第18話 織物工場の火事1
火の3の月となり、暦のうえでは夏の最後の月になった。
だが、気温だけを見れば今こそが絶好調という感じで、連日最高気温を更新し続けている気がする。
気がする、というのはこの世界にはまだ温度計がないからだ。
世界のどこかにはあるのかもしれないが、リッシュ村にはないし、ニネティアナも聞いたことがないという。
連日夢中になって外で魔法の練習をしていたミカだったが、最近の暑さにはギブアップしていた。
川に涼みにも行ったのだが、直射日光が強すぎた。
橋の下なら涼しいのは涼しいが、村の子供たちが挙って集まっている。
たまに相手をする分には構わないが、さすがに毎日子供の相手をするような元気はミカにはない。
仕方ないので、今日は家で大人しくしている。
「はぁ~……、涼しいぃ~……。」
ミカは両手を自分の顔と首に向け、”突風”で作った風を浴びていた。
今日は特に気温が高く、しかも風がほとんどない。
これまでは窓を開けていればそれなりに涼しかったのだが、風がないので窓を開けても熱が籠らない以上の効果はない。
今までは、なるべく”突風”を使って涼むことは自重していた。
アマーリアやロレッタは連日の猛暑の中、織物工場で働いている。
空調のないこの世界で、毎日熱の籠る工場で働き詰めなのだ。
家に居るだけのミカが一人だけ涼むことに、非常に罪悪感があった。
(いや~、これはもう無理っしょ。)
だが、物事には限度というものがある。
自重はしていたが、それでミカが熱中症になればまたアマーリアに迷惑をかけてしまう。
ならばここは断腸の思いで、涙を飲んで遠慮なく涼むべきであると思い直した。
現在”突風”は熱エネルギーの操作はしていない。
もちろん冷風を出せることは確認済みなのだが、これが意外に魔力を食う。
一瞬だけ冷風を出すならともかく、ずっと出しっ放しにしないと意味がない。
5分10分で済むという話ではないので、冷風を出し続けては魔力が枯渇してしまう。
そこで、”水飛沫”を霧吹きのように顔と首にかけ、”突風”で風だけを送る。
気化熱を利用して涼を取っていた。
「……これで本当に来月から秋なのか? 暦狂ってないか?」
暦についてニネティアナに聞いてみたが、よく分からないとのことだった。
というより、そもそも暦をまったく気にしていないのだ。
冒険者としての生活が長いせいか、何日後とか来週の何の日とか、そういった近視眼的にしか暦を捉えていない。
一年の流れすら、暑くなったね寒くなったねくらいにしか気にしていない。
ミカからすると、それでいいのか?と思ってしまうが、それで済んでしまうのもまた事実なのだろう。
工場長をしているホレイシオや村長などは違うだろうが、日銭を稼ぐだけの生活なら、確かにそれで済むのかもしれない。
そうしてミカがだらけていると、鐘の音が聞こえてきた。
カンカンカンと鳴り、しばらくするとまたカンカンカンと聞こえてくる。
(3回の鐘は……、火事?)
思わず振り返り、周りを見る。
異変はない。火事はミカの家ではない。
そもそもミカは火を使うことを家族から禁止されている。
ミカも村の外での魔法の練習ならともかく、それ以外では火を使うことはなかった。
その火の魔法も最近はまったく練習していない。
(どこだ?)
外に出て周囲を見回す。
近所というほど近くに隣家はないので、周りでも騒ぎになったりはしていない。
ぐるりと空を見渡して煙を探すと、丁度ノイスハイム家から北の方角、遠くの方に煙が上がっているのが見える。
今日は風がないので、煙も風に流されることなく真っ直ぐに上がっている。
ノイスハイム家がリッシュ村の南東の端なので、村の北東が火事の現場ということになる。
(……現場はかなり遠くっぽぃ――――。)
そこまで考えて、ミカは煙に向かって全力で走り出した。
(村の北東! 織物工場!)
今日もアマーリアとロレッタは、いつも通り織物工場に働きに出ている。
家族が無事に避難していてくれることを願いながら、ミカは織物工場に向かって走った。
途中で火災現場に向かう人たちをちらほら目にするようになった。
リッシュ村の労働者のほぼすべてが織物工場か綿花畑で従事している。
例え家族は綿花畑で働いていても、知り合いの多くが織物工場で働いているのだ。
ミカが織物工場に着くと、すでに100人以上の人が織物工場の建物の外にいた。
織物工場で働いていた人が避難しているのと、火事に気づいて集まった人たちだ。
そんな人だかりの中にラディの姿を見つけた。
おそらくは火事のことを聞き、怪我人に備えて駆け付けたのだろう。
火災現場は織物工場の4棟の中でも一番北東にある端の建物で、多くの人がその火災現場を遠巻きに見ている。
炎天下の中を走ってきたため、ミカはすでに汗だくになっていた。
息を整える間もなく、ミカはごった返す人だかりの中を必死に二人を探す。
「ミカッ!」
人だかりの中でミカに気づいたロレッタが駆け寄る。
「お姉ちゃん! ハァ……ハァ……よかった、無事で。 ハァ……お母さんは?」
「お母さんも無事よ。 一緒に避難したの。」
そう言って振り返るロレッタの向こうで、アマーリアもミカに気づいて走って来ていた。
「ミカ、来てたのね。」
「うん。 ハァ……二人とも、ハァ……ハァ……無事で、よかった。」
ミカは、はぁー……と大きく息を吐くと、まだ整わぬ息を少しずつ落ち着けていく。
そんな汗だくのミカを、アマーリアが手ぬぐいで拭いてくれる。
そうしてミカが息を整えているうちに、どんどん人が集まってくる。
村人全員が集まるような勢いだ。
いや、実際そうなるだろう。
村人全員が知人友人、親類縁者のような村なのだ。
むしろ集まるのが当然と言えた。
家族の無事が確認でき、落ち着くだけの間ができるとミカは少し奇妙なことに気づく。
誰も彼もがただ遠巻きに見るだけで、組織立って動くような気配が見られない。
119番、消防車に救急車。
そんなものはないだろうが、消防団のような活動はしないのだろうか。
(え? ポンプ車くらいあるよね? バケツリレーとかさ。)
魔獣に対してあれだけの団結力で立ち向かった自警団なのだ。
火災の時には消火活動くらいしないのだろうか?
(ホレイシオさんはどこだよ。 工場長なんだから、ちゃんと全員が避難できたか確認しないとだめだろ。)
元いた世界での避難訓練を思い出す。
担当毎に避難した人を確認し、上に報告する。
誰が避難できたか、避難のできていない人がいないかを把握するためだ。
男性社員はバケツリレーをやらされ、女性社員は水消火器を使っての消火訓練をさせられた。
あの頃は「面倒だなあ。」と思っていたが、実際に火災現場に出くわすと訓練の大切さがよく分かる。
(何で誰も動かないんだ?)
そう思ったが、ミカはすぐに答えに行き着いた。
(……消防活動なんて、しようがないんだ。)
無駄に広い村。一軒一軒が遠く離れ、延焼も類焼もまず起きない。
おそらく消防水利という概念がないので、村の中に防火水槽の代わりになるような貯水池もない。
実際にミカは村を歩き回り、自分の目で見てきた。
村の中に飲用、生活用水のための井戸はあるが、それ以外の貯水池などは一つもなかった。
その事実に、実際に火災が起きるまでまったく思い至らなかった。
(俺も随分平和ボケしてるな。 実際に火事が起きるまで、思いつきもしないんだから。)
しかし、村中に点在する家屋ならともかく、織物工場は4棟も連なって建っているのだ。
何もしなければ、村の唯一の経済基盤である織物工場が焼失してしまう。
川まで少し距離はあるが、村人総出ならバケツリレーならやれなくはない。
これがぶっつけ本番でさえなければ、まだやりようはあったかもしれないが……。
今ミカが村の人に説明したところで、まともに機能させるのは現実的とは言えないだろう。
(江戸時代、火事の時には先回りして長屋を取り壊していたらしいけど……。)
江戸の町には長屋が密集していた。
そんな中で火災が起きたら、何もしなければ町全体に燃え広がってしまう。
そこで燃え広がる火を食い止めるために、先回りして長屋を取り壊して延焼を止めていたと聞いたことがある。
(消火活動も組織化してたし、消防水利の概念も、稚拙とはいえすでにあった。 ……くそっ、江戸時代以下かよこの世界は!)
何かやれることはないかと考えていると、人だかりの中にディーゴの姿を見つけた。
ミカがディーゴの方に走り出すと、ロレッタが慌てる。
「ちょっと、ミカ!」
「ディーゴさんの所に行くだけ!」
ミカが人だかりをかき分けてディーゴの下に行くと、ディーゴは苦々しく火災を見ていた。
「ディーゴさん!」
「お、おう坊主。 おめえも来てたのか。 家族は大丈夫だったか?」
「うん、二人とも無事。 それよりもディーゴさん、自警団で何かやったりしないの?」
「何かってなんだよ?」
「このままじゃ隣の建物にも火が移っちゃうよ? 先に潰しておくとか、何かしないの?」
「潰すぅ!? あれをか?」
そう言ってディーゴは隣の建物を見る。
「……無茶言うなよ。 突拍子もないこと言うなぁ、おめえ。」
ディーゴは呆れたように呟く。
たしかに織物工場を長屋のように壊すのは難しいだろう。
長屋は元々、火事の時には壊しやすいよう、構造的に設計されていた。
いきなり同じように壊せと言われても無理だろう。
「じゃあ、工場から避難した人を確認しない? ちゃんとみんな避難してるかどうか、確認した方がいいんじゃない?」
「……そう、だな。 確認した方がいいか。 おい!」
ディーゴが人だかりの中から誰かを探して呼びかけようとした時、周りがザワついた。
「おい、あそこ!」
「見ろ! 誰か出てきたぞ!」
どこからか、そんな声が聞こえてきた。
見ると、周りの人がみんな火事の起きている建物の出入口を指さして、口々に叫んでいる。
出入口からは煙が吹き出し、その煙の中から一人の男がふらつきながら出てきたところだった。
人だかりから数人の男が飛び出し、ディーゴもそれに続いた。
男たちは建物から出てきた男を支えると、両脇を抱えて建物から離れる。
「しっかりしろナンザーロ!」
「もう大丈夫だぞ!」
ナンザーロと呼ばれた若い男はひどく咳き込みながら、必死に建物を指さす。
その手はひどく焼け爛れ、よく見れば腕は全体的に火傷を負っていた。
ラディが走ってきて、すぐナンザーロに【癒し】を与える。
ミカは遠巻きながら、その様子を見ていた。
「ゴホッ……ゲホッ……、まだ、中に! ゴホッ……!」
ナンザーロは涙を流しながら、必死に訴える。
「まだ中に人がいるのかっ!」
誰かが怒鳴りつけるように確認すると、ナンザーロは何度も頷く。
「そんな!?」
「なんてこった……。」
ラディは絶句し、建物を見ると祈る仕草をする。
ディーゴは歯を喰いしばり、建物を睨みつけた。
「ゲホッ……妻が! ゴホッ……ゴホッ……まだ中に、メヒトルテがいるんだ!」
「なっ!」
ナンザーロの悲痛な叫びに、その場にいた全員が絶句する。
「頼むっ! 誰か、ゴホッ……誰か妻を助けてくれ! お願いだ! 誰か!」
ナンザーロは必死に傍にいた男にしがみつき訴える。
その場にいた全員が、助けを求めるナンザーロの姿を見ていることができなかった。
おそらくナンザーロはギリギリまで妻を救おうとしたのだろう。
だが、自分だけでは救い出せないと悟り、断腸の思いでその場を離れ、助けを求めに来たのだ。
「……他にも誰か、取り残されてる人を見たか?」
ディーゴがナンザーロに声をかける。
「…………工場長と、他にも数人いたんだ。 妻もそこに……。」
ナンザーロは、力尽きたように項垂れる。
「…………俺、最後まで助けようとしたんだけど、工場長に行けって……。 それでも、何とか助けようとしたんだけど……、火が回ってきてっ……!」
そう言い、ナンザーロは泣き崩れる。
ナンザーロのあまりに過酷な告白に、ミカも崩れ落ちそうなほどの無力感に包まれる。
(……ホレイシオさん。)
人だかりの中に見かけないと思ってはいたが、まさか取り残されていたとは。
あの短身だが頑強そうなホレイシオなら、どんな所からでも脱出できそうだが。
(動けない、何か理由があるのか……?)
ホレイシオか、他の取り残された誰かが怪我を負ったか。
何らかの理由により、動くに動けない状況なのか。
知らぬうちに、ミカは手をきつく握り締めていた。
(ホレイシオさんは命の恩人だ。 それは、確かにそうだけど……。)
ミカは煙の吹き上がる建物を見る。
すでに火は建物の広範囲に広がっているだろう。
天井もいつまで持つか分からない。
いつ崩れ落ちてきてもおかしくない。
ミカはナンザーロを見る。
助けを求めるためとはいえ、妻を置いて逃げてしまった。
いや、きっと分かっていただろう。それが叶わないことを。
ナンザーロの抱えるその絶望は、如何ばかりか。
きっとナンザーロは、今日のことを一生後悔し続けるだろう。
(くそっ……、馬鹿なこと考えるなよ。)
あの中に飛び込むなど、いくら何でも自殺行為だ。
少しくらい魔法が使えても、どうにもならないことがある。
そんなことは言うまでもなく分かってる。
(分かってる。 ああ、分かってるよ!)
ミカはもう一度、煙の吹き上がる建物を見る。
歯を喰いしばり、目をギュッと力いっぱいに閉じる。
(どうしようもないだろうが! 俺一人に何ができるってんだ!)
このまま織物工場を焼失させれば、リッシュ村はお終いだろう。
そうなれば、村人全員が路頭に迷うことになる。
(くそったれがっ!!!)
カッと目を見開くと、思考とは裏腹にミカは煙の上がる出入口に向かって駆け出していた。
「あ、おい! こら!」
「馬鹿! 戻れ!」
駆け出したミカに気づいた大人たちが咄嗟に止めようと動くが、不意をつかれたため手を伸ばすが届かない。
「”制限解除”! ”水球”!!!」
ミカは走りながら”水球”を自分の正面に作り出す。
直径1メートルほどの”水球”にそのまま飛び込み、反対側に突き抜ける。
ミカの暴走に気づいた大人たちはミカを追いかけたが、突然現れた水の塊に驚き、動きが鈍る。
その隙にミカは出入口に飛び込んだ。
「見ろ! 誰か!」
「キャアーーーーーーーーーッ!」
「子供が!」
「ミカ君!」
「ミカッ!」
背後の人だかりからいくつも悲鳴が上がり、ミカを止める声が聞こえる。
ミカは建物の中からその声を聞き、心の中でアマーリアとロレッタに謝る。
(……ごめん。 いつも心配ばかりかけて、本当にごめん。 でも……。)
ホレイシオを。命の恩人を見捨てたくなかった。
ナンザーロの悲痛な叫びを、何とかしてやりたかった。
もしも、自分に立ち向かえる”力”があるのなら。
その可能性が、僅かにでもあるのなら。
(……何とかしてみせる!)
ミカは右手で口と鼻を塞ぎ、”突風”で呼吸を確保する。
左手で”水飛沫”を出し続け、進行方向と周囲の目についた炎にかけていく。
工場は木造の建物で、炎に焼かれて耐久性が落ちている。
水の勢いが強過ぎると、それがとどめとなって崩れてしまいかねない。
ミカは慎重に消火しながら建物の中を進んで行く。
(呼吸は確保できても、目が……。)
大量の煙に包まれ、いくら呼吸は確保できても目が痛くてしょうがない。
”突風”の勢いで顔の周囲の煙は押し返しているが、それでも熱と多少の煙はどうしようもない。
煙で視界も著しく制限される。
しかもミカは火災現場である建物には入ったことがないため、内部構造も分からなかった。
「ホレイシオさーーん! どこにいますかぁーーーっ!」
大声で呼びかけるが返事はない。
ゴォーー……という空気の流れる音と、炎で木が爆ぜる音が聞こえるだけだった。
ミカは大声で呼びかけながら、慎重に進んで行った。
(魔法の同時使用は初めてやったけど、何とかなるもんだな。)
”水飛沫”と”突風”。
それなりに練習をしているので発現させることに不安はなかったが、同時に使用するのは初めてだった。
ミカは度々自分にも水をかけ、建物に充満する熱に耐える。
(これからは、こういうのも練習すべきか。 …………これから、があるならだけど。)
歩いた距離から考えて、そろそろ建物の半分ほどに来たかという頃、ミカはまずい事態に気づいた。
(このままだと……、魔力が持たない。)
ミカは歩みを止めてしまった。
火事に気づく前、家で”突風”を使っていた。
そして、今は”水飛沫”と”突風”を同時に使っている。
思った以上に魔力の消費が激しい。
とくに”水飛沫”の魔力消費が大きかった。
勢いは抑えているとはいえ大量の水をを作り続けるのだ。
じりじりと魔力が減っていくのが分かった。
(どうする? どうすれば……。)
魔力が枯渇すればそこで終わりだ。
ミカ自身も動けなくなる。
今ならまだ、ギリギリ引き返すことができるかもしれない。
(……できるか、そんなこと……っ!)
ギリッと歯を喰いしばる。
だが、このまま進んで取り残された人たちを発見できても、そこからは確実に引き返すことができない。
(考えろ、考えろ、考えろ……。 何か手はある。 …………絶対に!)
迫りくる炎を睨みつけながら、ミカは懸命に生き残る術を考えるのだった。




