ息を整える。
「か、閣下……っ! 敵はっ……帝国軍は……全滅……!」
苦し気に何かを伝えようとするが、要領を得ない。
帝国軍が全滅?
何のことだ?
「帝国軍なら、ここに山ほどいるだろう? 何を言っている。」
ルバルワルスが目に入りそうだった汗を乱暴に拭うと、ヴィローネは息も絶え絶えに首を振る。
そうして、前線の方向を指さす。
「敵のっ……本隊が、全滅しました……っ! 閣下……!」
「本隊が? ……貴様、頭がおかしくなったか?」
正気を失ったか?
ルバルワルスはヴィローネに向けて剣を突いた。
そうしてヴィローネの背後に迫ってきた兵士の喉を裂く。
「ミカ・ノイスハイム、です……!」
「……何ぃ?」
なぜ、ここでそんな名前が出てくる。
いよいよルバルワルスは、ヴィローネの正気を疑った。
ヴィローネとミカ・ノイスハイムという少年には因縁がある。
この、戦場という極限状態で、とうとう頭がどうかしてしまったらしい。
ルバルワルスは、かつては大きく期待をし、自らの娘の護衛さえ任せていた女騎士を憐みの目で見るのだった。
■■■■■■
すでに時刻は夕刻となり、夕日が血塗られた戦場を更に赤く染める。
「”火炎息”!」
ミカは低空を飛行しながら地上に向けて火炎を放射した。
そうして帝国軍の一団を舐めるように焼き払うと、少し離れた所にいる帝国軍の騎士や兵士に”石弾”を浴びせる。
「帝国軍の本隊はもう潰したぞっ! 残りはこいつらだけだあっ!!!」
ミカは大声で、領主軍と王国軍の騎士や兵士たちを鼓舞して回った。
とても信じられる話ではないだろう。
だが、翼を持つ者が戦場を飛び回り、いとも容易く帝国軍を蹴散らしてみせる。
そんなあり得ない光景に、追い詰められていた領主軍と王国軍の兵たちは、不思議な高揚感に包まれた。
(……【戦意高揚】も、まあまあ使えるかも?)
ミカは頻繁に【戦意高揚】を使い、味方を奮い立たせて回った。
「もうひと踏ん張りだっ! この戦、勝てるぞおっ!」
「「「おおおおうっ!!!」」」
ミカの奮闘に、鼓舞に、膝を折っていた者たちが再び立ち上がる。
宙に浮いたミカは周囲に無数の”火球”を作りだし、帝国軍の一団に降り注がせる。
そうして、自身も”銅系希少金属”の短剣を手に別の帝国軍の一団に飛び込むと、瞬く間に騎士や兵士を吹き飛ばす。
「御使い様に続けぇーーーーーーっ!」
「勝利を我が手にぃーーーーっ!!!」
領主軍と王国軍の騎士が、兵士が、ミカの戦いぶりに触発され、勇猛果敢に帝国軍に向かって行った。
逆に、帝国軍にとっては悪夢そのものだった。
ほんの少し前までは勝っていた戦だ。
王国の軍は崩れ、忌々しい壁も大穴を穿った。
一方的に蹂躙し、神託に背く背教徒を征伐する。
それは、神々の望まれたことのはず。
「神々よっ!? 神託に従う我らが、なぜこのような目に遭うのかっ!?」
跪き、夕日を背に圧倒的な暴力を振りまく御使いに、帝国の兵士が嘆く。
翼を広げたその御使いは、ゆっくりとその左手を挙げる。
「神託を弄んだ罰だろ?」
詰まらなそうに言うと、御使いはその手を振り下ろす。
その瞬間、兵士の身体は無数の礫によって、ずたずたに引き裂かれた。
■■■■■■
微かな月明かりが戦場に落ちる。
苦しい戦いを強いられていた領主軍と王国軍だったが、突然に転機が訪れた。
すでに前線で何が起きていたのか、上層部も大方の情報は耳にしていた。
「翼を持った少年が前線を飛び回っていた。」
「御使いらしき少女が、帝国の兵と戦っていた。」
「”神々の遣わし者”が不思議な力で帝国軍を倒した。」
少年だか少女だか御使いだか分からないが、何者かが帝国軍を倒して回ったらしい。
これは多くの将兵が目撃し、実際に言葉を交わした者も多数いた。
そして、
「帝国軍の本隊は壊滅した。」
そう戦場で宣伝して回った。
俄かには信じ難いことだ。
だが、それまで後方に控えていた帝国軍がいきなり突撃してきた。
いや、実際のところそれは突撃ではなく、ただ後方より逃走してきただけのようだ。
そうして、偵察の部隊のうちのいくつかが同じ情報を持ち帰る。
「防護壁の向こうに待機していた、帝国軍の本隊が壊滅している。」
「今王国軍に向かって来ている帝国軍は、本隊の壊滅に気づき、逃げ出しているだけのようだ。」
目撃者によると、空から何かが降り注ぎ、数万の帝国軍が飲み込まれたらしい。
その異常事態に気づき本隊とは逆方向、つまりは王国軍側に逃走してきたのだという。
正直言えば訳が分からない。
だが、分からないからとじっと待っていては機を失してしまう。
戦場では、よく分からない状況などというのは当たり前のこと。
確度の高い情報を待ち、じっくりと最善を検討するのは後方の司令部や王都の首脳部のすることだ。
言ってみれば、それは戦略上で必要なものであり、戦場に必要なものではない。
戦場とは、濃い霧の中を進むようなもの。
常に。
然らば、今ここですべきことは。
敵が弱っているなら、――――叩く。
それだけだ。
ここ数日、ずっと領主軍と王国軍は無理をしてきた。
だが、そんなものは言い訳にもならない。
ここで叩いておかねば、より多くの血が流れることになる。
両軍は兵士たちに交代で休憩を取らせつつも、松明を手に夜を徹し、崩壊した帝国軍の残党狩りを続けていた。
「”鉄弾”。」
シュッ!
ミカは森の中に逃げ込んだ帝国軍の残党を、精密射撃によって掃討していた。
すでに鼻血を噴き出しそうなほどに魔力をぶん回しているが、ここでも魔力範囲を使って索敵を行っていた。
(百五十メートルくらいか……? あそこにもいるな。)
ミカは魔力範囲を前方だけに伸ばし、まずは人の有無を確認する。
いくら魔力が思い通りに扱えるようになったと言えども、流石にこの距離を魔力範囲で探るのは大変だ。
それでも、確実に敵を見つけ出すには、”地獄耳”よりは魔力範囲の方が優れている。
そうして潜んでる人を見つけたら、即席で考えた”暗視”によって姿を確認。
帝国軍だったら狙撃する、という訳だ。
「”鉄弾”。」
シュッ!
木の陰に隠れていた帝国軍の騎士が倒れるのを確認し、ミカは大きく息をつく。
疲労感のためだろうか。
心がざわつくのを感じる。
だが、それ以上に高揚感や万能感も感じていた。
魔力を操作していると高揚感や万能感を感じることは普通だが、今の昂りはそんなものではない。
人の命を虫けらのように扱い、その芽を簡単に摘み取る。
まるで、自分が神か何かにでもなったような気分だ。
「神は神でも、邪神か破壊神の類だろうけど。」
まあ、神なんてのは見方次第で、善神にも悪神にも見える。
帝国からすれば、今のミカは悪の権化以外の何者でもない。
だが、王国からすれば自分たちを守る守護神のようなもの。
もっとも、それも度を過ぎれば恐怖の対象でしかないだろうが。
(……度を過ぎれば? これだけやって、過ぎてない訳がないだろう。)
数万の軍を一人で壊滅してみせたのだ。
確実に王国はミカの存在を警戒するようになる。
その力が、自分たちに向けられやしないか、と。
ミカはがしがしと頭を掻くと、索敵の済んだ森に背を向ける。
「…………それでも、僕は僕の守りたいものを守る。」
そう呟くと、ミカは星の瞬く空へと消えて行った。
次の獲物を求めて……。
■■■■■■
夜明けとともに、ルバルワルスは騎士団の一部を率いて、帝国軍に破られた防護壁に来ていた。
ほとんどの帝国軍の残党は掃討したが、まだ潜んでいる可能性が高い。
そのため、残りの残党狩りは後方で防衛線を張っていた王国軍に引き継ぎ、ルバルワルスは別の問題を確かめに来たのだ。
「これは、どうしたものか。 …………考えるだけでも頭が痛くなるな。」
帝国軍の侵入を五十年以上も阻んできた防護壁が、五十~六十メートルくらい崩されていた。
かなりの高温と爆発力で壊されたのだろう。
防護壁や周囲に散乱した瓦礫、それに地面にも焼け跡が残っている。
「軍の工兵だけではどうにもならんな。 官所にも建設担当を置いて、急ぎ手配せねば……。」
どの程度修復するかも含めて、領主軍の幹部たちとも検討せねばならない。
何より、今は戦時下。
悠長に修復している間があるかさえも不明だ。
「防衛計画も練り直さんとならんな。」
領主軍の再編、領地の被害の確認など、やらなくてはならないことが山ほどある。
何より、敗戦の責任を取らねばならない。
敗戦。
ルバルワルスは、間違いなく敗軍の将だ。
最終的には押し返すことに成功したが、それはルバルワルスによるものではない。
いろいろと頭の痛い問題が多いが、それでも一つひとつを片付けていくしかあるまい。
「閣下っ。」
ルバルワルスが思案していると、同行していた騎士に呼ばれた。
振り返ると、騎士の視線の先には小柄な魔法士がいた。
夜通し戦い続けていたのだろう。
全身に返り血と泥を浴びた、ひどい状態だった。
もっとも、そんなのはその魔法士だけではない。
この場にいる全員が、皆ぼろぼろの状態だった。
報告では翼があったということだが、今はない。
見えないだけか、仕舞っているのか。
そんなことができるのかどうか知らないが、少なくとも今は人の姿をしている。
「久しいな、ミカ君。 ヴィローネから聞いたよ。」
戦場という極限状態で頭がおかしくなったかと疑ったヴィローネだが、どうやら本当のことを言っているらしいと分かった。
他にも翼が生えた御使いを見たという報告が届くようになり、ヴィローネの話と合わせ、それがミカだと気づいた。
だが、ミカは答えず冷たい目をルバルワルスに向けたまま。
そうして、ルバルワルスの前までやって来た。
ミカは本当にひどい状態だった。
しかし、一番の印象はその目。
その殺気だ。
ルバルワルスに同行してきた騎士たちが、思わずその手を剣にかけてしまうほどに。
ルバルワルスは手で騎士たちを制し、ミカを真っ直ぐに見る。
「君のおかげで助かった。 礼を言う。」
だが、ミカはそれすらも答えない。
ただ真っ直ぐに、その殺気立った目でルバルワルスを射抜く。
「閣下っ……!」
周囲にいる騎士たちの方が、限界に近い。
ミカから放たれる殺気に、騎士たちの防衛本能が警鐘をかき鳴らす。
騎士たちを一瞥し、その様子にルバルワルスは片眉を上げる。
そうして、ミカに笑いかけた。
「済まんが、この首はやれん。 責任を取る者がいなくては、下の者が困るのでな。」
ルバルワルスがそう言うと、ミカは苦しそうに目を瞑る。
それからようやく、その殺気を引っ込めた。
「後で君の使ったあれについて話を聞かせてくれ。 すり合わせが必要だ。」
ルバルワルスにそう言われ、ミカは怪訝そうな顔になった。
「…………あれ?」
ミカは何のことか分からず、眉を寄せる。
まあ、厳密には分からないのではなく、思い当たることが多すぎてどれのことか見当がつかないのだが。
だが、ミカの反応が予想外なのか、今度は侯爵が眉を寄せる。
そうして、
「……知らずに使ったのか。」
そんなことを漏らす。
ルバルワルスは逡巡し、それからミカに問いかける。
「これからどうする気だ?」
「どうと言われても…………王都に帰りますが。」
「今すぐか?」
そう言われ、今度はミカが逡巡する。
さすがに疲労が大きい。
今から二時間も飛び続けるのは、途中で寝てしまいそうだ。
「どこかで少し休んでから帰ります。」
「そうか。 なら、私の屋敷に――――。」
「お断りします。」
侯爵の申し出を即座に断るミカに、騎士たちが殺気立つ。
だが、侯爵は然程気にした風もなく、別の提案をしてきた。
「そうか。 では、今日中に屋敷に顔を出してくれ。 ヨーラン…………リンペール男爵と話をしておいてくれ。」
「リンペール男爵と……?」
何でも、ヘイルホード地方の領主たちは各々の領主軍を自ら率いて、このレーヴタイン領に集結しているらしい。
ただ、リンペール男爵は年齢もあり、またあまり剣が得意ではないので、領主軍本部で後方支援に就いているのだという。
「今回、ミカ君のおかげで我々としては助かった。 だが、そのために君の立場に不安を抱えてしまったのだ。 私の方から伝えておく。 よく話をしてくれ。」
どうも、よく分からない事情が絡んでいるようだ。
だが、今はミカも疲れすぎて頭が回らない。
ミカは力なく頷くと、侯爵に背を向ける。
そうしてリッシュ村に向け、鮮やかな青空に飛び立つのだった。




