第201話 これがお礼?
イクセルの「婚約破棄の偽装」というプランに、ミカの背中に嫌な汗が伝う。
「そんな…………偽装を装うなら婚約破棄の方じゃなくて、クレイリアとの婚約じゃだめなんですか?」
「そっちは無理だ。 将来の結婚まで偽装する? 一生偽装結婚を続けるのかい?」
「それは……。」
「何より結婚なんか偽装したら、その間クレイリアは結婚できないんだよ? ミカ君は二人と結婚できるのに、クレイリアは一生偽装結婚を続けないといけないなんて可哀想じゃないか。」
クレイリアはミカのために、侯爵の力を頼った。
そのせいで、負うには重すぎる十字架を背負うことになる。
「侯爵を説得して、二人との婚約破棄を撤回させれば……。」
「誰が説得できるのさ。 そんな人、陛下以外に思いつかないんだけど。」
国王に話を持って行った時点で、侯爵の嘘がバレる。
その場合、レーヴタイン侯爵家に重い罰が下るだろう。
何と言っても、国王を謀ろうとしたのだから。
さすがにお家のお取り潰しまではないと思うが、それだってどうなるか分からない。
ミカは腕を組んで考え込む。
ミカにも、落ち度がなかったとは言えない。
教会がすべての元凶であることは間違いないが、ミカ自身も対応を間違えたと言えなくもない。
クレイリアたちが動いてくれていることが分かり、任せることにしたのだ。
できれば、後々が穏便に済む方法を、と考えて。
ミカがただ脱出したところで、また教会が何かやってくることは確実。
なら、侯爵の力を使って、教会との禍根を除こうと考えた。
(三方一両損か? ……いや、そんな綺麗な話じゃないな。)
どちらかと言えば、狐と狸の化かし合いの類だろう。
侯爵を騙し、国王を騙し、という話だ。
(任せた以上、すべてが望み通りじゃなかった、と文句をつけるのも筋違いか。)
それが嫌なら、さっさと自力で脱出していれば良かったのだ。
己の責任において、教会を潰すなり何なりすれば良かっただけである。
ミカは、はぁ……と溜息をついた。
そんなミカを見て、イクセルが口を開く。
「覚悟は決まったかい?」
「…………決まると思いますか?」
ミカが聞き返すと、イクセルが苦笑する。
「まあ、そう重く捉えることはないよ。 ままあることだから。」
「はい?」
婚約破棄の偽装が?
ミカは目をしばたたかせた。
何でも軍役中に知り合い、婚約を結ぶ者がいるが、その後にトラブルになるケースがあるという。
ミカは婚約の契約を結ぶのに親の承諾が必要だったが、それはまだ子供だからだ。
学院を修了すれば、結婚も婚約も本人の意思でできる。
そうして本人同士で婚約をするが、親はそんなことを知らずに別口で婚約者を決めてしまう。
家同士の繋がりを重視した、貴族家らしい婚約を。
家のことを考えれば、親の決めた婚約者と婚約をすべきだが、愛しているのは自分で選んだ婚約者だ。
複数の相手との婚約は体裁が悪いため、一旦婚約を破棄し、改めて親が選んだ婚約者と婚約の契約を結ぶ。
その際に、この婚約破棄の偽装という手段が採られることがあるという。
「本人同士が燃え上がっちゃって、勝手に婚約する人が結構いてね。 普通はそんなにトラブルになることもないんだけど……。」
「まあ、家が婚約者を決めてくるとは思わないですよね。」
親も本人に「相手を探す」とは伝えているんだろうけど、家から離れて暮らしていると、つい普段から顔を合わせる相手に惹かれてしまうのだとか。
平民同士なら軍役中でも結婚する人も多いが、普通は一旦婚約という形を採るらしい。
(地方から出てきてる人じゃ、親に会わせるにも一苦労だろうしなあ。 けど、勝手に婚約するか?)
と、勝手に婚約をした奴が思ってみる。
勢いで行っちゃうこともあるよね!
「そんな訳で、ちょっと訳あって……というのが時々あってね。 王都の官所なら、やったことのある人を知ってるから、すぐにやり方を聞ける。」
イクセルが、とてもいい笑顔で言う。
官所に勤める官吏も、貴族家のトラブルに巻き込まれるのは御免とばかりに、そうした偽装を見て見ぬ振りをするようだ。
問い合わせがあっても、「婚約は破棄されてます」と答えてくれる。
本当に好き勝手やってんな、この国の貴族は。
「任せてくれるなら、ワグナーレ大司教をこちらに引き込むのもやってあげるよ。 ミカ君では話を通したくても、そもそも会うのも大変だろう?」
ワグナーレはずっと王城にいるため、ミカでは近づくこともできない。
イクセルは近衛軍所属で、王城に勤務しているという。
先日ワグナーレと会ったのも「顔見知りだから」で簡単に会えたらしい。
(…………本当にこれでいいのか、俺?)
しかし、他の手段が思い浮かばない。
ミカは渋い顔になるが……。
「よ、よろしくお願いします。」
そう、頭を下げるのだった。
その後、イクセルの計らいによりミカたちは自宅に帰された。
「ミカ君にも考える時間が必要だ。 貴族のような覚悟を平民に求めるのは、貴族の傲慢だ。」
と侯爵にびしっと言い、少しばかりの時間を勝ち取った。
侯爵は近々領地に戻るそうで、以降はイクセルに任せるとの言質を得ることに成功。
クレイリアとの正式な婚約の契約は夏に行うこととし、婚約の破棄に関してはイクセルが差配することになった。
そして、ミカたちが自宅に戻ってすぐに、イクセルがやって来た。
「クレイリアの了承も得たよ。」
と言うことで、キスティルとネリスフィーネにもプラン七十三号を説明。
やはり二人とも侯爵に言われ、嫌々ながら承諾させられたようだ。
「ミカ君のためにも、こうした方が良い。」と言われて。
貴族の絡むような話になると、二人には何が良いか悪いか判断がつかない。
そのため、言われるままに受け入れてしまったらしい。
(あの侯爵、まじ許すまじ。)
こうしてミカは、厄介な問題を一つ抱えることになった。
ちなみに、後で聞いたらプラン七十三号というのは適当に言っただけだそうだ。
まあ、そんなに案がある訳ないわな。
■■■■■■
水の2の月、2の週の月の日。
自宅に戻って二日ほどゆっくり休み、二週間振りの学院へ。
正直、今のミカの家の雰囲気は少々暗い。
婚約破棄の偽装という手段に、キスティルとネリスフィーネが心を痛めているからだ。
余計なことを言ったりやったりした教会や侯爵には怒りしかないが、今更なかったことにできる訳もない。
ミカは努めて明るく振る舞い、二人を元気づけるようにしている。
そうして学院に行くと、クレイリアまでどんよりした表情。
クレイリアはクレイリアで、「私が余計なことをしたから」と思い詰めているのだ。
普段、何かあっても気丈に振る舞うことの多いクレイリアが、取り繕うこともできない。
ミカは自分も弱音を吐きそうになるが、ぐっと堪え、クレイリアに笑顔で話しかける。
と言っても、あまり大っぴらに話せる内容ではない。
深い話は別の機会にするとしても、ミカは「気にしていないよ」ということが伝わるように振る舞った。
レーヴタイン組の皆からも心配されたが、「仕事が長引いた」と言って誤魔化す。
チャールが皆に何か言っているかと思ったが、ステッランやクレイリアから口止めされていたようだ。
なので、ミカが教会に捕らわれていたという話は、学院の中でも広がっていないという。
そして放課後、ミカは第二街区にあるオサレなカフェテリアに来ていた。
「あの……ミカ君?」
「何も言うな。 いいから注文する物を決めてくれ。」
向かいに座ったステッランが少々戸惑いながら声をかけてくるのを、ミカはブアットレ・ヒードの準備をしながら封じる。
ミカは注がれる視線を心の中からシャットアウトし、黙々と準備を続けた。
ミカたちの座る席の両側の席には、学院生の女の子六人。
教会に連行されるミカを見て、チャールに知らせてくれた五人と、プラスしてチャール。
ミカが「何かお礼をしたい」とチャールに相談すると、即答で答えが返ってきた。
親の葬式をぶっちしてでも皆参加するだろうということで、その場で放課後のお茶が決定した。
いや、親の葬式だったら、そっち行けよ。
ミカとステッランのブアットレ・ヒードを観戦したいという要望もあったようで、急遽ステッランも連行する。
「…………何で僕まで。」
「つべこべ言うな、メサーライト。 好きな物、好きなだけ奢ってやるから付き合え。」
そして、なぜか一緒に連れて来られたメサーライト。
何でも、女の子たちのリクエストで、メサーライトにも横に座ってて欲しいのだとか。
何のこっちゃ。
両側の席から注がれる、ねっとりとした視線。
(仏説摩訶般若波羅蜜多心経、観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時……。)
ミカは、心の中で般若心経を唱えて堪えていた。
まあ、憶えてるのは最初の部分くらいだけど。
法事でよく唱えさせられたので、頭の方だけは暗記してしまった。
ただ、ブアットレ・ヒードが始まりさえすれば、そちらに集中することで視線も気にならなくなる。
ハァッ……ハァッ……。
耳障りな、熱の籠った呼吸音が聞こえた。
コトンとミカが駒を動かす。
ボソボソ……ボソ……。
小声の話声が聞こえる。
コトッとステッランが駒を動かした。
(……気になってない……、俺は何も聞こえない……。)
ミカは自分に言い聞かせる。
何となく息苦しい、居心地の悪い時間が過ぎていく。
ミカとステッランは互いに悪手を連発する、ひどい内容である。
それでも一言も発さず、黙って駒を動かした。
注がれる視線が…………いや、気になってない。
俺は何も気になっていないぞ。
ミカは、心を無の境地へと至らせる。
隣に座ったメサーライトは、注文しておきながらケーキにほとんど手をつけていなかった。
その顔に「帰りたい……」と書いてある。
(だめだぞ、自分だけ逃げようったって。)
巻き込んでおいて、ひどい言い草である。
こうして、二時間ほどカフェテリアでブアットレ・ヒードに興じた。
ブアットレ・ヒードが終わった後は、軽く他愛のない話をする。
勿論、話をするのはミカとステッラン、メサーライトだ。
何でも、女の子たちは聞き耳を立てているというシチュエーションがいいらしい。
よく分からんが。
途中でメサーライトは何かが吹っ切れたのか、ケーキを六個も食べた。
その姿に、一部の女の子がとても喜んでいた。
そんな状況での会話だが、割と普通に話ができた。
「ほぅ……、メサーライト君は嫡男だったのか。」
メサーライトの話に、ステッランが相槌を打つ。
何となく、軽い身の上話みたいな感じになった。
子供の頃がどうだったとか、そんな程度の話。
「商会は弟が継ぐことになったけど、魔力があるって分かった時はがっくりきたよ。」
それまでは商会を継ぐことを親からも期待され、仕入れに行く父親についてあちこち行ったらしい。
ところが魔力があると分かり、まったくの想定外の事態に「そもそも魔法学院って何だよ!」と調べることにしたそうだ。
(……それで入学する時点でいろいろ知っていたのか。)
ミカのように、魔力を増やして学院に行くぞ、なんて考える者は少数派のようだ。
少数派というか、他にはいないか?
「僕は四男なので家を継ぐような立場ではなかった。 だが、セーゲルバームの家系は割と魔法士が多くてね。 魔力があることは喜ばしいと言われたよ。」
ステッランの家は宮廷魔法院に何人も送り出している、魔法士系の名門と言われる家系らしい。
「優秀な成績を収めるのは当然として、首席を目指すように言われていたのだが……。」
そう言って、ステッランがミカを見る。
「何? 紅茶のお代わり?」
「君は、僕の話を聞いていなかったのかい?」
そう、笑いながら言う。
「僕がいなくたって、首席は無理だろ?」
「困ったことに、その通りだよ。」
ステッランが肩を竦める。
次席にはリムリーシェが控えている。
正直、リムリーシェだって例年なら余裕で首席に立てる成績らしい。
まあリムリーシェに関してはミカですら呆れる魔力量を持っているので、【神の奇跡】さえ習得できれば本来断トツだったはずだ。
「初等部の一年の時は、首席じゃなかったことを家で少し言われたんだけどね。 宮廷魔法院にいる叔父がミカ君の成績を聞いていたみたいで。 あれを抜くのは無理だって。」
むしろ、ミカのような神童と同じ学年であることを喜ぶべきか、嘆くべきか、と言ってくれたらしい。
「勿論ステッランは喜んでくれているんだろう?」
「アア、モチロンダヨ……。」
「ぷっ!」
無感情で言うステッランを見て、メサーライトが吹き出す。
「ていうかさ、何で宮廷魔法院の叔父さんが僕の成績を知っているのさ。」
「そりゃあ、魔法学院と宮廷魔法院は繋がりがあるからね。 王国軍や軍務省だって、知ってる人は知ってるだろう。」
あんまり、人の通知表をばら撒くのはやめてもらいたいのだけど。
ミカは溜息をつく。
そんな他愛のない話をして、解散になる。
横の席で盗み聞きしていた女の子たちも、大満足していたらしい。
帰り際、一人の子が握手して欲しいというので応じたら、全員とすることになった。
まあ、それくらいいいけどさ。
■■■■■■
カフェテリアで解散した後の帰り道。
自宅の近くで第五騎士団の騎士に声をかけられた。
オズエンドルワからの「話がある」との伝言だ。
ということで、第五騎士団にやって来た。
「ありがとうございました。 ご迷惑をおかけしました。」
ミカは団長室に入ると、オズエンドルワにお礼を伝える。
オズエンドルワもしばらく王城に留め置かれ、その後もいろいろ忙しかったらしい。
ヤロイバロフも、先日になってようやく釈放された。
ミカが会いに行ったら、「出されたメシが不味かった」と文句を言っていた。
自分で作ると言ったが、認められなかったとか。
当たり前でしょ。
情報屋ギルド他、今回の件でかかった諸々の費用を支払うと言ったら、
「ガキが余計なこと心配するな。」
と言われた。
そんな一言で済ませられる金額じゃないと思うのだが……。
仕方なく、ミカは違う方法でそのうち返そうと決めた。
まあ、その方法がまったく思い浮かばないのだけど。
オズエンドルワは足を組んで椅子に座り、首をこきっと鳴らす。
「呼びつけて悪いな。 ちょっと忙しくて、詰所から動けないんだ。」
「気にしないでください。 オズエンドルワさんが忙しいのは分かってますから。 それより、何かありました?」
「ああ。」
オズエンドルワはかなりのお疲れのようだ。
軽く首を回すと前のめりになり、机に両肘をつく。
「教会が動いた直接的な動機、その他いろいろ分かって来たことがあってな。 君にも少し伝えておこうと思って。」
まず、今回の件のみならず、教会という組織に横行していた不正などを王国軍が動いて暴くことになったらしい。
大量に不正の証拠などが手に入り、それを元にまずは勇み足でも全国の大司教、司教などをしょっ引きまくったのだとか。
すると、出るわ出るわ。
ほぼ何者にも介入されない立場を利用し、やりたい放題やっていたらしい。
締め上げたら、気持ちよく歌ってくれたという。
勿論「俺は命令されただけなんだー。」と、他人のせいにするのも忘れずに。
(まあ、腐ってるのはネリスフィーネの件で分かってたことだけどね。 ルーンサームだけじゃなかったんだ。)
しょっ引かれた司教の中に、ちゃんとルーンサームの司教もいたようだ。
基本的に教皇派に属していた連中は、そんな好き勝手やっていた者ばかりだったという。
そして、今回の教会の動きの発端。
「ヒュームス、ですか。」
「ああ。 二十代前半、黒髪、七公国連邦から来た女だそうだ。 こいつが【解呪】を使えると騙る、不届き者を始末しろと言って来たらしい。 いくつもの教区を渡り歩き、教皇派の大司教、司教連中を唆した。 心当たりはあるか?」
ミカは首を振る。
名前に聞き覚えはないし、二十代前半の黒髪と言うと…………ロズリンデ?
ロズリンデはもう少しいっているか。
本人に面と向かっては聞けないけど。
あとは隷属呪を解いてあげた女性にも黒髪はいたけど、やはり二十代前半ではないと思う。
「ヒュームスは大司教、司教を使い、教会の上層部に働きかけた。 なんと、”解呪師”の首に三億ラーツを払うと言ってきたらしい。」
「三億って……。」
ミカは自分の首を思わず撫でる。
(……俺が持って行っても、三億くれる?)
そんな、馬鹿なことを考えてしまった。
三億貰ったって嫌だよ。
つーか、俺の首は宝くじじゃねーぞ!
「金に目が眩んだ馬鹿な連中は、必死になって上層部に働きかけた。 顔の利く枢機卿を説得し、教皇を動かした。 これが、大まかな概要だ。」
大司教や司教は、おこぼれでも一千万ラーツくらいにはなるだろうと算盤を弾いたらしい。
「…………そんな口約束を信じたんですか? 三億ですよ?」
ミカがそう言うと、オズエンドルワは苦い顔になる。
「ここから、実に厄介な話になるんだが、このヒュームスとは別に暗躍している者がいた。」
「別に……? 暗躍ですか?」
「アークゥという男だ。 通商連合の実業家という話だが、どうやら別の犯罪に手を染めている奴らしい。」
「アークゥ……。」
聞いたことのない名前だ。
「こいつがかなりの資金力を持つ奴のようで、このアークゥの信用で、ヒュームスの支払い能力にも一定の信用があったのだろう。 実際、面会した大司教や司教に合計で二千万ラーツ近くばら撒いている。」
「わお。 二千万ラーツも。」
皆、随分と袖の下が重くなったことだろう。
「ヒュームスにアークゥ。 どちらもロクでもないのは間違いないが……。」
そう言って、オズエンドルワは真剣な目でミカを見る。
「ヒュームスという女は、君の持つ【解呪】と言われる力に、何か思うところがあるようだ。」
とんでもない大金を懸賞金にし、実際に二千万ラーツ近いお金をばら撒いてミカの抹殺に動いた。
「今日呼んだのはその注意喚起だ。」
そう言って、オズエンドルワはミカを指さす。
「それと、君の家に警備の騎士を置く。 できれば、近いうちに引っ越すことをお勧めするよ。」
ミカは頷いた。
今の家は教会関係にバレている可能性が高い。
そして、そこからヒュームスとかいう女に伝わっている可能性もある。
(…………どうやら、俺にとっては教会だけが問題だった訳じゃないようだ。)
裏にいる、何か。
オズエンドルワから聞かされた内容に、がっくりと肩を落とすミカなのだった。




