第210話 キフロドの心変わり
ワグナーレ大司教と話をした後、ミカはとりあえず腹ごしらえに中央広場に出た。
陽の日とあって、広場には多くの人が詰めかけ、屋台も多く出ていた。
「もぐもぐ…………無茶を言ってくれるよなあ。 しかも、あのキフロドを教皇にしようなんて。」
ホットドッグを齧りながら、そんなことを零す。
ワグナーレは、教皇や枢機卿になる条件なども簡単に説明してくれた。
「君でも教皇になれるよ。」
そうにっこりと言われた時は、度肝を抜かれたけど。
何でも教皇位に就くのに必要な条件は、光神教の男性信者、そして枢機卿の満場一致で選ばれること。
この二点のみだという。
(それじゃあ、資格がありませんね。 ……とは言えないわな。)
信者じゃありません、なんてとても言えない。
ミカは歩きながら屋台を物色し、串肉を三本買う。
右肩にえらく目立つ傷を持った、禿親父の屋台がやたらといい匂いをさせていた。
そして、もぐもぐと食べまくる。
「……しっかし、務まるのかね。 キフロドに。」
年齢が年齢だ。
とてもじゃないが、激務に耐えられるとは思えない。
「あーん、もぐもぐ…………旗印として、いるだけでいいって感じなのかな?」
最後の串肉を、口いっぱいに頬張る。
ミカは周りを見回し、次の獲物を探す。
そうして、いくつもの屋台を渡り歩き、デザートまで平らげて一息つく。
「まあ、話すだけ話すって言っちゃったしな。 とりあえずはリッシュ村に行くか。」
明日は普通に学院があるが、あまり早く王都に戻ると不審がられる。
学院は二~三日休むとして、その間はどうしよう。
当初の予定としては家に引き籠るつもりだったのだが、状況によっては何日かリッシュ村に滞在しようか。
「とりあえず、話をしてからだな。」
ミカはサーベンジールを出ると、リッシュ村に向かった。
リッシュ村の横の森に降り、村を囲う壁を飛び越える。
そうして、教会にやって来た。
「ちゃす!」
「は? ……ミカ?」
突然現れたミカに、キフロドが目を丸くする。
長椅子を雑巾で拭いていたキフロドが、その動作のまま固まった。
どうやら”笑う聖母”は、いつも通り村人の家を回っているようだ。
「あ、これお土産ね。 サーベンジールの。」
ミカはキフロドの持っていた雑巾を取り上げ、買ってきたお土産を固まったままのキフロドに手渡す。
鑑定屋のお婆さんによく持って行くお茶菓子だ。
そうしてキフロドの後を引き継ぎ、雑巾がけをしていく。
(前は、よく手伝ったなあ。)
ふと、懐かしさを感じた。
魔法学院に通う前の半年間。
毎日教会に預けられていたので、教会内の掃除はよく手伝っていた。
ミカが雑巾がけをしていると、ようやくキフロドが我に返る。
「お前さん、学院はどうしたんじゃ。」
「やだなあ、今日は陽の日ですよ? 学院はお休みですって。」
やっぱ、教皇は無理じゃね?
曜日も分からなくなっちゃったよ。
「そんなことを言っとるんじゃないわい! 王都から何日も……、どれだけ学院を休んでおるんじゃ!」
「ああー……、そういうことか。」
そう言えば、乗り合い馬車だと片道で十一日かかるんだっけ。
どうやらボケているのはキフロドではなく、ミカの方だったようだ。
よかった、よかった。
「あれやこれやといろいろあってさ。 サーベンジールに用事があったんだよ。」
「サーベンジールにぃ……?」
キフロドが怪訝そうな顔になる。
村長にはレーヴタイン家のクレイリアとの婚約のことは話したけど、キフロドには話してなかったっけ。
何でこんな所にいるのか。
その理由から話しておかないと、本題にはいきなりは入れそうにない。
「えーと……、驚くとは思うんだけど……。」
そう前置きして、ミカは簡単に事情を説明した。
「無理じゃ、やめておけ。 お前さんが上級貴族の家に入るなんぞ、自殺行為どころじゃないぞ? お家が取り潰される。」
ミカの両肩を掴み、鬼気迫る雰囲気でキフロドが言う。
説明を聞いている間、キフロドは顔をしかめ、頭を抱え、力なく項垂れた。
そうして一通りの説明を聞くと、必死な形相でミカに迫ったのだ。
「向こうが勝手にやってんだもん。 潰されようが僕のせいじゃないでしょ。」
ミカが自分で入ったのではない。
向こうが無理矢理引っ張り込むのだ。
「そういう問題じゃないわい! レーヴタイン家はこの国の盾じゃぞ!? 帝国の侵攻が囁かれるこの大事な時に、何をやっておるんじゃ!」
「それを僕に言ってどうすんのさ! 強引に進めた奴に言ってよ!」
「誰じゃ、そのバカタレは!」
「レーヴタイン侯爵。」
ミカがそう言うと、キフロドが顔を引き攣らせて固まった。
本日二回目のフリーズです。
八一九二分の一を続けて引いたぞ。
「是非説教してやってください。 このバカタレが、って。 流石キフロド様は頼りになるなあ。」
ミカがにっこりとそう言うと、キフロドがハッと我に返る。
キフロドはミカから目を逸らし、やや俯く。
そうして、ゆっくりと後ろを向いた。
「……そろそろ、お茶にするかの。 お、こんな所になぜかお茶菓子があるのぉ。」
現実逃避していた。
「何すっとぼけんですか! びしって言ってやってくださいよ!」
「今日は暑いのぉ。 王都にいるミカは、元気にしとるじゃろうか。」
ミカはキフロドにしがみつき、前を向かせようとするが、キフロドがそっぽを向いて必死に抵抗する。
「んぎぎぎ……っ! こっちっ、向いてっ、下さいっ! 一体、どこ見てんですか! 本当に何か見えちゃってんじゃないの!?」
「失礼なっ!? 何も見えとらんわっ! いいから、放さんかいっ! 暑っ苦しいわっ!」
ハァハァ……と荒い呼吸をし、二人して汗だくになる。
「……まあ、今日は僕のことはいいですよ。 今日来たのはキフロド様のことですから。」
「儂のことぉ? 何じゃ?」
キフロドが、長椅子の背もたれにかけておいた手拭いを掴み、額の汗を拭った。
「サーベンジールの大聖堂に行っていたんですよ? 見当はつきませんか?」
ミカがそう言うと、キフロドが顔をしかめる。
「ワグナーレめ……。 ミカまで巻き込みおったか。」
キフロドは首を振り、手拭いを首にかけた。
「何を言われたかは知らんが、放っておくがええ。 ワグナーレには、儂の方から言っておく。 ……すまんの、お前さんを巻き込んで。」
キフロドの言葉に、ミカは首を振る。
「いえ、別に説得しろなんて言われてませんから。 ていうか、僕も『説得はしません』って言ってますから大丈夫です。」
「そうか。 それなら良いが。」
ミカがそう言うと、キフロドは少しほっとした顔になる。
「それでは、お前さんは何しに来たんじゃ?」
「ん? キフロド様を説得にですけど?」
ミカがそう答えると、キフロドがずっこけた。
大丈夫?
そんなことしたら、腰悪くするよ?
「お前さん、説得はしないって――――っ!」
「是が非でも教皇になってください、なんていう気はないですよ。 でも、まともな人が上の方に居てくれたら、僕も安心かなあって。」
「何でミカが安心なんじゃ?」
キフロドが不思議そうな顔をする。
どうやらキフロドは、そもそもの発端を知らないらしい。
好き勝手やってる教会に、ただ国王陛下が怒って王国軍を使った、くらいにしか考えていなかったようだ。
ワグナーレはキフロドの説得に、ミカのことなどは伝えていなかったのか?
ミカとキフロドの関係を知ったのは、説得に来た後なのだろうか?
「ちょっと長い話になるけど……。 他言無用でお願いね?」
そう言ってミカは、発端となった異端審問の背景や、教会の事件のその後の顛末などをすべてを話した。
ヒュームスとアークゥ。
解呪の力。
教会が敵になり、異端審問という名の謀殺をされかけた。
その危機に動いたのがレーヴタイン侯爵であり、またワグナーレ大司教であること。
現在、教会に王国軍が入って不正を暴いているが、その情報はワグナーレが提供していることも。
レーヴタイン侯爵が国王陛下への釈明のために、ミカを身内として扱ったこともだ。
今年の里帰りで、普段の指名依頼については話していたが、解呪の力によって起こったあれやこれやを初めて語った。
また、ミカの持つ特殊な力により、春に勲章を国王陛下からもらったことまで。
今のミカを取り巻く状況を理解してもらうために、必要な情報をすべて話したのだ。
ミカの話を黙って聞いていたキフロドだったが、話を聞き終わると大きく溜息をついた。
そして、力なく首を振る。
「結局は、無駄じゃったか……。」
そんなことをぽつりと呟く。
「…………? 何がですか?」
ミカは何気なく聞き返すが、途端にキフロドからオーラが立ち昇る。
キフロドが両手を伸ばし、ミカの両頬をむぎーっと引っ張った。
「あっ、れっ、ほっ、どっ! 何度も何度も何度も、口を酸っぱくして、耳にタコができるほどに言ってやったのにっ! 何一つ分かっとらんかったんか、お前さんはっ!」
「いひゃいっ、いひゃいっ! ひふほほはまっ! ひひゃいへふっ!」
容赦のないキフロドの折檻に、ミカは涙目になる。
「儂が言うても聞きやせんのだろっ! だったら神々の下で、直接叱られて来いっっっ!!!」
それって、一遍死んで馬鹿を治して来い、ってやつですか!?
キフロドはミカの頬を引っ張りながら、これまでの自分の心配や苦労を返せと言わんばかりに怒った。
「ほ、ほへんははーいっ!」
「どうせ口だけじゃろうがっ!」
なぜ分かった!?
キフロドは、ミカが謝っても許してくれなかった。
どうやら、キフロドの堪忍袋が爆発してしまったようだ。
それから十分以上、ミカはキフロドにお説教を喰らった。
両頬を引っ張られたまま。
「うう……、痛いよぉ……。」
お説教が終わり、ミカはひりひりと痛む頬を摩る。
「【癒し】を使えば、すぐ治るじゃろうが。」
キフロドがじとっとした目で、冷たく言った。
うう、キフロドが怖ひ……。
ミカは言われた通り、【癒し】を使う。
うん、元通りだね。
頬の痛みが消えてすっきりしたミカを、キフロドがじっと見る。
「儂にもかけんか。 馬鹿者が……。」
怒鳴り過ぎて、少々声の枯れたキフロド。
大分へろへろになっていた。
「もう、いい年齢なんだから。 あんまり無理しちゃあ……。」
【癒し】を使いながら余計なことを言うミカを、キフロドがぎろりと睨む。
「ミカよ、いくらなんでも無茶が過ぎるぞ? どれほど危ういか分かっておるのか? 命を落としてもおかしくなかったんじゃぞ?」
そうキフロドは疲れたように言うが、ミカはきょとんとする。
「命を落とす? 何で?」
「何でって、実際に異端審問にかけられとるじゃろうが!」
何で分からないのか、とキフロドがまた声を荒げる。
しかし、それでもミカは涼しい顔だ。
「その程度じゃ、僕はやられないよ。」
「何じゃと?」
「教会騎士の百や二百が出てきたところで、僕はやられない。 ただ脱出するだけなら、いつでもできたんだ。 そうしなかったのは、できればあそこで禍根を断っておきたかったからだよ。」
平然と言ってのけるミカに、キフロドは目を瞠る。
「まあ、目論見通り教会関係は片付いた。 …………おかげで、別の面倒をいろいろ背負い込んだけどね。」
自嘲気味に笑うミカを、キフロドは何とも言えない表情で見つめた。
「まったく……。 これは、ラディを見とる場合じゃないの……。」
キフロドがぽつりと呟く。
ぽりぽりと頭を掻き、何やら悩む表情になった。
「しかし、どうやって行ったものか。 さすがに馬車では厳しいしのぉ。」
ぶつぶつと、何事かを言い始める。
「……? どしたの?」
「どうしたじゃないわい。 危なくって、このままにしとけるか。」
キフロドが、呆れたように言う。
「何とか王都まで行く方法を考えんと、危なっかしくてじっとしておれんわい。」
「え!? キフロド様、王都に行くの!? 教皇を引き受けるの!?」
「そんなもの、どうでもええわい。 儂は、お前さんの監督に行くんじゃ!」
「はあああっ!?」
キフロドの答えに、ミカが素っ頓狂な声を上げる。
「僕!? 監督!? 何で!?」
「それが分からんからじゃろうがっ! 馬鹿者がっ!」
何だか、今日はキフロドがえらく怒りっぽい。
暑くて気が立ってる?
まあ、もしかしたら半分くらいは、ひょっとしたらミカのせい?かもしれないが。
…………いや、冗談ですよ?
「キフロド様が王都に行くって言ったら、教会が喜んで馬車を用意すると思うけど?」
「そうして辿り着くのは、儂の屍か? それが厳しいから困っておるんじゃ。」
なるほど。
乗り合い馬車ではなく、専用で馬車を用意しても王都までは一週間以上はかかるだろう。
各地の教会に協力させても、今はいろいろ大変な時だ。
予定通りには中々進まず、途中で立ち往生なんてことも考えられる。
「んー……。」
ミカは腕を組み、顎に手を添えて、いつもの考えるスタイル。
ただし、今考えてるのはどうやってキフロドを王都に連れて行くかじゃない。
キフロドに見せてもいいかな、ってことだ。
ミカは教会の入り口まで行くと、周囲を簡単に確認する。
そうして、入り口のドアを閉めた。
「どうしたんじゃ?」
「一日二日で着くなら、キフロド様も王都に行けるかな?」
「まあ、移動の期間が短ければ助かるがの。 流石にそんな短期間で、は…………!?」
キフロドが話している間に、ミカの身体がゆっくりと浮き始めた。
ミカの呟いた"低重力"と”突風”が聞こえなければ、何が何だか分からないだろう。
まあ、聞こえても分からないだろうけど。
ミカは教会の高い天井付近まで飛ぶと、そこでホバリングした。
「僕はこれで、一日で王都とサーベンジールを行き来してるよ。 一日って言うか、二~三時間くらいかな。」
「なっ……な……っ!?」
キフロドが口をパクパクするが、言葉になっていない。
やばい。
このままではキフロドの心臓が止まってしまうかもしれない。
ミカは”突風”を切って、音も無く着地した。
目を見開いてミカを凝視するキフロドの目の前で、手をひらひらする。
「これなら、僕がおんぶしていく感じで王都まで行けるよ。 一日の移動時間を短くしても、二日もあれば王都まで行けると思う。」
そう提案するが、キフロドは聞こえていないのか、目を見開いて固まっている。
「な、なな、何じゃ、今のはっ!?」
「何って【神の奇跡】。」
「そんな【神の奇跡】あるかっ!」
ちっ……バレたか。
ミカは事も無げに言うが、すぐにバレてしまった。
バレたというか、信じられないから否定しただけか?
「キフロド様は、僕の【神の奇跡】が変わっているのは知ってるじゃないですか。 普通の【神の奇跡】もいろいろ憶えましたけど、変わった方のもいろいろ成長してるんですよ。」
そう言ってミカは、小さな”火球”を手のひらの上に作る。
確か、キフロドに見せたのは”水球”だけだったはず。
木の伐採で”風千刃”を使ったり”土壁”を使ったりしたが、”火球”は見せていなかったはずだ。
「それじゃあ、キフロド様に王都に行く意思があるってことで、話を通しちゃっていいですか?」
「あ、ああ……。」
何だか、キフロドが呆けているが、とりあえず言質は取った。
どんな地位に就くとか、いつ頃行くとか、その辺は直接キフロドと教会で話をつけてもらおう。
ワグナーレもアドバイザー的な感じでも良さそうなことを言っていたし、王都にさえ行けば問題ないだろう。
あとはリッシュ村の問題もあるが、これも教会の方からやってもらえばいいか。
ラディは元々、キフロド亡き後を見越して、何年も前から準備している。
少し想定とは違った形になるが、実務面ではほぼ問題はない。…………と思う。
(じゃあ、あとはサーベンジールに寄ってワグナーレに話を通して。 一応、村長には先に言っておこうか。)
ミカはあれこれ算段を立てながら、教会を出た。
(よくよく考えれば、何でキフロドは急に王都に行く気になったんだ?)
サーベンジールに向かう上空で、ふとそんなことを思う。
教会を見ててもらう予定だったが、なぜかミカの監督をするとか言ってなかったか?
(見る対象が違うだろ。 俺じゃなくって、教会の方をよく見てもらわないと。)
そんなことを思うミカなのだった。




