第187話 ワグナーレの苦悩
土の3の月、4の週の火の日。
リッシュ村の教会に、キフロドの呻き声が響く。
「うむむむ……。」
腕を組み、難しい顔をしたキフロドの向かいで、ミカは今取ったキフロドの大駒を手の中で弄ぶ。
キフロドはじっとブアットレ・ヒードの盤面を睨み、状況を打破する手段を考える。
だが、すでに終盤。
要の大駒を失った状況を挽回するには遅すぎた。
「…………まいった。」
「ありがとうございました。」
キフロドが降参し、ミカも丁寧に頭を下げる。
基本的に、ミカとキフロドの実力は拮抗していた。
帰省中に何度も対戦させられているが、勝率はほぼ五分五分。
まあ、時々キフロドが「待った」をかけてくるので、本来はミカの方が勝っているか?
キフロドが、肩を解すような仕草をしながら呟く。
「ミカは本当に強くなったのぉ。」
そう、しみじみ言った。
ミカは駒を片付けながら、苦笑する。
「学院でも一人、好きなのが居てさ。 時々誘われて、相手をさせられるんだ。」
「ほぅ、学院にもおるのか。」
「うん。 どっかの子爵の三男だか四男だったかな。」
ミカは平然と言うが、それを聞いてキフロドが目を丸くした。
「貴族と打っとるのか!?」
「貴族って言ったって、嫡男って訳じゃないし。 本人はごく普通だよ。」
最初は面倒そうな奴とか思ってたけど。
ミカの話に、キフロドが茫然といった表情になる。
それから、大きく溜息をつく。
「……前からいろいろと危うい所はあったが、自分からわざわざ貴族と関わるなんぞ……。」
「違います! 自分からじゃないです! ……でも、なーんか目をつけられちゃうんだよねえ。」
何でだろうね?
そう言えば、オズエンドルワも貴族家の人間だっけ?
ソルニータクス、伯爵?
ミカはブアットレ・ヒードの駒を仕舞うと、盤の上に置く。
「キフロド様には一応、知っておいてもらおうかな。」
そう、少し真剣な表情で呟く。
「…………何をじゃ?」
「学院での、僕の立場、かな?」
どう表現すべきか、中々に難しい。
「これでも僕、学院では成績優秀なんだ。」
「そうなのか?」
ミカはこれまで、学院での生活のことなどは、ちょっとした雑談で話すことはあった。
ごく普通に学院に通い、問題なく進級しているので、キフロドたちもほっと胸を撫で下ろしている感じだ。
「どのくらい優秀だと思う?」
「どのくらい……? ミカがそんなことを言うくらいじゃ、一位二位を争うほどなのか?」
キフロドは自分で言いながら、まさか、といった表情をする。
「前代未聞って言われてる。」
「は……?」
キフロドが、ぽかんとした顔をした。
なんか、そのまま魂が抜けて昇天してしまいそうだ。
「どういう経緯かは分からないけど、国王陛下に話が伝わるくらい。 僕の名前知ってたよ、陛下。」
「こっ……!?」
キフロドは目を剥き、ミカを凝視した。
あ、やべ。
ショック死しそうなほど驚いてる。
ミカは唇に指をあて、静かに、とジェスチャーする。
今は教会にはミカとキフロドしかいないが、あまり大声で話しては、誰かに聞かれるかもしれない。
「どっ……、どこで陛下とお会いするような機会があったんじゃっ!?」
キフロドは驚きながらも、何とか声を抑える。
「在位二十年記念パーティ。 レーヴタイン侯爵に連れて行かれて。」
「記念パーティッ……!? レーヴタイン侯爵じゃとっ!?」
いきなりの話に、キフロドはもはや息も絶え絶えだ。
ミカは両手を開いて、「まあまあ、抑えて抑えて」とジェスチャーする。
そんなミカをじっと見ていたキフロドだが、やがて「はぁーー……」と大きく息を吐く。
「……ミカ、お前さん、危ういどころではないぞ? 平民の身で貴族の、それも上級貴族に関わるなぞ……。」
「そうは言っても、関わりたくなくても向こうから言ってくるし。 言われたら逆らえないでしょ。」
「それはそうなんじゃが……。」
何だか、本当にキフロドが抜け殻のようになってしまった。
もしかして、寿命縮めちゃった?
「まあ、その、ね。 キフロド様とかシスター・ラディに助けてもらって、おかげで何とかやってるよって、そんな話。 いくら僕が優秀だ何だって言われたって、何年も前に命を落としててもおかしくなかったでしょ? 今の僕があるのは、そうした人たちのおかげだから。」
「ミカ……。」
ミカの言葉に、キフロドが少し寂し気な表情になった。
「そうして、何年も前のことも忘れず、変わらず感謝する心を持つのはミカの良い所じゃ。 普通は、自分がしてもらったことはすぐに忘れてしまうものじゃからな。 されたことは憶えていても、のぉ。」
が、すぐにじとっとした目をミカに向ける。
「……その割に、無茶なことをするのも相変わらずのようじゃがの。」
「うっ……。」
キフロドの一言に、ミカは息を詰まらせた。
「毎年多くの寄付をしてくれるのは有り難いことじゃが、いくら何でも大金過ぎじゃの。 どれだけ冒険者として危ないことをしとるんじゃ? と言うか、本当に学院にちゃんと通っとるのか!?」
「通ってます、通ってます! サボったことなんてないです!」
自主休校は一回やったけど!
ちゃんと学院長の許可取ったし!
ミカが慌てているところに、ネリスフィーネとラディが戻ってきた。
この二人、本当に仲良くなってよく一緒にいる。
今もラディが村人の家を回るのに、ネリスフィーネがついて行っていた。
ラディは無償で村人に【癒し】を与え、お年寄りや病気の人たちの話し相手をし、困りごとの相談に乗る。
ネリスフィーネは、そんなラディの信仰への向き合い方にとても感銘を受けていた。
「どうしたのですか、ミカ様。 そんなに慌てて。」
「もうブアットレ・ヒードは終わったのですか、キフロド様。」
「ネリスフィーネ! いいところに来た! キフロド様に言ってやってくれ!」
ミカはネリスフィーネに駆け寄り、援護射撃を要請する。
「…………? 何をでしょうか。」
だが、何のことか分からないネリスフィーネは首を傾げる。
「キフロド様が、僕が学院をサボってるんじゃないかって、あらぬ疑いをかけてくるんだよ!」
「まあ、そんなことはありませんよ。」
そうにっこりとネリスフィーネは微笑み、キフロドに説明してくれる。
「ミカ様は毎日学院に通い、しっかりと学ばれています。 とても頑張っているのです。」
ネリスフィーネのその言葉に、ミカはふふんと胸を張る。
「毎日放課後には”不浄なる者”を狩って、呪いの――――。」
「だあーーーーーーっ!? ストップ、ストップッ!」
余計なことまで言うんじゃないよ!
友軍誤射が発生した。
だが、時すでに遅し。
キフロドが半目になって、じっと見る。
そして、横で聞いていたラディの目まで座っていた。
「毎日、”不浄なる者”を……? ミカ君?」
「普通に冒険者をやっとるだけじゃないのか?」
あわわわわ……。
「ネ、ネリスフィーネ、帰るよ! キフロド様、シスター・ラディ! それじゃ、また! キスティルがご飯作って待ってるんで!」
「あ、ミカ様。」
早口でそう言うと、ミカはぴゅーーっと教会を飛び出した。
置いてきぼりのネリスフィーネが、目をしばたたかせる。
キフロドが「やれやれ……。」と呟き、頭を掻いた。
「ネリスフィーネや。 後でじっくりと、ミカの王都での生活を教えてくれんかの?」
「あ、あの、えーと……。」
ミカのあの態度を見る限り、果たして言ってもいいものか。
ネリスフィーネが「困った」と顔に張り付けると、ラディがきらきらとしたとても良い笑顔になる。
「また遊びにいらしてください、ネリスフィーネさん。 勿論その時は、キスティルさんとミカ君も一緒に、ね。」
有無を言わせない何かを感じ、ネリスフィーネはこくんと頷く。
これは、洗いざらい話すことになりそうです、と思いつつ。
聖母のような優しさを持つシスター・ラディの隠れた一面に、背中にちょっぴり冷や汗を掻いたネリスフィーネだった。
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【ワグナーレ・シュベイスト視点】
サーベンジールにある大聖堂。
その大司教執務室で、ワグナーレは一人の客人を迎えていた。
ワグナーレと向かい合って座るのは、王都にある大聖堂で枢機卿を務めている男。
ブラホスラフと言う、ワグナーレのいくつか年上の男だった。
「やはりだめか……。」
ブラホスラフはやや肩を落とし、前のめりになっていた身体を引く。
「例え私が了承したところで、もはや任命される可能性はない。 それは貴方にも分かっていたことだろう?」
落胆するブラホスラフとは反対に、ワグナーレはまったくの無表情だ。
ワグナーレの無表情というのは、その鋭過ぎる目つきも相まって、中々の迫力がある。
普段ワグナーレの補佐をしているカラレバスあたりは、未だに震えあがるほどだった。
だが、ブラホスラフはそんなことはまったく気にしない。
なぜなら、ワグナーレとはかれこれ四十年以上にもなる付き合いだからだ。
この二人は十代の頃に同じ修道院で学び、修行してきた仲である。
「このままでは、本当に教会はお終いだ。 ワグナーレ、頼む。 力を貸し――――。」
「このままではない。 もう終わっている。」
「……ッ!」
助力を頼むブラホスラフに、ワグナーレは無情に事実を突きつける。
それは、教会が元々抱えていた、制度上の欠陥だった。
枢機卿は、教皇が自由に任命することができる。
そして、特に任期などは設けておらず、基本的には高齢や病気を理由に辞任するまで、その地位にある。
定員なども設けられておらず、これまでは二十名前後で構成されていた。
教皇の選出は枢機卿の満場一致が条件だが、その他の決定はすべて教皇の裁可で決まる。
教皇とは、それほどの絶対的な権限を委ねられる存在。
枢機卿による多数決で、何かが決することはない。
すべては教皇によって決定される。
そして、その教皇の裁可に大きな影響力を与えるのが、枢機卿たちによって構成される枢機卿団だ。
裁可は教皇が下すが、教皇とて神ではない。
すべてを見通す目を持っている訳ではない。
教皇が正しい判断を下せるようにするため、枢機卿団が適切な助言を行うのだ。
すべての裁可を教皇が下すが、かと言って好き勝手に裁可を下せるものではない。
枢機卿団の助言を無視し、すべてにおいて逆の裁可を下すことも可能は可能だが、そんなことをされたら教会という組織が崩壊しかねない。
そんな者がそもそも教皇に選出されること自体があり得ないが、制度上の問題としてはずっと内包されていた。
そうした制度上の問題はこれまで、大きく顕在化しないできた。
仮にも聖職者であり、また大きな責任を伴うことで、一応は皆が理性的に振る舞っていたのだ。
勿論、一面では個人的に強い思い入れのある主張を押し通し、それまで禁じられていた戒律を緩めたり、逆に戒律を厳密に守らせるようにしたりすることはある。
非常に厳しい教皇がいた一方、多くの戒律を緩ませた教皇もいた。
そんなのは長い歴史を紐解けば、いくらでもあることだ。
それでも、制度の欠陥を突き、教会を牛耳った教皇はこれまでいなかった。
派閥工作くらいは、教会内にも普通にあることだ。
枢機卿団としての意見で、やはり多数を占めた意見が通りやすいのは当然のことだろう。
教皇個人の主義や思想により、多数意見を突っぱねてでも少数意見を押し通すこともあるにはあるが、それだけ信念があったと考えることもできる。
だが、現教皇は違った。
多数派工作で教皇にまで上り詰めると、面倒な派閥を維持する工作などさっさとやめた。
もっと手っ取り早い方法があるじゃないか、と。
当時の枢機卿は十九名。
ならば、自分の子飼いの司教や司祭二十名を枢機卿に任命してやれば、あっという間に多数派の誕生である。
その後も金で枢機卿の地位を買う者がいたりと、現在は四十七名にまで膨れ上がっていた。
二~三名を側近として枢機卿に引き上げる教皇はこれまでも普通にいたが、ここまであからさまにやってのけた教皇は史上初であった。
そして現在、教皇派は三十二名。
反教皇派は十五名。
これなら大手を振って裁可を下せる。
枢機卿団からの多数意見として。
教皇は理由を作って、反教皇派の枢機卿を罷免することもできるが、それは思い留まった。
教会を正常に運営するのに、歯車が必要だったから。
「今さらどうにもならん。 次の教皇も、当然教皇派から選ばれる。 制度の欠陥を放置してきた歴代教皇を恨むしかあるまい。」
「しかし、このままでは……。」
ワグナーレの言葉に、ブラホスラフが項垂れる。
「教会が腐っているのは、今に始まったことではない。 それは分かっていたことだろう?」
「………………。」
「私に枢機卿になれと言われても、あの教皇が私を任命する訳がないのはブラホスラフにも分かってるんじゃないのか?」
「それは……。」
ワグナーレの言っていることは、ごく当たり前の話だった。
現教皇が、わざわざワグナーレを枢機卿にする意味がない。
ワグナーレ自身は、特に旗色をはっきりとさせていないからだ。
やろうと思えば教皇ならワグナーレを飛ばすこともできるが、今のところはその気配はない。
おそらく、教皇の中でワグナーレは歯車組。
サーベンジールという巨大な集金箱から、効率良く金を吸い上げる係とでも思っているのだろう。
下手に子飼いの者を置けば、好き勝手に食い散らかす。
それならば、余計なことをしないワグナーレを使った方が良いという判断だと思われる。
「それでも、お前なら何か方法があるのではないかね?」
ブラホスラフは一縷の望みをかけるように、ワグナーレを見た。
だが、当のワグナーレは涼しい顔だ。
「難しく考えすぎだ、ブラホスラフ。 簡単…………とは言わないが、もっと単純な方法があるだろう?」
「……単純な、方法?」
ワグナーレの言葉に、ブラホスラフは怪訝そうな顔になる。
「教皇と、教皇派の枢機卿どもが会議で集まったところを、皆殺しにすればいい。 お前は地獄に落ちるが、現世の教会は救われる。」
「なっ……!?」
あまりに短絡的なワグナーレの答えに、ブラホスラフは言葉を失くす。
だが……。
「…………もはや、それくらいの覚悟で挑まねば無理か。」
ブラホスラフの呟きに、ワグナーレは返事を返さなかった。
もう、綺麗事で片付けられる段階ではない。
それほどまでに絶望的な状況だと、ようやく理解したらしい。
「今は、下手に何かをしても無駄だ。 それに、このような状況を神々が許される訳がない。」
居るのならな、とワグナーレは心の中で呟いた。
そうして、ワグナーレとブラホスラフはいくつかの情報交換をする。
最近、何人かの大司教や司教に怪しい動きがあることはワグナーレも掴んでいたが、ブラホスラフにも理由は分からないようだった。
どうやら教皇派の一部が動いている様子で、ブラホスラフは完全に蚊帳の外のようだ。
「あまり思い詰めるな、ブラホスラフ。 あまり派手に動いてお前が罷免でもされれば、その方が遥かに状況が悪化する。 今は、堪えろ。」
ワグナーレの言葉に力なく頷き、ブラホスラフは帰って行った。
ワグナーレは執務室のソファに深く腰掛け、背もたれに寄りかかる。
そうして天井を仰ぎ見て、大きく息を吐き出す。
「…………今更、驚くようなことではない。」
そう、呟きが零れた。
何十年も前から、予兆はあった。
少しずつ、少しずつ、教会内に腐臭が漂うようになった。
人の足を引っ張り、陥れた者が上に上がって行く。
そんなことがまかり通る状態が、ずっと続いていたのだ。
各地にぽつぽつと現れた腐った者どもが、一カ所に集まりだし、力をつけた。
そうして、教会と言う巨大な存在を喰らい始めた。
そうした状況を打ち破ろう、自分の手で一掃してやろうと静かに心を燃やした頃もあった。
だが、キフロドが陥れられ左遷させられたことで、考えが変わってしまった。
どう考えても潔白という状況でも、嫌疑を向けられただけで、もう何をしても無駄なのだ。
なぜなら、そんなことは初めから分かっているから。
初めから分かっていて、初めから飛ばすつもりなのだ。
正しさも、事実すらも、意味がない。
そんな状況に慣らされてしまった。
「…………道は、一つ……。」
そう、思い込もうとしていると、指摘された。
本当は、道に迷っているのだ、と。
かつて、聖女と交わした言葉が胸によぎる。
思い出すと、ずきりと胸が痛んだ。
まるで、聖女の言葉が胸に刺さったように。
「それでも私には、何もできない……。」
自分の身を守ることが精一杯。
自分の目の届く者たちを、手の届く者たちを守ることで精一杯だった。
ワグナーレは身体を起こし、虚空を睨む。
情報は、ある。
教皇派のほとんどと、教皇の黒い情報はある。
だが、そんな物が何の役に立つ。
ここで今、その情報のすべてを開示したところで意味はない。
ばら撒いたところで、何も起きはしない。
教皇が形だけの弁明で、少しばかり冷や汗を掻くだけ。
精々尻尾として数人の枢機卿が切られるだけ。
それに何の意味があるのか。
「すでに、手遅れだ……。」
ワグナーレの力のない呟きが、執務室に空しく響いた。




