第220話 王都外への移動禁止令
土の2の月、4の週の月の日。
午後の乗馬の授業。
中等部になってから始まった乗馬の練習だが、ミカにとってもっとも苦手な授業である。
とはいえ、さすがにもう二年近くもやっているので、まったく乗れないという訳ではない。
下手は下手なりに、それなりに乗れてはいる。
「…………疲れるけど。」
気疲れというか、変に力が入ってしまうところがあり、自分の足で移動するよりも疲れる気がするのは、きっと気のせいではないだろう。
「よっと。」
ミカは馬から飛び下りると、そのまま馬の世話役の人に手綱を預ける。
ミカの場合、飛び乗り、飛び降りが基本だ。
普通は鐙に足をかけて乗るのだが、ミカはそもそも鐙に足がかからない。
自分の首の高さにある鐙に足をかけて、どうやって乗れというのか。
鐙の高さは、乗った時の状態を基準に決めるものらしい。
ちょーっとだけ身長の低いミカは、鐙の長さを短くせざるを得ない。
足が短いんじゃない、比率的にそうなってしまうだけだ!
だが、そうなると必然的に地面からは高くなる。
下りる時も地面から高すぎるので、結局は飛び降りにするしかない。
授業で用意されている馬には子供が乗る訳だが、容赦なく普通のお馬さんだ。
子供の練習用だとかは、一切考慮してくれない。
戦場で用意される馬は普通の軍馬なので、これに慣れろという訳である。
支給された服や靴のサイズが合わなかった時に、身体を服に合わせろなんて話がどこかの軍隊にあったとか、なかったとか。
まあ、そんな風に個々の事情などは考慮されず「いいからそれに慣れろ」というのは、この国の基本スタンスだ。
ミカは額の汗を拭うと、クラスの子供たちが集まっている所に歩いていく。
今は障害を飛び越える練習中で、一通り終わったら一旦休憩。
少し休んだらまた練習というのをくり返していた。
「ミカも大分上手くなりましたね。」
先に戻っていたクレイリアが、ミカに気づいて声をかけてくる。
「まー、何とかねー。 皆に置いてかれないようにするのがやっとだけど……。」
くたびれた顔でミカが答えると、クレイリアが苦笑する。
「高等部になると、演習でも馬を使うことがあるそうですよ。」
「え、本当!? そんなの見たことないけど。」
高等部の演習に参加させられていたが、そんなことやっているのは見たことがない。
「大規模な演習の時に、そういう部隊も編成するそうです。」
「あれー? そんなのいたかなぁ。 でも、全員が乗るって訳じゃないんだ。 じゃあ、僕は歩兵でいいや。」
演習場をすべて使う大規模な演習には、前に参加したことがある。
だが、騎馬のチームは記憶になかった。
その時はいなかったのかな?
そう言えば、魔法士が馬に乗ると、兵種としてはどういう扱いなのだろうか。
魔法騎兵とか?
何となく語感は格好いいが、ミカは辞退しよう。
辞退を認めてくれるとも思えんけど。
クレイリアと並んで練習している子供たちを眺めていると、学院の講師が走ってやって来た。
指導をしている講師たちが、子供たちに練習を一旦止めさせ、その走ってきた講師の下に集まる。
「どうしたんだろ? 何かあった?」
「何でしょうか?」
子供たちが皆、講師たちの集まっている様子を眺める。
が、すぐに解散して再び授業は再開した。
そうして、その後は何事もなく授業が終わる。
いつもよりもちょっとだけ早く終わり、子供たちに集合がかけられた。
何だか、講師たちの雰囲気がちょっとピリついてる?
整列した子供たちの前に、担任のコリーナが立つ。
その横には、乗馬担当の数人の講師たち。
「今日はこのまま解散ではなく、一旦教室に戻ります。 着替える必要はありません。 そのまま教室で待機するように。 以上。 駆け足!」
駆け足と言われミカが走り出すと、子供たちが続いて練習場の外に整列したまま走り出す。
ちなみに、整列は当然ながら並ぶ順番が決まっており、当たり前のようにミカは先頭である。
つまり、ミカが走らないとクラスの子供たちは走り出すことができない。
(珍しい。 午後の授業の後に何かあるのか。)
これで嫌な予感がしない者はいないだろう。
(教室で何があるのやら……。)
そんなことを思いながら、ミカは学院に向かって走り続けた。
「何だろうね……。」
教室でいつもの席に着くと、リムリーシェが不安そうな顔で声をかけてくる。
何となく、教室の雰囲気が重い。
やはり、皆も嫌な予感を抱いているのだろう。
しばらくすると、コリーナがいつもにも増して厳しい雰囲気を纏って、教室に入って来た。
珍しく、魔法演習場での指導担当の講師も一人ついて来ている。
コリーナが教壇の前に立ち、真剣な表情で真っ直ぐに前を見る。
「魔法学院の学院生、全員に『王都外への移動禁止令』が発令されました。 現刻より皆さんは、別命あるまで王都を出ることを禁止します。」
「…………は?」
コリーナから予想もしなかった命令を伝えられ、教室中にざわっと声が上がった。
突然の命令に子供たちは戸惑い、周りの子供たちと顔を見合わせる。
「これは軍務省から発令された、正式な命令です。 軽い気持ちで破ろうなどとはしないように。 くり返します。 魔法学院の学院生、全員に『王都外への移動禁止令』が発令されました。 ――――。」
コリーナの冷えた声に、子供たちが半ばパニックになる。
「何で!?」
「急に、何!? どういうことっ!?」
「何だよ、命令って!?」
ミカは周囲を見回し、子供たちを見た。
リムリーシェは顔面が蒼白になり、泣きそうな顔になってミカを見る。
ツェシーリアやチャールも、青くなっていた。
クレイリアも戸惑ってはいるだろうが、それでも取り乱したりはしていなかった。
ただ、厳しい表情をして、コリーナを見ている。
ポルナードやメサーライトも取り乱してはいなかったが、苦し気な表情だ。
ムールトは真剣な表情で、ただ黙っている。
ミカが正面を向くと、コリーナがとても冷たい目をしていた。
そして、大きく息を吸い込むのに気づいた。
(あ、来るな、これは。)
ミカはこっそりと”地獄耳”を発現する。
「静かにっっっ!!!」
コリーナのカミナリに、一瞬で教室がシーンとなった。
が、微かに鼻を啜ったり、しゃくり上げる声が聞こえる。
どうやら、泣き出してしまった子供がいるようだ。
「命令一つに、いちいち狼狽えるなっ! 『王都外への移動の禁止』はどういった時に適用される措置だ? ミカ!」
「はいっ!」
突然指名され、ドキリとしながらもミカはびしっと立ち上がる。
学院生に対して発令される命令は、授業で習っていた。
教わる命令は、それほど多くはない。
寮生は寮で待機、寮生以外にも宿舎を用意してそこで待機させるといった、かなり厳しい状況を想定した命令などもあるが……。
「あくまで予備的な措置であり、臨時で招集する可能性があると判断された場合です。 また、臨時での招集に限らず、必要に応じて発令することもできます。」
「よろしい。」
ミカがほっとしながら席に着くと、コリーナが簡単に説明をする。
「万が一を想定し、発令される命令だ。 これ一つを取って、何かを判断できるような命令ではない。 用が済めば解除されます。 それまで大人しくしていなさい。」
だが、そんな説明一つで誰も安心などできる訳がない。
何より、このタイミングでの命令だ。
以前よりあった「グローノワとの開戦」の噂が頭にちらつく。
(宣戦布告でも受けた? ……いや、宣戦布告を受けたなら、こんな半端な命令で留まるとは思えない。)
何より、開戦を国民に知らせないなどあり得ない。
まず真っ先に国民に広く発布するはずだ。
平時と戦時では、国民の生活の何もかもが変わるのだから。
ミカはステッランの方をちらりと見る。
ステッランは、特にいつもと変わらない。
真面目な顔で、コリーナの方を見ている。
(元々、何か知っていたから平然としてるのか? それとも、こういうことを常に覚悟してたのかな?)
少し陰鬱な気持ちを抱え、その日は解散となった。
コリーナたちが出て行った後の教室。
だが、ほとんどの子供が教室に残っていた。
そして、レーヴタイン組とクレイリア、ステッランがミカの机の周りに集まった。
更に、その周りにクラスメイトの数人もいる。
「じゃあ、二人も特に情報はないんだ。」
話題は当然、先程の『王都外への移動禁止令』だ。
クレイリアやステッランが何か耳にしていないかと思ったが、二人も特に何かを聞いていたりはしなかった。
「国境で何か動きがあっても、学院生の僕たちに知らせる訳がないだろう? それは、レーヴタイン家のクレイリア様でも同じだ。」
ステッランの意見に、クレイリアも頷く。
「ただ、上の方には何かしらの情報が上がったのだろう。 学院生にこんな命令を発令する権限があるのは、軍務大臣だ。 陛下が軍務大臣にお命じになられたのか、別口からの要請か。 独自の判断かは分からないけどね。」
ステッランの話を聞き、ミカは腕を組み、顎に手を添えて考え込む。
魔法学院は軍務省直轄の組織。
必要に応じて軍務大臣は学院生の行動を著しく制限することができるし、動員をかけることもできる。
(……とはいえ、対応が中途半端すぎてさっぱり分からないな。)
ただ、その半端さのおかげで、一つ確実なことがある。
(開戦はない。 今現在開戦しましたって状況なら、こんな半端な対応はしない。)
宣戦布告されたという訳でもないだろう。
では、なぜこんな対応をするのだろうか。
(おかげで、今年は里帰りができそうにないな。)
まあ、まだお土産などの予約もしていないので、特に困ることもないが。
(キスティルやネリスフィーネは残念がるだろうなあ。)
特にキスティルは悲しむだろう。
例え、家族として過ごせなくても、母親や弟の姿を見たいと思っていたはずだ。
何かあればホレイシオさんが手紙で知らせてくれることになっているので、キスティルとスコバータ家では手紙のやり取りもしていない。
便りの無いのは良い便りとは言っても、さすがに寂しいだろう。
(二人だけリッシュ村に行かせるか? 護衛の冒険者を手配して…………ていうか、一日で往復すればいいんだろ? 俺でも行けるな。)
早速命令を無視するプランを考え始め、思わず苦笑いする。
相変わらず、こういうのを守る気無いね、俺。
だが、その時閃くものがあった。
(そうか。 この命令の意味は……。)
理由は分からない。
理由は分からないが……。
「里帰りさせたくないのか。」
ミカがぽつりと呟くと、リムリーシェが首を傾げる。
「結局、上も状況がどうなるか分からないんだ。 それでも来月になると長期休暇に入ってしまう。 丸まる一カ月、国中に学院生が散ってしまう。 それを嫌った。」
一カ月後の状況が読めない。
グローノワ帝国内の動きに、何か気になるものがあるのかもしれない。
いよいよ、国も危機感を強めてきた?
(……とはいえ、これはタイミングの問題でもあるか?)
もしも今が、土の2の月の下旬になろうという時期でなければ、こんな命令は出さなかったのではないだろうか。
たまたま来月に学院生が帰省する時期なので、足止めをした。
もしも今が水の月や火の月だったら、命令をしてまで足止めする必要がない。
言わなくても、皆王都から離れないから。
(何より、今は真冬。 軍が動くような時期じゃない。)
このような時代。
戦争は冬以外にやるものだ。
できれば種蒔きと刈り取りの時期も避けたい。
ということで、戦争のシーズンは夏だ。
ただ、冬以外ならいつ起きてもおかしくはない。
職業軍人がそこそこいるようなので、畑仕事をそこまで気にする必要がないからだ。
(それでも、冬に開戦することはないだろう。)
そうミカは予想する。
冬は行軍するだけで、凍傷で兵がバタバタ倒れる。
まあ、そんなことを気にしないで戦をする王や将はいくらでもいたが。
(十年も遠征してた、どっかの大王とかいますし。)
季節がどうのこうのは、所詮は凡人の考えなのだろう。
できることなら、相手も凡人であることを願おう。
ミカが顔を上げると、皆が見ていた。
「……何?」
「何って……何かぶつぶつ言ってたから。」
メサーライトが、訝し気な表情でミカを見る。
「あー……、ちょっと考え事。」
「何考えてたんだ?」
ムールトが難しい顔をして聞いてきた。
「そんな大したことじゃないよ。 ただ、今年は帰省が難しいかなあ、とか。 そんなこと。」
「ああ、まあそうだろうな。」
ムールトやメサーライトは帰省をしないでいるが、クレイリアやツェシーリア、チャールは毎年帰省している。
ミカの言葉を聞いて「そうよね……。」とちょっと落ち込んでしまった。
えーと、ごめんね?
とりあえず、今のミカたちでは如何ともし難い状況。
大人しく従うしかないよね、という結論になった。
自宅に帰ると、ヤロイバロフがダイニングで立ってお茶を飲んでいた。
キスティルとネリスフィーネはキッチンで夕飯の準備中だ。
「おう、帰ってきたか。」
「どうしたんです、ヤロイバロフさん。 そんな立ったままで。」
椅子を勧めようとして、ミカの手がハタと止まる。
勧めようとした椅子と、ヤロイバロフのビッグヒップを見比べた。
うん、座れないね。
ミカの家の椅子は、普通の木の椅子だ。
多分、ヤロイバロフの重量を支えるのは厳しい。
ミカの考えていることが分かったのか、ヤロイバロフが苦笑する。
まあ、同じ結論に達して、立ってることにしたんだろうしね。
ミカは行き場のなくなった手を誤魔化しつつ、ヤロイバロフに尋ねる。
「それで、どうしたんですか?」
「ああ、ちょっと王都を離れるんでな。 声をかけておこうと思って。」
「離れる? どこかに行くんですか?」
この言い方だと、一日二日どこかに行く感じではない。
「最近、きな臭い感じがあるだろう? 戦争になるかもしれねえ、ってよ。」
「ええ。」
「ちょっと店を回って、チビどもに非常時のおさらいをな。」
そう言ってヤロイバロフはお茶を飲み干し、カップをテーブルに置いた。
ヤロイバロフは、食堂三つと宿を三つ経営している。
そして、そこの主な従業員は、基本的には子供だ。
さすがに店を任せているのは子供ではないが、それだって元々はヤロイバロフが従業員として雇っていた子供が成長したというだけ。
「いざという時には、店閉めて避難して来いって言ってあるんだけどな。」
何でも、宿に泊まってる冒険者のパーティには、非常時に護衛を頼んでいる人たちがいるそうだ。
そうしたヤロイバロフの信頼している冒険者たちにも、段取りを確認して来るという。
ミカは少し真面目な顔になる。
「ヤロイバロフさんの方で、何か掴んでますか?」
なぜ、今なのか。
前から開戦の噂はあり、それでもヤロイバロフは特に動くことはなかった。
それが、ミカが学院から『王都外への移動禁止』の命令を受けた日に、突然行動に移すという。
何かあったのではないかと考えるのは、別に考えすぎじゃないはずだ。
「あー、何かあったのか?」
ミカの表情が真剣なものに変わり、ヤロイバロフが逆に尋ねてくる。
ミカは今日、学院から受けた命令を話した。
「なるほどな……。」
話を聞き、ヤロイバロフが腕を組む。
そうして少し考えて、顎で部屋の外を示す。
ヤロイバロフについて行くと、そのまま外に出た。
冷たい風に、少しだけ身体が震える。
「俺が耳にした情報も、そこまで大した物じゃない。」
ヤロイバロフが顎を撫でながら言う。
「噂が広がってきた頃からよ。 グローノワの情勢については気をつけてんだ。」
「情勢……?」
「ああ。 元々あの国は、国民の八割とかが戦争賛成のイカれた国らしいぞ。 エックトレームとのな。 それを押し留めていたのは現皇帝だ。 俺は賢明な皇帝だと思うぜ。 人気は無いようだがな。」
ミカは驚き、声を失う。
いくら神託があろうと、そこまで戦争を支持するとは……。
きっと戦争の悲惨さを考えもしないのだろう。
いや、それすら神々への信仰の証とでも思っていそうだ。
「どういう方法で集めてるのかは知らないが、情報屋ギルドがそうした情報を多少持っててよ。 それを買ってたんだ。」
ヤロイバロフの話に、ミカは頷く。
「それで今日聞いた話が気になってな。 ちょっと用心しとくかって。」
「今日の話、ですか。」
「どうも、侵攻に向けて準備を始めたんじゃないかって。 そんな話だ。」
そう言ってヤロイバロフが難しい顔をする。
「具体的にどんな準備だとか、そういうのは分からねえ。 ただ、街でそういった噂を聞くことはあっても、情報屋ギルドからは初めて言われてな。 ギルドとしても確度の高い情報ではないようだが、そんな感じはあるって言われてよ。」
「それで、備えることにしたんですね。」
ミカがそう聞くと、ヤロイバロフは頷く。
「ま、国内をぐるっと回って、準備の確認とかしてくるだけだからよ。 二週間くらいのものよ。」
「はい?」
普通、乗り合い馬車だとサーベンジールとの往復すら二週間では無理ですが?
相当に早い移動速度らしいことは、前にちょっとだけチレンスタに聞いたことあるけど。
(サーベンジール以外は、どこにヤロイバロフさんの食堂とか宿屋があるのか知らないけど、普通なら数カ月かかるような旅程なんだろなあ。)
ミカは少々呆れるような顔になってヤロイバロフを見上げる。
それでも、必要だと思えば即行動に移す実行力は、さすがはヤロイバロフと言ったところか。
ミカも見習いたいものである。
「分かりました。 お気をつけて。」
「ああ。」
ミカの言葉に、ヤロイバロフが頷く。
ヤロイバロフが拳を向けて来たので、ミカはゴツンと拳をぶつけた。




